【サンプル】とあるアイドルの話孜々歩 健の話
???
―――アイドルになろうと思ったきっかけは?
きっかけは……スカウトしてもらったから……になるのかな……。その時、すぐに『よろしくお願いします』って答えてた。自分でもすごくびっくりしたし……隣で、迅にぃもびっくりしてた。僕は三貴子が好きで……それがきっかけでダンスを習い始めて……ダンスが好きで……でもアイドルになりたいって考えたことはなかったから……。
けど、大好きな……僕の背中を押してくれた三貴子みたいな存在に、もしも僕がなれるのなら……なれるかもしれない可能性を、誰かが僕の中に見つけてくれたのなら……それはすごく素敵なことで……それに答えられる自分になりたいって、思った。それだけじゃ、足りないものだらけだったけど。
でも、そんな僕を、聖さんやらんまくんや社長や先生たち……あと、過去の自分。いろんな人達が助けてくれて……支えてくれて……背中を押してくれた。自分に届けてもらえたエールが嬉しくて……それが……それに答えたいって、答えられる自分でい続けたいって……思った……から、かな……。
……ねえ、これ長すぎだよね? 全然まとまってないし……これ答えになってるのかな……どうしよう……。
プロローグ!
その少年の名は孜々歩 健(ししふ けん)。健は現在高校一年生の十六歳。学校が終わるとそのまま従兄弟が講師をしているダンススクールに向かうか、スクールの月謝代を稼ぐためにアルバイトに行くか、どちらかの生活をしている。
そんな彼はクラスメイトから「三貴子のファン」「普段はぽや~ってしてるけど、踊ってる時はカッコいい」「ダンスに憑りつかれている。たぶん、いい意味で」「今のうちにサイン貰っておくべき」「三貴子のMVが公開されたら教室のすみっこで踊り始めるから、発表のタイミングが分かる」などと思われている。
健が熱心にダンスに取り組むようになったきっかけは、クラスメイトにもバレている通りD‐Fourプロダクション所属のアイドル三貴子だった。小学二年生の時にたまたま見た三貴子のライブで、ステージで歌い踊り、ファンと一緒にアツいステージを作り上げるその姿に健は心を動かされ、ダンスを始めることを選んだ。
従兄弟の影響でその前の年からスクルールに通い始めていた兄の迅は、度々健をスクールに誘っていた。しかし、健は『うーん……』と言葉を濁すばかりで首を縦に振ることはなかった。
そんな健がダンスをやりたいと言い出したことを、迅は満面の笑みを浮かべ喜んだ。
『健もついにやる日が来たか! 一緒にがんばろーな!』
『うん!』
それから八年。健は来る日も来る日もダンスに打ち込んでいた。
そしてそんな健に転機が訪れる。
その日、健は通い詰めているスクールで開催されたダンスイベントに参加していた。スクールに隣接している広い駐車場に特設ステージを設け、生徒や講師が一チーム数人に分かれてダンスを発表する、規模の小さいイベント。健は迅と二人で、三貴子のダンスナンバーを少しアレンジして踊った。それをD‐Fourプロダクションの人間が見ていて、イベント終了後に健はスカウトされたのだ。健は「よろしくお願いいたします!」と即答し、速やかに保護者に連絡しD‐Fourプロダクションへ必要書類を提出した。
これはアイドルのファンだった孜々歩 健が、アイドルになる物語。
初日!
