アイティ・メリの睡眠はまるで不具合のようだ。彼女の自覚する眠気には予兆がなく、またその訪れは昼夜を問わない。そして一度眠ればその眠りは深く、長い。
技術者たちの言うことには、それはプログラムに基づく訴求であり実務的な必要に駆られてのものでもあるという。
「ウチの神機様は欠陥品ってことかあ?」
「仕様のようなものだ。運用には問題ないし、むしろ最適な挙動と言えるだろうよ」
軽口に冷たい苛立ちを返されて、バウロは肩をすくめた。いわく、"母艦という特性上その巨体の機能を維持するには複数の副電脳を備えておりそれぞれが独立して複雑な活動を行なっており"、"本体であるところの人格を備えた主電脳、つまりマザー自身が眠っている間に彼女の体内の各種の器官はより活発な電算処理に勤しんでいる"。
「まぁ身動きが取りやすくて助かるってもんだがよ」
「……」
それにしたって10日目である。一週間ていど眠りにつくのはよくある話ではあるが、今回は特に長い。モニタリング上は特に異常はないという技術班の見解を確認すると、バウロはああそう、と言い残して諸々の計器が息づく部屋を出た。
豪奢な寝台は硬すぎず柔らかすぎず、夜着は高品質で肌触りの良いものを。暑くも寒くもない室温を整えて、湿度管理も完璧に。快適な眠りに必要なものが揃った巣穴の窓を覆うカーテンは夜の海を漂う光を遮って波打っている。
単眼の女は安らかにその寝具の中に埋もれていた。薄闇の中でバウロ・クルクスは目を細める。すうすうと規則正しい寝息に上下する胸は白く、たっぷりと重そうにたゆたう。みるたびに少しずつ姿勢を変えてはいるが概ね変わり映えのない寝姿である。そっと閉じた瞼と豊かな唇の前に手のひらをかざし、戯れに空気を揺らしてもみる。
「……!」
まだ目覚めないのならばもう少しこの近辺で遊んでおくか、と物騒な思索を巡らせていると、不意に胴体を締め上げられる感触がした。突然の脅威に悲鳴を噛み殺しただけ上出来だ。
「……ママ、起こしちゃったかい?」
「坊や。」
ぱち、ぱち、と緩慢な瞬きの気配がした。胴に絡みついていた触腕は眠たげに弛み、言わば寝ぼけている状態からのように見える。それで締め殺されてはたまったものではないが。
「起こしてごめんね、まだ夜だよ」
「夜」
カーテンの向こうの真夜中の気配が見えただろうか。そのようですね、とのんびりと頷く声も端から崩れていくようだ。
「もう少し休んでいなよ。疲れているんだろう」
「坊やはまだ眠らないのですか?」
ほどけていきそうだった触腕がしぶとくコートの裾と一方の腕を掴んでいる。
「うん。もう少しやっておきたいことがあるからね」
「坊やは働きものですね。でもちゃんと休まないといけませんよ」
そう言いながら、コートの端と腕に絡んだままの腕(あるいは脚)はバウロを寝台に引っ張り込むような挙動を見せている。
「ママ……」
内心だけで舌打ちを済ませ、バウロはこの危機を回避するための文言を探した。化け物と同衾するなんざ御免極まりない。
「大丈夫、大丈夫ですよ、坊や。きっと、今に……」
そうする間に、本能に等しい睡魔に負けた彼女の声は寝息へと収束していった。コートの端からも腕が離れる。安らかな呼吸はもはや脅威ではないが、未だ腕に絡みついていた腕は未練がましく手を握っていた。
「……めんどくせぇ」
呻いた言葉こそほんのため息、ほとんどが音声にはならなかったようなものだったが、バウロは心の底から眉を顰めた。ベッドサイドにあった蓋つきのもの入れを脚で引き寄せる。この触手はもしかすると睡眠下でも動くという機能の一部なのであろうか、などと思いながら、その力が緩むまでと心を決めながら、バウロは静謐の寝室で腰を下ろした。