雪が溶ける 寂れたビルの屋上。コンクリートの上で腹這いになり、スコープを覗く。空は厚い雲に覆われ、月明かりは期待できそうにない。息を潜めて、その瞬間を待った。
◇
ギルドからの依頼は、とある人物の捕縛だった。多少の怪我は構わないがターゲットとその取り巻きを含めて殺さないこと、それが依頼の条件だ。裏社会とのパイプの太いその男が出入りしているという建物に張り込んでから、もうすぐで丸一日経とうとしている。
視界の端に白いものがチラついた。雪か、道理で冷えるはずだ。降り積もる雪が音を吸う。寒さも空腹も今は感覚を研ぎ澄ます一助だ。静かに息をすれば、自分の存在さえ薄まっていくようだった。
ーー呼吸を止め、指に力を入れた。
「っ! 誰だ?!」
足を撃たれ倒れ込むターゲットの周りに、取り巻きが集まる。大した連中ではなさそうだが、数が多い。
潜伏していたビルの屋上から音もなく飛び降りると、未だ右往左往している連中に向けて手の中のものを放る。煙幕だ。肺に煙が入り咽せ返る男たちを一瞥して、中央へ向かう。
「ハンターだ」
その一言でターゲットの男は全てを悟り、力無くその場に座り込んだ。
◇
ギルドへのターゲット引き渡しを終える頃には雪はやみ、厚い雲の隙間から月明かりが差し込んでいた。
「……満月か」
特に何かを思うわけではない。しかし、闇夜になれた体に今宵の月は明るすぎる。少しずつ体の感覚を取り戻すと、指先が痛み、体の底から冷えていた。寒さも、飢えも、良くない。さっさと帰ろう。そう思う他なかった。
◇
部屋に入って荷を下ろす。そこで違和感に気づいた。
ーーいない。
いつもはソファにあるはずの膨らみがない。少し前に拾ったエルクという子どもだ。昼間は世話焼きな大家のところへ行っているようだが、夜になるとここへ戻ってくる。大家が鍵を開けるのだから防ぎようもない。一体どこへ。
そう思って部屋を見渡すと、すぐに答えが見つかった。ベッドの不自然な膨らみ。近づいて覗き込めば、器用に丸まって眠る姿があった。
「……どうしてここに?」
子どもの考えることは分からない。仕方ないが、今夜はソファで休もう。冷えと空腹を酒で紛らわせていると、モゾモゾと動く影があった。
「起きたのか」
「……」
口数の少ない子どもだ。こちらから話しかけても返事は返ってこないことが多い。それだけ警戒されているのだろう。特に気に留めることもなく、グラスを空けるとソファに横になる。
「おい」
「どうした? お前がそこで寝るのだろう」
まさか添い寝が必要な年頃ではなかろう。呼びかけられた声に視線をやれば、エルクがベッドの端へと体を寄せていた。
「……今日は雪だったから」
だから、なんだと言うのか。真意を掴みかねていると、エルクが言葉を続けた。
「こっちで寝れば寒くねぇだろ」
「……そうだな」
確かに、ソファは冷えるのかもしれない。一人より二人で寝た方が暖かいのも理解できる。そう思い、エルクの隣に腰を下ろす。エルクは納得したかのようにゴロリと体を横に向けた。
「あったけぇだろ?」
「ああ」
「あんたの体、冷えてそうだったから」
「……そうか」
それだけ言うと、限界だったのかエルクはすぐに寝息を立て始めた。薄い毛布に手を添える。指先からじんわりと熱が伝わるようだった。
隣でムニャムニャと口を動かすエルクを見て、小さく笑みが溢れるのを自覚した。