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    NaO40352687

    @NaO40352687

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    NaO40352687

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    ワンライの制限時間オーバーのため参加を見合わせた忘羨作品
    CQL陰鉄捜索中

    #陳情令
    theUntamed
    #忘羨
    WangXian
    #心動

    兆し 藍忘機が陰鉄の欠片を持ち旅に出て三日目、魏無羨が勝手に合流してきてニ日目となったその日、二人は小さな農村で水と食料を調達することにした。これから山越えになるからだ。
     藍忘機は旅立つ前、叔父である藍啓仁から大きな交易路沿いには怪異はなく、雲深不知処への夜狩の依頼もないことを聞いていた。そして魏無羨はと言うと、これもまた養父である江楓眠に、水路沿いの街にはこれといった怪異がないことを確認してから藍忘機を追ってきている。陰鉄の性質から考えて地脈に恵まれた場所に封印されていると考えられるので、交易路と水路沿いを候補地から消すと、途端に調べるべき場所は限られてきた。その候補地の一つが山を越えた先にあるのだ。交易路はその山を避けて大きく迂回しているが、その山自体も地脈が豊かであり、陰鉄が隠されている可能性は消せない。そのため、山を蛇行するように登る細い山道を歩いて抜ける予定だ。いつ陰鉄の欠片が反応を見せるかわからないので、御剣はしない。
    「藍湛、ちょっと待っててくれ。酒を仕入れてくる」
     村に着くなり目を輝かせながらそう言った魏無羨に、藍忘機は無言で顔を顰めて見せた。魏無羨はその顔を見て半ば吹き出すように苦笑する。
    「まあまあ、そんな睨むなって。すぐに帰ってくるから」
     すぐだから、本当にすぐ――と繰り返しながら駆け去る魏無羨を見送って、藍忘機は静かにため息を吐いた。
     懐の陰鉄の欠片は心なしか重く感じる。朝はまだ良いのだが、昼を過ぎる頃になると陰鉄の影響は次第に強くなってくる。藍忘機にとって、魏無羨の同行は正直なところ心強かった。陽があるうちは五月蝿いくらいに藍忘機に話しかけてくるので気が紛れ、夜に宿を取れば、魏無羨が藍忘機の枕元に小さな守護陣を張って陰鉄を置けるようにしてくれるので懐に入れておかずに済む。なにより道中で自分に何かあったとしても、きっと魏無羨が自分の代わりに陰鉄を守ろうとしてくれるだろう。そう思えることは藍忘機の気持ちをほんの少し楽にさせた。魏無羨はそういう所は信頼がおける相手だし、なにより腕が立つ。
     藍忘機がひとりこれから向かう山を静かに眺めていると、視界の隅に、通りの向こうから魏無羨が慌てたように歩いてくるのが見える。手に握った酒の瓶は小振りな瓶が二つ、それ以外にも何かを手に入れたのか、小さな包みも手に持っている。
    「待たせた。藍湛、急ごう。山越えは山に慣れた男の足で三日と言われたが、俺たちだったら二日で行けるかもしれない。急げば野宿は一夜で済ませられるかもしれないぞ」
     本当は野宿は避けたいんだがな――と、魏無羨は渋い顔をする。
    「何か問題が? 邪祟の話は聞かないが」
    「邪祟じゃない。邪祟じゃないが」
     先を促すように僅かに首を傾げる藍忘機を見て、魏無羨は困ったように頭を掻いた。
    「俺の思い過ごしならいいんだが、あの山、山神が――いや山神のなりかけというか成り損ないというか――まあ、そんなモノが居るかもしれない」
