すきな人が自分以外に恋をしてしまった場合、どうすればいいのだろう。
「わたしね、好きな人がいるんだ」
まるで秘密の内緒話をするみたいにユウリは唐突に言った。その頬は大輪の薔薇のように赤く染められ、気恥ずかしそうにはにかんでいる。嬉しそうに、けれど照れくさそうにそう告げたユウリはまさしく恋する乙女そのものだ。
「そうか!」
それしか言えなかった。
遊びに来ていたユウリはホップの自室のベッドに座って言ったのだから、そんなことを言われたらそれしか返せない。横並びに座ったユウリの横顔見ながら、ホップは無意識のうちに掌を握りしめていた。
爪が食い込んで痛い。見なくてもわかる。きっと爪が皮膚を食い破ってその下にある肉を傷つけている。
「誰なんだ?」
聞きたくないのに、ホップは聞いてしまった。
ユウリは照れたようにホップのほうを向いて、花びらのように小さな唇をゆっくりと動かしながらとある人物の名前を紡いだ。
「ダンデさん、だよ」
ユウリはつい数か月前に引っ越してきたお隣さんだ。ホップと同い年できょうだいはいなくて、一人っ子だと言っていた。自宅にはスボミーとゴンベがいて、ポケモンバトルをしたことのない女の子だ。
ホップは出会ったその瞬間からユウリを気に入った。
ハロンタウンにはホップと同い年の子どもはほとんどいない。いても十歳の誕生日を迎えてしまえば、ほとんどの子どもがガラル地方の各地にいるジムリーダーたちに挑めるジムチャレンジに参加してしまうのだ。だからこそユウリという存在はホップにとって貴重とも呼べる存在だった。
遊べる友達ができた。最初の頃は純粋にそんな気持ちしかなかった。
けれど時間を重ねているうちにそんな純粋な気持ちはどんどんなくなっていき、いつしかユウリを一人の女の子として見ていることにホップは気づいた。
ユウリが笑えばホップも嬉しくて、泣いてしまえば泣かないでほしいと思うほどに、ホップにとっての一番はユウリだ。ユウリにとっての一番もそうであってほしいと、幼心にホップは願った。しかしその願いは一生叶わなくなってしまったのだ。
ファイナルも終わり、無事にユウリがガラルのトップへと上り詰め、ホップはポケモン博士になる夢のため邁進している日々を送っている。そんな時にユウリに言われたのだ。
ユウリはホップではない、彼の兄であり元ガラル一最強と謳われたダンデに恋をしてしまった、と。
「アニキ、なんだな」
「うん。初めて会った時にかっこいいな、って思ったの。なんでだろうね、ホップに似てるからかな?」
可愛らしい疑問を浮かべながら質問するユウリ。兄ではなくなぜ自分ではないのか、ただただその疑問だけがぐるぐるとホップの中に渦巻いているが、ユウリからの質問を無下にするほどやさぐれてもいない。
「…………アニキは世界一かっこいいからな! みんなの憧れだし、ユウリが惚れるのもわかるぞ」
思わず間を開けて答えてしまった。ダンデはかっこいい。そんなことホップだって知ってる。
今の自分たちと同じ年齢でチャンピオンになり、それからずっと無敗記録を維持してきた。並大抵の努力ではそこまでできない。ダンデの底知れぬバトルへの気持ちと仲間のポケモンたちを大事する気持ちがあってこそ、成し遂げられたものでもあるからだ。
一番近くで、一番遠くでそれを見ていた弟であるホップだからこそダンデの凄さを一番に理解している。
ガラル中に話題をかっさらい、いつだって注目の的にいたダンデ。そんな兄に惚れるな、というほうが無理な話だろう。
「アニキについて知りたいことがあったら言えよ?」
「ありがとう」
はにかみながらお礼を言うユウリ。ホップはそんなユウリの横顔を直視できなかった。
