僕を変えてくれた存在 カーテンの隙間から朝陽が射し込み、ゆっくりと目を開ける。
むくりと身体を起こすと、昨夜共にベッドで眠ったはずのルカの姿が見当たらず、アンドルーは珍しく早く起きたのかと思いながらベッドから降りて着替えた。
顔を洗い、着慣れた黒いインバネスコートに袖を通し、ボタンを留めて手袋をはめ、砂時計を腰に掛ける。
イチハツのブローチを最後につけてルカは部屋に戻ったのだろうかと思いながら部屋を出て、ルカの部屋へと向かった。
「ルカ、居るか?」
ノックをするがいつも通り返事はなく、アンドルーはまた過集中かと思いながら扉を開けようとした。
しかし扉は開かず、鍵が掛けられているようで珍しくもう食堂へ向かったのだろうかと思っていると、エマが「アンドルーさん、おはようなの!」と声をかける。
「ああ……ウッズ、おはよう。なぁ、ルカを見かけなかったか? 部屋に居ないみたいで」
「……? ルカ、さん? えっと……誰なの?」
「……え?」
アンドルーはエマの返事に固まり、部屋の扉を指さしながら「こ、この部屋にいる……」と震え声で話す。
「そのお部屋は空き部屋のはずなの……」
「え……な、なんで……だって……昨日まで、居たはずなのに……どうして……」
困惑するアンドルーにエマは困ったように眉を下げ、心配そうにアンドルーを見つめる。
これではまるで、ルカのことを知っているアンドルーがおかしい様ではないか。
「えっと、エミリーに診てもらう……? アンドルーさん、試合にたくさん出てくれるから……思っているより、ストレスが溜まってるのかも……」
「っ……いや……いい……悪い、試合に行く……」
「あっ、アンドルーさん……!」
アンドルーはその場から逃げるように足早に立ち去り、部屋に戻ってスコップを手に取って待機室へと向かった。
ルカと過ごした記憶があることを何かの病気だと言われてしまうことが、辛かったのだ。
朝食も口にせずそのまま待機室に来ると、当然まだ誰も来ていない。
(どうして……どうして、ルカが居ないんだ……僕じゃなくて、皆がバグでルカのことを忘れて……? いや、それならルカが居ないのもおかしい……けど……それなら……おかしいのは……)
喉まで出かけた言葉を飲み込み、ふるふると頭を振って胸に掛けられた十字架を握りしめる。
(違う……ルカと過ごした記憶も……ルカの存在も……確かにあるはずなんだ……!)
そう信じてアンドルーはただただ早く試合が始まるのを待ち続けたのだった。
◇ ・ ◆ ・ ◇
試合が始まり、試合展開は実に酷いものだった。
相手のハンターが隠者であることから全体的に解読は遅く、しかもアンドルーが救助の際に注意力散漫していたせいで恐怖の一撃をくらってしまい、救助は失敗。
ウィラがアンドルーの救助に来てくれてどうにかアンドルーは逃げ延びたが、ウィラも捕まりノートンも元々ダメージが溜まっていたのもあり、直ぐに捕まってしまう。
生き残ったのはアンドルーのみとなったが、心音がうるさくて息も乱れたままだ。
どうにかカラスが頭上を飛び回る前にハッチを見つけないと、と思っていると、目の前にアルヴァが突如降り立った。
「ぁ……」
「ふむ……ここにいたか」
アルヴァは鋭い眼光を向け、アンドルーはふとアルヴァとルカの関係を思い出す。
ルカは時折過去のことをフラッシュバックのように思い出し、その時に昔はアルヴァの弟子としてアルヴァと共に発明をしていたと、ルカから聞いたことがある。
ならば、アルヴァはルカのことを知っているのではないのだろうか。
「ふむ……投降をする気はない、か。ならば、このままダウンを取らせてもらおう」
「まっ……待って、くれ……!」
アンドルーが声を上げると、杖を振り上げたアルヴァの腕が止まり、アンドルーは必死にルカのことを問い掛けた。
「そ、のっ……ルカを、知らないか……む、昔……お前と、発明をしていて……弟子だった、やつ……」
弟子、という言葉を聞いた途端、アルヴァはアンドルーに対して不信感を抱くような目付きに変わり、静かに返す。
「……何故、君が……私の弟子のことを?」
