忘羨ワンドロワンライ【全力疾走】【にせもの】「納得いかない!」
雲深不知処には似つかわしくない大声に、周囲から『しぃー!」と諌めるような声がかかる。思わず周囲を見回し、藍景儀は唇を尖らす。
「だってそうだろう? 確かに偽物が混じってるっては言ってたけど、見つけた玉が全部、全員分が偽物だなんて、そんなの絶対おかしいだろ?」
周囲の数名が同意して深く頷く。藍景儀は唇を尖らせたまま腕を組み直した。
「元々、全部偽物だったなんてことないよな」
藍思追は首を横に振る。
「それはないよ。最初に本物が人数分あることをみんなの前で確認してからばら撒かれたんだよ? それに――」
藍思追は言い淀んだが、周囲の門弟から突かれて促されると、小さく息を吸い込んでから言葉を続けた。
「見間違いかもしれないけど、最後の二人の玉が偽物だと判定された後、玉を集めてあった袋に魏先輩がそれを放り込んだ時、チラッと見えた袋の中に本物の玉が見えたんだ」
「ちょっと待て」
藍景儀は腕を解いて藍思追に詰め寄った。
「あの袋は、先に探し出してきて偽物と判定された玉ばかりが入ってたはずだ。本物の玉が入ってるのはおかしいだろ。だって、全員偽物だって判定されたんだぞ」
「だから見間違いかもしれないなって思ってたんだけど、景儀が言うように『全部が偽物なのはおかしい』って思ったら、見間違いじゃなかったのかもって、思えてきて」
藍景儀は再び上を組んで唸り声を上げた。
「くそ、魏先輩め。まさか俺たち騙されたんじゃないよな」
雲深不知処の一室には不穏な気配が漂っていた。
事は数日遡る。
魏無羨はいくつかの夜狩の報告書を読みながら、小さくため息を吐いた。藍氏の夜狩は非常に整っている。適切な人員を配置し、適応する陣を張り、適時に攻撃を仕掛け、滞りなく処理する。だが、多くの乱戦や大逆転をモノにしてきた魏無羨の目でそれらを見ると、少々心配になってくる。依頼されて討伐するような夜狩ならいい。事前に準備ができ、予定通りに事は運ぶ。だが、予定外のことが起きた時に、どれだけの門弟が対処できるだろうか。魏無羨の目から見ると、年若い門弟達の攻撃には連携が足りない。布陣しての連携は良いのだが、咄嗟の場面で瞬時に連携が取れるのは思追と藍景儀の二人組くらいだろう。
魏無羨は雲夢時代、義弟である江晩吟と連携を取ることが多かったが、それは圧倒的に二人で行動を共にしていた結果だ。だが、魏無羨にしろ江晩吟にしろ、他の門弟と連携を取ることも得意だった。少数精鋭で夜狩を行う江氏は、咄嗟の連携が命綱となることがある。それが分かっている大人達は、夜狩を許されるよりずっと幼い時から、雉子狩りや野兎狩りで遊びながらお互いの癖や動きに慣れることができるよう、子供達だけで野山で狩をすることを黙認していた。
「そうだ。狩だ!」
ポンと卓を叩いた魏無羨を、藍忘機は興味深げに見つめる。夜狩の報告の添削の一部を魏無羨に任せるのは、門弟にとってそれが必要だと思うからだ。仙門同士の怪しげな諍いが沈静化された現在、門弟達は戦をすることがない。もちろん、戦などない方がいい。だが、技量に合わせた夜狩しかしていない若い門弟達の修練に些か不安を感じるのは、藍忘機とて同じである。
「藍湛! 修練に狩りを取り入れよう。もっと実践に近い動きが必要だ」
「狩り――」
「もちろん、殺生はしない。模擬狩りだ」
魏無羨は藍忘機の隣に躙り寄ると、耳元に顔を寄せてコソコソと『狩り』の考えを語り始めた。
「なるほど、それならば叔父上も賛成なさるだろう。夜狩にとって最も大事なところが成功の必須条件となっている。叔父上に裏山全体を使用する許可をいただこう」
魏無羨は嬉しそうに笑うと、伸びをする。
「そっちは任せた。俺は、狩りの邪魔をする紙人形の仕掛けと玉の仕組みを作るよ」
そして本日、集められたのは思追や藍景儀をはじめとした若手では最も信頼されている門弟達だ。既に自分達だけで夜狩も行って実績を上げている。にも関わらず『夜狩の修練』と聞かされて、藍景儀は憤慨した。
