夏を背にまっさらな君を見て
黒く澱んだ僕の心は
君を僕色に上書きしたいと
強く叫んでいる
だから今日も僕は君に愛を囁くんだ
*☼*―――――*☼*―――――
「お兄さん、誰ですか?」
「…は」
花垣武道、皆んなから「たけみっち」と慕われている青年はキョトンとした顔で真一郎を病室のベッドから見上げた。熱中症で倒れたと言う報せを若狭から聞いたのは一時間ほど前のことだ。
急いで店を臨時休業にして病院に駆けつけた真一郎を倒れた当の本人は、いつものように美しいアクアマリンの瞳で見詰めた。しかしいつもと違う、と真一郎は何となく勘づいていた。「たけ…みち…?」と真一郎が武道に声をかけると
「お兄さん、誰ですか?」
そう返ってきたのである。どうやら倒れた時の打ちどころが悪かったらしく、眼を覚ましたら記憶喪失になったのだ。と武道の両親は言っていた。
両親はこの後、手続きやらの用事があり武道を見ていられないから、よろしく頼みますと出ていってしまう。
「お兄さん誰ですか?」その真一郎は目の前が真っ白になった。そして黒いモヤのような物が真一郎の心を覆っていく。そうだ、この真っ新になった状態の武道を俺のものにしてしまおう。そんな悪魔のような囁きが聞こえる。しかし当のところ、囁いているのは悪魔でも何でもなく、真一郎の本心なのだった。
佐野真一郎は花垣武道が好きだ。それはもう黒く澱んだ気持ちを抱えてしまうくらいには。自分の恋心に気付いたのは真一郎が総長をしていた黒龍に武道が入ってきたくらい前のことで、自分以上に弱い少し年下の武道にちょっかいを出しては守ってあげたい、その想いは段々と膨れ上がり今に至る。
真一郎は武道に告白をしたことはない、断られて武道との今の信頼関係を失うのが怖かったからだ。それを知っている若狭や小代黒龍幹部たちに「そう言うところウブだよな」とよく笑われる。笑いたければ笑え、俺は本気なんだ!と何度思ったことだろう。
「俺は、佐野真一郎」
よろしくな、と手を差し出すと武道はおずおずと手を出し握手を交わす。真一郎の温かい掌に少しホッとした様子の武道を見て真一郎は自分の心がモヤどころか黒くドロリとしたものに変わっていくのを感じていた。
「馬鹿なヤツ、初対面の奴にそんな顔すんじゃねぇよ」と思いつつもこの握手が悪魔との取引の様に思えた真一郎は気持ちが高揚していくのを半分、これから自分が武道にすることの罪悪感が半分の気持ちに折り合いをつけ手を離した。
「よろしくお願いします。俺、花垣武道?っていうらしくて…」
自信無さげに俯きながらそう言う武道に真一郎は「知ってるよ」と武道の頭をポンポンと撫で、同じ目線になるべく椅子に座り武道の美しくも真っ新な状態になった瞳を見る。武道も真一郎の黒曜石のような瞳に引き込まれたのか真一郎をじっと見詰めた。
「俺と武道は同じチームだったんだぜ?」
「チーム?」
「黒龍って言うチームでな…」
真一郎は武道に面白く、時に大げさに、緊張している小さい子に絵本を読み聞かす様に黒龍時代のことを面会時間が終わるまで語り続けた。
*☼*―――――*☼*―――――
次の日も、また次の日も真一郎は休日も仕事の日も時間を見つけては武道に会いにいき、武道も真一郎を見かけるたび「真一郎君っ!」と明るい顔をして駆け寄ってくるまでになり真一郎は満足感に満たされていった。しかし、今日はいつもは病室にいるはずの武道が見当たらず、売店か?と廊下に顔を出すと武道が丁度、一人で廊下を歩いているのが見えた。
武道も真一郎が自分の病室の前にいるのが見えたのか、真一郎の方へとパタパタと駆け寄って嬉しそうに話出した。
「真一郎君、聞いて、聞いて!」
「おーどうした武道、とりあえず入ろうぜ」
俺は逃げねぇよ?と武道の手を取り病室の扉を閉めると武道はベッドに座り、真一郎に隣に座るよう促した。今や武道のベッドの隣は真一郎の特等席で、若狭や明司が見舞いにきても武道の幼馴染がきても、武道はベッドではなく椅子を促す。それが真一郎にとってどれだけの喜びをもたらすのか武道は知らない。
「あのね、俺、明日退院らしいです!打ちどころが悪かった頭も異常なくて大丈夫だって!」
嬉しそうにそう言う武道に真一郎は目の前が真っ黒になる。「明日、退院?」と繰り返すように聞くと武道は嬉しそうに「はい!」と言うだけだった。武道が退院したら今よりずっと誰かしらが武道に構う様になる。それが真一郎は嫌で、ずっと雛鳥みたいに外の情報は自分でしか知れない様にならないものか…と常日頃から思っていた。しかしそれを顔には出さず
