迷惑なんかじゃないよ(モモくんまだ居るかな)
少しだけ速度を早めて車を走らせ、恋人の働くコンビニへと向かう。もうすぐモモくんのシフトの時間が終わる頃だから、駐車場で待っていればサプライズでお出迎えが出来るだろう。
そんなことを考えながら移動していると、ふと視界の隅に気になるものが目に入った。視線を凝らすと、建物の壁に寄りかかるようにして誰かがその場に蹲っているように見えた。誰か、とは言ったものの僕はその人物に見覚えがあった。というか見覚えがある所では無い。僕の見間違いでなければ、車の中から見えた白と黒のツートーンカラーの頭を持つ人物は、僕の恋人であるモモくんに違いなかった。
あの人物はモモくんだという確信と、僕の見間違いであって欲しいという気持ちが入り交じった状態のままひとまず車を近場の駐車場に止め、彼の元に走って向かう。目的の場所に辿り着くと、僕が車の中から見えた時の姿で彼はまだそこに居た。近くまで来て分かったことだが、やはり彼はモモくんだった。モモくんは具合が悪いのか肩を上下させながら荒い呼吸を繰り返し、顔もいつもより赤くなっている。
「モモくん、モモくん。大丈夫?」
とりあえず声をかけみるものの、反応はあまりない。そして悪寒がするのか、時折身体を押さえながら小刻みに震えているようだった。ここに居たら症状が悪化してしまうし、まずはこの子を室内へ移動してあげよう。そう思った僕は彼の脇の下に腕を入れて立ち上がらせて自分の車へと連れていく。ぐったりとして力の入らない彼をなんとか助手席に座らせ、いつもより安全運転を心がけながらモモくんの家へと車を走らせた。
彼の家の近くにあるスーパーで必要そうなものを手早く買い込み、荷物とモモくんを抱えながらアパートにある彼の部屋までなんとか辿り着く。以前お互いの部屋の合鍵を交換した時に渡してもらった彼のアパートの部屋の鍵を使って中に入り、苦しそうにしているモモくんをベッドに寝かせた。本当は寝やすい服に着替えさせてあげたい所だが、とてもそれどころではない様子だったので、ひとまず布団を掛けて寝かせてあげることにした。
僕はというと、モモくんが起きた時のために彼が食べれそうなものを作ったり、スーパーで買ってきたものの整理を始めた。風邪薬や冷却シートなどを袋から取り出してテーブルに並べていると、部屋の扉が開いて扉の向こうからモモくんが控えめにこちらを覗き込んでいた。
「モモくん、起きて大丈夫?今そっち行くからベッドに居ていいよ」
立ち上がってモモくんの元に向かい表情を確認する。連れ帰ってきた頃よりだいぶマシにはなっているがまだ顔は赤いし、熱も高いのか少し辛そうだ。
「あの、ユキさん」
「ん?」
「オレ、自分でどうやって帰ってきたのか、あんまり覚えてないんです……でもユキさんがここに居るって事は、ユキさんが、何かしてくれたって事、なんですよね?」
眉を八の字にしながら、モモくんが尋ねる。僕が声をかけた時もあまり返事がなかったし、ここに帰ってくるまでの事を覚えていないということは、意識が朦朧とするぐらい具合が悪かったのだろう。やはりあの時勘違いだと思って通り過ぎなくて良かったと心底思った。
「うん。コンビニの近くで蹲ってた君を見つけたから、僕がここまで連れてきたんだ。声をかけても返事が無かったし、かなり具合が悪かったんだね」
「そう、だったんですか……ありがとうございます……」
モモくんは僕にお礼を言い終えると控えめに開いていた扉を押して、身体ごとこちらに飛び込んできた。そしてそのまま強い力で僕の身体をぎゅぅ、と掴んだ。
「モモくん……?」
「……今日、実はバイトの途中から調子が悪くて、いつもより早く上がらせてもらったんです。流石に一人で帰れますって言って出てきたんですけど、段々足が重くなって、まっすぐ歩けなくなって、ちょっとダメかもって思って、道端で蹲ってたんです」