「ル……ルカは……この荘園に、昨日まで居たはず、なんだ……でも……今日起きたら、ルカは……荘園にすら、居なくて……皆も、ルカなんて知らないって……」
「……知らない、か。それもそうだ。……彼は、あの電力事故で亡くなったのだから」
亡くなった、その言葉を聞いたアンドルーは思考停止してしまった。
確かに昨日まで当たり前のように自分の隣で笑っていて、食事を共にし、そして夜を共に過ごしたはずだったのに。
ルカの声も笑顔も、鮮明に記憶に残っているというのに。
それなのに、亡くなっているだなんて。
「……それで、話はそれだけか?」
「……そん、な……ルカが……死んでる、なんて……」
「……どこで彼のことを知ったのか知らないが……無意味な時間稼ぎにしては不愉快な冗談を思いついたものだな」
冗談、と聞いてアンドルーはまるでルカと過ごしたあの幸せな時間は全てアンドルーが捏造した嘘、とでも言われているような気さえした。
ルカがアンドルーのことを化け物扱いせず、同じ人として対等に接してくれて、恋人として甘く幸せな思い出をいくつも作ってきたというのに、真っ向からそれらを否定されたアンドルーは静かに涙を流した。
「っ……そ……ん、な……ルカ……っ、ぅ……ルカと……過ごした、あの時間は……いったい……っ……」
あまりにも悲痛な声で涙を流しながら愛しい人物を呼ぶアンドルーの姿は、無意味な時間稼ぎをする為の嘘泣きにも見えず、アルヴァは静かにアンドルーを見つめては口を開く。
「……そのルカという人物の特徴は?」
「え……?」
「君が話す人物の特徴と、私が知っている弟子の特徴が一致していれば……君の話を信じよう。……話してみるといい」
その一言で一筋の希望の光が射し込んだ……そう感じたアンドルーは慌ててルカの特徴を思いつく限りアルヴァに話した。
「ル、ルカは、歯がちょっと尖ってて、焦げ茶の髪で、緑に灰色が混ざった感じの、目の色で……左目は……刑務所にいた頃からなのか、事故の時なのか分からないけど、それぐらいの頃から腫れてて治らないって、言ってた……そ、それから……過集中癖があるせいで、寝たり食べたりするの、よく忘れてて……シャワーを浴びるのも忘れてて……服の洗濯だって、殆ど自分ですることなくて、溜めがちで……というか、そんなことに時間を使うぐらいなら発明に時間を使いたいって言ってて……」
「……ふむ……目の腫れ以外の容姿とその生活力の無さは……確かにルーカスだな……」
殆ど短所しか話していないことにアンドルーは気付き、慌ててアンドルーはルカの長所を口にする。
「えっ、えっと、でもルカはすごく頭が良いんだ……! 小難しい機械の修理なんかも出来るし、作ったりも出来て……! そ、それからっ、ピアノを弾くのが上手いんだ! それに、頭の悪い僕のことを馬鹿にしたりなんかしなくて、沢山のこと教えてくれて、優しくて……っ……それに……よく、笑ってて……」
アルヴァはふと、だらしなく髪をボサボサにさせたままシャワーも浴びず着替えもせず、ひたすら机に齧り付くように発明品を作ろうとしている姿や、完成した発明品を笑顔で見せる姿を思い浮かべた。
『んー……ここの回路をこっちの回路と変えて……いや待てよ……そうか、ここじゃなくてあっちの回路を……! ん? 先生、なんですか? え、シャワーと着替え? そんなことをしている暇なんてありませんよ、時間は有限なんですから!』
『ピアノは母から教わったんです。ピアニストになることも一時期は考えてみたんですが、やっぱり発明の方が私の本業に相応しいなと。ですが、ピアノを弾くと心が軽くなるような気がして、気分転換にもなるし好きなんです』
『先生、見て下さい! 完成しましたよ、新作の発明品! えっ、目の下のクマが酷い? ああ、かれこれ三日か四日は寝てませんからね! ほら、そんなことより発明品を見て下さいって!』
アルヴァは顎に手をあてて考え込み、沈黙した後やがて投降をして試合を終わらせた。
「……Ms.ナイチンゲールに問い合わせよう。何かしらのバグが起きているのかもしれない。彼女に調べてもらうのが一番の解決策だろう」
「……! わ、分かった……!」
試合マップから出た二人は、すぐにナイチンゲールがいる幻想ホールへと向かうのだった。
