もものあまま(前編)-----
「うーっ、びっしょ濡れだぜっ!」
「外はずっと土砂降りだもんね」
「ピピィ…ックピュン!」
「わっ!ゴメちゃん大丈夫?」
「先生ぇー!服さぁ、中庭で干していいー?」
灰色まじりの雲を天井にした精霊の遺跡に、突如賑やかに訪れた来訪者。アバンは髪を拭くための布を持って、バタバタと中庭へ飛び出した。
「魔界の雨は酸度が強いですから、地上の線維はすぐ傷んじゃいますよ〜!さぁ、野菜のついでにお洗濯しちゃいますから、早く脱いで脱いで!」
担いだ作物の束をドサドサと中庭に降ろし、素直にその場で脱ぎ出す竜の騎士の子と大魔道士の弟子。誇らしげに作物の上を飛び回る、ゴールデンメタルスライム。
簡素な布地に細い帯を縫い付け、エプロンとして腰に巻いていたアバンは「豊作ですねぇ」と満足げに呟き、その柔和な声色のまま、その後方に立っている元不死騎団長へと視線を向ける。
「ヒュンケル、あなたも……」
「必要ない」
すげなく答えた元不死騎団長は、祈りの間の荘厳な屋根を一瞥すると踵を返し、中庭から屋内へと消えて行く。
その後ろ姿を立ち尽くしたまま見送るアバン。大魔道士の弟子が、「ケッ」っと吐き捨てた。
「アイツ、先生に会いたくってついて来たくせに何なんスかねあの態度。自分は魔族の服を着てるから大丈夫ぅ〜って言やぁいいのに」
「照れてるんじゃなぁい?今さら素直に甘えられないのよ」
「どわぁっ!」
いつの間にか身を乗り出して輪に加わっている王女。大魔道士の弟子は大慌てで、髪を拭いた布をキュッと腰に巻いた。
「ひ、姫さん!おれ達すっ裸なんだぜ!?」
「だーって、家庭教師と教え子のヒューマンドラマなんて面白そうじゃない」
「レオナ、こういうのすぐ面白がるからなぁ」
「いやそこじゃなくてさぁ…!」
ワイワイとする彼らの後方、苦笑したアバンはあらかじめ用意しておいた大きな洗い桶を持ち上げようとし、瞬間、立ちくらみよろける。すかさず僧侶戦士の娘が背を支え、桶を持った。
「先生っ…!大丈夫ですか?」
「ハハ…ありがとうマァム、思ったより重くて」
「”呪い”の影響でしょうか…私が代わりに洗いますから」
「…では、一緒にやりましょうか…!ゴロゴロしてたら余計なまっちゃいますから」
雑談に花を咲かせていた竜の騎士の子が、ふと目を瞬かせて鼻をひくつかせた。きょとんと首を傾げるが、大魔道士の弟子に抱え込まれて頬をグリグリとされ、何事もなかったようにまた会話の輪に戻って行った。
ハドラーは、今神殿の屋根の、丁度中庭からは死角となる辺りに腰を下ろして、一行を遠巻きに眺めていた。アバンが魔界に来てから、人間の暦で半年ほど。彼らがこの精霊の遺跡を訪れて、十日目のことであった。
大魔宮が崩落し、魔王の存在も及ばなくなった地上の魔物は邪気を喪失し、主君をなくした大魔王軍は完全に統率を失った。もとより傍若無人に侵略行為を繰り広げる軍団もある一方で、大魔王六軍団の進撃は本来の実力差を鑑みるに随分と鈍く、地上の侵攻は時の勇者が現れずとも、急進危ぶむことなき情勢であった。
超竜軍団軍団長の竜騎将バランはハドラーとの密談後、大魔王への失望感やハドラーの献身の衝撃、そして何よりも我が子との再会によって大きく人間の心の面を揺り動かされていたところ、パプニカ国が不死騎団と交戦中と知った息子の『レオナを守りたい』という強い想いに動揺し、身の振りようを考えあぐねていた。
その頃合いに接触を図って来たとある者との関わりが、いま竜の騎士の子がこの場に居る理由となる。先の地上の勇者パーティーの大魔道士、マトリフとの密談である。
バランの人間への憎しみは深く、人間側の言い分などに耳を貸す余地などないはずであった。しかしマトリフはバランに深い理解を示し、『オレだって滅ぶなら滅んじまえと思うが…』と思いがけないことを、然もありなんと言い放った。かつて命懸けで地上の暗雲を払った勇者一行の一員とは思えぬ台詞であったが、その遠い眼差しの先に、バランは己と似た展望を見出した。マトリフは自らに言い聞かせるように続ける。
『確かに人間なんざオレ含めてろくな奴が居やしねえ。……だが稀に、いい奴だって居る。そういう奴らこそ長生きする世であって欲しいよなぁ……。お前さんもそうは思わんかい?竜の騎士の親父さんよ』
マトリフはディーノの存在が大魔王に知られては危険だとバランを諭した。竜の騎士が同じ時代に二人いたことなどない。大魔王は必ずそれを脅威に思い、まず幼いディーノに凶刃を向けるだろうと。
大魔王への不信感もあり、いまだ大魔王にディーノの存在を報告していなかったバランではあったが、出会ったばかりの男を信用するなど本来あり得ぬ話であった。
