寂しさの応酬「うさぎって、寂しいと死んじまうらしいよ」
賢者さんの世界では、と続けたネロの視線の先、ファウストの膝の上には一羽のうさぎが呑気に撫でられている。以前誤作動した『飛び出す絵本』を改めて読みたいという子供たちのおねだりに負けた大人達は、事前対策の甲斐なく元気に脱走した数羽のうさぎをせっせと集めて回っている。
ネロとファウストは魔法舎の裏庭を探していたところだった。
ふくふくと柔らかい毛並みに覆われた小さな身体は熱が通い、撫でられて心地よさそうに微睡む姿は、魔道具とはいえ確かな命を感じさせる。
あたたかなそれを抱えながら、ファウストは隣に立ってそう呟いたネロを見上げた。
「きみは、寂しさを抱えたまま生きるのだろうね」
ファウストが己の影に入るようさり気なく立ち位置を整えていたネロは、静かにファウストを見下ろしている。やがて周囲をぐるりと見まわしてこれ以上うさぎがいないことを確認すると、よっこいせとファウストの隣にしゃがみ込んだ。傍に生き物の気配を感じたうさぎがピクリと反応するも、伸びてきたネロの手にくしくしと撫でられればまたすぐにとろんと微睡み始めている。
「俺は、他人の近くで生きようとするくせに他人の近くで生きられなくて、結局手を放しちまうから」
寂しさは俺の自業自得だよ。何度も繰り返された出来事に裏付けられた言葉は、もはや憂いや寂しさをはらまず、ただ淡々と事実としてファウストの耳に入る。今日の空のような、穏やかな声だった。うさぎ可愛いな、と愛でる横顔も等しく凪いでいる。
「先生は寂しいとか思わなそう」
うさぎを撫でていた手が、愛でる手付きはそのままにファウストの髪を梳く。生きる力強いし。心の底からそう思っているように笑みすら滲ませた、年長者の顔がファウストを見つめている。
だが、強さでは心の喪失を埋めることはできない。一度でも満たされたことのある心は、常に寂しさを底に抱え続ける。
「寂しいよ。きみがいないと」
ウェーブがかった髪を指に絡めて遊ぶネロの手を取り、頬をすり寄せた。命を奪い、命を守るこの手のぬくもりに満たされることを知ってしまったファウストは、もう寂しさを己から切り離すことはできないでいる。
朝、パンの焼けるいい香りがしないと寂しい。
キッチンにきみの後ろ姿が見られないと寂しい。
きみと晩酌の無い夜は、寂しい。
――寂しいことだらけだ。
「けれど、僕といると、きみはいずれ寂しくなるのだろうね」
ファウストが寂しさを癒すためにネロの傍にいるほどに、ネロはどんどん寂しさに近づいてゆく。やがてしんどくなって手を離す時がきっと来て、ネロは寂しさに身を浸すのだろう。独りになりたくなくて一人になる。彼は、そういう男だった。
「いつかね。先生の隣からすら離れて、勝手に寂しくなるよ」
「寂しくなったら、僕のところへおいで」
そうしたら僕も寂しくない。寂しがり同士、うまくやっていこう。
ぱかりと目を見開いたネロは、年長者から『生徒』の顔になった。ファウストはネロの手を引くと、そのまま背中に手を回してぽんぽんとあやすように叩いた。
多分、ネロは今日、少し寂しくなっていた。ここ最近は互いに依頼で忙しなく、一言二言会話を交わしすらしない日も続いていた。ファウストは寂しかったし、ネロにとっては近付きすぎた距離をクールダウンさせた時間だったのだろうが、少し冷めすぎたらしい。目は口程に物を言う、とはよく言ったもので、蜂蜜色の瞳が憂いに揺れていたのを見逃すファウストではない。
「……ファウストといるから寂しくなるのに、あんたのとこ行くの」
先生のくせに矛盾してんじゃん。穏やかだった声をくしゃりと崩すと、ネロはファウストに身を寄せた。はぁ、と胸元に湿った吐息がこもる。空いたもう一方の腕を上げ、ファウストはネロを包むように抱き寄せた。
何度も寂しさを抱えては、自分の歩調で久遠の時を生き続けていくしかない。
寂しさで死ねない魔法使いは、そういう生き物だった。
まがいもののうさぎはファウストの膝から降り、二人の傍から離れない。
寂しさはいつでも傍にいますよ、とでも言うように。