それから何度かユウリからダンデについて尋ねられることがあった。好きな食べ物とか、好きな戦い方とか。そんなもの聞かなくてもユウリは現ガラルチャンピオンなのだからバトルタワーに行って本人に直接聞けばいいものを、恥ずかしいという理由で行けないでいたのだ。
教えてあげるたびにユウリは嬉しそうに、新しいダンデを知れた喜びでホップにお礼を言っていく。そのたびにホップの胸はきりりと痛んだ。
ダークブラウンの瞳はきらきらと輝く。髪よりも少し暗めの色だけど、日の光に照らされると濃いハニーミツのようにとろっとした色味に変化する。場所によって色に変化を持たせるユウリの瞳は、見ているだけで胸が躍るし、あの瞳に見つめられてドキドキするたびにホップは自分の好きな人を確信していった。
「ホップは本当にダンデさんが好きなんだね」
「オレのアニキだからな。何でも知ってるぞ」
実の兄だけど、チャンピオンになってからの兄は知らない。連絡も取りづらいし、帰ってくる頻度も少ない。バトルタワーのオーナーになった今だって、帰ってくる頻度は月に一回あるかないかというぐらいの連絡の取れなさだ。
けれどそんな事情、ユウリにはそもそも関係ない。会いに行くのが恥ずかしいなら、弟から情報を得ようとするのは、なるほど恋する乙女ならではの思考かもしれない。好きな人を目の前にして落ち着いて会話なんてできるはずがないのだから。
ホップもユウリと会話できるのだからと嫌な気はない。
しかしそれも徐々に限界を迎えつつあった。ユウリから向けられる無垢な笑みと兄への賛美を語っているうちに、誰にも言えない感情だけが胸の内に溜まっていった。無理やり嚥下して、無理やり腹にため込む。最初のうちは平気だったのに、時間が経つにつれて腹の奥に溜まっていく真っ黒い感情への整理ができなくなっていくのを感じた。
好きな子に憧れの人の話をするたび、ホップは無理やり笑った。笑わないと泣きそうだったから。
きらきら輝くダークブラウンの瞳の奥に映し出されているのは自分なのに、彼女の瞳にはきっと自分じゃない誰かが映っている。どうしたって、受け入れられない事実だ。
そんなある日、ホップはソニアのお使いでワイルドエリアにいた。
研究のレポートに必要ないくつのかの粉を、草ポケモンたちから採取して来てほしいとのことだ。
仲間のアーマーガアに跨って、ホップはワイルドエリアへ向かった。手ごろな場所で降りたホップはポケットに突っ込んでいたスマホロトムを取り出して時間を確認する。いつもなら研究所にいて、そろそろユウリがやってくる時間だからだ。彼女は週に三回ほど仕事の合間を縫ってブラッシータウンへとやってくる。最初の頃は純粋にポケモンたちをもっと強くするためにどんな対策をしたらいいか、という相談事だった。けれどダンデのことを打ち明けてからはその相談もなくなり、代わりにダンデについて色々と聞くことのほうが多くなった。
質問は一つだけで、あとはバトルに対しての対策法やホップの研究成果などをについて尋ねられることのほうが多い。辛くない、といえばウソになるがユウリが自分を頼ってくれることにどこか優越感もあった。兄ではなく、弟である自分を頼ってくれる。彼女の気恥ずかしい気持ちに感謝しつつ、どこかでユウリがいつかホップに恋替わりをしてくれるのではないかという淡い期待もあった。
それはまるで、ユウリの恋が失敗すればいいと思っているみたいで、口には出せなかった。
「……っと、これだな」
ホップは草ポケモンたちが多く生息している地域にやってきた。ワイルドエリア駅側に位置するうららかそうげんやこもれびばやしには、草ポケモンをはじめとする多くのポケモンたちが生息している。初心者が最初に通るエリアでもあるのでポケモンのレベルもそこまで高くない。ここなら研究所も近いし、何かあればすぐに飛んで帰れる。
