若モリぐだ♂「げっ」
「ン?君は…」
トラオムの複合領域から帰還し早く3日。カドックは入手した情報を取り纏めたデータが映し出されたタブレットを片手に管制室までの道を誰が止めるでもなく歩いていた。画面に集中していたのも悪かったのだろう向かいから来る人物を避けようと顔を上げたらできることなら会いたくもない彼の人がまじまじとこちらを凝視していた。邪魔そうな装飾の多い白き再臨姿で。
「カドック・ゼムルプスか特異点では―――」
「いや、お前の勧誘はもう聞き飽きた。俺に構うな」
「は?」
「じゃあな」
片手で厄介事を振り払うように彼はモリアーティに背を向けてそのままずんずんと来た道を引き返して行ってしまった。ぽつんと残されたモリアーティは思案する。今二人が邂逅した通路は一本道だ。確実にこの先に用事があっただろうにモリアーティを見た途端に邪険し踵を返す。個人的な会話など今の今までした覚えはない。だとするなら先刻話題に出そうとしていた人物に聞いた方が話は早いだろう。そんな推理にも遠く及ばない思考をしながら彼は歩をとある部屋まで進めていくのだった。
「あー…」
「思い当たる節はあるようだネ。と言っても考えるまでもなく先日の特異点に私がいたのだろう?」
「ご明察通り」
「フン…全く。どおりでマシュ嬢の態度がどことなくよそよそしい訳だ」
君もネ?。
そう告げてやればバツが悪そうに立香は頬を掻く。誰が悪いという話でもないのに場の空気が下がる一方。モリアーティとて彼らを責める気は毛頭ない。何せ初めは同行者に名を連ねていたのだから。それがなんのトラブルなのかレイシフトからは弾かれてしまいマスターの帰還を待つしかない歯がゆい状況に置かれたのは多少なりとも心中は察して欲しいものがある。
「件の特異点の話ちゃんと聞かせてもらおうじゃないカ」
「言われなくてもするつもりだったよ…ごめん」
嘆息が漏れる。謝罪が欲しいのではない、しかし彼の人となりはこれまでに嫌という程見せつけられている。今更どうこう言うつもりもないがこれで悪性の一欠片でも持っていたらばとは今後も自分は思い続けるのだろう。そういう意味のため息だった。
「―――で、―――が」
「ふむ…」
聞けば聞くほど理解に苦しむ。というか何故?といった疑問しか浮かばない内容にモリアーティは小首を傾げ立香に問う。しかし適当と呼べるような解(こたえ)すらたどり着けずに解けない証明だけが積み上がっていく感覚に陥る。居もしない老齢の自分が背後でせせら笑いをしている大変宜しくないイメージが脳裏を掠めたがよく考えて見れば彼は現在地下フロアで趣味のバーテンに勤しんでいる時間だ。払拭するのは秒で終わる。
「こほん、ひとつあげるとするならば……特異点の私は詰めが甘いのでは?」
「それ自分で言っちゃう?」
「ならマスターくん、特異点の彼と私。どちらを取るかナ?」
「…そういうのは意地が悪い」
「なぁにちょっとした仕返しさ」
自分には自負がある。勿論悪のカリスマ足る未来の自分にはどんなに背伸びをしようが今のモリアーティでは太刀打ち出来ない。しかし彼(立香)となら…。
「私はセカンドサーヴァントだからネ」
★
自分の記憶の始まりは鮮烈な白からスタートした。
「よ、よろしく。モリアーティ」
たどたどしいながらも手を差し伸べてきた彼はあまりにも不釣り合いに見えて目を細める。そこらかしこに上がる火の手燃えていない場所が無いのでは?と思う程には煤けた匂いが立ち込める地獄と言っても差し支えない惨状を背にして藤丸立香はそこに居た。
「…君、怖くないのかい?」
悪がどうとかそういう狙いがあったのではなくただ純粋に気付けば聞いていた。冬木を後にし7つの特異点を制するという途方もない宿命。グランドオーダーを前に絶望で発狂しても不思議では無いというのに
「正直言うとさめちゃくちゃ不安しかない」
「不安、かい?それだけ?」
「うん」
恐怖が無いわけでもなかった様だが、それよりも魔術士でもない自分にこなせるのかが1番の懸念だという。
(本当に…?)
