薬と正論と過ち「っこの、はな、離せって言ってるだろ……!」
暴れている様すら楽しんでいるように、玄関から入ってすぐの廊下で清河を引き倒して抑え込んでいる司馬懿は愉快そうにしていた。この男の機嫌がいい時なんて碌な事にならないと相場が決まっている。目が合った瞬間にUターンしようとした筈が、時すでに遅しというように襟を掴まれて地面に投げ飛ばされた。相も変わらず配慮の欠片もない、打ちどころが悪かったら骨にひびが入っていたかもしれないんだぞ。
ぴ、と見せつけるように司馬懿がポケットから三つの小さな袋を出した。ピンクの錠剤と、紫色の粉薬、それから透明な液体がゆらゆらと入っている袋。普通の人間が持っていれば風邪薬かもしれない、と言いたいところだが、あいにくこの男が持っている時点でそんな希望は消え失せた。
「ああ、違法なものではないぞ。今のところ合法だ」
今のところって何だよ!?とキレたい気持ちごと大きな手のひらに口を覆われて、その怒りはもごもごとくぐもった声にしかならない。説明なんて聞きたくもないのに、司馬懿は勿体ぶりながらゆっくりと効能を説明していく。
「これが快感を増幅させる薬で」
「こちらの毒々しい色をしている薬が、痛みを快楽に変える薬」
「それで、残ったこれが気付け薬だ。今は使わん、お前が意識を飛ばした時に飲ませるためのものだからな」
分かったか?と言いながら口を覆っていた掌が離れた瞬間、錠剤が放り込まれる。さっと青ざめて吐き出そうとするも、何処に置いていたのか水のなみなみと注がれた水筒を口に宛がわれてしまった。ほぼ垂直に流れ込んでくる水に抗いながら錠剤を吐き出すよりも先に、ラムネ菓子のような速度で溶け切ってしまった錠剤はいくらかの水と一緒にこの身体に呑み込まれていってしまう。
「ゲホッ、」
「薬一つまともに飲めないのか」
「っこれがまともな飲ませ方か!?」
錠剤でこれだから、粉薬はもう目も当てられない程に酷かった。吐こうとしても、いや、仮に口から吐き出したとしても、それを拭った指を口の中に擦り付けるようにして粘膜から薬を吸収させてくる。摂取量が増えれば増えるほど身体からは力が抜けて、口内を好き勝手にかき回していた指が歯並びに沿って動くだけで腰が浮いた。
「っ!」
「さっきまでの威勢はどうした?」
「お前のせいだろ……!」
廊下の端に落ちたままの鞄と、口から溢れたままの水を放り出したまま、司馬懿は清河を雑に引きずって寝室へと向かう。翌朝どころか三日ほど外に出してもらえなかった。土日じゃなかったら妹や学校に何と言われていたか。そう悪態を吐くか悩んだが、きっと「土日だから」多少清河を酷い目に遭わせてもいいと計算しての上で此奴は薬を盛っているし、文句を言えば次からは平日に同じことをされるかもしれない。
何が賢い選択で何が愚かな選択なのか。
嫌々ながらもそれを理解してきた清河に、司馬懿は満足そうに笑みを浮かべていた。
◇ ◇ ◇
「っ……あ、っ、かはっ、」
司馬懿に捕まってしまってからというものの、夜は睡眠薬が無いと眠れなくなってしまった。普段から強めの睡眠薬を飲んでいたが、偶々それが今回盛られた薬とよくない反応の仕方をしてしまったらしい。軽く痙攣しながら床でもがいている清河を、司馬懿は焦るでもなくただただ「馬鹿だな」という目で見下ろしていた。迷惑そうに眉根を寄せるだけで焦りもせず、淡々と最低限の応急処置を済ませる所が本当に司馬懿らしいと思う。
「お前は愚かだな。薬の飲み合わせすら知らないとは」
正論で殴り飛ばしてくるところもそうだ。ただ、今回ばかりは清河にだって言い分はある。
「自分に使われたいかがわしい薬の成分なんて知るか……!」
その言い返しは意外だったのか、珍しく司馬懿が理にかなったような顔で清河の発言を受け止めていた。この男も人の発言で気付きを得る事はあるのか、とだいぶ息の落ち着いてきた清河が深く吸って、吐いてを繰り返していた時。
「ならば一から十まで教えてやろう。なあに、身体に覚えさせれば同じ過ちは犯さない」
──冗談じゃない。
どうやら気付きは気付きでも、それは清河にとって良くない方の気付きだったらしい。