◇ ・ ◆ ・ ◇
アルヴァとアンドルーからの報告を受けたナイチンゲールはすぐに調査を始め、確かにアンドルーにはバグが見つかったと報告を受けた。
どうやらアンドルーの意識が、パラレルワールドの内の一つのアンドルーの身体に入ってしまう、という内容のバグだったようだ。
ナイチンゲールはすぐに修正作業に取り掛かると言ってくれて、アンドルーはホッと胸を撫で下ろす。
「……すまなかった」
「え?」
「……君の話を真実かどうか確認する前から、嘘だと決めつけて傷つけてしまった」
まさか謝られると思っていなかった為、アンドルーはどう返したらいいのか分からず「い、や……別に、謝らなくても……」としか言えなかった。
「……あの日、私は彼を止められなかった。間に合わなかった。事故に繋がるほどの、危ない実験を……その結果、彼を死なせてしまった。……だから、信じられなかったんだ、君の話を」
「……確かに……僕がお前の立場でも……そんな話、すぐに信じられないと思う……だ、だから……そんなに気にしなくて、いい……」
アルヴァはアンドルーを見つめては、アンドルーに聞こえないほどの小さな声で呟く。
「……あの子の傍には……こんなにも、あの子を大切に想ってくれる人物が……居るんだな」
「え……?」
「いや……なんでもない。そろそろ部屋に戻りたまえ。バグのことで疲れてしまったろう」
アルヴァは背を向けてハンターの居館がある方向へ歩き出し、アンドルーは真っ黒なローブを着た背中に向かって声を上げる。
「っ、あ、ありがとうっ……! 僕の、話を……信じてくれてっ……!」
アルヴァはほんの少しだけ足を止めたが、振り向きもせずまた歩き出し、アンドルーはアルヴァの姿が見えなくなるまで彼の背中を見送った。
アルヴァを見送った後、アンドルーも自室に戻ろうと思い、歩き出すとぐうぅぅ……と腹が鳴る。
そういえば朝食を口にしないまま試合に行ってしまったことを思い返し、食堂に何か余っていないかと考えて足を運んだ。
食堂には丁度エマが花瓶の花の手入れをしていて、エマは「あっ……!」と声を上げてアンドルーに駆け寄る。
「アンドルーさんっ……! あの、さっきはごめんなさいなの……! アンドルーさんが言ったこと、信じないままエミリーに診てもらった方がいいなんて言っちゃって……!」
「い、いや、そんな謝らなくても……」
「だって……あの時のアンドルーさん、すごく……今にも泣きそうなくらい、辛そうな顔してて……だから、絶対に謝らなくちゃって思ってたの……!」
エマは申し訳なさそうに俯き、アンドルーはエマも自分の言ったことを信じてようとしてくれるのが嬉しくて、「……ありがとう」と呟いた。
「……不安、だったんだ……ルカと過ごした時間が、全部僕の独りよがりな妄想だったんじゃないかって……僕みたいな、化け物は……やっぱり、誰かのことを好きになっちゃ、いけなかったんだってことを……突きつけられてる気がして……」
「アンドルーさん……」
「でも、ナイチンゲールに調べてもらってバグだってことが分かったから……もうすぐ、元に戻れると思う」
それを聞いたエマは「そっか……良かったなの」と安心したように微笑み、アンドルーもつられて笑うとぐぅぅうう……とまた腹の虫が鳴る。
「あ……」
「ふふっ、待ってて! 余ってるパンと材料で、簡単なサンドイッチを作ってくるなの!」
「わ、悪い……ありがとう……」
エマはすぐにキッチンへと向かい、暫くしてからキッチンから出てきては、綺麗に切り揃えられたサンドイッチが乗った皿をアンドルーの前に差し出した。
「はいっ、どうぞ!」
「わ……美味しそう……ありがとう、ウッズ」
アンドルーは椅子に腰掛け、十字架を手にしてはいつものように食事前の祈りをする。
その様子をエマは向かいの席に座ってどこか微笑ましそうに見つめていて、目を開けて目が合ったアンドルーは首を傾げた。
「えっと……ウッズ、どうかしたか……?」
「あっ、ううん! あのね……アンドルーさん、エマが知ってるアンドルーさんよりもずっと笑うなぁって思ってたの」
「それは……えっと、ウッズにとっての昨日までの僕……ってことか?」