金木犀香る秋が終わりに向かい、季節は冬に移り変わろうとしている。
健がD‐Fourプロダクションにスカウトされ、即日必要書類を提出してから数日が経った。健はD‐Fourプロダクションからの連絡がいつ来るかと終始ソワソワしており、最初は微笑ましく見ていた兄の迅も「そろそろ落ち着け」と冷ややかな目を向け始めた頃。
『レッスン受けにおいでよ。いつでもいいから』
「い、今から行ってもいいですか?!」
D‐Fourプロダクションから、しかも社長から直々に連絡があり、レッスンに受けに来ないかと言われたのだ。健はすぐに家を飛び出し、一時間半後にはD‐Fourプロダクションの社長室にいた。
「……と、こんなところかな。悪いねぇ、手短な説明になっちゃって。今皆出払ってるし、僕もこの後外出の予定があってね」
「あっ、いえっ、僕が勝手に来たので……!」
健が社長から事務所の注意事項など大まかな説明を受けた直後、社長室の扉がノックされた。社長は「来たかな」と呟いてから「どうぞ」と少し声を張った。
「失礼します」
扉に背中を向けた状態でソファに座っていた健は、声に惹かれて後ろを振り返る。
―――光ってる。
健は真っ先にそう思った。
扉を開けた人物は、背は健よりも高く、伸ばした髪を一つに束ねて肩に流している。シルバーフレームの眼鏡、白いシャツに白いベスト、薄いグレーのパンツに白のトートバック。全体的に白い物を身に着けており、光を放っていると感じたのはそれが理由だろうが、健はそれだけに思えなくて不思議な雰囲気のある人だと思った。
「紹介するね。あちら白井野 聖(しらいの せい)。ルーキークラスのアイドルね。こちらは孜々歩 健くんで、今事務所に来たばかり」
社長に紹介され、健は慌ててソファから立ち上がった。
「初めまして、孜々歩 健です!」
「初めまして、健くん。白井野 聖です」
優しい声に、健はそっと頭を上げる。聖は健と目を合わせて「よろしくお願いします」と微笑んだ。健はその優し気な雰囲気にホッとしてもう一度頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「白井野、案内お願いね。事務所の案内とか、レッスンの説明とか。孜々歩、何かあったらとりあえず白井野に聞いてみて」
「あっ、はい」
「健くん、今日はひと通りレッスンを受ける予定なので、一緒に行きましょう」
「はいっ! よろしくお願いします!」
健の元気のいい返事に、白井野はもう一度微笑んだ。
健は聖に連れられて、まずはロッカールームに向かっていた。お互い追加で簡単に自己紹介をして、それから健は「白井野さんは……」と切り出す。不思議な雰囲気を感じる聖のことを、健はもっと知りたいと思った。しかし健が続きを言うより先に聖が短く笑った。
「聖でいいですよ。長いですし、俺も勝手に健くんって呼んでいますし」
「あ、はい……。聖さんは、どうしてアイドルになろうと思ったんですか?」
途端、聖は困ったように眉をひそめて笑った。
「事務所に応募したきっかけという意味なら、勝手に応募されたからですね」
「わ、家族が勝手に履歴書送るとか、そういうの本当にあるんですね」
「えぇ、俺がちょっと興味のある素振りを見せたら、いつの間にか……。それでレッスンを受けに来て、皆さんに混ざってレッスンを受けている内に……本当になりたい自分を見つけられたから、が本当の理由でしょうか」
「本当に、なりたい自分……?」
それがどういったものなのかを聞くよりも、聖が「健くんはどうして?」と聞く方が早かった。健は質問を諦めて、聖の質問に答えることにする。
「えっと、元々三貴子が好きで……スカウトしてもらったんですけど、僕も三貴子みたいになれるのかなって思ったら……なんか勢いで……」
「いいですね、勢い。必要なことだと思いますよ。と、お話しているうちにこちらがロッカールームです」
聖が立ち止まって目の前の扉を手で示し、軽いノックの後室内に入って行く。健もそれに続いてロッカールームに入る。壁際に並んだロッカーと、それに向かい合うように配置されたロッカー。ロッカーとロッカーの間には背もたれのないタイプのベンチが置かれている。奥の方を見ると同じようにロッカーが配置されているようで、ロッカールームはそれなりの広さがあるのが分かった。
「所属オーディション前の方は、入口の辺りの鍵の刺さっているロッカーを自由に使ってもらうことになっているので、好きなところを使ってください。奥にシャワー室があるので、そちらは自由にどうぞ」
「あ、はい」
「じゃあ俺は着替えてくるので、少し待っていてください」
健はふと、聖のシンプルなトートバッグにパンダのような生き物のキーホルダーがついていることに気付いた。それから、自分が三貴子とあと僅かなアイドルしか知らないことに気付き、申し訳ないような、気まずいような気分になった。ルーキークラスということは、聖だって所属オーディションに合格したアイドルだというのに。
―――自分は何も知らない。
「健くん? どうかしましたか?」
聖が不思議そうな顔で健を見ている。
「あっ……いえ、何でもないです。ここ、使わせてもらいますね」
健は鍵の刺さった近くのロッカーを開けて、急いで荷物を押し込んだ。
健が事務所に来た頃にはまだ顔を出していた太陽はすっかり沈んでおり、廊下の窓から星空が見える時間になった。
「……さて健くん。ダンスレッスン、歌唱レッスンを終えましたが、どうでした?」
悠々と歩く聖の隣で、健はよろよろと力なく歩いている。聖の問いかけに健は顔を上げ、へにゃりと笑って「練習……頑張ります……」と答える。その様子に聖は困ったように笑った。
「そんなに自信のなさそうな顔しないでくださいよ。ダンスは俺よりずっと踊れていましたよ。健くん、ダンス上手ですね」
健はよろよろと動かしていた足を止める。それに気付いた聖も足を止め、「健くん?」と声をかけた。健はどう説明するか迷いながら、言葉を選び出した。
「えっと……僕はまだアイドルじゃなくて……皆さんはアイドルなんだって思いました」
健はレッスンの時の様子を思い出す。たくさんのアイドル達が先生のダンスや指示にあわせて踊り歌い、真剣に汗を流していた。自分も踊り歌いながら、健はそれらがとても美しくかっこいいものに見えた。
―――じゃあ、自分は?