「そっか!おめでとう、明日は俺行けないから何かあれば此処に来いよ」
と言うと自身が経営しているバイク屋への道のりを名刺の裏に書き、渡した。
押してダメなら引いてみろ、恋の駆け引きではよく使われる手法だ。今まで沢山きて絆してきた分、武道はきっと己の足で真一郎の元へとくる。真一郎は手に取るようにそれが分かった。
「え、真一郎君、明日来れないんですか?」
少ししょんぼりした様な武道に真一郎は内心、ニヤケが止まらない。いいぞ、もう少しかもしれない。邪魔さえ入らなければ…。真一郎は心の中でそう呟く。
「おー、これでも経営者だからな」
「かっこいいっすね!」
「だろ?」
キラキラとした眼で自分を見つめる武道の頭をガシガシと強めに撫でる。まるで「絶対に来いよ」という呪いをかける様に。武道は「わっ!」と驚きながら「真一郎君は時々乱暴ですよね…」そう言いながら自分の頭に乗せられていた真一郎の頭をゆっくりとどかす。
「じゃあ、俺いくわ」
「え、もう行っちゃうんですか?」
「おー」
じゃあな、と片手を上げながら武道に挨拶をして真一郎は出ていってしまった。
*☼*―――――*☼*―――――
翌日になり、退院の時間になっても言われた通り真一郎はやって来なかった。武道の顔は退院できた事とこれから先の事とで少し不安そうな顔をしていたのを遠目から見た若狭は話しかけることもせずバイクにまたがり、その場を去った。
若狭は真一郎の店の前に着くと扉を開け、「真ちゃーん」と奥にいるであろう真一郎に声をかける。するとやはり奥の作業場にいたのか「おー」とどこか間の抜けた声が聞こえてきた。
「真ちゃん、たけみっち退院したのに会いに行かないの?」
「あぁ」
「フーン…」
「きっとアイツは此処に来るよ」
「…真ちゃんに捕まっちゃったのカワイソー」
「ははっ、言ってろ」
俺しか武道を幸せにしてやれないんだから、とポツリと呟くと若狭は「おー、コワ」と触らぬ神に祟りなし、と言わんばかりに「じゃーね」と言って店を出ていった。
その後、暫く作業をしていると店先から「すいませーん」と言う声が聞こえ、真一郎はニヤリと笑い、「ほらな」と呟く。「おー、今行く!」と店先に来たであろう武道の元へ向かうとそこには、店先に武道が立っていた。
「あ、真一郎君!」
「よー、武道。よく来たな」
「真一郎君が来ていいよって言うから」
「ははっ、待ってた」
頬を膨らませて真一郎を見上げる武道が可愛くて真一郎は「来てくれて嬉しいよ」と言う。すると武道は顔をパァッと顔を明るくさせ「へへ」と笑う。それが愛らしくて真一郎は武道を抱きしめたくなった。
「武道、お前まだ働く場所ないんだろ?」
「へ?あ、まぁ…そうですね」
「俺の所で働かないか?」
経過観察の通院日に都合は合わせるし、と真一郎が武道を誘いかけると
「でも、この辺は俺の家と少し遠いので…」
「じゃあ、一緒に住もうぜ」
「へ!?」
でも、申し訳ないです。ただの友達なのにそこまでしてもらうなんて…と言い出した武道に真一郎は自分の機嫌が急降下していくのを感じた。
「や、黒龍にいた時も俺の家によく泊まりに来たし大丈夫だ」
丁度俺も一人暮らししようと思っていたんだ。シェアしてくれる奴探してた。と言えば武道は迷っているのか「あー、うー…」と悩んでいるようだった。
後一押しだ、と真一郎は「俺、一人好きじゃないんだよな」そう気恥ずかしそうに言ってみると武道は「じゃあ…」と決心したようで
「一緒に暮らしていいですか?」
と、おずおずと真一郎の顔色を伺うように聞いてきた。それを聞いた真一郎は心の中でニヤリと笑う。
「おう」
真一郎は心の中で笑いが止まらなかった。
善は急げ、と言うように真一郎は武道と暮らすために不動産屋へと駆け込み、真一郎のバイク屋に近いアパートを借りることになり、その頃には武道は真一郎を盲信的に信じているのか、自身の家族や友人たちの言葉を聞かず真一郎との新生活を始め、最初は反対していた武道の家族すら真一郎は信頼を得て花垣家に馴染んでいった。
*☼*―――――*☼*―――――
「武道、ただいま」
「お帰りなさい、真一郎君」