「……うん」
「ぼんやりする意識の中で、誰かがオレの名前を呼んでるような気はしてたんですけど、あれはユキさんだったんですね。それが分かって嬉しい気持ちもあるんですけど、バイト先の皆だけじゃなくてユキさんにまで迷惑かけて……オレってホント情けないですね……」
ははは、と乾いた笑いがモモの口から溢れ落ちる。彼の顔は僕の肩口に押し付けられているので表情は見えないが、先程から彼の発する声が少し震えているので、泣くのを我慢している様子が伝わってきた。
彼と深い仲になって分かった事だが、この子は他人には優しいのに、自分には少し厳しい所がある。だから、時折自分自身を責めすぎてしまうのだ。僕や他の人に対する優しさを、自分にも向けられたらいいのにな、と思うことは多い。だが、人間はそう簡単には変われない生き物だ。なら、僕が代わりに彼の分まで彼に優しくしてあげればいいだけの話だ。
「モモくん」
「……はい?」
「モモくんは、僕に迷惑をかけたって思ってるかもしれないけど、僕はそうは思わない。むしろ、またこういう事があったら遠慮なく僕を呼んで欲しい。何も言われないより、僕の知らないところでモモくん一人だけが苦しんでる方が、僕は嫌だよ」
「ユキさん……」
元気がないせいでいつもより小さく見える彼の身体を優しく抱きしめると、子供体温以上の熱が腕の中から伝わってくる。早く楽にしてあげたいな、と強く思った。
「それにさ、困った時はお互い様なんでしょ。僕がゲームで苦戦してた時、いつも助けてくれたのはモモくんだった。ゲームの世界で助けられてばかりなんだから、現実世界では僕が助けにならないとね」
そう告げれば、分かってくれたのかこくりと小さく頷き、いつものような笑顔を見せてくれた。その笑顔に釣られて、僕も小さく笑った。
病人をいつまでも床に座らせてる訳にはいかないので、なんとか彼を立ち上がらせてベッドまで誘導する。本当は抱き上げられたら良かったのだけれど、生憎そこまでの力は無い。
「お粥とか用意してるから、好きな時に食べてね」
「はい、ありがとうございます」
「じゃぁ、ゆっくり休んでね」
ベッドに横たわるモモくんに布団をかけ、部屋を後にしようとした瞬間、くいっ、と服の裾を引っ張られる感覚がして後ろを振り返る。引っ張られた場所を見れば、布団の中からモモくんの手が伸びて僕の服を掴んでいた。
「どうしたの?」
「……ユキさん、もう帰っちゃうんですか……?」
口元まで布団を被って、恥ずかしそうにもごもごとモモくんがそう尋ねた。普段から可愛いと思っている彼の事が一層可愛く見えてしまうのは、この状況のせいなのだろうか。彼の可愛すぎる仕草に、心臓まで掴まれたような気持ちになる。
「まだ帰らないよ。モモくんが心配だからしばらくはあっちの部屋にいるし、モモくんが望むなら、泊まっていってもいいよ」
「えっ、でも、ユキさんお仕事……」
「僕の仕事より、モモくんの体調が良くなる方が大事」
「……そんな事言われたら、オレ、わがまま、言っちゃうよ?」
「恋人のワガママほど可愛いものはないよ。どうして欲しいか、言ってごらん」
「……じゃぁ、今日は、一緒に、いて」
「うん、分かった。今日は帰らないでそばに居るよ」
「ホント……?嬉しい」
嬉しそうな、そして少し恥ずかしそうな顔をしているモモくんの頭を優しく撫でた。僕の手が冷たくて気持ちいいのか、彼はそのまますぐに眠りに落ちてしまった。眠ることで、少しは体調が回復するはずだろう。弱々しい彼も可愛いけれど、いつもの元気な彼に早く会いたいものだ。
「おやすみ、モモくん」
そう小さく呟いて、部屋の扉をそっと閉じた。