エマは頷き、エマが知っているアンドルーの姿を思い浮かべる。
「アンドルーさん、いつも警戒してるような目をしてスコップを居館内のどこに居ても手放さなくて、誰ともお話しなくて……誰かと関わることを、ずっと避けてたの。でも……そっか……きっとルカさんがアンドルーさんを、今のアンドルーさんに変えたのね」
エマの言葉にアンドルーはふとルカと出会う前の自分を思い返した。
あの頃の自分は誰とも関わろうとしなくて、誰かに暴力を振るわれてもある程度抵抗が出来るようにスコップを常に持ち歩いて離さなかった。
誰のことも信じないように徹していて、アンドルーの心はまるで溶けない氷のようだったのだ。
けれどその誰も溶かせなかった氷を、ルカは溶かしたのだ。
ルカは教えてくれた、アンドルーは人間であり幸せを望むことも幸せになることも、夢を叶えるのも自由なのだと。
簡単なピアノの弾き方や簡単な計算の仕方、アンドルーが気になった雑学やダンスやパーティの作法……どれもをルカは嫌な顔一つせず暇な時間に教えてくれた。
目が悪くて星空が見えないと言うアンドルーに、望遠鏡を組み立ててくれて美しい星空を見せてくれて、星座の話も沢山してくれた。
そうしてルカと共に過ごしていくうちに、自然とアンドルーは笑うようになっていったのだ。
「……うん、そうだな……確かに、ルカが僕を変えてくれた。ルカは……僕に沢山のことを教えてくれて……いつも、僕を笑顔にさせてくれたんだ。手のかかるやつだけど……すごく、良い奴なんだ」
「ふふっ、そっかぁ……ねぇ、アンドルーさんさえ良かったら、もっとルカさんのお話してくれる? エマ、とっても気になるの!」
「え、そ、そうか……? じゃあ……ルカって、すごく発明とか好きなんだけど……好きすぎてそれ以外が適当になって……」
それからアンドルーはルカの話を沢山話した。
それこそ、時間を忘れてしまうほどに。
けれど、エマは終始楽しそうに耳を傾けて話を聞き続けてくれたのだった。
◇ ・ ◆ ・ ◇
翌朝。
ベッドの上で目を覚ましたアンドルーはゆっくりと目を開けた。
「……ぅ……ん……」
見慣れた自室の部屋の天井……ではなく、医務室の天井が広がっていて、アンドルーはキョトンと目を丸くさせる。
自室で眠ったはずなのに、何故医務室で目が覚めたのかと疑問に思っていると、ふと手が温かく疑問に思って見てみると。
「っ……! ル……カ……?」
アンドルーの手を握ったまま椅子に腰掛けて眠っているルカが居たのだ。
アンドルーの声が聞こえたのか、ルカは「ん……」と小さく声を上げながら目を覚まし、アンドルーの方を見て徐々に目を見開く。
「アンドルー……っ! 起きたのか!」
「起きたのか……って……僕は……いったい……?」
「君、何日もずっと眠ったままで起きなかったんだぞ……! ダイアー先生に診てもらっても理由も原因も分からなくて、Ms.ナイチンゲールに聞けばバグの影響だとしか言われず……!」
ルカの声を聞き、ルカの温もりを感じているとバグが直って元に戻ったのだと安心する。
それと同時に、愛しい恋人が目の前に居ることが嬉しくて、アンドルーは次第に視界がぼやけて涙が溢れた。
「アンドルー……? 泣いて、いるのか……? どこか、身体が痛いのか? 少し待っててくれ、すぐダイアー先生を」
「っ、ルカ」
アンドルーはルカの手をぎゅっと握り、慌ててエミリーを呼びに行こうとするのを止める。
「ここに……居て……」
「アンドルー……?」
「もっと……ルカと、居たい……ルカの、声……聞いてたい……」
涙を流しながらそう懇願する恋人の頼みを断れる訳もなく、ルカはアンドルーの涙を指先で拭い、濡れた頬や目元、額にキスを落とす。
「んっ……ルカ……」
「……アンドルー」
どちらともなくお互いを抱きしめ、ルカはアンドルーの頭を撫でてやり、アンドルーは幸せそうに目を細めて抱きしめる力をほんのりと強くさせる。
もっと、もっとルカを感じていたい。
もっとこの愛おしい温もりに包まれていたい。
そう思ったアンドルーの目からはとめどなく涙は溢れ続け、それでもルカはアンドルーの要望通り離れず傍に居てくれたのだった。