夕方か夜に少しでも良いから会えないか。七月十九日の昼ごろに虎之介のスマートフォンの画面に到着した短いメッセージは「渡したいものがある」、と簡潔に続いた。
今からバイトだからその帰りなら、とぶっきらぼうに返信する。何時になるかわからないけど、と追記して、虎之介は自身が働く中華料理屋のまったく読めない繁盛ぶりを思う。夕飯どきに目の回るような繁忙を極めたかと思えばピークを過ぎると閑古鳥、ということもあれば、閉店時間までほどほどに混み合いが続くということもある。
「じゃあ終わったら連絡して」
「駅の近くにおるね」
駅、というのは今虎之介がギノとイレーと一緒に住んでいるアパートの最寄駅のことだ。かつて渡辺が幽霊と共に住んでいた部屋の最寄り駅でもある。
結局その夜は終電の間際になって、虎之介は慌てて電車に駆け込んだ。今終わった、と送ったメッセージに、ほどなくじゃあ改札のところで待っとるね、との返信があって安堵する。
虎之介の日常は家事やアルバイトや本業にまつわるレッスンなどで忙しい。それでいて各種の暦や季節を大切にしようという意気も失くさない質ではあるが、この時はぽっかりとそのことを忘れていたのだった。
「……ったく、急に言うなよなあ! 俺にだって予定あんだから」
電車を降り、早足に改札を目指し、最新の広告に背中を預けた立ち姿を見つけてついつい頬を膨らませてしまう。渡辺はその虎之介のこめかみに滲む汗を目に留めて、小さく笑った。
「忙しいのにごめんなぁ」
「別にいいけど。渡したいものってなんだよ?」
1日の終わりがけ、駅の構内はほどほどに混み合ってざわついていて、蒸し暑さの中を時折冷房の気配が通り抜けていく。
「これ、ケーキ」
そう言って差し出されたのはずいぶん大きな箱だった。突然の連絡からの渡したいもの、とその大きさのケーキが上手く結びつかずに瞬きを繰り返した虎之介の困惑に応えるように渡辺はちらりと時計を見た。
「アハハ……日付け変わってもうた。お誕生日おめでとう」
柔らかな関西弁のイントネーションはおっとりと優しい。胸の内にぐわりと熱が沸く思いがして、しかし虎之介はそれを押し込めるておう、と低く応じた。
そうだった、と思い当たるのと、何故急に、と疑問に思うのと、複雑に喜ぶ気持ちが混在する。
「てか、誕生日とか言ったっけ」
「ホームページで見たんよ。メンバーの人と食べて」
差し出されるままに受け取った箱はずしりと重く、フィルムの窓からはつやつやと赤い、濃紅色の丸い形がきれいに整列しているのが見える。
それだけでもなかなかの逸品だとわかる、普通の三人家族には大きすぎるサイズだ。本当はお前も来いよ、と言ってもよかったのだろう。一緒に食おうぜ、とでも。
「あ……終電来てまう、ほなね。」
天井に流れる合成のアナウンスを気にして、渡辺は小さく手を振った。なので虎之介はとうとう何も言えなくて、ぶっきらぼうにおう、と頷くしかなかった。
「もう遅いし、気ぃつけて帰りや」
渡辺は足を引き摺りながら改札を抜けていく。その後ろ姿にお前の方が気をつけろよ、とは、言いたいのに言えなかった。身長はあまり伸びなかったけれど、それでも身体はずいぶん厚くなった。そうでなくても昔から喧嘩は強い方だし、なにより今しがた21歳になったばかりの自分はもうすっかり大人の区分なのだ。
なのに、渡辺は虎之介のことを、まるで「よその子」の扱いをする。
ゆっくりと歩く背中が見えなくなるまでそこに立ったまま、虎之介は唇を噛む思いを味わう。手に残ったのは贅沢な贈り物。宝石のようにきらきらとつやめくさくらんぼがずらりと乗った鮮やかなケーキ。
それを見れば当たり散らすことも出来なくて、結局ふうっと大きく溜息をつくに留めて帰路を急いた。