兄の気苦労「いいの?」
「いいよ。飲みたい気分だから」
木こりの友達のフクロウ――正体は魔法使いだった――を無事彼の元へ送り届け、魔法舎にネロ達が戻ってきた日の夜。
流石に今夜は休ませよう、と晩酌の誘いを遠慮したファウストの好む銘柄のボトルを掲げて「ちょっと付き合ってよ先生」とねだられてしまえば断るのは難しく。
招かれた部屋でグラスを合わせながら、リケが、ミチルがと飽きもせずに子供達の話をするネロは常よりもずっと饒舌だ。ともすればファウストへの報告とも見受けられる程にネロが一方的に話す時、それはネロの中で、起きた出来事の整理やその時思ったこと、感情の整理も兼ねていた。『聞いてくれる』というネロからファウストへの甘えも混じっているから、ファウストは決まって相槌をうちながら遮ることなく聞き役に徹することにしている。
「俺達からすりゃ喧嘩っていうほど深刻じゃなくても、あいつらにとっては途方もない出来事なんだよな」
「そうだね」
「ああやって誰かと心をぶつけ合って、色んな他人を知っていくんだろうな」
「うん」
「でもちゃんと仲直りできて良かったよ。あいつらは仲良くしてんのが一番可愛いし、俺の癒しだし」
話が弾めばどうしたって酒も進むもので、結局、ネロが満足するまで話し終えた頃にはボトルが二本と半分ほど空き、殆どがネロの腹におさまった。しっかりとアルコールの回ったネロは若干ふらつきつつもベッドに移動すると、上気して赤らんだ顔にふわふわとほどけた笑みを浮かべている。
「せんせ、せんせ」
「なに」
「こっちきて」
――ああ、これは甘えたい時の顔だ。
疲れているだろうに、晩酌に誘ったのはファウストに甘やかしてもらいたいからだった。酒の力など借りずとも甘やかしてあげるのに、二百も離れた年の差はまだ素直になるにはそこそこ高い壁となってネロの中にそびえ立っているらしい。
隣をぽんぽんと叩くネロはご機嫌な様子で、この後ちゃんとファウストが甘やかしてくれることを分かっている。お望みの通り隣に腰かけたファウストに、ずん、とネロが寄りかかる。遠慮なくべったりと全体重を任せられたファウストは、ぐらりと倒れかけた体勢を咄嗟にベッドに手をついて支えた。
「いいお兄さんしてちょっとくたびれちまった。甘やかしてよ」
「急に寄り掛かると重いよ」
「甘えてんの。可愛いだろ」
「はいはい、可愛いよ」
そのままぽすんとファウストの膝に寝転がる。散らばった前髪が顔にかかっているのをどけてやりつつ頬を指でくすぐると、先ほどまで話題にあげていた子供のような笑い声を零した。
巨大なケーキを作って、友達探しと厄災の影響を受けた巨木の対処をして、ちょっと喧嘩してしまった子供達を優しく見守って。
彼なりに気を張っていたのだろう。『お兄さん』として他人を甘やかすエネルギーが切れたネロは、今はただ恋人に甘える一人の男としてファウストの膝に横になっている。空っぽになったネロをやさしく甘やかして、満たして。また明日から『お兄さん』の顔ができるように、ファウストは自分だけに許された特権を行使することにする。
「……リケとミチルが仲直りできたのなら、また一緒に食べられるお菓子でも作っておやり」
「うん。子供って眩しいもんだなあ」
「また年寄りみたいなことを言って」
「まあ、実際年寄りだし」
「おじいちゃん、寝るなら服を着替えてくださいな」
「きがえさせてよ」
「ふふ、ばか」
頭を撫でて、ほんの少し絡まった髪を指で解いて、探り当てた旋毛に口付けて。夜のどこにも聞こえないように囁き合った会話がネロの瞼に降り積もり、やがてとろとろと瞼が落ちてくる。
「いいよ、寝て。明日も早起きなんだろう」
ゆっくりと瞬きを繰り返す目元に手を翳し、眠りへの道をゆるりと促してやる。どうせ自分は厄災の傷のせいでここでは眠れないし、ネロが膝にいるから動くことはしたくない。
身体に掛ける布団を引き寄せようとした手を、ネロがきゅ、と握る。幼子が人形を抱いて眠るように大事に胸元に抱き寄せたので、そのまま好きにさせてやった。
ややあって緩やかな寝息の湿り気を指先に感じ、翳していた手をそっと離す。
世界で一番甘やかな場所で眠るネロの寝顔はあどけない。こんな顔を彼がすることを知っているのは自分だけだという優越感に浸りながら、ファウストは今度こそネロの身体に布団を掛けてやった。
夜は少しだけ冷える。けれどファウストの膝の上は愛しい人のぬくもりで、この上なくあたたかい。