    「山神――の成り損ない」
     うん――と頷いて、魏無羨は顎をしゃくって農村から山へと向かう道の傍に立つ祠を示した。
    「あの祠、山と村を区切る境界の役割をするものだろう? まあ、山深い村にはよくある祠だが、きれいに清められ祀られていて、十分に結界の役割を果たしている。聞いてみたんだが、どうやら蛇避けらしい。酒を買うとき、隣の店の女将が自分の子供を『悪いことをすると蛇に連れていかれるぞ』って言って叱ってるのも聞いた。酒屋の親父に山越えの話をした時には『山の仕事をしていないなら仙師でも入ることは勧めない、まさか女仙師はいないだろうな、女は絶対に山に入れるな』って釘を刺された。どこの山にも神隠し話はあるが、この村は昔から童女が消えることが多かったようだ。最後の神隠しは十数年前にあったきりだが、数年前、どこぞの街の坊ちゃんが女連れで山に入ったきり出てこない。それ以来、ちょっと気配が怪しいらしい。これ以上もう山を刺激してくれるな――というのが村人の本音だろうな」
     藍忘機は考え込むように目を伏せた。
    「童女の神隠しは、貧しい村ならたまに聞く話だ。だが、その多くは――」
    「そう。多くは神隠しに名を借りた口減らしだな。男児より女児が多いのはそのためだ。童女が親を慕って、親のために山を守る神に成ったという昔話が伝わる地域もある――が、これも村人の罪悪感が作った話だろう」
     魏無羨は顔を顰めて小さく首を振る。本来、子を捨てたい親は居ない。だが、捨てられる子が居るのも現実だ。
    「山仕事をしている木樵にも話を聞いてみたが、日中に仕事をする分には特に問題はないらしい。ただ、どんなに幼くとも、たとえ赤子であっても女性は厳禁だと言われた。祭り以外で山で夜を越したことはないから詳しくは分からないし、山で夜を過ごすことはないから『男だから必ず大丈夫』とは断言できないようだ」
     まあ、山で女絡みで邪祟ではないと言うと、山神くらいしか思いつかなくてさ――魏無羨は頭を掻く。
    「ただの獣なら良いんだがな」
     藍忘機はゆっくりと山へと目を向ける。
    「獣だったら害意に男女の別があることはおかしい。山神なら女性に厳しいのも頷ける」
    「そもそも地脈が豊かな山だから、山神がいてもおかしくないしな。村人のことを考えれば刺激せずに御剣して抜けた方が良いんだろうが、そういうわけにもいかないだろ? だからせめて急ごう。通り抜ける俺たちは何が起きても構わないが、この村に災厄が降りかかると困る、夜は助言通り大人しく隠れておくべきだろう。日が暮れる前に木樵たちが仕事をする一番山深いところまで行ければ、明日の日のあるうちに向こう側の人里近くまで行けるかもしれない」
     藍忘機は、話しながら山を睨むように見据えている魏無羨をまじまじと見つめた。酒を調達するのは、こういった話を聞くためでもあったのだろう。だが、よくもあんな短時間にこれだけの話を掻き集められるものだ。
    「木樵の話だと、山の中腹を過ぎた辺りの木に白い紐が結んであって、その辺りが最奥の仕事場らしい。道は続いているし、日の長い夏はそこから少し奥に入って木を切り出す事はあるが、山頂付近の祠まで行くのは祭りの日だけだそうだ。だからそこから山頂までの道は極端に狭い獣道だ。途中に井戸はないが、山頂を越えた先には石清水が湧いている沢があるそうだ」
     行こう――そう言って振り向いた魏無羨は、まじまじと見つめていた藍忘機と目が合い、不思議そうに小さく首を傾げた。
    「藍湛?」
     藍忘機は何も言わずに静かに首を振ると、大きく山へと足を踏み出す。
    「あ、待て待て。境の祠の手前で一度止まってくれ」