「今さら夜狩の修練なんて。しかも邪祟じゃなくて玉を狩るなんて、そんなのこれから夜狩を始める門弟がやることじゃないんですか?」
プンプンと感情を露わにしている藍景儀を、魏無羨は面白そうに眺めた。
「雲深不知処は殺生を禁じているし、まさかここに邪祟を放つわけにもいかない。だから的は玉だ。だが、たかが玉だと思うなよ。俺の法術が仕込んである。鳥のように逃げ回るし、兎のようにすばしっこい。しかも大きさも様々だ。一番大きいものは両手一杯の大きさで、小さいものは小指の先だ。もちろん偽物も用意してある。偽物かどうかは持ってきて俺の作った陣に入れると判定できる。こういう風にな」
足元の陣に玉を置くと、玉の中にぽうと光が灯る。
「正しいものは光る。偽物は何も起きない。偽物を持ってきたものは、もう一度探しに戻る必要がある。陣の効果が切れるまでが制限時間だ。時間内に全員が本物を持って来れたらお前達の勝ちだ」
「持って来れなかったら?」
魏無羨はニヤリと笑った。
「俺の勝ちだ」
百戦錬磨の魏無羨と勝負をするのだと、門弟達の士気は上がった。
「逃げ回る玉を取ってくるだけじゃない。俺の紙人形が邪魔をする。紙人形は法術で動かしているだけだから、切って捨てて構わない。もちろん、お前達に切れればの話だ。今回は裏山全体を使うが、弓は封印しろ。裏山には薬草園や採蜜のための蜂の巣箱もあるが、もしも備品を壊したらその分働いて返せ。まず玉の場所を知るための呪符を全員に配る。使うたびに呪符の紋様が薄れていくから、まあ、十回が限度かな」
ポイと呪符の束を藍思追に投げ渡すと、魏無羨は胸元から掌ほどの大きさの紙人形を取り出した。
「切り捨てやすいように、大きくしてやったからな。切れるもんなら切ってみろ」
数枚の紙人形を空に放つと、それらはまるで楽しげな舞でも踊るかのように好き勝手に飛び跳ねだす。その中の一枚は藍景儀の頭に飛び乗って、タランタランと足踏みをした。
「くそ!」
躍起になって掴もうとするが、ひらりと躱され、藍景儀は地団駄を踏んだ。
「もちろん複数で協力して狩っても良い。ただし、協力した場合は協力者全員分の玉を見つけてから帰ってきなさい。怪我をしたら狼煙を上げるように。以上だ」
藍景儀の様子に腹を抱えて笑い出した魏無羨に代わり、藍忘機が注意を伝え終わると、まるでそれを待っていたかのように、紙人形は鳥のように裏山に飛び去る。
「くそ! 待て!」
真っ先に裏山に駆け出した藍景儀を、門弟達は慌て追いかけた。
結果から言えば、修練は散々だった。
玉は動きが早く、飛び跳ねて叢に隠れて、土に潜る。鳥のように飛び、木の室に転がり落ちる。門弟達は上に下にと引き摺り回され、物陰から飛び出した紙人形にポカリと尻を蹴られる。
真っ先に裏山に駆け込んだ藍景儀は、最初に拳大の玉を探し当て、紙人形に蹴られながらなんとかそれを拾い上げたが、持ち帰った陣では光らず、首を傾げながら再び山に戻った。蜂の巣の奥深くに隠された小さな玉を探し当てた門弟は、蜂への防御を怠ったため手痛い反撃に遭い、薬草園で両手大の玉を見つけた門弟は、毒草の棘に引っ掻かれて腕を赤く腫らした。それどころか、どうにか見つけた玉は全て陣では光らず偽物と判定され、裏山に戻って必死に捜索するも、一人の合格者を出すことなく時間切れとなった。
紙人形を切り捨てられた者も居らず、一人の門弟など、足を滑らせて動けなくなっているところを、紙人形に導かれてやってきた藍思追に見つけられた。
「全員、不合格」
魏無羨に歌うように告げられ、門弟達は項垂れる。
「まあ、紙人形を切れなかったのは、大目に見てやる。切れるとは思っていなかったしな」
紙人形達は魏無羨の掌に集まり、押し合い圧し合いしている。それを笑いながらクシャリと握り潰して、魏無羨はため息を吐いた。
「なぜ上手くいかなかったのか各自でしっかり考えて、全員が合格できると思ったら言いに来い。もう一度だけ試験してやる」
魏無羨がくるりと身を翻したのを見て、藍忘機は静かに口を開いた。