頭上ではバタフリーが鮮やかに翅を震わせながら飛び回り、ふわふわとワタシラガが風に乗って飛んでいる。空にいるポケモンを呼び寄せてもいいけど、間違って自分が何かしらの粉を被ってはシャレにならない。地上にいる草ポケモンたちからいくつかの粉を採取しておこうと決めた。
辺りを見渡してみると、とことこと歩くナゾノクサを見つけた。その周りにはスボミーもいるけれど、ホップは迷わずナゾノクサのほうへと歩み寄る。スボミーはレベルアップではしびれごなしか覚えず、たまごから孵化した個体ならねむりごなやどくのこなを覚える。対するナゾノクサは野生であってもねむりごな、しびれごな、どくのこなを覚えるのだ。
ソニアがほしいのはこの三つの粉だ。
ホップは膝を地面に着き、体を地面に落として這うようにしながらナゾノクサへと近づいた。ホップに気づいたのか、ナゾノクサはきょとんとした顔でホップを見つめている。
「頼みがあるんだぞ。オマエの粉を少しわけてほしい」
ポケモン相手に頼みごとといって通じるのかはわからない。相棒であるバイウールーをはじめとする仲間のポケモンたちとはある程度の意思疎通はとれるが、野生のポケモンにもそれが通じとは思えない。
しばらくそのままの体勢でいると、ナゾノクサは頭の部分にある葉っぱをぶんっと一振りした。そこからふわっと何かの粉が出てくると、ホップは慌ててボディバッグの中に入れてあった三つの瓶を取りだし、ここに頼む、と言った。理解しているのか、ナゾノクサは瓶の中へと器用に粉を散布させていく。慌てて吸い込まなようにホップは少し離れた場所から、その光景を見ていた。
毒々しい紫の粉、砂金のような黄色い粉、霧のように白い粉。
見た目だけでもわかるように、紫はどくのこな、黄色はしびれごな、そして白はねむりごなだ。
瓶に蓋をしながらホップは慎重にボディバッグへと瓶を入れていく。割れてしまえば一瞬で粉を吸い込みかねないため、バッグの中には予めタオルを敷き詰めてある。
ふと、バッグに入れた瓶を見ながら、ホップはある考えが浮かんだ。
「これ、人にも使えるのかな」
無意識に出たその言葉に自分でも驚いたのか、ぶんぶんと頭を振ってそんな考えを払拭させた。ポケモンには効果がある粉でも、人に使えばどうなるか、なんてわかったものじゃない。これらの粉を分析しなければ人への効果もわからないし、万が一使ってしまえばどうかなんて予想もできないのだから。だからこそ、これを研究所に持って帰って分析することに意味があるのだ。
どうしてそんな考えが浮かんでしまったのか、ホップにはわからなかった。
アーマーガアに乗ってブラッシータウンの研究所の前に降り立つ。ばさっとネイビーブルーの翼が震えて、数枚の羽根が地面へと落ちていく。烏の濡れ羽根のような黒い羽根が地面に数枚点在する。
ホップはアーマーガアをモンスターボールに戻して研究所の扉を開けた。
「あっ、おかえりホップ」
「ユウリ」
研究所に入ってすぐの簡易キッチンと簡易テーブルにはソニアとユウリが仲良くティータイムを楽しんでいた。壁崖の時計を見れば午後三時を示している。扉側にいるユウリはにこにこと嬉しそうに笑っている。
「ホップ。あれ採取できた?」
「バッチリだぞ!」
「あれって?」
ホップは自分専用のデスクへ向かい、背負っていたボディバッグを机に置くと中身を取り出した。小瓶の中にはきらきらと輝く黄色い粉、禍々しいまでの色を放つ紫の粉、雪解けのように消えてしまいそうな白い粉の三つだ。
ソニアはワンパチ柄のマグカップをキッチンの流しに置くと、ホップの持って帰ってきた小瓶のほうへと向かった。
「これでよかったか?」
「バッチリよ! さっすがホップね!」
「うわっ! いきなり頭を撫でられたらびっくりするだろ」
「生意気ねー全く、こんな生意気な助手になるなんて思わなかったわ」