「……僕はちょっとダンスをやっていただけで……それだけなんだって、思ったんです。……たくさん練習しないといけないです」
健は眉毛をハの字にして笑う。聖は何か納得した様子で、指先を顎に当てた。
「じゃあ、最後にもう一つ練習しましょう」
聖は数メートル先の扉に視線を移した。
「この先にあるのが、ドリカキャッチの練習場です」
「あ……」
ドリカを飛ばす側だった自分が、今度はキャッチする側になる。健は改めてそのことを自覚し、嬉しさや期待や恐怖が一気に湧き上がってきた。口角が何度か上下に動くのを自覚して、健は頭を左右に振った。
「……練習、出来るんですね」
健は先を歩く聖のところまで小走りし、聖に追いつく。
「えぇ。もっとも、キャッチするのは鉄板ですが」
「……てっ……ぱん?」
健の言葉は扉を開ける音にかき消されたのか、聖の返事はなかった。
開いた扉の向こうはバッティングセンターのような場所だった。入り口を入った正面に六つのブースがあり、それぞれのブースはネットによって区切られている。足を踏み入れると、天井が高く広いせいか少しひんやりしているように感じた。
右端のブースに誰かいて、ピッチングマシンが速球を飛ばしている。直後、ブースの中の人物がそれをキャッチしたらしい音が聞こえてきた。距離があって詳しくは見えないが、どうやらピッチングマシンを使ってドリカキャッチの練習をしているらしい、と健は察した。
「あ、らんまですね」
聖が名前を呼ぶと、その声が聞こえたらしくその人物は振り返った。健と同じくらいの身長で、緑の髪の一部に赤いメッシュが入っているのが見えた。
「セーと……新人?」
「えぇ。紹介させてください」
「おー、ちょい待って」
らんまと呼ばれた人物がブースから出てきた。体格は自分とそう変わらないが、何か圧のようなものを感じて健は思わず背筋を伸ばす。
「あちらはルーキークラスの海藤 らんま。こちらは孜々歩 健くん。健くんは今日来たばかりです」
「初めまして! よろしくお願いします、らんまさん!」
健は勢いよく頭を下げる。
「よろしくな。らんまでいーよ、けん……ケンケン?」
らんまの緩い呼び方に、健は思わず頭を上げる。
「あ、お好きに呼んでください……えっと、らんまくん?」
らんまは満足そうに「おー!」と笑顔を見せた。先ほど感じた圧と今の人懐っこそうな笑顔の差に健は内心戸惑うが、表情に出ないように努めた。
今日会ったルーキークラスのアイドルを、健は誰一人として知らなかった。何も知らないまま、知ろうとしないままここに来てしまったことが、健に罪悪感のようなものを抱かせた。そんな健のことに気付いているのか気にしていないのか、聖とらんまは会話を続けていた。
「ってかセーが案内してんの? セーももう立派な先輩だなー」
「おかげさまで、ですね。ところでらんま、ドリカキャッチするところ、健くんに見せてくれませんか?」
途端、健にはらんまの目が激しく輝いたように見えた。
「いいぜ! 見せてやるぜ、オレの最強のドリカキャッチ! ケンケン よく見とけよ!」
「あっ、はい! ……最強?」
らんまはあっという間に先ほどまでいたブースに戻って行く。聖はその様子に小さく笑って、「近くで見ましょうか」と健をらんまの入って行ったブースの後ろへ促した。
「らんまは『最強を追い求める快刀!』というキャッチコピーのアイドルです。と言っても、普段からそうですね。彼は彼の思う最強を、いつも追求しているんです」
よく分からず、健は「……いろんな人がいるんですね?」と曖昧に返事をする。
「あ、来ますよ」