あの記憶を、永遠に。あの祭りから1ヶ月。
相変わらずクラスの人数は、自分を含めてもたったの3人。特に生徒たちの私語もなく、笹本先生が1人、授業の内容をいつも通り話している。その声を聞きながら眠りに入ろうと机に顔を伏せるが、どうも“あの出来事”以来、しっかりと眠りに付けない。目を瞑ると、この世界で僕以外の記憶には残っていないあの2人が、脳裏に浮かぶ。
村のみんなの為に、自らを犠牲にしたひまり。あんなに仲良しだった小夏や、クラスメイトだった結弦でさえも彼女の事をもう覚えていない。ひまりのおかげで皆は助かったんだ。もちろん彼女には感謝している。でも、もしあの時違う選択が出来たならって、時々考えてしまう。ひまりを含めた全員が助かることは出来なかったのだろうか。
毎日夜中まで一緒にゲームをしていた翠。最後に会ったのは、巨大な狛犬が村中歩き回っている文字化けだらけのあの世界。大好きなゲームも、何も出来ないのを退屈そうにしていた。食べたそうにしていたアイスも、食べさせてあげることが出来なかった。何もしてあげられなかった。…今でも鮮明に思い出す。僕の最も大切だった、最愛の弟は僕たちの目の前で…。
「おーい猫羽、また寝てるのかー?」
机に顔を伏せていることに笹本先生に気付かれた。
「…うるさい。」
「うるさいって、今授業中だぞ!って、ど、どうした?」
どうしたって何が?と思いながら目を擦ろうと顔を触ると、目から涙が零れている。
「別に先生には関係ない。」
「お、おう…そうか。」
そう言いながら心配そうな顔で授業を続ける。…そんなつもり無かったけど、僕はいつの間にか泣いちゃってたんだ。今更泣いたって、ひまりと翠は帰ってこない。人の記憶にすら。そんな事を考えながら、僕はまた眠ろうと再び机に顔を伏せた。
いつの間にか眠れていたみたいで、目を開けると授業がちょうど終わり、チャイムが鳴っていた。大きく伸びをして立ち上がり、帰りの準備を始める。昔、弟が大切にしていたキーホルダーの付いたカバンを机に置き、スマホと筆箱だけをその中に入れる。なんだか今日は頭が痛い。色々考えすぎたせいだろうか。早く帰って寝たい。
「今日もみんなで帰るよね?」
凛咲が声をかけてきた。
「ごめん、今日は1人になりたい。他のみんなにも伝えといて。…じゃ。」
そう言って僕は逃げるように家に帰った。
家につき、手を洗ってから自室に帰る。
この部屋はこの間まで弟と僕、2人の部屋だった。あんなちびっ子が居ないってだけでかなり広く感じる。1ヶ月経ったとはいえ、この広さには慣れない。
「…ただいま、翠。」
“お兄ちゃん!おかえり!”
もうあの元気な声は聞けない。この部屋に入る度、虚しさを感じる。翠の私物だったゲーム機をそっと撫でながら話しかける。
「翠、明日は新しいゲームが発売される日だよ。もし面白そうだったらお兄ちゃんが買ってあげるね。」
そんな事を言っても、返事が返ってくる訳ない。
「それと、この前食べたいって言ってたアイスも今日買ってきたよ。」
そう言って、帰りに寄った駄菓子屋で買ったアイスをゲーム機の前に置いた。その様子を部屋の扉の前から、いつの間に居たのか母さんが見ていた。
「翠くんは喜んでる?」
母さんは他の村人や友達と同じように、翠の事を覚えていない。だけど僕の行動を否定したりせず、翠は確かにいたという事を信じてくれている。
「…うん、すごく嬉しそうに笑ってる。」
「ふふ、よかったわね。これも翠くんにあげてくれる?少し早いけど晩御飯!」
母はいつも翠の分までご飯を作ってくれる。翠は母さんが作る料理なら何でも大好きだったから、きっと喜んでくれているだろう。
「うん、ありがとう。そうだ、僕行きたい所があるから、帰ったらご飯食べるね。」
「あら、また神社?気をつけてね!」
「うん、行ってきます。」
そして僕は1人、夕暮れの神社に向かった。
ゆっくり歩いてきたせいか、辺りはすっかり真っ暗だ。所々にある蝋燭などの火だけが光っている。この前まではそんな事なかったのに、あの祭りの日以来ここに来ると気分が悪くなる。賽銭箱の前まで来て、財布から小銭を何枚か取り出し投げ入れる。2回礼をして2回手を叩いて願い事をする。あの日から僕は毎日“神”に願っている。
「あの日の記憶を、永遠に忘れませんように。」