神機に選ばれたとはいえ、操縦士はただの人間である。当たり前に空腹になり、当たり前に睡眠を必要とする。特殊な処置や訓練、あるいは過度な極限状態による例外はあるだろうが、チムニー・ディプスに関していえば彼女は腕が立つ技術者であるとは言っても当たり前に生まれ育った当たり前の人間なのである。
なので昼食どきの詰め所、ぽつんと一人椅子に座った彼女が小さな手に余る大きさの如何にも手製らしい包みに向かって大きく口を開いていたのは当然のことであった。きらきらと光る星形や滴型のシールなどで後付けの装飾を施されたあたりまえの包み紙の中身は具材を挟んだパンであろう。旺盛で健康的な食欲を示す、食への歓びのにじむ口元から覗く小さな歯が大きく噛みとる、咀嚼する。
その間に音もなく開いた入り口ドアに動いた目がさらに大きく見開かれた。塞がっている口の代わりに驚きを示した目と目が合って、——二人の間の短い沈黙は慌てたチムニーができる限りの速度で口の中のサンドイッチを飲み込むまで続いた。
「閣下! ……」
つい先刻、同僚たちが昼食にすると言って引き波のように去っていった理由に合点がいった。今日は食堂で特別メニューでも出るのだろうかと思っていたがそうではなかったらしい。
「あの、あの……」
昼食を中断して呼びかけはしたものの、何故か黙ったままのこの最高権力者は本来チムニーが所属している技術部のいちセクションに姿を現すはずがない。よほど重大問題・過失があったのか、よほど喫緊の要件があったのか。いずれにせよチムニーから切り出すにはよっぽどの胆力が必要である。
「あの、閣下も召し上がられますか?」
チムニーが手元に置いていたランチボックスを差し出してきたので、フィルマメントはこめかみをぴくりと動かした。つい先刻までの寛いだ様子が嘘のように額から汗を滴らし、大きな目をぐるぐると泳がせている。
家令を通じてこの部署の責任者に連絡を取らせ、チムニー・ディプスの本日の出勤を確認したのはつい先刻のことである。出勤しているのでそちらに向かわせようかとの打診を断らせ、自ら出向いたのはその方が早いからとの極めて合理的な判断による行動であった。何故なら下層から上層に登るにはいくつもの関所を通りその都度の確認が必要になるが、上から下に降るぶんには全て不要であるからだ。
「……」
フィルマメントは差し出された小さな箱からこちらもいくつかのシールで彩られている小さな包みを一つ取り出した。厚く焼いた甘い卵焼きと葉物野菜を挟んだパン。
「美味しい、ですよ。あの、うちの子たちはみんな好きなんです」
丸呑みできてしまうようなそれをなるべく丁寧に味わい、飲み込む。はらはらと見守るチムニーの顎先から汗の雫が滴っている。フィルマメントの喉を今まで味わったことのない感情が通り抜けていった。
「……あの、何か……」
ぎゅっと強くまばたきをして、ごくりと空嚥下をして、チムニーはついに本来の要件を尋ねようと口を開いた。差し出したままのランチボックスにはまだふたつほどの包みが残っているが、そもそもが空神機の体躯には矮小すぎる大きさのサンドイッチである。全てを献上したところで足りるはずはないし、もっとそもそものことを言えば天空帝ともあろう方に庶民の弁当を勧めるなどとんだ不敬である。
「これはお前が作るのか」
「あっ、ハイ。家族のついでなので……」
腕が疲れたので元の姿勢に戻す。腕が擦れて、脇の間がひんやりとした。じいっと見据えられて縮こまるが、フィルマメントは少なくとも怒鳴ったりはしなかった。長く太い尾の、床の上を撫でるような挙動が視界の中に見える。
「……用は済んだ」
「????」
短く言うと、この国の最高権力者は壮麗な仕草で踵を返した。疑問符を浮かべるチムニーを置いて、言葉通り大股に去っていく。
フィルマメントが終始難しい顔をしていたので残されたチムニーは(やっぱりお口にあわなかったかな)と少ししょんぼりとするのだが、残りのサンドイッチはいつもどおりに美味しかったのでランチを終える頃には(神機様のお口にあわないのは仕方ないかな)と思い直していた。