1戦目★自分のものには名前を書きましょう緩やかな川のせせらぎを耳にして、今日もなんとなく平和で良かったなとのんびり感じる新は今日も今日とて連れていない模様。
釣れればラッキー、釣れなければ釣れないで別に良いのスタンスで、魚を釣ることよりも浮で描かれる水面の波紋を眺めて楽しむ事の方がメインになっている新の釣り現場にピクは出くわした。
「やあ新、調子はどうだい?」
「ピク。まあいつも通り――」
ピクの方を振り返った途端、言葉を無くした新はぱちくりと目を丸くしてじっとピクの顔を凝視する。
「どうしたんだい?僕の顔に何か付いてる?」
「………っふふ、ふふふ」
「どうして笑うんだい?!」
驚いた顔も数秒、途端に小刻みに肩を振るわせコロコロと鈴音の様に笑いだした新に次はピクの方が驚いた。
「ピク……顔、見たかい?」
「顔?見てないけど……」
口元を指で覆いながら目頭に笑い皺を浮かべる新。新がこれ程笑うなら余程おかしな事になっているのだろうとピクは自分の顔の現状に不安になり、ピクは川の水面に自分の姿を写し恐る恐る確認する。
川の水面に映る自分を見た瞬間、ピクもまた新そっくりに目を丸くして愕然とした。
自分の左側、鏡越しの為右側にでかでかと書かれた名前。
川の水を掬い顔を洗ってみても落ちる気配が無い。恐らく油性のペンで書かれたのだろう。
波紋で歪む自分の顔を忌々しく睨みつけるピクの肩は怒りでわなわなと震えていく。
「あんの野郎〜〜〜っっっ!!!」
ピクがあの野郎と呼ぶ相手など一人しかいない。右頬にデカデカと書かれた"安原"だ。
川に映った新の姿が不自然に揺れ、水面越しの新は意思を持ったかのように自由に動き出し、怒りに荒れるピクを水面越しに見ていた。
「ピク、その顔どうしたんだい?」
「知らない!きっと寝ている間にアイツにやられたんだ!」
ほら、この筆跡安原のだもん!とビシッと自分の右頬を指さすピク。
水面越しにピクに話しかけた青色がかった新――ではなくマネはピクの顔を見ながらこてんと小首を傾げる。
「それは安原のものだから?」
「は?」
マネの脈絡の見えない答えにピクは怒りを忘れきょとんと目を丸くする。
「マネ、それはどういう事だい?」
「ピクは安原のものだから、安原はピクに名前を書いたんじゃないのかな。ピクが誰にも取られないように」
ピクの言い分に嗚呼なるほどと納得する新に対して理解が追いついていない様子のピク。だが次第にマネの言いたい事が理解出来たのかみるみる林檎の様に赤く染まっていった。
「なっ、なんだそりゃぁっっ?!」
―――後日、とあるムーミン谷にて。
ひと眠りから起き、くあ、と大きな欠伸をしてうんと背伸びをする安原を見たムーミンが丸い目を更に丸くして安原に訪ねる。
「スナフキン、おでこに怪我したの?」
「え?怪我なんてしてないさ」
「でもおでこに湿布が貼ってあるよ?」
「湿布?」
不思議そうに小首を傾げるムーミンに促され、安原は自分の額に手を当ててみる。
湿布の繊維が指の腹に触れる。どうやらムーミンの言っていた事は本当の様だ。
だがしかし、安原には怪我をした記憶も湿布を貼った記憶も無い。何故額を隠す程に大きな湿布を貼られているのか……安原は近くを流れるなだらかな川に自身の姿を映し、額の湿布を一気に剥がした。
「……!!」
額に現れたそれを見た瞬間、寝起きで尾を引いていた眠気も一気に冷め湧き上がる怒りはこめかみに青筋を立てた。
「ピクてめぇ〜〜〜〜っっっ!!!」
"ヘタレ"
水面に映った自分の額に書かれた文字を左から読んで浮かんだ言葉は恐らく名前より多く呼ばれた忌々しい三文字。
両手で水を掬い豪快に洗ってみるが張り付いたかの様に消えないその文字は当然の様に油性である。
歪んだ水面に浮かぶのは鬼の形相の自身の顔とその人相を滑稽に仕立て上げる額の三文字。
「っっやられたっ………っ」
そこはテメェの名前を書けよ!!!
この場にムーミンがいなければ迷わず叫んでいたであろうその言葉を安原は喉でせき止め獣の様な唸り声と共に飲み込んだ。
今日の勝負、やられたらやり返すピクの勝ち。