金木犀とイチョウの葉「ひーらーのーさん」
前を歩くその人を呼ぶと、くるりと振り返る。今朝結った髪が、ぴょこんと揺れた。カメラを構えて、即座に一枚。不意打ちされた彼は、びっくり目を見開いてからじとりと睨みつけて来た。
「何だよ鍵くん。撮るなら撮るって言えよ。つか俺撮ってどうすんだ、紅葉撮るコンテストだろ」
「えー。人物込みで撮っていいって書いてあったし、撮った写真は持ち帰れるし、俺は平野さん撮りたいの!」
何でだよ、とわがままに手を焼くように呟いて、平野もカメラ越しに紅葉を眺めた。
ある秋の晴れた日。勉強の息抜きにと平野を誘って紅葉を見に出掛けた。立ち寄った公園で秋の写真コンテストを行っており、カメラ貸出あり、撮った写真は持ち帰れるとのことで二人も参加を申し込んだ。
黄、赤、橙に色付く紅葉が美しい。まだ少し緑を残すイチョウの葉がひらひらと舞って、平野の髪につく。当の本人はそれに気付かないまま歩き続けていて、鍵浦は思わず笑ってしまった。
「ふふ、平野さん可愛い」
「あ? 何だよ」
髪飾りのようにイチョウの葉が髪についたままの姿を、斜め後ろからカメラに収める。それで気付いたらしい平野が後ろに手をやると、葉と一緒に結っていた髪が解けた。
「あ、やべっ、解けた」
「直すよ。ちょっと止まって」
風に揺れる金髪に触れると、わずかに金木犀の香りがする。
今朝、珍しく寝癖が直らなかった平野の髪を、鍵浦が整えたいと半分駄々をこねる形で結ったのだ。その際、コンビニでくじを引いて貰った試供品のヘアオイルをスタイリング剤代わりに馴染ませた。部屋中に広がった秋の香りに、思わず二人で顔を綻ばせたのが記憶に新しい。
「はい、できた」
「サンキュ。意外に器用だよな、鍵くんって」
「意外、って。何か傷付く……」
「褒めてんだろ」
結い直された髪を指先でつつきながら満足そうに笑う、その仕草が愛おしい。ふと手元のカメラを確認すると、先程の写真もよく撮れていて嬉しくなった。
「へぇ、よく撮れてんな」
横から覗き込んできた平野の声に、思わず心臓が跳ねる。
「わ! びっくりした……」
「そんなに驚くなよ」
見られて困るものでもないのに、咄嗟に遠ざけたカメラを持つ腕が引っ張られる。鍵浦が撮った写真にはほとんど自分が映り込んでいて、平野は思わず噴き出した。
「本当に俺ばっか撮ってんな鍵くん。で、どれ出すの?」
「え?」
「コンテスト。さっきのやつ?」
自分が映っているものは出すな、と言われると思っていたが、意外にも平野はそう言わなかった。公園内、それも今日だけ開催の小さなイベントだから別にいいと思っているのだろう。
でも、
「……平野さんが映ってるのは、出さない」
凄く綺麗で、凄くよく撮れてる写真でも。このレンズ越しに、自分にだけ見せた表情を切り取ったこれを、他に人に見せたくない。
「ふーん。あ、鍵くんちょっと」
ぐいっと引っ張られて、思わずよろめく。力任せに連れていかれたかと思えばイチョウ並木のど真ん中で立たされて、横に立った平野がカメラを持つ。自撮りかと思ったが、カメラは向こう側を向いている。
シャッターがきられる。何で並ぶ意味があったの? と問いかけたところで、平野はたった今撮った写真を見せてくれた。
「ははっ。影だけでも鍵くんってわかるもんだな」
奥まで続くイチョウ並木、タイルに敷き詰められた落葉、そしてその上に、西日で映し出された二人の影が映っていた。
お互いの姿は映っていないのに、ツーショットみたいで何だか胸の辺りが暖かくなる。
「顔映ってんのが嫌だったら、これ出そうぜ。コンテスト」
せっかく二人で来たんだしな、と笑うその人は、後ろのイチョウが霞むくらいキラキラして見えた。
二人が提出するこの写真がコンテストで入賞を果たすのは、この一時間後のお話。
〈おまけ〉朝のちょっとした時間
「平野さん平野さん。はい、ここ座って」
自分が寝癖を直す! と言って聞かなかった鍵浦に根負けして、平野は今鍵浦に背を向ける形で座らされている。美容院以外で人に髪を触られ、ましてや結われる経験なんてそうない。こそばゆくて何度か頭を振っては、ついに両手で頭を掴まれて固定された。
「もー! 動かないでくださいー!」
頭上からそんな文句が降って来る。じゃあ早く終わらせろよと文句で返すと、急に花のような香りが鼻をくすぐる。
「何? スタイリング剤?」
「あ、これはヘアオイル。この間コンビニで五百円以上買ったらくじ引き一回ってやってて、それで貰った試供品だよ。金木犀の香りだって」
なるほど、秋の風に乗って香って来る記憶がある。鍵浦の手の体温で温められた少量のオイルが毛先に馴染むと、より香りが近くなった気がした。
「いい匂いだな」
「うん、俺もこの香り好き」
これから紅葉を見に行こうというところだけど、一足先に秋を見つけた気分になった。