約束(仮タイトル)ひとつ約束をした。赤い髪の、ともすれば少女と見紛うほどに愛らしい少年と、葡萄畑の側の一際高い木の下で。暗闇の中、近くのお屋敷から漏れる灯りを頼りに、手を繋いで駆けた。僕と君が会った、最後の日。
『大きくなったら、僕と一緒に――』
――――――――――
仕事終わりの一杯は格別である。かつて義兄弟には理解できないと言われたが、ガイアにとってはごく当たり前の真実であり、多くのモンド人にとってもまた真実なのだろう。それを裏付けるかのようにこの店――エンジェルズシェアは今日も賑わいをみせている。酒の肴は人それぞれだろうが、ガイアにとってのそれは、今日もまたカウンターの奥で酒を作っているディルックだ。とはいえずっと見つめていられるわけもなく、こうして視界のすみに納めるしかないのだが。
「ガイアさん、飲んでます〜?」
「どうした?今日も偉く酔っぱらっているじゃあないか」
「う~ん?え~っとぉ、今日あったことがぁ…」
「こいつ、今日は仕事で失敗したらしいですよ」
「なんだ、俺はてっきり今日も嫁さんに冷たくあしらわれたのかと思ったぜ」
「それは一昨日の理由でしたね」
「昨日はなんだっけな?」
「昨日は確か…」
―――ギィ…パタン
「初めてのお客様ですね。エンジェルズシェアへようこそ」
ディルックの柔らかい声に注意を引かれて入り口を見ると、そこには常連の◯◯に肩を組まれた男が、所在無さげに立っていた。
「あ、あの…」
「ご注文はいかがいたしますか?」
「えっ?えっと…」
「ディルックさん、この人、モンド来たばっからしいんで、蒲公英酒をお願いします。俺が奢るんで!」
「なるほど。では、ようこそモンドへ。…かなり強いお酒ですので、飲めないと感じた場合は、あちらの青い髪の男に飲ませてください」
「おいおい、そりゃないぜディルックの旦那!
「なんだガイアさん、いらねえのか?あんちゃん安心しな、俺が飲んでやるぜ!」
「いやいやそれには及ばないさ。酒が飲めるのは歓迎だぜ」
「やっぱいいんじゃねえか!」
どっと笑う常連たちに気が抜けたのか、肩から力の抜けた男は周囲をきょろきょろと見渡すと、ガイアを見てパッと顔を明るくして駆け寄ってきた。
「ガイアさん!ここに居たんですね!」
「俺のことを知ってるのか?…ん、以前稲妻で一緒に飲んだギナンさんか?」
「そうです!モンドに来る機会があったらまた飲もうと言ってくださったじゃないですか」
「それで訪ねてきてくれたのか。こっちに来て座ってくれ、また一緒に飲めて嬉しいぜ」
「なんだガイアさんモテモテじゃねえか」
「俺らもガイアさん大好きだからな!」
「おいおい俺とギナンさんの邪魔をしてくれるなよ」
「や、あの…邪魔ってわけでは…」
「いいんだよ、コイツらは何時もここにいるからな」
「ちぇ、ガイアさん俺らの扱い酷いぜ」
「まあいいけどよ、あっちのテーブル行ってるからな~」
ガヤガヤと常連たちを見送り、改めて男――ギナンと向き合ったガイアは、改めて口火を切った。
「さて、さっきのディルックの旦那じゃあないが、改めて。モンドへようこそ」
「ふふ、ありがとうガイアさん」
杯を手にはにかむギナンという男は、ガイアが以前稲妻に行った際に出会い、共に飲んだ人物だった。仕事であちこち行くのにモンド城には行ったことがないというので、近くに来た際は一緒に飲もうと約束をしたのだ。
「それにしても久し振りだな、ギナンさん。今回も仕事か?」
「はい、たまたま近くで仕事の予定が入ったので、先にガイアさんを訪ねておこうかと思いまして」
「それは光栄だな。それで、初めてのモンド城はどうだ?」
「そうですね、活気があって、すごく自由ですね。それに、皆さん親切だ」
「そこがモンドのいいところだからな。モンドは風と自由の国だ。多くの人がそれを誇りに思っている」
「なるほど、とても魅力的なところですね」
「まあ、自由すぎてちょっとばかり鬱陶しいこともあるが」
「あはは。もしかして、先程の彼らのことですか?」
「お、ギナンさんも言うじゃないか」
「もう、僕のせいにしないでください、ガイアさんが言ったんですよ!」
「おっと手厳しい」
穏やかに笑いあっていながら、男の目線がチラチラとカウンターに立つディルックに向けられていることに、ガイアは気がついていた。
「ところで、あのバーテンが気になるのか?」
「えっ!」
「チラチラと見ていただろう?」
「…そんなに分かりやすかったですか?」
「まあ…俺は人の視線に少しばかり敏感な方ではあるが。それにあのバーテンは格好がいいから人目を引くし、な?」
「ちょっと恥ずかしいな…」