     魏無羨の言葉に、藍忘機は足を止めて振り返る。魏無羨は、山から顔を背けるようにして唇を窄め息を吸い込むと、ふうとその息を藍忘機の肩に吹き掛けた。自らの肩に、周囲の草木にと何度かそれを繰り返し、最後に瞑目し、小さく何事か唱え短くふっと息を吐く。
    「それは――?」
    「最初のは蛇避けだな。この山の山神なら蛇に通じるだろうから念のためな。最後のは、なんというか験担ぎのようなものだ。術がうまくいくための呪いというか、癖――かな?」
     さあ行こう――そう告げて、魏無羨は踊るように歩き出した。
     
     
     山肌を舐めるように蛇行する細道は想像していたより険しかった。九十九に折れ曲がった道は、要所要所に祠があり、その数の多さに藍忘機は眉を顰める。その多くは明らかに最近作られたもので、供物も多い。魏無羨はその一つ一つの祠の杯を水で清めては、手にした酒を満たして行く。
    「ここにも髪飾りか」
     どの祠にも赤い花や蝶を象った櫛や髪飾りが供えられている。
    「やはり、この山はちょっとおかしいな。祠の数が異様だし、なにより手厚く祀られすぎている」
     山の空気は清浄だ。清らかで禍々しさは一切感じられない。
    「麓から順に、髪飾りが子供のものから少しずつ大人びたものに変わってきている。この数から言って、これは――」
     言い淀んだ魏無羨をちらりと横目で見て、藍忘機は小さく頷いた。
    「最初の祠には女児が三つになる時に贈られる櫛、祠一つで年が一つ上がる計算で、七つの時の花簪、十ニの蝶の簪まで、祠の数はこれで十だ」
     十三は多くの村や街で子供時代の最後の年とみなされる。早い者は十四で働き手として大人の仲間入りをし、遅くとも十八では独り立ちをする。
    「そして、この最後の祠の傍が木樵の言っていた最奥の仕事場だな。見ろ、紐だ」
     九十九の山道の脇の一際立派な木の幹に白い紐が巻き付けてある。その脇には切り開かれた小さな窪地があり、おそらくは木樵が休息や食事に使うのであろう切り株で作られた簡単な腰掛けがあった。
    「なんとか日暮れ前にここまで来れたな。木樵は野宿するなら身を隠した方が良いと言っていた。助言に従おう」
     魏無羨は窪地の奥、藪が覆いかぶさるように繁った辺りの枝を掻き分ける。その奥になんとか二人座れそうな隙間を見つけると、うんと一つ頷いて藍忘機を振り返った。
    「ここにしよう。ここなら道の様子も窺えるし、身を隠せる」
     先に入れと視線で促し、魏無羨は徐に手をあげて自らの髪冠を取り払い、上半分の髪を纏めていた赤い髪紐を解いた。僅かに癖のある髪がふわりと額と頬を覆うと、母親譲りだという顔立ちには、少し婀娜な気配が漂う。
    「魏嬰?」
     問いかける藍忘機に、魏無羨は小さく首を振って笑ってみせた。
    「念のためな」
     魏無羨は、身を潜める藪から離れた木の枝に赤い髪飾りと紙人形を括り付ける。懐から村で調達した紙袋を取り出すと、中から干して日持ちを良くした山葡萄の実を取り出し、その下に供えた。
    「木樵に頼まれたんだ。もしかしたら災難よけになるかもしれないと言っていた。話を聞いた時に、呪いに使う人形があれば使ったほうが良いと言われたよ」
     頬に落ちる髪を煩そうに掻き上げながら、魏無羨が藍忘機の元へ戻る。
    「そろそろ日暮れだな。隠れられるように枝を地面に固定しよう。手伝ってくれ」
     魏無羨は器用に周囲の枝を引き寄せると、懐から取り出した釘のような暗器で枝先の葉を地面に縫い止める。そして動かないように藍忘機に押さえさせると、指を走らせて中空に呪符を描き、葉が容易に動かないように固定した。呪符の効力は確かで、内側から少々押したくらいではビクともしない。