ぐいぐいとホップのバイオレットの髪を撫でつければ、彼はびっくりしつつも特に抵抗はしない。時たまだが、ソニアはホップを褒める際に可愛い弟の頭を撫でるようにしてこういうことをすることがある。それはジムチャレンジに出る前もそうで、助手になってからはその頻度は上がった気がする。
ホップにもソニアにとっても慣れた行動でしかなかったのだ。
「…………えっと、ソニアさん、わたし用事を思い出しちゃったので帰りますね」
「え? 来たばかりじゃないユウリ」
「ごめんなさい。この後打ち合わせがあるみたいで……じゃあね、ホップ」
「あ……またな、ユウリ」
飲み終えたメッソン柄のマグカップを丁寧にキッチンの流しに置いて、ユウリは扉を開けて出て行ってしまった。さっきまでニコニコとティータイムを楽しんでいたはずなのに、急にどうしたんだろうとソニアは訝しげにユウリが出て行った扉を見つめている。
「あんたたち、喧嘩でもしてるの?」
「してないぞ」
間髪入れずにホップは即答した。喧嘩なんて、そもそもするわけがない。ユウリを泣かせるような真似をするわけがないし、彼女を傷つけたとわかればそれこそ会うことすら憚れる。
ホップの返答にソニアはそう、と興味なさげに返す。
「それよりこの粉、分析するんだろ?」
「そうだった!」
弾かれるようにしてソニアは扉からホップのデスクへと視線を変えた。
近くで見ると益々持ってその美しさに目が奪われてしまいそうになる。普段はポケモンバトルの時にしか拝めない代物が目の前にあるのだ。ましてやソニアはトレーナーとして活動することをとうの昔に辞めてしまっているのだ。
小瓶を一つとって見れば、毒々しいまでの紫の粉からキラキラと光り輝く鱗粉が舞い落ちる。窓から差し込む斜光にそっと当てれば、その光はさらに煌びやかさを増して、純美な代物になり替わる。砂金のような黄色い粉も同様に光に当てれば、ライトイエローのような光彩を放つ。白い粉は雪解けのように消えてしまうのではないかという儚さのある光彩を放った。
「すごいわね。どの粉も採取するの大変だったでしょ」
「そうでもないぞ。野生のナゾノクサに粉を分けてくれって頼んだらくれたぞ」
「よく通じたわね……」
「オレもびっくりだぞ」
頭の後ろで腕を組んだ状態でホップはあっけからんと述べる。野生のポケモンと意思疎通を取るのはかなり難しいはずなのに、この助手はその難しいことを難なくやり遂げてしまうのだ。やり遂げてしまうからソニアもついつい頼ってしまう。
「それじゃあ解析しますか」
「おう」
ブラッシータウン研究所を出てユウリはただひらすら無言で歩き続けた。実家のあるハロンタウンへと入り、そのまま何の迷いもなくまどろみの森へと入った。
さっきの光景が瞼の裏側に鮮明に蘇る。あんな光景、これまでだって見ていたはずだ。
ソニアにとってホップは助手でしかないし、ホップだってポケモン博士になるために昔からの知り合いであるソニアの元で勉強に励んでいるだけだ。それだけだし、あんな風にじゃれあうことはよくあることだ。弟子を褒める師匠、という意味ではなんらおかしな点はない。
それなのに、どうしてだろう。胸の内に巣食うひりつくこのどうしようもない感情は。
触らないでほしい、と直感がそう告げたのと同時にどうしてそんなことを思ってのだろうと自問自答した。だって自分はダンデが好きなはずだ。彼の強さに惹かれ、彼の屈託のないあの笑顔に惹かれ、バイオレットの髪が靡く瞬間が好きだった。バトルの時に垣間見るゴールドの瞳の煌めきから目が離せなくて、あの瞳に見つめられたいと願ったはず。
歩いて歩いて、霧が徐々に消え始めた時ようやくユウリは足を止めた。
朧雲が空一面を覆っていた森を抜け、雲の隙間から差し込まれた陽光に照らされた祭壇へと辿り着いた。ガラルに纏わる伝説のポケモン、ザシアンとザマゼンタが眠っているとされるまどろみの森の最深部だ。