ギナンは照れたように笑うと、懐かしむような、それでいて焦がれるような目で、ディルックの方を見た。
「あの、あの赤い髪の方は…」
「ああ、彼はディルックという名前でな。この店のオーナーでもあるのさ」
「ディルックさん…」
「知り合いだったのか?それにしては…と、失礼」
「いえ、お気になさらず。幼い頃に出会った子に、とても似ている気がして」
「ほう?」
「実は幼い頃に、一時的にモンドにいたことがって。あ、モンド城には来なかったので、今回が初めてなのは本当ですよ?」
「ははは、幼い頃ならどのみちノーカンだぜ。モンド城の魅力は大人になってからしかわからないものだからな」
「ふふ。お酒が飲めなきゃ、ということですね」
「よく分かっているじゃあないか」
「皆さんを見ていたら分かりますよ。とても楽しそうですし。…と、話がそれましたね。えっと、どこまで話しましたっけ」
「ディルックの旦那が、幼い頃に出会った子に似ているって話だな」
「あ、そうでした。そのときの子も、確か綺麗な赤い髪をしていたなって。もっとも、幼い頃のことですから、記憶は大分曖昧なんですけどね」
(ディルックのような赤い髪はそうは居ない。話が本当なら、ディルックの可能性は高い。高い、が…)
幼い頃というが、ガイアの記憶には無い。もしガイアが引き取られる以前の話なら、相当小さな頃だということである。そんな小さい頃にディルックに会ったことがあるかもしれないだなんて、ガイアにしてみれば、正直妬ましさすら感じてしまうところだ。とはいえ、ディルックの側も思い出せば懐かしく思うかもしれない。…ガイアにとっては、自分の気持ちはさておき、ディルックが喜ぶなら意味があるのだから。
「なるほど…それ、本当にディルックの旦那だったかもしれないぜ」
「え?」
「ディルックの旦那みたいな綺麗な赤髪はそうは居ないからな。直接聞いてみたらどうだ?さっきは反応しているように見えなかったが、聞いてみたら案外思い出してくれるかもしれないぜ?」
「そう、でしょうか…」
「まあ、期待しすぎるのは良くないが。仮に本人だったとしても、ギナンさんの言うように幼い頃なら覚えていない可能性もあるしな」
「…そうですね、駄目で元々、ですし…」
俯いたギナンは、意を決したように席から立ち上がると、カウンターへ向かった。
「あの!」
「ご注文ですか?
「い、いえ、注文ではなくて」
「?如何されましたか?」
「あの、貴方が。幼い頃に、葡萄畑で会ったことのある子に、似ていて」
「葡萄畑?」
「はい、うんと小さな頃だったので、覚えていないかもしれませんし、僕自身の記憶もずいぶんと曖昧なので、自信はないのですが…」
「そうですか…。容姿は覚えていますか?」
「赤い髪をしていたことは覚えています。貴方みたいな、とても美しい赤色でした」
「葡萄畑に、赤い髪の子供。それは私かもしれませんね」
ディルックはギナンに、少し微笑んで見せた。
「じゃあ!」
「ただ…申し訳ありませんが、私は貴方のことを覚えていないようです」
「あ…そう、ですよね…すみません…」
「申し訳ありません。ですが、再会の記念ということで、今日の貴方のお代はこちらで持ちましょう」
途端に、店中にわっと歓声が上がった。いつの間にか、客全員が聞き耳を立てていたのだ。静まり返った店内に、ディルックの声は良く通った。
「ひゅう、随分と太っ腹じゃあないか、ディルックの旦那」
「そ、そんなことをして貰うわけには…!」
「まあまあ、いいからこっちへ戻ってこいよ。今日はたらふく飲もうぜ」
「ガイアさん、あまりガイアさんのペースに付き合わせてはいけないよ」
「おいおいディルックの旦那、それは酷い言いぐさじゃあないか」
「僕は事実しか述べていない。貴方もあまり無理はしないように」
「俺の印象が悪くなるじゃないか。それに彼は意外と飲める口だから大丈夫さ、な?」
「え!?えっとガイアさんとは以前も飲んだことがあるので、きっと大丈夫です!」
「…貴方がそう言うのであれば、私からは止めはしませんが」
「ほら、早くこっちへ戻ってこいよ。もう一度乾杯しよう」
「ガイアさーん、今度こそ俺らも混ぜてくれますよね?」
「あんた色んな国行ったことあるんだって?話聞かせてくれよ」
ディルックは常連たちに取り囲まれたギナンを見てため息をついたあと、こちらを見ていたガイアに視線を送った。
(モンドに悪影響を与える存在かを見極めろ、もしくは情報の断片を持っていないか探れってところか。全く人使いが荒いぜ)
ガイアはディルックに目線で頷いてみせ、ギナンを取り囲む常連の中に加わっていった。