試合に勝って勝負に負けるしっぽ取り。
その名の通り、しっぽに見立てた布を身体に付け、捕まってしっぽを取られたら負けという鬼ごっこの一種である。全員のしっぽを取れば鬼の勝ち、逃げ切れば鬼の負け。
この遊びを賢者から聞いたシノが「やってみたい」と言い出したのが本日の発端である。ただやるのではつまらない、どうせなら実戦訓練に織り交ぜてやらないかと話が進み、それならばいいだろうとファウストの了承がおりた。鬼はこれまた賢者から教わったじゃんけんとやらに負けたネロである。
ルールは簡単。
しっぽ、もとい布を守りながらネロから逃げ切る。
箒で逃げる以外は魔法を使ってよい。
以上。
「1分経ったら追い掛けるからな」
よく晴れた青空の下、よーいどん、と呑気な開始の合図が響き渡った。
さて。
これでもネロはかつて盗賊団にいた身である。まぁ、つまり小狡いことは多少得意だ。逃げることの経験値は東の魔法使い達の中でも飛びぬけており、それゆえに追い掛け方も熟知している。案の定、素直なヒースクリフと無鉄砲なところのあるシノからはとっくにしっぽを回収しており、残りはファウストだけとなっていた。
──まぁ、一筋縄ではいかねえよな。
まず気配の消し方が上手い。ネロの動きを監視しつつ、自身の魔力を感知させないよう立ち回っている。さすがに四百年間もの間を羊飼い君にすら見つからなかったことだけはあるな、と感心してしまう。
正攻法でただ追い掛けるだけではダメだ。単純な魔法勝負に持ち込んでしまうと、知識や理論で勝るファウストに優位を取られる。かといって、ネロが有利になれる肉弾戦に持ち込むには接近するまでのリスクをカバーしきれないと致命的だ。それに、何となく、ファウストに対してそこまで手荒なことをしたくない。どうしたものか、と考えを巡らせる
「……ふむ」
ようするに、ファウストの動きを数秒止められればいい。ネロであれば、1秒でも止められれば奪うのには十分だろう。これも盗賊団時代の名残である。
ネロは周囲に巡らせていた感知魔法を解き、手近な高い木へと登った。恐らくこの魔力を察知してファウストは身を隠し続けている。気配がたどりにくくなれば、向かう場所は概ね絞られてくる。
見通しのよい、開けた場所だ。
木々の茂る鬱蒼とした空間は、逃げる側からすれば確かに身を隠すのに丁度良い。しかしそれは追う側からしても同じだ。気配を消す、あるいはかく乱させることが出来るのであれば、尚更追い詰めるのに有利になる。ファウストがそのことを考慮しないはずもなく、ましてや鬼がネロともなれば最大限の警戒をするはずだ。相手の有利を極力取らせず、かつ自分が最大限有利になるポジションをおさえる。いつも冷静な戦場分析から的確な指示を出すファウストは、その能力にやはり秀でている。
「……お、いた」
ネロの読み通り、ファウストは天地共に開けた場所に現れた。あの場所であればネロの姿が見えぬはずもなく、気付いたファウストはしかしその場を動くことはない。ネロがどう動いても対処できるよう計算しているのだろう。
「そろそろ観念してもらおうかね、先生」
<アドノディス・オムニス>
ファウストの佇む場所に降り立ち、手の平を天に向けて翳す。ここしばらくぶりの大捕り物の気分に、知らず心が高揚する。少し悪びれた笑みを浮かべるネロの背後には無数のカトラリーが出現した。
「ふん」
ファウストも魔道具の鏡を出し、静かにネロの出方を探っている。捕まる気はさらさらありませんよ、という態度だ。互いの魔力が張り詰め、ぴりぴりと肌を刺す。この場に賢者がいたら、きっとこう言うだろう。
『いや、しっぽ取りってこんなガチのやつじゃないんですけど……』
「──!」
背後に控えたカトラリーを一気にファウスト目掛けて飛ばす。数は多い。だが所詮多いだけだ。弾いてしまえば何ら問題は無い。その判断は妥当だ。
<サティルクナート・ムルク──>
<アドノディス・オムニス>
カトラリーを弾こうと魔法を唱えるファウストよりも先に、ネロは魔法を重ねた。繰り返すようだが、小狡いことは多少得意だ。
なんだっていい。とにかくファウストの動きを数秒止められれば。
──にゃーん!
「は!?」
眼前に迫ったカトラリーが全て猫に変わり、ファウストへと飛び掛かる。
変身魔法は得意ではないけれど、平行魔法は得意だ。それに、苦手とはいえ、変身魔法で大事なのは変身対象へのイメージの具体性。ならば魔法舎でも、ファウストの隠れ家でもよく接する猫ならば問題ないだろう。変身させるのは魔道具のカトラリーで、それも多くを一気に、纏めて。多少崩れたところで構わない。
所詮目くらましだ。ファウストを数秒足止めできればいい。
ネロはカトラリーを変化させたと同時、足の裏にぐ、と魔力を込め、そのまま地面を蹴った。
突如として猫まみれにされたファウストが目を見開く。
──捕った!
「せーんせ、捕まえた」
「きみね……」
額に手を当て、ファウストはネロの下で盛大なため息をついた。しゅるりとファウストの腕から解かれたしっぽ、もとい布はネロの手の中ではためいている。
ネロが指をパチン、鳴らすと猫達が煙のように消えていく。その光景を見つめていたファウストは名残惜しいような顔をしていた。
「ねこ……」
「……あんた、次は引っかかるなよ……?」
正直ここまで綺麗に引っ掛かってくれるとはネロも思わなかった。一瞬足止め、最悪そのまま接近戦に持ち込んでゴリ押しも覚悟していたくらいだ。今回は相手がネロだったからよかったものの、大丈夫だろうかと急に心配になってしまった。
「うるさい。次は引っかからない。そもそもきみが悪い」
「なんで」
「猫からはネロの気配がするし」
「……」
「ネロの気配に埋もれると自然と安心してしまうし」
「……あの、」
「最近忙しくてあまりくっついていなかったから余計に、」
「あー!分かった!分かりました!」
まだ途中なんだけど、と口をへの字に曲げたファウストの手を取って立ち上がらせる。服に付いた葉や埃をはたいてやり、改めて正面からぎゅうと抱き締めた。
依頼や私用が重なり続け、互いに気を遣ってすれ違いすぎてしまった。なんとも東の性質らしい。もっと早く捕まえておくんだった、とネロは反省した。
「ほら、捕まえたから。今日は一日俺のもの、ってことで」
だめ?と顔を覗き込む。だめも何も、とファウストは真面目な顔をして答えた。
「いつだってきみのものだけど」