なぜここに来ようと思ったのかわからない。ただ、なんとなく、ここならだれにも邪魔されないと思ったからだ。
祭壇に腰かけて、ユウリはぼぉっと地面に目線を落とす。
「わたし……どうしたんだろう」
誰も答えなんてくれない呟きがぽつんと吐き出される。
ずっと脳裏にこびりつくように何度も再生されるさっきの出来事。頭を振って忘れようにも、ユウリの頭は何度もそれを繰り返し再生してしまうだけだ。
「わたしは、ダンデさんが好き……だよね」
わずかに抱いた疑念を胸に、ユウリは自分の心に問いかけるように自問自答するのだった。
あの光景を見て以来、ユウリは自分の気持ちに疑問を抱くようになった。好きだと確信したのは違う人のはずなのに、どうしてか脳裏に浮かぶのはいつだって彼だった。野生のポケモンを見つけてはホップに見せたい、美味しいものを食べれば今度はホップと来たいと思うようになってしまう。どうしてそんなことばかり浮かぶのか、ユウリにはてんとわからなかった。
「なんで……?」
一人になって何度も自分に問いかけるけれど、答えなんて誰もくれない。答えを求めたくてもきっと誰も教えてはくれないだろう。
いくら思考を巡らせてもわからないので、ユウリは自分の気持ちが本当に本物なのかどうかを確かめようと思った。思い立ったらすぐに行動する彼女は、ポケモントレーナーになりたての頃からずっと一緒に旅を続けているアーマーガアに乗って颯爽とシュートシティへ向かう。
シュートシティには大きな観覧車が設置されており、観覧車を昇ったさらに上にバトルタワーと呼ばれるタワーが存在する。元々はローズが作りあげたマクロコスモス社が使用していたタワーだが、ムゲンダイナの騒動後、チャンピオンを降りたダンデによってバトルタワーに改築されたのだ。
初心者でも、長い間ポケモンバトルをしていない人でも手軽にバトルができる場所、ということで人気を集めつつある。ユウリの想い人はこのタワーの最上階にいるのだ。
いつものように長いエレベーターに乗って、最上階へと向かう。バトルをするために幾度となく通ったこの場所はもうどこになにがあるのか把握できるほどわかりきっているのだ。慣れた足取りで向かう先は無論、オーナー室だ。
こんこん。
慣れた手つきでドアをノックし、中からくぐもった人の声が聞こえる。扉を開ければ、未だに切っていない長髪が今にも机に零れ落ちそうになるのも構わず書類に目を通している人物がいる。背後から差し込む陽光がバイオレットの髪を照らし出せば、光り輝いて神々しささえあった。
「ユウリくんか、どうした?」
書類に目を通しながら、部屋の主――ダンデはユウリは一瞥する。ゴールドの瞳が揺らめき、背後の光と混ざり合ってひどく美しいものに見えて仕方ない。
どくん、と胸が鳴った。
間違っていない、わたしは、この人が好きだ。
口の中がからからに乾く感覚がして、ユウリは思わず唾を飲み込んだ。ごくん、と唾を嚥下するも口の渇きは一向に消えない。
ワインレッドの絨毯は高級感があり、立っていても足の裏に柔らかい感触が伝わってくる。かなり上等なものであることが分かった。
書類に目を通し終えたのか、はたまた何も言わないユウリを訝しんだのか、ダンデは持っていた書類を机に置いてユウリへと目線を向ける。ゴールドの瞳が瞬いて、形のいい唇がユウリくん、と自分の名前を紡ぐ。
「…………あの、ダンデさん」
「どうした? チャンピオンの仕事で何か困りごとか?」
「いえ、あの…………」
チャンピオンとしての仕事はむしろ順調で、困ることなど特にない。むしろ順調すぎて怖いくらいだ。言葉を濁しながら、ユウリはどういうべきか頭の中をフル回転させながら考える。このまま言ってしまおうか、そうすればこのひりつく感情がわかるかもしれない。
口の中いっぱいに唾を貯め込み、潤しながら頭の中で言うべき言葉を作り上げる。