キャンディポップの憂鬱思い立ったら吉日。
ひゅうっと頬を撫でる風は凍てつくようなものではなく寧ろ心地よい。古い民家の縁側で何となく座り込んでボーッとしていたらいつの間にか夜になってしまった。
シュミレーターで選定したのは日本のとある田舎町。田んぼはあっても高速道路はあるし鉄道だって敷かれている。余人が想像する地方都市をもう少しランクダウンしたような中途半端なそこは立香からすれば郷愁に身を委ねたくなるような雰囲気に満ちていた。
マスターに暇などない、というのは少し語弊がある。休みはローテで組まれているし有事でなければそれなりに融通は効く。有給というと社会的過ぎるが似たようなもので唐突に時間が欲しいと進言してみたらあれよあれよと通ってしまった。これ幸いと与えられた余暇でやりたい事をしようと今ここにいるのだ。
家人の居ない平屋の一軒家。ブロック塀の上で野良猫か自由気ままに寛いでいるそこに決めて中に入る。ガラガラと音を立てて玄関に入ると鼻につく白檀の香り。見渡してみればすぐそばに仏壇がありそばにある線香の香りだと理解した。シュミレーターなので当たり前だがこの仏壇の主も存在しない架空の人物だ。それでも勝手に上がり込んで挨拶もないのはさすがにまずいかと思いロウソクに火を灯して線香を点ける。昔は面白半分で線香をあげていたなと懐かしい気持ちと無知ゆえの恥ずかしさからいたたまれなくなりさっさと線香を刺して合唱。仏壇の主は居なくとも仏様はどこに居てもいるだろうと手を合わせた。
「ん?」
ふと外を見やると何だか賑やかな声が聞こえる。初めの段階で人が居ない設定にしてもらっているしここに来たのは自分独りだけのハズ……と考えるもすぐに声の主は判明した。
「イオリ!!あれは何だ?」
「……俺にも分からん」
「江戸の後に出来た町と聞いてきたがこうも人の営みは変わるのだな!あちこちに鏡があるし長屋がなければ屋台もないおまけに斯様な硬い地面!」
「セイバー……此処はどう見ても江戸の跡地では無い。そも用も無いのに何故着いてきた?」
彼らか、相変わらず仲のようだ。家屋の中まで聞こえてくる通る声はそこまで遠くから発せられたものでは無いのだろう。外に行き彼らに声をかけてもいいがそれでは何のために此処にいるのか、自分のしたかった期待が薄れていくような気がして止めておいた。タケル達はそこから少々言い合いをしていたようだがやがて考えを変えたのか、
「なれば、マスターを探すぞ!のこのこと1人で仮想空間に籠ったとなればなにか企んでいるに違いない」
「……」
「イオリ?」
「悪いが俺は用事があるのでな、マスターを探すのは1人でやってくれ」
そこまで言い終わらないうちにきゃんきゃんと騒がしい様子だったがやがて聞こえなくなり終始を見守っていた立香はホッと胸を撫で下ろす。まるで見つけて欲しくないような心持ちだなと自嘲するが今はその気持ちに素直になりたかった。逃避行でもなく現実逃避でもない。ただ誰もいない場所に行きたくなった、あわよくば懐かしさを味わえるような空間で場に飲み込まれてしまえば至上。
畳の踏み心地を再度噛み締めながら木板の廊下を歩く。ここは縁側としても機能しており雨戸を明け放てば慎ましやかな庭が目下に広がる。多少であれば子供の遊び場としても使えそうな広さはあるがあくまでも走り回らなければの話だ。隣家との間隔はそうないし実際遊ぶには難がある。