しかし、大魔道士の弟子と意気投合し、バランや竜騎衆には一度も見せたことのないような笑顔を見せるディーノ。その表情に亡き妻の面影を見たバランは、最終的にマトリフにディーノを預けることを決意した。
ディーノとポップ。世が違えば、勇者とその魔法使いとして大魔王に対抗し得る二人であった。その二人だけではない。黄金の光に導かれるようにして、出会うべくして出会う者達。運命の歯車は一つとも欠けては回らぬように見せかけて、その実いかなる枝分かれをしようと、衆流は大河となり巨海に辿り着く。関わる者が変わろうと、再会の舞台が変わろうと、定めに導かれるようにして巡り会う師と弟子達。大魔宮の崩落した魔界の地で、再び彼らは再会を果たした。
大魔道士の弟子ポップは、仲間捜索呪文を用いて魔界へと落ちたアバンを見つけ出すほどに成長していた。精霊の遺跡へと訪れたポップは、アバンの姿を見るなり顔をグチャグチャに崩して泣きじゃくり、師に縋って再会を喜んだ。思わぬ来訪者、思わぬ面々に珍しく目に涙を溜めるアバン。
ポップ達はデルムリン島の大穴を通って魔界へと来たという。通常この大穴は地上からの侵入を阻む封印の魔力で塞がれているが、皆既月食の間だけこれが緩み、地上側からでも魔界へと通じるようになる。
しかし皆既月食の晩は大穴の邪気が増幅し、人間が通ろうものならたちまち心身を蝕まれ命を落とす。そこで破邪呪文の得意なレオナ姫がミナカトールを習得し、これを用いて大穴の邪気を祓い、その間に一気に魔界を目指すことにした。
この時、ミナカトールの威力を増幅させるため、アバンのしるしと五人の使徒が必要であった。レオナ姫はフローラ女王からしるしを譲り受け、ヒュンケル、マァムは卒業のしるしとして受け取っていたもの。あと二つは、ポップが死神の罠からアバンによって逃された時、懐に忍ばされた二つ。一つはポップが、そしてもう一つはディーノが受け継いだ。
彼らはアバンを捜索し地上へ連れて帰ろうと魔界へ訪れたようであったが、アバンは自らがかけられた“呪い“の話をして、精霊の遺跡からあまり出ることができないと伝えた。事実アバンは一見何事もないように見せかけて、よく足元をふらつかせたり目眩に襲われるような素振りを見せることがある。アバンは詳細を伝えなかったが、師の身に何かあったことは明白で、遺跡から離れられないという言葉にも信憑性があった。魔界くんだりまでして捜索に来た彼らにしてみれば、その答えは酷く落胆を誘ったが、励ますように師は明るい声色で付け足した。
『大丈夫、解呪するあてはあります。破邪の洞窟の呪法を用いて効力を最大限高めた解呪呪文なら、きっと私の受けた呪いも解けるはずです。…実はこの精霊の遺跡の上空には、魔界からの破邪の…天空楼閣とでも言いましょうか。地上にある破邪の洞窟と同じダンジョンへの入り口、地上から見た場合の洞窟の最下層、出口があります。そこならばきっと、破邪の呪文を極めることもできるでしょう。……ただ、今はその、――畑いじりが面白くて』
アバンは遺跡の外壁の外に、畑をつくっていた。水も留まらずすぐさま蒸発する魔界の土地にため池を作って神殿の水で中和し、魔界に自生する植物を採取・栽培し、収穫にまでこぎつけている。もっとも魔界は偽の太陽照らす不毛の大地。植物とはいえ全て肉食で、自力で移動し捕食することで養分を摂取している。ゆえにアバンの魔法陣で囲った農園の中では、作物が根を足代わりに家畜のように走り回り、他の作物を捕食している。地上の畑のイメージとは全く異なる光景が広がっていた。
ポップ達が担いできた収穫物は、その畑のものであった。それを調理し食事の体裁を取り繕って、師と弟子達で食卓を囲む。この十日間その生活を繰り返しているのは、彼らが訪れてから向こうずっと降り続ける雨のせいだった。
魔界では一度雨が降り始めると、半月近く降り止むことがない。この雨は魔界を覆う雷雲を平常よりも不安定にする。一度地上と魔界を行き来したことのある者であれば瞬間移動呪文で両世界を行き来することができるが、雷雲の不安定な時期の瞬間移動呪文での両世界間移動は特に危険が伴う。強靭な肉体を持つ魔族や耐性のある者ならば多少のダメージで済むだろうが、非戦闘員の人間の女などにはどれほどのダメージになるか分からない。
もとより急いで帰らねばならぬ理由もない。それならば暫し師のもと、魔界の探索をするのも良い。それで彼らはのんびりと魔界で過ごしているのであった。
「…うーん…」
「ピピィ?」
「……ちょっとポップ……」
「ってもなぁ…」
「あらぁ…?今回もイマイチでしたか?」
