鍵くんが借り物競争に出る話 借り物競争。コースの途中に置かれた紙に書かれたお題に沿ったものを持ってゴールしなくてはいけないこの種目は、咄嗟の判断力、借り物をするコミュニケーション力、その他諸々が求められる競技だ。足が速いだけでは務まらないこの種目に、A組は鍵浦昭を選出した。
うまくできるかなぁ、なんてぼやく本人をよそに、クラスメイトはその人懐っこさ、人数の多い部活所属、寮生という特性をフルに活かせと声援を飛ばす。何せこの種目、借り物が物体ではなく――。
「校長先生ー! どこですかー!」
「誰かー! 運動部の部長さんー!」
「うちの担任どこ行ったー!?」
借り物のお題が、人、なのである。
お題の紙を手に右往左往。コースも外れ、参加者は校庭中を走り回る。
鍵浦も自分のお題を見て、すぐに顔を上げた。どこだろう、ときょろきょろ視線を動かしている。目的の人物が見つからず動くことができない。
「鍵浦ー! 声出して探せー!」
クラスメイトから指示が飛ぶ。その言葉に、遠目でもわかるほど鍵浦が動揺する。
「あいつ、お題なんだったんだろ」
「さあ」
クラスメイトに尋ねられて、新橋は思案する。すぐに駆け出せないけれど、相手ははっきりしている様子。ということは、ぱっと見回して見つけられないのだろう。
何かを決心した様子の鍵浦は、お題の人物を探し回る他の参加者に混じって駆け出した。
応援合戦を終えた平野が着替えて戻ってくると、クラスメイトがざわついていた。何かあったのか? と首を傾げると、一人が戻って来た平野に気付いてあっと声を上げる。
「平野! 借り物競争してる奴がお前探してる!」
「は?」
そういえば、今年の借り物競争のお題は人だと聞いている。半澤が企画書を読んで笑い転げていたのが記憶に新しい。でもそのほとんどが教員か、部活動の部長、委員会の委員長等だったはずだ。自分がお題になっている気がしない。
「人違いだろ」
「違わねぇよ。平野さんって言ってんだから」
平野さん、と呼ぶ人物に心当たりしかない。
「マジか」
すぐに前に出て校庭を見渡す。視線を向けた先に、すっかり息を切らせた鍵浦がいた。
「鍵くん、お題って」
「平野さん! ――一緒に来て!」
手を差し伸べられて、その必死な表情が、晴天の空に映えるようにきらきらする。考えるより先に、平野は生徒待機場所のロープを飛び越えてその手を取った。
「順位は?」
「一位はもうゴールしちゃった。平野さん、全然見つからないんだもん」
一位は陸上部の部長を捕まえたようで、どっちがメインかわからない状態で走ってゴールしていた。そしてたった今、視界の端で運動部っぽい生徒が校長先生を背負って走り始める。なるほどそちらの方が早いだろう。
「鍵くん! 後ろ来てる!」
最初は手を引っ張られるようにしていた平野の足が、だんだんスピードに乗って並走し始めた。並んで走る横顔が見える。
一位とあまりに差が付き過ぎたせいか、優しい体育委員がもう一度ゴールテープを張ってくれた。凄い速度で追ってくる校長組とデッドヒート。
「平野さん! スピード上げていい!?」
「おう」
バスケ部の本気。鍵浦が足に力を込めて地面を蹴ると、平野は腕を引かれてぐんと加速を感じた。ゴールテープを切る感覚。二位争いは僅差で鍵浦と平野が制した。
「悪かったな、鍵くん。一位にしてやれなくて」
ゴールまでのたった十数メートルの距離が楽しかった鍵浦と反対に、平野が申し訳なさそうに視線を落とす。
「ううん。平野さんと一緒にゴールできたから、よかった」
それだけ、この一瞬が幸せだったから。
「何言ってんだよ。勝負事は勝ちてーに決まってるだろ」
「えっ」
そこで、そっか、平野さん負けず嫌いだもんな、と思い出す。確かに勝てなかったのは悔しい。二人で一位になれたら、もっと気持ちよかっただろうと今更悔しさが込み上げてくる。
「じゃあ、来年は一緒に一位になろう」
「来年は俺卒業してんだけど……」
「お題、卒業生って書いてもらう」
「ズルすんなよ」
隣で、可笑しそうに笑うその様子が愛おしい。釣られて笑ってしまいそうだ。
「そういや、鍵くんのお題って何だったんだ?」
他に当てはまる人物がいなかったんだろ、とあたりをつける平野。金髪? 寮のルームメイトとか? そんなピンポイントなお題あるか? なんて呟きながら、鍵浦が握っていた紙を半ば強引に奪い取る。
「あっ」
戸惑う鍵浦を尻目に紙を開くと、そこに書かれていた文字に目を疑った。
お題:誰でもいい
聞いたことがある。この高難易度の借り物競争で何レースかに一枚だけある、サービスお題。これを引き当てたら適当にその辺の人を掴んでゴールすれば一位間違いなしだ。
「誰でもいい、って……。じゃあ他の奴でも」
「良くないよ」
呆れる平野の言葉を、つい遮る。
「誰でもいいって、俺が相手を決めていいってことでしょ? だったら俺は、好きな人と走りたかった」
真っ直ぐに、誠実に、そんな言葉を紡ぐ。偽りのない本心だ。そういう気持ちを飾らず正面から伝えることを幾度となく繰り返したためか、平野はこういう時の鍵浦の言葉を疑わない。
「だからって、お前……。クラスの奴らにどう説明すんだよ」
「寮のルームメイトってお題だったって言うよ。新橋にはバレちゃうかもしれないけど」
そんな言い訳まで用意して、探し回って、それでも好きな人と一緒にゴールテープを切りたいと思ったら、なりふり構わなくなって。
「一緒に来てくれてありがとう、平野さん」
「来年は見つけやすいとこにいてやるから、卒業生ってお題引いたらすぐ来いよ」
「えっ」
思わず聞き返すと、平野はそのままふいと視線を逸らし、他の参加者の後に続いて退場ゲート側へ歩き始めてしまった。
「ねぇ! 平野さん!」
慌てて追いかけながら、鍵浦の呼吸は弾む。
「やっぱり来年、好きな人ってお題入れてもらう!」
「は? ぜってーやめろ。他の奴に当たったら可哀想すぎるだろ」
その言い方だと、そのお題が自分に当たるのは構わないように聞こえる、と鍵浦は思った。来年も絶対借り物競争に出よう。こんな奇跡みたいなお題、もう引けないかもしれないけれど。
「宮野、おかえり」
「ただいま、暮沢。借り物競争どうだった?」
「A組の奴に平野先輩が借り出されてた」
「えっ!?」
「背が高い、バスケ部の奴って白浜が言ってた」
「えぇ!? まさか、平野先輩のルームメイトの!? 何で席外してたんだ俺……! 後で平野先輩に聞こう……」