エプロンをつけて料理をしていたらしい武道のお出迎えに真一郎はホッとする。「先に手を洗ってくださいね、後少しでできますから」と台所へと戻っていった武道を見送った後、手洗いを終え、台所にいる武道を後ろから抱きしめるように「今日の晩飯は何?」と聞き出す。
最初は驚いて顔を赤くしていた武道も慣れてきたのか「今日はオムライスですよ」と包丁を置いて腰に回された手の上に自分の手を重ね「真一郎君、擽ったいよ〜」と笑っていた。
真一郎はそれが愛らしくて武道の耳を軽く舐めながらはむはむ、と口に含む。武道の笑い声が段々と欲を孕んだ声へと変わっていく。
「ん…あっ…あ、しんいち…ろぉっ!」
武道の耳をそっと口から離すと最後にキスの音を脳に刻み込むように響かせ、武道からそっと離れた。すると武道は腰が抜けたのか、へなへな…と地面に座り込む。
真一郎はひょいと武道をお姫様抱っこをして顔を見る。すると武道は頬を赤らめ息を荒くして眼を潤ませていた。それを見た真一郎はゴクリと固唾を呑み、「どうして欲しい?」と武道の額に軽くキスを落としながら敢えて武道に選ばせた。
「あ、あ…う…」
「ん?」
「真一郎の…好きにしてほし…い」
「どうして欲しいのかが聞きたい」
「真一郎に、沢山、愛して欲しい…っ!」
「ん、よくできました」
合格、と真一郎は武道を寝室まで運んで行き、そっとベッドに下ろす。この家には個人個人の部屋を持ちたいという武道の希望で部屋は二つあるが、寝室は真一郎の部屋といつしか決まっていた。
武道は降ろされたベッドに横になりながら真一郎に「抱きしめて」と言わんばかりに両手を伸ばし、真一郎はその行動に舌なめずりをしながら武道に深いキスを落としその身体を貪った。
*☼*―――――*☼*―――――
「もー、オムライス冷めちゃいましたよ」
「わりィ」
秘め事の後、すっかり冷めてしまった武道お手製のオムライスをレンジで温めて机に置く。二人で「いただきます」と声を合わせ食べ始めると真一郎は「んー!美味い!武道腕を上げたな」と武道に笑いかけた。
「真一郎君、全然働かせてくれないんだもん。ずっと家にいたらそりゃ上手くなるよ」
真一郎は武道を雇ってはいるものの、働かせる時は遅く帰る日など武道と会えないのに耐えられない時だけで、早く帰れる日などは家の外から一歩も出さず、武道を家に閉じ込めた。
武道も真一郎に盲信的なこともあり、それに対して不満を覚えることもなく、ただ外からの情報を真一郎からだけ受け取り、時々見せてくれるテレビから世の中の情勢を知るだけで武道の世界は完成していた。
「今日は何してた?」
「えーと、レシピ本を読んで、真一郎君がくれた本を読んで掃除とか洗濯とかしていました!」
「外に干してないよな?」
「真一郎君は潔癖ですからね、乾燥機で乾かしましたよ」
潔癖というのも嘘で、できるだけ武道をベランダにも出したくない真一郎は洗濯機も乾燥機能付きを購入し、「俺、潔癖だから外の埃がつくの嫌なんだよな」と言いくるめた。
「そうか」
満足そうに頷く真一郎に武道はホッとして食べ終わった食器を流しへと持っていった。
武道は真一郎のことが気になっている。身体の関係を持ちつつも付き合っていないというのは如何なものか?と思うが真一郎が望むなら受け入れたいし、寂しそうな顔をしているのなら包み込んであげたい。そう思ってしまう。しかし武道はこの感情がどういうものなのか分からないまま、真一郎のことが気になっていた。
食後のまったりタイム、ソファに座っている武道の太ももの上で寝転がっている真一郎に、武道は思い切って声をかけた。
「ねぇ、真一郎君」
「んー?」
「俺たちって付き合って…たの?」
「なんでそう思った?」
「え、だって…あの、え、エッチだってしてる…し…」
「………」
「ご、ごめんなさい!こんなこと言って、俺なんか疲れてるのかな?」
「そうだって言ったら?」
「…!!」
真一郎のまさかの言葉に武道は頬を赤くして「そっか…」と呟く。しかし真一郎はそれが不服だったのか少し機嫌悪そうに「何?俺から離れるの?」と身体を起こし、武道に詰め寄った。
「あ、や…その」
「俺は、武道が好きだ、お前もそうだと思ってた。」
「や、俺も…!」
「何?」
「俺も、真一郎君のこと、大好きだよ!」
武道は真一郎を怒らせたことを恐れ、焦燥感を胸に絞り出す様な、これ以上怒らせたくない!という気持ちで慌てて気持ちを言葉にだした。すると真一郎は先ほどの機嫌が嘘かのように穏やかな笑顔で「だよな」と笑った