床が軋む音も楽しみながらお邪魔している家屋は一通り探索した。良くも悪くも昭和の古さを醸し出すそこに思い出がある訳では無い。しかし記憶の中の祖母の家となんとなく類似点があり思い出す程度には再現されている。しかし此処は紛れもなく偽物なんだとガッカリとはまでは行かなくとも多少の期待を寄せた自分を戒めた。
「……」
日も傾きかけた縁側で大の字になって寝転ぶ。
初孫で他に兄弟もいない自分を祖父母は大層可愛がってくれた。が、中学に上がる前に2人とも亡くなり思い出のあの家は既に無い。唐突に思い出し似たような家に転がり込んではみたが違うものは違う。それでも幾許かの慰めにはなったのでこれでよかったのだろう。
南向きのポカポカとした暖かい日差しを浴びながら段々と下がって来る瞼を大した抵抗もせずに受け入れる。少しだけ惰眠を貪った所で現実の時間はそんなに進んではいないだろうしどうせなら夜空を見てから戻ろうと溶けゆく意識を真っ黒な世界へ手放した。
「……ン」
身震いをひとつ、鼻についた匂いで夜を感じ取る。いつの間にか落ちていた意識をゆっくりと浮上させて瞬きの隙間から垣間見たのは見慣れぬ掛け布団と温い何か。
「……?」
「起きたか、」
「い、おり……?」
名を呼ばれた青年は月明かりに照らされながらふっと薄く微笑む。どうやら寝こけてしまった後でやってきたようだ。温いそれの正体は彼の手だったらしく未だ寝ぼけ眼な立香の頬を撫で付けてくる。
「寝るなら自室で……と言いたい所だが彼処も何かと賑やかでは心休まらんか」
「……」
「済まない、差し出がましいようだが後をつけていた。お前のここ最近の様子をみてどうにも胸騒ぎがしたのでな」
「……」
「だが、お前の寝姿を見ていたら俺の考えすぎだったようだ」
「よく喋るね」
伊織は多弁では無い。だというのにこんなにも饒舌なのは何故なのか?のったりと緩慢な動きで起き上がるとやっと彼の手が離れた。何だか名残惜しそうに見えたのは気の所為だ。徐ろに伊織の方へ身体を向ければ傍らに徳利と彼の利き手にお猪口を見つけて合点がいく。下戸な体質でもなく誘われれば飲むが自ら手酌でちびちびと飲んでいるのは見たことがなかった。立香が未成年というのもあって合わせているのかもしれない。が、真意をわざわざ聞こうとも思わなかった。
「良き月夜に星の導きあれば」
「君ってたまによく分かんない事言うよね」
少しの呆れをこぼして苦笑する。何が星か、残念だがそんな大層な人間になった覚えがない。星を自称するなら蘭陵王ぐらいに物理的に光るようになればいいのだろうかと此方も頭の回らない頓痴気な発想をしてしまう。
いつの間にか差し出されたガラスのコップを素直に受け取り飲み干すとようやく思考がはっきりとしてきた。
夜空にぽっかりと浮かぶまあるいお月様。十五夜では無いけれどトントンとうさぎはお餅を突いているのかしら。おかしいね宇宙には空気がないの無重力状態でどうやってお餅をついているのかなぁ───
(伊織は月にうさぎなんて居ないって言いそう)
よくよくみればほんのりと鼻が朱に染まり頬へと伝播している。分かりやすく酩酊状態である今の伊織であればうさぎの有無も何かしら茶化しそうなものだがやぶ蛇な気がしてそのまま押し黙る。伊織もお喋りかと思えば途端口数はなくなくなり2人の間には淡い月明かりだけが平等に照らしていた。
(俺ここにいる意味ある?)
