彼の部屋やわらかい遮光カーテンからの日差しに目を覚ます。
ぼんやり見えた寮の天井はいつものそれだが、何か違和感を感じた。ベッドが硬い…。
ふわりと感じたその匂いに、はたと気付く。
ああこれは、自分の部屋じゃない。
そうだ、昨日。
狗巻先輩の部屋に遊びに来たんだ。
それで…。
隣りからは規則正しい息遣いが聞こえた。
目をやれば、こちらを向いてまだぐっすりと眠る部屋の主がいた。
時刻は午前7時を回った所。今日は土曜日だから、急ぐ必要もない。
唯は身体ごと狗巻先輩の方を向く。布の擦れる音が、静かな室内に響いた。
ぴりりと、足の付け根辺りが少し痛む。
狗巻先輩…朝、弱そう。
サラサラの髪が、ベッドに乱れて広がっている。いつもはネッグウォーマーやマスクで覆われて隠されたその部分。呪印の施された口元は小さく開き、その唇は…。
何、考えてるんだろ。
思わず手を伸ばして、狗巻先輩の唇に触れそうになってしまった。
つい数時間前、何度も何度も触れた唇。
それは彼女の身体にいくつかの痕を刻んで。
その舌先で感じた、
とろけるような甘い時間。
そのひとつひとつを鮮明に思い出して、一気に顔に熱が昇る。
目の毒だ…。
唯は重たい身体をゆっくりと起こす。
窓の外は晴れ渡り、きっとお出かけ日和だ。
起きよう。
目を擦り、何気なく狗巻先輩を振り返ると。
その綺麗な紫色の瞳と目が合った。
「…ツナマヨ」
小さく呟く。
次の瞬間には狗巻先輩の腕が伸び、唯の腕を思い切り引っ張っていた。
流石は日頃の授業のお陰で受身を取るが、それでもバランスを崩した身体はベッドに沈み込む。
そこに狗巻先輩が覆い被さる。
目の前には、狗巻先輩の顔。
「しゃけ?」
何かを聞かれたが、答える前に唇が塞がれた。
軽く唇に触れるだけのキス。
ちゅ、と軽い音を立ててすぐに離れていく。
物言いた気に首を傾げて目を細める狗巻先輩。その顔を知っているのが自分だけなんだと思うと、嬉しくて胸が苦しいくらいにきゅっとなる。
狗巻先輩が、唯の頬に触れる。男性の、ゴツゴツとした大きな手。かさつく親指でそっと唇を撫でた。
少しずつ、ゆっくりと、綺麗なその顔が近づいて来る。
唇に、触れーー
コンコン、と軽快にドアのノックが聞こえて、びくりと身体が反応する。
「おはようございます。狗巻先輩、起きてますかー?」
声の主は、おそらく伏黒くんだ。
のそのそと身体を起こす狗巻先輩。
ドアを見るその横顔は、すこぶる不機嫌だ。
はぁ、と小さくため息を漏らす。
振り返り、唯を見下ろした。
「おかかー」
人差し指を立てて彼女の唇にそっと当て、しゃべるな、と言う事だろう。
狗巻先輩は気怠そうに立ち上がり、ドアに向かった。
心臓がまだ煩く鳴っている。
一晩一緒に過ごしたはずなのに、そのぬくもりが消えて少し寂しい。
ベッドから身体を起こして、膝を立てて座ると。
Tシャツから見えた自分の胸元に、その痕が見えて、思わず赤面した。
立てた両の膝に頭を乗せて、赤くなった顔を隠す。
聞き耳を立てていると、どうやら狗巻先輩は今から五条先生の所に行くらしい。
「しゃけ」
言って扉を閉める音が聞こえた。
変わらず不服そうに戻って来て、唯を見る。
「五条先生のとこ行くんだ?」
「…ツナァ」
適当に服を引っ張り出して来て手早く着替える。私服な所を見ると、やはり任務ではないらしい。
最後に黒のマスクをつける。
そんな不機嫌を隠さずにに五条先生に会いに行けば、ただ揶揄われるだけなんじゃないだろうか…とも思うが、そのまま何も言わずに着替える狗巻先輩をただ見ていた。
身支度を簡単に整えて、狗巻先輩が唯を見る。
「いってらっしゃい」
軽く手を振って呟けば、狗巻先輩は黒のマスクを少しだけずらして、腰を屈めた。
ベッドに座る唯に目線を合わせて、軽く頬にキスをする。
「ツナマヨ」
言ってマスクをつまみ、口元に戻して手を振った。
ぱたん、と扉が閉まる。
口付けられた頬が熱を帯びたように感じる。
ばか。
ズルい。
*
たまたま朝廊下で出会った五条先生に、狗巻先輩を呼び出すように言われた。面倒臭い。
自分で行けばいいのに。
と、思いながら、伏黒は足取りも重くその部屋に辿り着く。
…まだ起きてる訳ないだろ。
狗巻先輩、朝苦手そうだし。
いや…イメージだけど。
コンコン、と軽くノックする。
「おはようございます。狗巻先輩、起きてますかー?」
声に反応して、予想よりも早く室内からは物音が聞こえた。
ゆっくりと扉を開くと、気怠そうで不機嫌を隠さない狗巻先輩。
「ツナ」
寝起き…なのか?
「五条先生が呼んでます。任務とは言ってませんでしたけど、すぐに来て欲しいそうです」
「おかか…」
嫌だと顔に書いてある。
不意に、その首元に目が行ってしまった。
普段は口元と一緒に隠れている事が多いその首筋には、見慣れぬ痕があった。虫刺され?
視線に気付いたのか、狗巻先輩は自分の首筋に触れる。
虫刺されな訳、ないか。
「しゃけ」
言ってやはり不機嫌に、でも微かに笑みを含んで人差し指を自分の口元に当てた。
そのままぱたん、と扉が閉まる。
・・・・・・。
部屋の前に残された伏黒は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
否、たぶん、そう言う事。
部屋に誰かいるんだろう。
唯さんか?
はぁ、とため息をひとつ。
やっぱ面倒臭い。
一応、伝えたから…後は知らない。
End***