機械仕掛けの人間「せんせー。ごめん、また直して」
てへぺろ、というらしい表情はちっとも可愛らしくない。
全力で頬を平手打ちしてやりたいが、その場合はファウストの手の骨が砕ける。気まずそうに視線を逸らすなめらかな肌の下を通うものは柔らかな肉ではないのだから。
代わりに渾身の怒りを込めて睨みつけてやると、じぃ、とファウストを見つめた数秒のち、ネロは眉をへにょりと下げて困り顔をした。
「……何度も何度も……きみというやつは……」
「そんなに怒るなって」
「無理な要求だな」
アシストロイドは人間の感情を数値化して容易く読み取ることができる。案の定、測定可能域を大幅に超える怒りの数値を観測したらしいネロは目に見えて狼狽えていた。
こうしてふつふつと噴火するような激情を抑圧する苦しみが人間だけのものではなくなる日は、果たして訪れるのだろうか。
「せんせぇ……」
――つくづく人間臭い顔をするものだ。
そのくせネロは、人間ではないことを示すかのように頻繁に身体の部位を欠損させてくる。
前回は両脚の膝下を丸ごと吹っ飛ばして彼の上司に担がれてきた。前々回は爆風を浴びたのだと、内側の金属部や眼球パーツを露出させた顔半分を隠すように目深に帽子を被って。
今回はどうだ。顔から徐々に視線を下ろしてゆく。右肘から先は見事にちぎれ、球体関節のつなぎ目からぷすぷすと煙が出ている。特殊繊維で作られた筋が焼ける嫌な臭いが鼻をつき、ファウストは眉間に深く皺を寄せて鼻を手で覆った。肘だけでなく、普段は制服に覆われた腹部がばくりと抉れ、剥き出しになった内部から数本飛び出た銅線の赤が生々しく鮮やかだ。
「今度はなにをしたの」
「番犬にしていた大型犬のロイドが暴走してさ。その家のお嬢さんに襲い掛かろうとしたから」
「庇ったの」
「うん。あ、お嬢さんは勿論無事」
「そう」
「褒めてくれねえの」
「……シティポリスとしてならば、市民を護ったことは称賛に等しいだろう。だが、きみが損なわれたことが内包されるのならば……僕は褒めない」
人間を護るのはアシストロイドの役目で、人間はアシストロイドに護られる存在だと思われている。人間はか弱くて、すぐ死ぬじゃないですか、とつまらなそうに呟いた赤毛のアシストロイドを思い出す。
か弱くてすぐに死ぬ生き物であることを否定はしない。それが人間のいのちのかたちであるならば、その範囲で生きていくことしかできないのだ。だからと言って、アシストロイドは人間を護る駒のかたちで創られたのではない。
友として、家族として、恋人として。心を通わせる存在として生み出された唯一無二のもの。
少なくともファウストにとってのネロはそういう存在だった。
「こうして俺達は直してもらえるんだから」
直せばいいと、頑丈だから平気だとネロが笑うたび、彼を憎らしく思ってしまう。そんな思考回路のプログラムなんか書き換えてやるとメンテナンスの度に憤りを抱いては、ネロの思考回路を自分の都合のいいように書き換えようとした自分を呪った。
「直せばいいと言うけれど、僕が怪我をして同じことを言ったら不快だろう」
「当たり前じゃん」
「その感情をもっと高い数値で、もっと複雑に絡ませて、途方もなく抱くのが人間なんだよ」
「……」
「まだ難しいだろうけど……いつか、分かってほしいよ」
「……分かったら、ファウストは怒らないの」
どうだろうね、と曖昧に微笑む。
カルディアシステムを搭載して成長させる心はあくまで数値化された人工的なプログラムであり、そもそも人間の体内にすら『心』という物体は存在しない。脳や、感情の揺らぎで痛む胸に心が在るとする考えが存在しながら、誰も存在の有無は証明できず、概念として漂い続けてきたものが心だ。カルディアシステムは、数値という客観的に評価のできるものに置き換えることで『心』を定義付けたものにすぎない。
「…………もし、」
――もし僕が、自分の肘から先を切り落として、それを基に作ったボディパーツをきみに与えたとしたら。
きみは、もっと自分を大事にしてくれるのだろうか。
きみは、この途方もない感情を理解してくれるのだろうか。
こちらを覗き見てくるネロの瞳の中に映るファウストは、画像データとしてネロの記憶装置に電気信号で送られる。網膜には映らない。眠りのなかで瞼の内側に映ることもない。
有機体はどこまでいっても有機体でしかなく、無機体にはなれない。創造の根本から全てが異なるネロとファウストが真の意味で分かり合うことは、夢物語なのかもしれない。
「ファウスト……?」
それでもこうして、残った片手でファウストの手を握ってくれるネロは夢ではなく、現としてここにいる。触れる手のぬくもりは血の通った人間と変わらない。
「……なんでもない。ほら、診てあげるから横になって」
「……まだ怒ってる」
「きみのことが大事だから、怒ってるよ。今日のところはきみに護られたお嬢さんに免じて許してあげる。でも次は覚悟しておくように」
「えっ……」
何してくれんの、と顔色を青くしたネロは表情豊かで、欠損させたパーツさえ見なければ誰だって人間だと信じて疑わないだろう。人間らしく、けれど根本は異なるいのちのかたちをした『恋人』。小さな憎らしさと、それを上回る愛情を抱きながら、ファウストはひとつ決心をした。
次に欠損させてきたその時、メンテナンス中のネロの行先は猫型ボディだ。
僕の膝の上でごろごろ喉を鳴らして、にゃーにゃー甘えることしかできなくしてやろう。