    「狭いが、仕方ないな。我慢しろよ」
     ピタリと肩を寄せていないと居られないような隙間で、藍忘機は無言のまま静かに袂を整理して調息を始める。
     それを見て魏無羨は小さく肩をすくめ、行儀悪く片方の手を頭の後ろに差し入れると、背後の木の幹に背中を預けて目を閉じた。
    「魏嬰、本当は木樵から何を聞いた」
     目を閉じたまま静かに問いかけた藍忘機に、魏無羨は小さくため息を吐く。
    「木樵が思い込みで言っているだけの妄言かもしれないぞ。実際、木樵以外の村人からは全く聞いていない話だからな」
    「だが、山に入ってみて、その話が本当だろうと思ったから、あんなにも念をいれて祠を清めていたのだろう? せっかく買った酒なのに、呑まずにほとんどを祠に捧げた」
     魏無羨はポカンと口を開けて藍忘機の横顔を見つめた。
    「藍湛、お前、俺が酒を呑むか監視しながら歩いてたのか?」
    「夜狩中は酒を飲んではならない」
     ゆっくりと魏無羨へと顔を向けて真面目に言い放った藍忘機の言葉に、魏無羨は大きくため息を吐く。
    「さすがは藍二公子。だが、俺は俺の判断で同行しているだけで、雲深不知処の夜狩に組み入れられた覚えはないからな、そこんとこ、混同するなよ。俺は好きな時に酒を飲むが、必要であればその酒を清めに使うことも厭わない。あれは必要な行為だ」
     言葉を重ねるにつれて次第に荒くなる語気に、藍忘機は顔色を変えずに静かに頷いた。
    「だから話せと言っている。なぜ必要なのかを」
     魏無羨は額を覆い頬に落ちてくる髪を乱暴に掻き上げ、大袈裟にため息を吐いてみせた。拗ねたように尖らせた唇が、整った顔立ちの中で幼さを際立たせる。
    「木樵には仕事仲間が居たらしいんだ。仕事ができる気のいい男だったらしいが、足を痛めて山に入れなくなってしまった。無理をしてでも仕事を続けようとした矢先、男手ひとつで育てていた幼い娘が山に消えた。これが村の最後の神隠しだ。男は足を引きずって山に探しに入り、大怪我をして帰ってきた。怪我が祟って木樵の仕事は続けられず、村で小物を作りながら山に消えた娘を弔い続けていた。この山の祠は全て、その男が動かない足を引きずって山に入って作ったものだ。最後の祠を作り終えて、最後の弔いをするだけになったのがこの春のことだ。だが、その日の前に男は病で死んでしまった。木樵は、男は娘が山神に選ばれたのだと信じていたと言っていた。山の富を護る立派な山神になるためには最後の祠に詣っやらなくてはと、死を前にしても譫言のように言い続けた男が哀れでならないと、木樵はそう言って俺に代わりに詣ってやってくれと頼んできたんだ」
     山に入るまでは俺も別に信じてたわけじゃなかったんだが――魏無羨は小さくため息を吐く。
    「この山の清浄さは異様だ。澄み通り過ぎて、むしろ禍々しい」
     独り言のようにポツリと呟いた魏無羨を眺め、藍忘機はわずかに目を伏せた。
    「では、あの木にくくりつけた人形は、その死んだ男の代わりか」
    「うん。木樵が男が祠を作る時に残した木の釘を渡してくれてな。それで人型と髪紐を止めてある。男は娘のための髪飾りを毎年用意していたらしいが、最後の祠の分がなくてさ。村には飾り物の店などなかったし、他の娘の飾りを使って、その娘に何かあったら困るから、俺の髪紐を使うことにしたんだ」
     木樵の思い込みならそれが一番良いんだがなぁ――魏無羨は何度目になるか分からないため息を吐くと、そっと藍忘機の様子を伺う。藍忘機はというと、そんな魏無羨の顔を見返して、小さく頷いた。
    「山神なのか、山神に似た別の何かなのかは判断できないが、少なくとも死んだ男が信じた『何か』はこの山に潜んでいるようだ」
