世界の色をぜんぶあげたい1
突然のことに百瀬は目を瞠り、瞬かせた。
「おかりん、本気」
「自分はいつでも本気ですよ、百くん」
にっこりと微笑まれ、百瀬は小さく息を吐き、肩をすくめた。
(んもう、本当に騙された!)
つん、と唇を尖らせ、岡崎をじろりと見れば、岡崎も肩をすくめ、苦笑いしている。
さくらんぼのようなつやのある唇。ふっくらとした頬は薄紅色。肌は透き通るような透明感でかさつきやシミなど肌のトラブル知らず。
ほっそりとした華奢な体つき。ウエストはきゅっとくびれがあって、お尻は少しだけ大きめ。目立たないようにされている胸は、実はFカップという女性なら憧れるスタイルを持つ百瀬は、メンバー5人で構成されている女性アイドルユニット、キューティフルーティのメンバーの1人だった。
百くん、とマネージャーからは呼ばれているけれど、アイドル名は春ちゃん。本名が春原百瀬なので、デビュー前から百瀬のことを知っているスタッフは百くん、または百ちゃん、と親しみを込めて呼んでくれている。
岡崎はまだ高校生だった百瀬をスカウトし、百瀬のためにマネージャーにまでなってくれて、もうかれこれ付き合いは10年くらいになるかもしれない。
デビュー当時は学校にバレたくなくて、アイドルとしての名前をつけてもらい、アイドルのイメージも百瀬本来の性格や外見とはかけ離れたものを作ってもらった。
元々地毛は真っ黒。変装のために短髪にしてもらっていて、うっかりすると男の子の間違えられることもある。推し活のために白のメッシュを毛先に入れ込んでいるのだけれど。アイドルのときはミルクティー色のロング、パーマをかけたようなウェーブのウィッグを使っている。
本当ならマゼンダピンクの宝石のような煌めく瞳を持つ百瀬なのだけれど、春ちゃんと身バレしたくなくて、アイドルのときはカラーコンタクトを使って、紫色になるようにしていた。
かれこれ10年以上続けているから、変装は得意だ。
胸が大きくてもさらしを使って圧迫して、男装して出かけることも多く、特にRe:valeのライブに行くときにはアイドルが会場にいたら大変なことになってしまうとわかっているから一般人を装って出かけている。
(突然、Re:valeのライブに行くようなプライベートの格好で来てほしいって呼び出されるからどうしたんだろうって思ったら……)
Re:valeのオーディションに参加することになったので、と岡崎に告げられたのだ。
百瀬の大好きなRe:valeが新メンバーを募集していることは知っていた。
(バンさんが辞めちゃうなんて……寂しいな……)
Re:valeはリーダーの万と作詞作曲を担当している千の、イケメンアイドルデュオ。百瀬はRe:valeがまだインディーズの頃から追いかけていて、ライブの手伝いや百瀬にとって不本意なーー血のイブのせいでーー2人から顔も名前も覚えられていた。
か弱い女性アイドルをしているのに、百瀬はデビュー当初から変なファンに絡まれたときに困るから、と社長や岡崎を説得してキックボクシングに通っていて。その辺にいる男性よりも拳や蹴りは重いし的確にダメージを与えるくらいにまでなっていたからこそ、2人を変な因縁をつけてきたバンドの男から守ることは出来たのだけれど。
(推しに喧嘩が強い男の子、と認知されたい人なんて絶対にいないのに……!)
しかも本当は男の子ではなく、女の子なのだけれど。それはもう百瀬として諦めていた。
(ただただ、格好良いバンさんとユキさんを応援して、見守ってるだけでいいんだもん……)
Re:vale、すごく良いから、絶対に売れるからデビューさせてほしい、と根気強く事務所にプレゼンをしたのも、2人にバレてしまったら微妙な顔をされてしまいそうで秘密だけれど、百瀬だった。
そんな経緯を全部、岡崎は知っているから、こうして百瀬をオーディションに呼び出したのだとわかる。しかも、そうだとわかっていたら絶対に百瀬は男装などしなかっただろうこともわかられているからこそ。
(さすが、おかりんだよなぁ……)
でも、思い返してみれば、Re:valeのマネージャーも岡崎が兼任しているのだ。こういう手を取られるのは想定外だったけれど、岡崎は百瀬にチャンスをくれたのかもしれなかった。
はぁ、とため息を吐く。エントリーは既にされている。続々とオーディション会場にエントリーをした男性たちが入っていく。
「こういう体験も、百くんの力に絶対になると自分は思っていますので」
にっこりと笑って、岡崎に言われてしまったら、オーディションを受けない訳にはいかない。
百瀬は岡崎に背中を向け、ひらひらと手を振って会場内に足を踏み入れた。
目の前に万理と千がいる。どきどきと緊張に震える心臓。掌はじっとりと汗をかいていて、百瀬は小さく息を吐く。
音楽に真剣すぎるほどの2人のオーディションはすぐにでもデビューできる実力を試すものだった。
Re:valeの曲と他のアイドルの曲の2曲の課題曲を歌い、踊るというもの。練習の時間を90分与えられ、レッスン。その後ランダムに呼ばれ、全員の前で披露するそれに、全員の気迫も、意気込みも半端ない殺気に似たような圧があって、どんなに本番に強い百瀬でも緊張してしまう。
20人ほどいるアイドル候補生たちがランダムに呼ばれ、万理や千と話をし、歌を披露する。
(ちょうど10人くらい、終わったっぽい?)