「お前は俺を置いて行かないよな」
「う、うん!」
「愛してるぜ、武道」
「俺も…」
真一郎は武道の頬をこしょこしょと擽り、そっとキスをした。武道はそのキスの心地よさにうっとりしながら先ほど真一郎に感じた恐怖や焦りが消えていくのを感じながら、されるがままにソファへと押し倒された。
*☼*―――――*☼*―――――
真っ白い空間に武道は立っていた。すぐに武道はこれは夢だと気付く。暫く白い空間に立っているとどこからか自分によく似た声が聞こえてきた。
「早く逃げろ!」「お前の居場所はここじゃない!」「騙されてる!」
そんな悲痛とも言える声に武道は少し驚きながらも「真一郎のことを言っているのかな?」とどこか思っていた。
「真一郎は俺を騙したりしない」「真一郎の隣が俺の居場所だ」「俺は真一郎を愛している」
そう言い返せば言い返すほどにどこか漠然とした不安が武道を襲う。
「「本当に?」」
どこからか聞こえる自分によく似た声と自分の呟きが被る。武道は不安と緊張からか汗や心拍数が上がるのを感じていた。本当に?真一郎のあの自分に向ける無償の愛は本物なのか?本当に自分と真一郎は付き合っていたのか?考えれば考えるほど不安は止まらない。
武道が頭を抱えて蹲っているとふと真後ろから「武道、帰るぞ」と声が聞こえ、武道は一瞬心臓が止まったのではないかというほど驚く。後ろを振り向くと、声の主である真一郎が立っていた。
「真一郎君、俺…」
「ばーか、何悪魔の囁きなんて聞いてんだよ」
ニカッといつもの様に笑う真一郎に武道はホッとしながらも、どこか疑いの気持ちが晴れなかった。
「記憶を無くして迷子のお前を導いたのは誰だ?」
「……」
「お前を俺以上に愛せる奴がいるのか?」
「……いない、です」
「だろ?」
お前は俺のモンなんだよ、と武道を抱きしめる真一郎の逞しい腕に武道はホッとしながら「やっぱりこれは悪夢だったんだ」と思い、武道は夢の中の真一郎にキスをした。
「ん…」
「おい、武道、大丈夫か?」
武道が眼をさますと、そこには「魘されてたぞ?」と武道を起こす真一郎がいた。
「真一郎…君…」
武道は自分が汗びっしょりだと気付く。真一郎の心配そうな顔に武道は「怖い夢を見たんです」とポツリポツリと夢の内容を話し始めた。すると真一郎は「なるほどな」と武道の眼をしっかり見据え、「いいか?」と前置きをした。
「お前が見たのは悪い夢だ。常にお前の側にいるのは誰だ?」
「真一郎君、です」
「お前を一番愛してるのは俺だし、お前に一番愛されているのも俺だ」
「はい」
だから、何も気にすることはない。と真一郎は武道の身体をタオルで軽く拭くと新しいパジャマを出して着替えさせた。
「もう寝ろ、明日は休みだしゆっくり二人で映画でも見よう」
「…!映画久しぶり!」
「だろ?何を見たいか考えとけよ」
おやすみ、と真一郎は明かりを消して眠りについた。それでも寝付けない武道は身体を少し、もぞもぞと左右に動かし、真一郎とは反対側を向いて眠りにつこうとする。すると真一郎は後ろから武道をガッシリと抱き締めてきた。
「真一郎君、苦しいよ…」
「武道、俺の側にいてくれ、ずっと、ずっと…」
武道を抱きしめる真一郎の手は震えていて、その時、武道は真一郎のことを酷く愛おしいと思った。
*☼*―――――*☼*―――――
「夏を背に?こんな映画ありましたっけ」
「おう、俺のお気に入り。」
「へー!」
じゃあ見ましょう!と武道がワクワクしながらテレビを見つめる。
病気で記憶を段々と失ってしまう主人公の大切な人と、それを支える主人公のハートフルストーリーで
作品のパッケージは入道雲を背に笑う主人公の大切な人が写真に収められているものだった。
「何だか俺たちと似てる部分がある作品ですね!なんで真一郎君はこの映画が好きなんですか?」
「……武道が好きだった映画だからだよ」
「記憶を失う前の俺が?」
「そう…女々しいか?」
「ううん、何か嬉しい!」
「いつかこの舞台の海に行ってみたいね」と笑う武道に真一郎は、「だな」と頷いた。
真っ新な武道をようやくここまで堕とすことができた
後はこのまま自分の元から離れないようにコントロールをしていけばいいだけだ、と
真一郎は、この先の幸せに笑いが止まらなかった。