目的は既に達した、であればわざわざ伊織の酒の相手などしなくともよいではないか。そもそも務まってないが何もしないでただ隣にいるだけの存在に何を期待するのだろう。今まで生きてきた人生の中でも酒を飲むような場面は楽しく賑やかにするものだと思っている。それは1人で飲むのを否定しているのではなくその方が互いに楽しいだろうなと安直な考えからだ。ましてや会話の無いこの状況では例え美味いと評される酒であったとしても不味くなりそうで気が引けた。
気だるい身体に鞭打って立とうとすると腕を引かれた。この場には立香ともう1人しかいない。分かりきった答えも今はなんだか煩わしい気がした。
「何処へ行く」
「……何処でも。飲めない俺が一緒でも楽しくはないでしょう?」
さも当たり前だろうと言ってみせた。気を使ったつもりだったがどうだろう、掴まれた腕にギリッと力がこもり些か目つきも鋭くなったではないか。
なんで?と脳裏には疑問が浮かぶ。俺何か気に触るようなこと言った??弁明しようにも理由が分からなければ謝りようもない。どうしたものかと暫し見つめ合ったあと伊織の方から口火を切られた。
「行くな」
「一応聞くけどなんで?」
「お前がいなければ意味が無い」
「意味?」
お猪口を手近な場所にコトリと置いて向き直る伊織。どうやら意味あるものにいつの間にかなっていたようだが皆目検討も付かない。益々疑問を深めた立香だったが次の彼の言葉に考えていた何もかもがすっ飛んで行ってしまった。
「月明かりの元で星を愛でている。こんなに美味い酒は他には知らん」
「……はい?」
「多忙な身の上である事は重々承知しているが逢えぬ間に恋しさを募らせていたのは俺だけか?」
「んんんー。宮本サン…飲みすぎだよ」
「名も呼んでくれないのか……。そんなに俺が煩わしいか」
瞳を潤ませ半泣きになりかけている彼に動揺する。目隠れの隙間から見え隠れしている右目すら切々と確かに想いを交わした仲ではあるが表面上はマスターとサーヴァント。交際に関しても秘密裏にどうか密やかにと立香が望んだ為伊織は律儀に守ってくれていた。そういえばここ最近はめっきり会う回数も減っていたなと思い返す。
仕方ないと再び腰を落とせば途端に表情がパァと明るくなる様子になんだかんだ言っても嬉しいと思ってしまうのも大概絆されてるなと苦笑い。
「ん、」
「…ッ、立香」
両手を広げて受け入れ態勢を作ればたちまちに飛び込んでくる。ぎゅっと抱き締める伊織からは心地よい心音。肩に頭を預けて脈打つ熱に些か立っていた気持ちをがだんだんと溶けていくのを見送った。
自分よりも幾分背丈のある彼に抱擁されるのは安心感があって実はとても好きなのだが何分相手は江戸の時代を生きた御人だ。恥やら外聞だのとりあえず人の目がどうしても気になるらしく滅多にはしてくれない。尤も秘密裏と願ったのは自分の方なのでそこはお互い様かもしれないが。
「ごめん、ちょっと疲れちゃった」
「だろうな。よく寝てた」
「見るなよえっち」
「己が情人の寝姿を見たくない者がどこにいる。少なくとも俺は見たい」
「す、け、べ」
耳元で囁いてやれば肩に回された僅かに手に力が入る。他愛ないやり取りをしつつも立香は緩やかに伊織の隣に寄り添って慣れない手つきながらも酌をする。トクトクと注がれる透明な液体に独特のアルコール臭。そのまま口に運ばれ感慨深そうに「……旨いな」と味わっているようだ。
こんな時でも恐縮している彼と改めて縁が結ばれた事を尊ぶ。主従としても恋仲としても。向こうはやたらと身分を口実にするがそれをいうなら伊織にとっての初めての主、恋人になれた事実は立香からするととてつもない優越感がある。それを本人に告げようとはつゆにも思わないがこれは立香だけの特権なのだ。
「先日の件、傍に居てやれなくて済まなかった」
「別に……もう終わったことだし」
「あれ以降お前が何処でもない空(くう)を見ている様を何度か見かけて気が気ではなかったぞ」
「そっか。心配させちゃったね」