困ったように笑う彼に対して些か違和感を覚えた。普通の人間だとよく立香は口にしたがそれにしたってあんまりだ。嘆き悲しむ暇もなく次から次へと人理焼却への時が迫る中で周りは立香に立ち止まることを許さない。
「キリエライト、君はどう思う?」
「どうと言われましても先輩はよくやっていると思います。…ただ叶うのであれば」
「あれば?」
「…先輩に寄り添ってくれる方がいらっしゃれば少しは心を逃がしてあげられるのでは、と」
「心を逃がす…。それは君ではなく?」
「はい。私はデミサーヴァントですし先輩と後輩の立場を崩すつもりはありません。ですが……マスターの、先輩の幸福を願っています」
「…」
「勿論、将来わるわるな教授になるであろうモリアーティさんの幸せも願っていますよ!」
「それはどうも…」
ガッツポーズをしながら息巻いて興奮気味に宣言をするマシュに苦笑いで返したのもまだ悪に染まりきれていない学生(一臨)の自分だったのはある意味良かったのかもしれない。それ以降ではきっと懸念はしてもマスターとサーヴァントというある種の主従関係にメスを入れようとはしなかっただろうから。再臨が遅れたことを当時は歯がゆく思ってたが結果論としては上々だったようだ。とはいえ素材不足に喘ぐ日々はまだまだ終わりそうにないのだけれども。
ひとつ、ふたつと7つにも及ぶ特異点を巡りマスターと共に場数を踏んだ。それどころか人理修復を終えた後退去もせずに居座りずっと彼と共にあった。それでいてマスターと何もないはずもなくマシュとマスターの間柄とはまた違った関係を築くに至る。互いの支えだなんて大層なものでもなくここまで来るのに必要だったからと言ったら小さな技術顧問は吹き出し腹を抱えて笑った。
「それが“愛”じゃないのかな?君ィ?」
「一般論として語るならそうなんだろう、私達は違う」
「いやいや、君達も例に漏れずだよ!」
やたら上機嫌に語る騎のダ・ヴィンチを見て若干引きもした。やたら突っ込んだ質問を投げかけて来ることは既に予測済みだったのでさっさと退散する。大きなため息が出た、だがアレを見ているとかつての術の方を想起してむず痒い。個体は違えどその精神は受け継がれている。
なら自分は…
「モリアーティ!」
「じ、ジェームズ…∕∕∕」
「………―――」
遷移していく呼び名にきゅっと胸が締め付けられる思いだ。決して不快感からではなく若い自分が未だ持ち合わせていて老齢の彼が今になって手をのばそうとしているそれ。結実の末にモリアーティは犯罪界のナポレオンとして君臨する。ならば切り捨てなければならないものには違いないのに、自分はあまりにも彼と共に在りすぎた。
「―――?」
嗚呼彼が呼んでいる、早く行かないと。これに応えない選択肢は今の私には存在しないのだ。否、初めから無かったのだ。あの鮮烈な白に魅入られた時からもう既に。
★
「いやだから…なんでコイツも同席なんだ」
「失敬な私が立案者なのだからいて同然だろう」
「まあまあ」
心底嫌ですと顔に書いてあるかのようだ。依然としてモリアーティに対して警戒心MAXな様子を見ているに小動物の威嚇を思い起こさせる。猫だろうか犬だろうか勝手に彼の身なりから犬と断定して脳内会議をカットする。そこは狼ぐらい言えと脳内のカドックから苦情が来たがそれこそ心の底からどうでもよく思えた。
「だいいち!トラオムで散々引っ掻き回した挙句ホームズを殺した奴をよく喚ぼうと思ったな?!」
「あれははぐれてたホームズ。うちのホームズは今ヤクキメようとして婦長に見付かったから全力で逃げてる最中」
「そこじゃない」
叫びすぎて喉の心配をしたくなるが当の本人は喉より頭にキてるようで酸欠からかよろめいて壁に寄りかかった。荒々しく肩で息をするカドックを尻目にモリアーティは持参した資料をマスターに渡す。子細を説明しようとやや前傾になりながらも手元のリモコンでプロジェクターを起動させた。
「言うがね、カドック・ゼムルプス。私は人理修復をこのポンコツと共に成し遂げたサーヴァントだヨ?」
「……は?」
「ポンコツ言うな」
見向きもしないでマスターを指さしなんでもない様に語ったモリアーティにたっぷりと間を開けて絶句する。なんだって?人理修復??自分が眠っていた1年半前からいけ好かない上に変に自信家なサーヴァントはカルデアにいた??
