愛す可可愛いものは好き。心をあたたかくしてくれるから。
魔法使いは心で魔法を使う。だから自分の心を守ったり、豊かにしたり、強くするものに惹かれるのは一種の本能的な反応であるともいえる。
「可愛い、ネロ」
だから僕がネロに惹かれたのは必然的で、というのはこじつけが過ぎるだろうか。だってネロといると心がぽかぽかして、春の陽だまりでうたた寝をする心地よさを感じるのだ。
二百余りも年上の男に可愛いなんて思う日が来るとは思わなかったけれど、もう自分が何年生きてきたかも曖昧になるくらい年月を重ねてしまえば、本当は年齢なんてどうでもいいのかもしれない。
事実、僕の下でいたたまれない様子でいるネロは可愛い。落ち着かないようにシーツを撫でる長い指とか、赤くなった耳とか、僕が気になってちらりと一瞬合わせては逸らすことを繰り返している視線とか。困っているけど満更でもないのでやっぱり困っています、という気配を滲ませているネロを、僕は普段よりクリアな視界で見つめている。
「どーしたの先生」
「どうして」
「機嫌いいなって」
機嫌がいい。うん。そうだろう。
厄災を退けて、オズや双子が念入りに調べて調べて、もう再び惨劇を繰り返すことはない、とやっと今日結論がおりたのだ。今はまだ残る各々の厄災の傷も徐々に薄れてゆくだろうとのこと。実際、ブラッドリーはくしゃみをしても三回に一度しか遠くへ飛ばなくなっている。
滅びに向かっていたはずの時計は粉々に砕かれ、未来に進むための時間が始まった。壊れかけた世界の修復は時間がかかるけれど、幸い年若い魔法使いには優秀な者が揃っているから将来は安泰だろう。長生きして良かったと思える世界を彼等が作れればいいと思う。
でも、それだけじゃない。
前に進めるのは、世界だけじゃない。
「ネロ」
「ん?」
「すき」
零れそうなくらいに見開いた黄金色を、僕はきっと一生忘れないと思う。
「ずっと言いたかった」
──ずっと言わなかった。
どちらかが石になる可能性はゼロでなかったし、何より、言ってしまえばネロの中で僕の存在が確固たる地位を占めることを確信していた。六百年の人生の大半を占める人に死んでほしくないあまり、自分で自分の心をずたずたに引き裂いたネロの古傷にまた傷を重ねることはしたくなかった。
伝えるなら、全て終わって、二人共生き残っていたら。そう決めていた。
「やっと言える。……やっと言えたから、嬉しい」
手を繋いでも、キスをしても、身体を重ねても、言わなかった。不誠実だと言われようと構わなかった。口にせずとも僕がネロに向けている心は本物だと言い切れるから、誰かに否定される筋合いも無かった。
──それでも、本当はずっと言いたかった。
時折ネロが何かを求めるような眼差しを向けていたことには気付いていたし、求めているものにも気付いていた。それを僕が差し出せないことをネロが分かっていることも、分かっていた。伝えられないもどかしさの苦しみのあまり嘔吐しそうになった夜が何度もあった。
でも、それももうおしまい。やっと前に進める。
ようやく解放された心の叫びが、瞼の奥をじわりと滲ませる。
「ネロ、」
「──俺は」
シーツに投げ出されていたネロの手が、ベッドについた僕の手に触れる。少し震えている。
「俺は、ずっと言ってほしかったよ」
触れて、上からぎゅうと握られる。短く切り揃えられた爪痕さえつくくらいに、強く。震えを押さえつけようとするかのように、強く、強く。
「先生が俺のこと考えて、俺が傷付かないように守ってくれてたのは知ってるよ。だから何も言わなかったし、言えなかった。余計なお世話だなんて、言わない、けど」
ぼやけ始めた視界の中、ネロがすん、と子供のように鼻をすする。
どんなネロの表情も見逃したくなくて、どうにかネロの顔をきちんと見たくて、目にぐっと力を込めた。
「……ずっと、好きって、言ってほしかった」
堪えるように掠れた声に、潤んだ黄金色からぽろりと同じ色を纏った雫が零れ落ちる。決壊した心を止めるすべを知らず、けれどその心のままにぼろぼろと抱えていた想いを流し続けるネロに、堪えきれなくなった僕の目もぱたぱたと雨を降らせ始めた。
泣いてるのか笑ってるのかも分からない。ただ、痛いまでに胸を焼くこの感情が幸福なのだということだけは分かった。
「うん。ごめん。ごめんね」
「やだ、許さない。先生のくせに遅い。一生かけてつぐなえ、ばか」
伸ばされた腕に引き寄せられるまま、目尻を伝う雫をそっと吸った。もう僕のかネロのかも分からないそれはしょっぱくて、喉の奥がツンと苦しくなる。
以前は僕が導いてやらないと伸ばさなかった腕は、今ではネロから伸ばしてくれる。離さないと言わんばかりにしがみつくネロに応えるように、僕はネロをきつく抱きしめた。
欲しがらせてやることができず、欲しがれなかったこの子が、僕を求めてくれる。
「好き。好きだよネロ。愛している」
そんな彼を、一生かけて愛さずにいられるだろうか。