「食えなくはねーけど、魔界の作物がやっぱ独特って言うか…先生の料理は相変わらずどれも手が混んでてうまそうなのに、味が……」
ポップ達の服も乾いた頃合い、今日得た食材を調理して食卓を囲む師弟。食材は農園を走り回るマンドレイクやマンイーターの亜種のスープに、人面樹から取れた木の実で作った、岩石のようなパンであった。
「ふーむ…十分にアク抜きはしているのですが……苦味や辛味、酸味がありますか?」
「いや、むしろ味は薄いのにエグいほど甘ったるい風味で胸焼けしそう…」
「確かに、味のない紙を甘い汁に浸したみたいな味だわ」
「おれは平気だけどなぁ」
「……甘い?ふーむ意外でした…地上にある似た系統の山菜を茹でた時と同じような匂いがしたから、同じ系統の味かと思って…」
「……味を見ていないのか?」
「えっ!あっ、いや、魔界の食材だと味の決め時がわからなくってですね…!」
「ふーん…?でも先生、自分の分はいっつも汁しか注がねえし…おれ達が食ってるところニコニコして見ているだけだよな」
「それは…いつも私はお留守番でつまみ食いばっかりしてるから……」
「あら、先生がつまみ食いしているところなんて見たことがないわ」
「な、何を言ってるんですか〜!私は食べ盛りを騎士団で過ごしましたからねぇ、ベリーハードな鍛錬の日々を乗り切るために、しょっちゅう厨房に忍び込んではこっそり秘密のお夜食をいただいたものです…誰にも気づかれずつまみ食いするのは大得意なんですよ、あっ、とは言え廃棄寸前の魚の骨をお煎餅にするとか、皆の糧に影響が出ない程度ですけどね?いや~~今日も岩石パンが美味しいな〜〜!」
そう陽気にまくし立ててアバンは、バスケットに積んである地上の土のような風味のごつごつとしたパンを両手に持って齧り付いた。そしてあっという間にパンを平らげると、不評なスープを一気に飲み干す。
いまいち納得のいっていない弟子たちの前で、「明日の料理は期待していてください」と、アバンはニッカリとしてみせた。
◇
「…う、…げエ…ッお…ぇ…!」
食事の時間を終えて一通り片付けも終わり、弟子達は寝床とした部屋へ行き、賑やかな中庭には静寂が戻った。
薄闇の中、噴水を囲む花壇の隙間に穴を掘って、そこに顔を埋めるようにして嘔吐を繰り返している人影。
柔和に香る花が季節外れの雨に打たれて、無理矢理に匂いを引きずり出されたような、官能的な甘やかさ。そんな香気滲ませるアバンの背後へ、ハドラーは音もなく降り立った。
「はぁ…はァ……」
「飯が食えんと正直に言えばよかろう。味もわからんくせに」
「……、…勘の、いい子も居ます、からね……余計な心配はかけたくない…」
「心配?気取るなよ、“余計な詮索はされたくない“の間違いだろう」
「…あの子達は未熟だ…私はまだ、”師”として在る必要が…」
「"師"とは、桶すら持てぬ軟弱者にも務まるのか?」
「……も〜、意地悪しないでくださいよぉ…」
彼らが寝静まるまで、魔力で平静を取り繕っていたのだろう。“桃“の媚薬に肉体の機能を作り変えられて以来、通常の食事が不要となったばかりか、今や内臓も本来の機能を果たさない。摂食しても消化することができぬ体内に“異物“を留めることは、いかほどに苦痛を伴ったことであろうか。
ポップ達が訪れてからというもの、常に全身に魔法力を張り巡らせて、僅かにも桃の影響が漏れ出ぬようにと気を張っていたアバン。ハドラーは彼の弟子達と積極的に関わることなく常に距離を取っていたが、その様子は遠巻きにして眺めてはいた。
アバンは常に弟子達のそばに居て、祈りの間ではなく隣接する広い部屋で弟子達とともに寝起きしている。一人になるのを避けている理由など、ハドラーはとうに分かっていた。
「お前がオレを避けるようになって、ちょうど十日だ」
「…避けているわけでは…」
「結局そうして匂いを撒き散らしているのなら、本末転倒だろうが」
「……」
「忘れてはいまいな、”必要ならば力づく”だ。或いはいつ止むとも知れん雨に師の矜持を賭けるか?オレはどちらでもいい」
「しかし…」
「なんならつまらん意地を張らんでいいよう、弟子どもの前で組み伏せてやろうか。あのわきまえん生意気な小僧にも、いい薬になる事だろうて」
「……それは勘弁願いたいですね…」
「なら選択肢は一つだな」
「……誘い下手め」
「何とでも言え」
棘のある物言いに反して、背中に触れた大きな手のひらは優しく暖かい。
アバンは不服そうに口元を歪めていたが、その手を拒むことはなかった。
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