     山神なら良いが――続ける言葉を飲み込んだ藍忘機は、自分達を覆う木の葉の間から微かに見える魏無羨の赤い髪紐が、暮れていく宵の山陰にひらりひらりと風に舞っているのを静かに見つめた。
     
     それは唐突だった。
     月は天頂近くにあり、もうじき丑の刻になろうかという頃合いだ。ずるりずるりと何かを引き摺るような音が山頂から響くのを感じ、魏無羨はゆっくりと目を開けた。そっと隣の藍忘機を伺うと、既に目を覚ましていた藍忘機が小さく頷く。魏無羨はそっと自分達を覆う木の葉を指で除けて、隙間から山道を伺う。道にはまだ異常はない。頭上に響く異様な音は、ずるりずるりと右に左にゆっくりと移動する。何かが山を降りてきているのだ。
    「蛇にしては変な音だな」
     砂利と鱗が擦れる嫌な音がする。小枝を折っては、落ちたそれを踏み潰す音は、異様なほどの重さを感じさせる。合間にか細い幼女の歌声を認めて、藍忘機は瞑目した。
    「合間に足音が聞こえる」
     静かに藍忘機が呟くと、魏無羨は顔を顰めた。トンと小さな足音がしてずるりと引き摺る音がする。長くずるずると引きずった後、また、小さく砂利を踏む軽い足音がトンとする。その音は藪に潜む二人の背後の細道をずるりと通り過ぎ、ゆっくりとその先で蛇行した道なりに行手を変える。
    「来るぞ」
     葉の隙間から最初に見えたのは、幼い少女の頭部だった。ゆらゆらと揺れながら、大人の背丈よりも高い位置にある頭部は幼女の髷に髪を結い、か細い首に頼りなげに支えられている。その首から下は徐々に太くなり、大蛇とも大蜥蜴とも判断できない胴が続いていた。それがずるりずるりとうねりながら前進する。ちょうど首と地面との中程には幼女のか細い両手が何かを求めるように突き出しており、地面を這う胴の途中には幼い足が頼りなく地面を蹴っていた。小さな足がトンと小さく地面を蹴ると、ずるりと太い胴がうねって蛇のように前に進む。人ならざる姿は禍々しいと思えるのが普通だが、その姿はむしろ哀れを誘った。あどけない幼女の顔をした異形は小さな唇で古い子守唄を歌っている。
     視界の先の木の幹に紙人形を見つけた異形は、震えるような悲鳴をあげてうねうねと地面を這い、その木へと突進した。幼い両手を必死で伸ばし、木の幹に爪を掛けながら紙人形へと顔を寄せると、異形はシクシクと泣き始めた。
    「なり損ないじゃない。なりかけだ」
     山神は、山に棲む様々な動物の姿をとることが多い。大猿も居れば、山犬も、鷹や鹿であることもあるが、思った通り、この地では蛇の形なのだろう。
     人形に頬擦りするように顔を寄せていた異形は、不意に何かに気付いたように振り返った。二人が潜む藪を睨み、小さな唇から細い舌を出して、拙い威嚇音を上げる。
     魏無羨はハッと気付いて傍の藍忘機へと顔を向ける。藍忘機の淡い色の衣は闇に白く輝き、その体からは隠せない陽気が漏れ出ている。日頃から酒や肉を食して微かな陰気を纏わせている魏無羨とは違い、酒を呑まず肉を食わず、節制と自律を尊ぶ藍忘機は極端に陽気が強いのだ。静かに吐き出される呼気にすら、隠せない陽気が漂う。
     魏無羨はガバリと藍忘機の体を自分の痩躯で覆うと、懐から出した小さな塊を無理やり藍忘機の口に詰め込んだ。
    「喰め」
     そして、塊の残りを自らの口にも放り込み、迷わず咀嚼する。
     抱きつかれた藍忘機は一瞬目を剥いたが、自らの白い衣を覆うように胸元に寄せた魏無羨の顔から隠せない緊張と焦りを感じ取ると、言われるままに口に詰め込まれた塊に歯を立てた。魏無羨によって詰め込まれた干した山葡萄はどろりと甘く、微かな草の香りを漂わせて、藍忘機の呼気の中の陽気を覆い隠しす。