2人が首を傾げたり、そうとはわからない仕草でため息を吐いたりしているのが、ファンで、日頃から2人のライブの手伝いをしている百瀬にはわかってしまった。
半分終わった時点で、万理も千も合格点は出せそうにない、とどうやら悩んでいるらしい。
ちらりと万理が千を見つめる視線を追いかけて、百瀬は唇をそっと噛んだ。
万理と千がここまで一緒にやってこれたのは、万理が年上で、それなりに千の扱い方を知っているからだということを付き合いが長い百瀬は知っていた。
穏やかで千の扱い方を知っている万理でさえ、時折千と喧嘩しているという話を聞いたことがある。
(女の人をとっかえひっかえ、音楽以外はまるっきり。興味がないことには反応もしなくなるっていうユキさんとうまくやっていけるメンバーは確かにこの時点まではいなかったかも……)
でも、ここから先、わからない。
性格的に、そして、音楽のセンスに恵まれたアイドル候補がいるかもしれない。
百瀬がぐるりと会場内を見渡して。でも、何となくここにいる誰もが、アイドルらしい煌めきや爽やかさに欠けているような気がして百瀬は首を傾げた。
(楽しそうにキラキラして、みんなを虜にして、元気づけたり、勇気づけたり、夢を見せてあげるのが、アイドルなのに……)
高校生でスカウトされた百瀬はアイドルになることに必死だった。慣れないことに疲れてしまって、人間関係も、芸能界の闇も何もかもが嫌になったときに、Re:valeに出会った。
姉の瑠璃がRe:valeのファンで、百も絶対好きになると思うし、元気になれるから、というごり押しに負けてライブに行ったのだけれど。
キラキラしていて、曲があまりにも素敵で。心の中に隠して、見ないようにしていたものが揺さぶられ、気づいたら涙を零していた。
(嵐みたいだった。全部をかき乱す、嵐……それなのに、すごくキラキラして、いいよ、大丈夫だよって言われた気がして。オレは、バンさんとユキさんがいたから、アイドルを続けようって思った。同じように、心を震わせて、ときめかせて、元気づけて大丈夫だよって歌って踊って、苦しいことがあっても立てるよって手を差し伸べられるような、そんなアイドルになりたいって……願った)
Re:valeのライブに行く前は、もうアイドルなんて辞める、なんて岡崎にも言っていたくせに。やっぱりやりたい、こういうアイドルになりたい、と伝えれば、岡崎は良かったです、と目を潤ませてくれたし、周りの人たちは全力で百瀬を応援してくれて。
そうして、今、キューティフルーティのメンバーとして楽しくアイドルをしているし、ファンも増えて、春ちゃんとしても活動の場が増えている。
(そうだ、そうだ……そうだった。オレ、アイドルが好きなんだよね。アイドルでいることも、アイドルを追いかけることも、大好き)
目の前の人たちは必死で、緊張と殺気立つような、受かりたいという気持ちだけでこの場に立っていることに気づく。だからこそ、きらめきも心のときめきも、爽やかさも感じられないのだ。
そして、それはファンにも、目の前のお客さまにも伝わってしまう。
(大切にしたい気持ちを、大切にしたい人を心の中に思い浮かべて、受かるかどうかは別として、楽しく歌おう。だって、大好きだもん、Re:valeのこと。バンさんも、ユキさんも。2人のためになれるなら、何だって頑張りたいな)
百瀬がそんなふうに決心してから数分後、百瀬のエントリーナンバーが呼ばれて、百瀬は立ち上がった。
ただ、大好きを伝えるためだけに。
2
気づけば、部屋には岡崎と百瀬、そして、千と万理しかいなかった。
「百くんは、どこからどう見ても圧倒的だった」
「そうね、モモくんがこんな歌って踊れるなんて、知らなかった」
千と万理に告げられて、百瀬は瞳を瞬かせた。
ちらりと岡崎と視線を合わせ、百瀬は苦笑する。
「Re:vale大好きだから……よくカラオケで歌って、踊ってて…」
グループメンバーの三月や悠を連れーータイミングが合えば天や陸もーーカラオケに行くとき、決まって百瀬が歌うのがRe:valeの曲だった。
「そうなんだ。そういう姿、僕も見たいな。モモくんと一緒に新しいRe:valeを作りたいって思ってるけど、モモくんにもそう思ってもらえると嬉しい」
「詳しい話は自分からさせていただきます。百くん、事務所まで一緒に来てもらってもいいですか?」
「はい、もちろんです」
「岡崎さん、俺たちはちょっと打ち合わせして帰ります」
「万、ちょっと良い音が降ってきたかも……」
「はいはい、車まで我慢してくれ」