「明日、特別に皆に時間を与えるので、この修練の意味をしっかりと考えるように」
残された門弟達は、歩き去る二人の背中を眺めながら大きく肩を落とした。
「なあ、ちょっと景儀を煽りすぎたかなぁ。景儀が一人で飛び出したから、全員、夜狩の修練だってことが頭から吹っ飛んでしまったろう?」
魏無羨は、琴の手入れをしている藍忘機の背に寄りかかりながら、杯を煽る。
「そう思ったから、帰り際にわざと思追に玉の仕掛けを見せたのだろう?」
「気付くかな?」
「冷静になれば、どの門弟も気付くだろう。『夜狩』の修練なのだ。棘のある毒草の奥や蜂の巣の奥に玉を潜ませた意味も、気付く者は居るはずだ」
魏無羨はクツクツと喉の奥で笑う。
「藍先生も厳しいよな。俺はそこまでするつもりはなかったのに、やるなら徹底的にやれって、玉を隠す場所まで指定するんだから」
「夜狩なら必要だ。毒草に気付かないことも、予定外の敵に出くわすこともある」
夜狩の目標は、標的を狩って全員が無事に生還することだ。どんな強敵に出会っても、一番犠牲が少なく、標的を仕留められる確率が最も高い方法を選ぶ。標的が複数なら、全部を狩って全員で帰還する――それが夜狩だ。だが、競争心を駆り立てられた門弟達は、自分達は『夜狩の修練』を行なっているのだということがすっかり頭から抜け落ち、まるで玉を探す競争でもしているのかのようにバラバラな行動をしてしまった。
玉には、予め全部の玉が揃って初めて光るように呪が施されていた。陣は単に制限時間を設けるためのものでしかない。
「叔父上が落胆されないと良いが」
藍忘機のため息に、魏無羨は小さく首を振る。
「がっかりはするかもしれないけど、反面、少し安堵されるんじゃないか? 少なくとも俺はちょっとホッとしたけどな。ああ、こいつらはこんなに可愛いままで育ってこれたんだなって思って。俺たちの時代のような事は、無いに越したことはない」
幼い頃から、仙門には不穏な気配が漂っていた。望むと望まざるとに関わらず、力ある者の子供時代は短く、大人と同じように自分の世家のために戦った。何をするにも、どこかで腹の探り合いをしているような気配があった。
藍忘機は手入れをしていた手を止め、背に寄りかかる魏無羨へと向き直る。寄りかかる先を無くして傾いだ体を抱きとめられ、すっぽりと白い袖に隠されて、魏無羨は目を丸くする。
「――幸いだった」
呟くような藍忘機の言葉に、一瞬息を止めると、魏無羨は小さく笑う。
「うん」
じり――と小さな音を立てて、蝋燭の炎が風に揺らいだ。
「で、今度は全員合格を勝ち取れるんだろうな?」
数日後、門弟達は魏無羨の元に直談判に来た。再度修練を行なって欲しいと言うのである。
整えられた陣と紙人形を前に、前回不合格となった全員が夜狩の出で立ちで立っている。
「もちろん」
藍景儀は胸を張る。
「条件は前回と一緒だ。ただし、玉を見つけるための呪符の効力は半減させるぞ?」
「構いません」
藍思追は小さく微笑みを浮かべて育ての親に問いかける。
「含光君、これは『夜狩』の修練なのですよね?」
「そうだ。これは『夜狩』の修練だ」
藍思追は小さく頷くと、深く一礼した。
「必ず全員で玉を見つけ、合格をいただきにまいります」
倣うように深く礼をする門弟達を見て、魏無羨は楽しげに笑った。
「紙人形に一番多く尻を蹴られた奴は、藍先生から有難いお話をしていただくからな。気を付けて行け」
「はあ? そんなの聞いてないし!」
藍景儀の叫びに、魏無羨が笑う。
「いま、俺が決めた。景儀、尻に気をつけろよ。大丈夫、お前の足の速さならなんとか蹴られずに済むぞ」
ほら行け――と宙に紙人形が放り投げられるのを見て、藍景儀は飛び上がって走り出した。
「思追! 取りあえず山に入ったら、広場に紙人形を避ける本陣を立ててくれ! そこで作戦を立てよう」
「分かった」
既に小さくなりつつある藍景儀を追いかけ、門弟達の白い衣が揺れる。その背を追いかけるように、魏無羨の楽しげな笑い声が響いた。