トラオムの時も本来は同行者だったと言われてはもうどこから理解したものか。いや、どこからだろうとの脳が理解を拒むのでずっと処理落ちしたPCの画面のようにアイコンがくるくる周り続けるだけだ。
「ば、馬鹿も休み休み言え。カルデアに収容されてから俺はお前を見たことがないぞ」
「それはそうだろう。普段私は人が出入りするような場所には居ないし、そもそもセカンドサーヴァントともなれば仕事もそれなりには抱えているのでネ」
暗に寝ていたお前より働いていたと言われいるようで面白くは無かったがそれは事実だ。
「ロシア異聞帯でも同行はしたが基本別行動なのでネ。空想樹の前でマスターにキレ散らかすキミを見て後ろから蹴飛ばしてやろうと何度思ったことか……」
「居たのかよ!」
「勿論キミの視界からは外れた所にいたがまぁ過ぎたことにしたいのなら行動は慎み給え。件の特異点の私よりも僕は気が短いようだからネェ」
スーッと音もなく現れた揺らめくランタンが3つ壁に寄りかかったままのカドックを取り囲む。規則性はないもののカドックの動きに合わせて自由自在に浮遊してるのだ。下手に何かしようものなら確実に襲って来ることは自分を見下しているあの読めない眼がそう物語っている。
そうだ、分かるだろう?とでもいいたげな。
「ッ、」
「はいはーいモリアーティストップストップ!」
「なんだつまらないナ」
「全力でカドック脅してどうするの!」
「……君どっちの味方なんだい」
「モリアーティ……また殺書文先生の1発喰らいたいの?」
「酷いな?!私は不確定要素をおざなりにしているのが気持ち悪いだけだヨ?」
「だからそれは―――」
すっかり腰を抜かしたカドックことなんて忘れてマスターとモリアーティはあーでもないこーでもないと舌戦が始まってしまい頭だけでなく胃までキリキリと痛み出す。蚊帳の外にされたカドックはずるずる壁伝いに背中を滑らせてと座り込み口喧嘩をする2人を見つめた。お互い主張はするもののマスターとサーヴァントという枠組みにいるせいかどちらかと言えばモリアーティが譲歩してやっている印象が強い。とはいえ偏屈なルーラーも本気で嫌がる様子もなくかといってマスターの方もそこまで気にしている訳でもないようだ。ウマが合うと言ったら聞こえがいいが実際の所は腐れ縁ぐらいが適当な関係性に見えた。
(マスター……)
かつての己のサーヴァントが脳裏をよぎる。が、こんなに気安い関係でもなくどこまでもプライドと偏屈な性格が災いしてドライな関係しか築くことが出来なかった。羨ましいとは思わないが最近は思い出すことの少なくなった彼女のことを思い出すきっかけになったことは感謝してもいいと思えた。
しかしこれはこれ、よそはよそうちはうち。少なくとも自分は己のサーヴァントと目の前で行われている不毛な争いをしたいとは思わない。
「どうなっているんだ……カルデアは……」
「それはこっちも聞きたいんだよネェ」
突如として隣に現れたヒゲの老紳士に心臓が一瞬機能せずカドックは今度こそ白い壁の向こうに微笑む獣国の皇女を見たのだった。