Zombies 「うわ、速い」
ヒュンケルはポップコーンを掬いながら呟く。
「走るゾンビって反則じゃないか」
深夜二時。
ラーハルトが最近買った、豪華で孤独なマンションのリビングで。
高層階の眺望に目もくれず、二人ソファにあぐらをかいて、安いホラー映画を味わっていた。
クリスタルの大皿には、ヘタだけになった苺の山。
ヒュンケルが食べたいとねだったマカロニチーズとドミノピザ・スーパーデラックスの残骸。
すっかり溶け切った氷が、ビールとシャンパンの空き瓶を冷やしている。
「腐った死体って、もっとこう」
とジェスチャーで示すヒュンケルの口に、ラーハルトがポップコーンを数粒押し込む。
「こぼすな」と叱ると、
「むぐ」ヒュンケルは大人しく咀嚼して、画面に目を戻す。
無駄に素晴らしいステレオが、大群で都市を破壊するゾンビの咆哮を再現する。
「最初に出てきた犬、生きてるかな」
と、ヒュンケル。
「犬は死なない」
と、ラーハルト。
「倦怠期のカップルは?」
「さっき死んだ」
「妻は生きてただろ」
「そうだったか」
人間の発明品、命と意思なきゾンビたちを尻目に、全く違った似た者同士が寄り添っている。
生馬の目を抜くような金融業界で走り続けるラーハルトと、少々のパトロンのために細々と油彩画を描くだけのヒュンケルでは、収入の桁も人生の速度も違う。
だが、幸か不幸か、二人は出会ってしまったのだ。
ピラミッドのトップに立つ男と、底辺で喘ぐ芸術家が。
最初から決まって居たかのように、ごく自然に。
仕事以外に興味がなかったラーハルトだったのに。
恋人と過ごす貴重な時間を引き延ばしたくて、数年前のホラー映画など再生している。
「変わったな、俺も」
ラーハルトの呟きが聞こえなかったかのように、ヒュンケルが彼の肩に頬を乗せた。
「俺が感染したら、ラーハルトはどうする」と、耳元に囁く。
ラーハルトは少し考えるふりをした。
「鎖で巻いてキッチンに閉じ込めて飼い殺しだ」
「撃ち殺してくれないのか」
と、ヒュンケルが意外そうに顔を上げる。
「時々食料を投げてやる。その間に、解決法を――解毒方法を探す」
「食料って」
「使えない部下と、食えない取引先と、高額課税を決めた政治家だ」
ヒュンケルはひとしきり笑って、またポップコーンをこぼした。
「解毒剤なんかないぞ、ラーハルト。俺は腐ってるんだ」
「ウィル・スミスはワクチンを見つけたじゃないか」
「あの映画は犬が死ぬだろ」
そう言われて、ラーハルトは天を仰いで記憶をたどる。
「ああ……」
「だめだろ」
「だめだな」
頭の緩んだ会話。
その間にも、感染はどんどん広がり、ついに登場人物が仲間割れを始めた。
見応えのあるシーンだったが、そろそろ眠気も限界だ。
「……だったら、逆に。俺がゾンビに噛まれたら、お前、どうする」
あくびまじりに、ラーハルトが問い返す。
ヒュンケルも伸びをして、彼の膝に顔を埋めた。
「もう噛まれてるじゃないか」
ぼそりと呟くヒュンケルの銀色の頭を、ラーハルトはじっと見つめる。
迷う指をその髪に通し、ゆっくりと梳く。
心地よさにハミングしながら、ヒュンケルが淡々と続ける。
「立ち止まって、夏の雨の匂いを嗅ぐことすらできない。上司の指示は絶対。いつも仕事ばっかりで、会ってもくれない」
ゾンビみたいだ、あんたらって。
くぐもった嘆きをやり過ごす。
「悪かったな」
ぶっきらぼうに答えたつもりの声が、思いの外弱々しかった。
ヒュンケルはそのまましばらく動かなかったが、やがて、かりりとラーハルトの太腿に歯を立てた。
「その時は、俺も」
仕立ての良いスラックスに、小さなよだれの跡。
「俺も噛んで。一緒に狂いたい」
その答え。悪くないな。
ラーハルトはもう一度あくびをして、リモコンを探した。
終わりの時間だ。
スイッチを消す直前。やたらとセクシーな主人公が、見事な回し蹴りでゾンビの頭を吹き飛ばしていた。