「どこへ行く」
ヒュンケルと二人、ベッドで過ごした次の朝のことだった。
まだ寝間着のラーハルトは、すっかり外出の準備を終えたヒュンケルを見つけた。彼と同棲を始めてから長いが、休日の朝に黙って出て行かれるなど初めてだ。
扉を開けた所に声を掛けると、彼は立ち止まるどころか外へと走り出したのでラーハルトは驚き、追いかけた。
寝静まる街の無人の道は障害物もない。一区画ほど先で難なくヒュンケルを捕まえた。
「……なんだ、その格好は」
抱きすくめた身体を離して、改めて見れば彼は礼服を着ている。しかも軍の正装のようだ。
「少々用事が」
「今日はパプニカの国民の休日だったな? 余程の事情が無ければ働かん日だと聞いているが?」
観念したヒュンケルから事情を聞くと。
「戦勝記念日の式典、だと……?」
「招待状が来た。オレのサイズで誂えられた、この式服と共に」
彼が着ている白い軍服は緑のモールと刺繍で飾られていた。これは茂る葉、健やかに伸びゆく発展を現すとのことで戦勝記念日の本日にのみ使われる指定色らしい。
「……誰から送られてきた。女王な訳はないな?」
あのレオナがやるはずがない。このような酷いことを。
「ああ。軍務大臣からだった」
「おまえ、それで行く気だったのか」
「独立記念日、戦勝記念日……どこの国にでもあるだろう」
どう聞いたって苦しい言い訳だ。
パプニカの戦勝記念日は新しい。それはバルジの塔から当時王女だったレオナが救出されて祝杯が挙げられた日、ではない。神殿跡から五色花火が空に上がった日だ。つまり今日は不死騎団長ヒュンケルの倒れた記念日なのだ。
「行くな」
「……」
「戦勝記念日に討ち取った敵将を招待するなど、聞いたこともないわ! 勝手におまえの身にしか合わぬ今日しか使えない礼服など拵えて、送りつけてきて、魂胆は見え透いているだろうが! 行けばおまえは式典の末席に見世物のように座らされ、軍部は、パプニカは、おまえを下に置いたと、掌握したと、国民に知らしめる材料にされる。勇者と共に最後まで戦い抜いたおまえの誇りは……この国の国民から踏みにじられるのだぞ!?」
「そうされるだけの事はしたからな。行くしかないさ」
「恋人をそんな目に遭わせたがる男がどこに居る! オレは嫌だ」
「これがオレの運命と、諦めてくれ」
そんなものが運命だというならば、ラーハルトとの出会いも運命だと言って欲しかった。けれど、ここで仮に『行ったら別れるぞ』だなどと迫ったりしても、ヒュンケルは贖罪のためならラーハルトを捨てるのだろう。
「では……」
ヒュンケルが踵を返した。
行かせない手立てがない。力尽くで止めたとて彼の心に留め置かれる罪の意識がひとつ増えるだけだ。八方塞がりだ。
「この頑固者! 石頭! クソ真面目の朴念仁が!」
みっともないとは思いつつも、せめてもの捨て台詞を力一杯に吐き捨てると。
──バッシャーン!
水が振ってきた。ヒュンケルの頭上から。
「やかましいや! 朝っぱらから! 静かにしやがれっ」
二階の窓から防火用水をぶっかけたと思しき住民は、引っ込んでピシャンと窓を閉めた。
全身ずぶ濡れのヒュンケルは呆然としているのか、足を踏み出したままの姿勢で立ち尽くしている。
緑の装飾の軍服は本日の制服、彼の身に合わされた一点物である。替えは無い。
ラーハルトはガッツポーズをした。
「これぞ運命だっ! 諦めろ!」
ヒュンケルが前髪からポタポタ水滴を落としながら、頼りないハの字の眉毛で振り返ったものだから、駆け寄ってその背中をベッチャベッチャと叩いてやった。
「すぐに風呂を沸かしてやる」
笑顔満面のラーハルトにつられたのか、ようやくヒュンケルも苦笑いをした。
自宅まで一区画。びしょ濡れの男と連れだって歩く。
家に帰ったら休日を一緒に楽しもう。
SKR