「義父(おやじ)殿も『今はそっとしておけ』と。何やら随分奇抜なナリに成っていたが…」
「父親じゃないからアイツは」
自分で仕出かしてくれた癖に何を言っているのだろうか。気持ちを昇華しきれなくて寧ろむかっ腹を立てたので帰還後速攻で召喚(よ)びだして1発殴ってから人目も憚らずに駄々を捏ねて泣いた。それ以降まともに話をしていない。他のサーヴァントの話では落ち込みようが他の比ではないらしいが知らん。というか伊織にまで余計な事を吹き込むな。
「詳しくは知らんがあまりやり過ぎるな」
「知らないもん。反抗期だもん」
「お前な…」
「伊織は、」
「……」
「伊織は居なくならないでね」
視線を足元に落としぽつりと零す。切に願うこの気持ちを言葉に乗せる。彼に希うことは決して容易いことではないだろう。いっそ同じ今を生きる人であれば、と考えたことも両の手では足りなくなった。しかしその度伊織は諌めるのだ。
──今世の出会いにこそ俺は意味を見出している。例え同じ世に生まれ落ちようとも出会うことは無かっただろうからな。
今が良いのだと目尻を下げて立香に微笑む様子にそれ以上は何も言葉は出なかった。
「あい分かった」
放たれた言葉に瞠目する。返事は期待していなかったので完全に不意を付かれたカタチになりバッと相手の方へ向き直るも朱に染まった伊織がさもありなんとばかりに立香を見返す。そのまま着物の裾を握っていた手を取られ抱き寄せられて膝の上へ。
「あ、あの……伊織、俺違くて、」
「ずっと望んでいただろう、それに今更旅路の終わりに別れ話をするつもりは毛頭ないぞ?」
「イヤだって、これは俺の我儘─」
「何が我儘か。好き合った者同士離れ難いのは至極当然ではないのか?それに──」
「“誓いは死を分かつまで”だ」
「!」
こつん、互いの額を突き合わせて伊織は言う。触れ合った箇所から彼の思いが伝播して胸が溢れ今にも溺れてしまいそう。それでなくとも顔を中心に全身が熱病の如くあつくてたまらないのに決して嫌でなく心地よい熱に焦がされている。
「今凄いこと言われてる気がするんだけど自惚れていい?信じてもいい?」
「御心のままに」
「ねぇちゃんと言って」
「……俺と生きてくれ、この旅路が終わってもこの先も」
「………………うん、伊織だいすきだよ」
◇◇◇
「──と、まぁ言質は取ったが何か不服があろうか?」
「………………」
「深くは聞かんが獅子は子を谷底へと突き落とすのだと聞く」
「………………」
「貴殿もそうしたのかどうかは貴殿だけが知る事だろうな」
「…………あれは這い上がって来た。そして殴りかかって来たがな」
「それはちょうじょ……いや災難」
「………………」
紫煙をゆらめかせながら話は済んだとばかりに青白い焔に包まれその場去った奇人に伊織は嘆息が漏れる。思考回路が割かし単調である自分からすれば回りくどいやり方は好かない。増してや相手を確実に傷つけるのであれば言語道断である。例えそれが考え抜いた上想いの果てにたどり着いた結論であったとしても。
「なんか伊織タバコ臭いよ、吸ってるの?」
「生憎斯様なモノを手にする程手持ちもない」
「んじゃ吸ってる人の近くに居たのか。浮気かな」
揶揄うように茶化す立香に以前のような危うさはない。加えて冗談で言えるのであればこれは一旦過保護な見守りもする必要はなさそうだ。
「身の潔白ならそこな絡繰を調べれば出てこよう」
「イヤイヤ冗談だって。伊織は浮気しそうにないし逆に俺がしたら相手を殺しに掛かりそう」
「よく分かったな」
「…………まじ?」
「何を驚いている。不貞なぞ俺が赦すとでも?」
「憎悪の対象俺もじゃなくて?」
「……相手を斬った後で考える」
「……」
「……」
「タスケテー、パパモーン」
「残念だが不貞に関してはあの奇人は厳しいだろうな」
「ですよねー」
立香と伊織の足元では黒い影が出ていくべきか二の足を踏んでチリチリと床を焦がし、割と近くで2人のやりとりを見ていた奇人は頭を抱えていたという。