     異形は小さく威嚇しながら藪を睨み、手を添えた木の幹を這い上るようにして紙人形と赤い髪紐を木から毟り取った。そして、それをひしと胸に抱くと、ずるりと巨体を引き摺りながら山頂へと戻り始める。覆い隠す薮の隙間から見え隠れする幼女の顔はあどけなく、紙人形を赤子を抱くように胸に抱き締めて、ポツリと一粒頬に涙をこぼした。その涙が幼い手に巻き取られた赤い髪紐に落ちた瞬間、魏無羨は押し殺した小さな呻きを残して、ガクリと藍忘機の胸に倒れ込んだ。
    「魏嬰っ」
     足元に崩れ落ちそうになった痩躯を抱き止めると、藍忘機は胸元に抱き込んだ魏無羨の首筋に掌を当てる。その気配から気絶しただけだと分かり、霊気を送るために手を上げかけた藍忘機は、未だ視界の隅に居る異形を認めて、その手を止めた。今ここで無闇に動けば必ず気付かれる。ましてや陽気に溢れた藍忘機の霊気を送るなど、もっての外だ。山奥に異形が帰るまで、身動きせずにやり過ごすしかない。なす術のない悔しさに藍忘機がギリと歯を噛み締めると、口の中に残る果実から腐臭に似た甘い香りが漂った。
     
     
    「魏嬰。魏嬰!」
     魏無羨は朝焼けの仄かな光の中、地面の上に横たえられていることに気がついた。覆い隠していた藪は避塵によって切り払われ、上半身を藍忘機の胸に預けながら、その指から霊気を与えられている。
    「藍湛。大丈夫だ。霊気はもう要らない」
     魏無羨はノロノロと片手をあげて、掌を藍忘機に差し出した。ポウと淡い光が掌に集まり、ゆらゆらと朝の光に揺れる。
    「これは?」
    「霊気というより、神気に近い。あの髪紐は長く使っていたから、俺との間に道が出来ていたんだな。なりかけでも神は神だ、共情なんて可愛いもんじゃなかった。死ぬかと思ったぞ」
     唇を尖らせて悪態を吐くと、魏無羨はしみじみと掌に漂う光を眺める。
     藍忘機は魏無羨の掌で揺れている光を眺めた。おそらく、愛用していた髪紐と魏無羨の間には消せない繋がりが出来上がっており、髪紐が山神の涙を受けた時にその一部が神気となって魏無羨に流れ込んだのだろう。霊気は人には害がないが、神気は過剰であれば人を害する。
    「これは俺にはあまり合わないな。江氏は木気が強い家系だから、この神気と相性が悪い訳じゃないが、宗主を護る家系の俺は陰気も強いからなぁ」
     魏無羨はしばらく楽しげに揺らぐ光を眺めていたが、徐に藍忘機の手を取り上げると、パンと音を立てて掌を合わせた。
    「やるよ」
     灼かれるほどに熱い神気に掌から丹田まで貫かれて、藍忘機は顔を歪めた。
    「蛇が本体なら水気の強い藍湛には合うだろう?」
     痛いほどの衝撃の後、金丹が熱く茹だり、藍忘機はガクリと地面に手をついた。
    「調息して少し休め」
     起き上がり、手をついた藍忘機を支えてやりながら、魏無羨はキラキラと朝日に輝き始めた小さな祠を眺めた。頬を覆う少し癖のある髪が風に揺れ、髪の合間から微笑みを湛えた唇が見える。藍忘機は差しはじめた朝日を通して琥珀に透ける魏無羨の瞳を見つめ、その口元に浮かんだ優しげな微笑みに目を奪われた。
    「父の最期の願いが込められた木の釘と、髪紐の中に縫い込まれた願いがあれば、数年も経たずにあの幼女は山神に成るだろうな」
    「願い――とは」
     魏無羨は静かに藍忘機を振り返る。結わずにおろしたままの髪が頬を覆うと、少年らしい活気が隠され、整った目鼻の美しさばかりが目立つ。風に髪を揺らすその姿は、恐ろしいほど婀娜で美しかった。藍忘機は息を飲み、その顔から僅かに目を逸らす。
    「あの髪紐は師姉に貰ったものなんだ。ずっと使ってたんだけど、ある日、木の枝に引っ掛けて端の縫い糸が解れた。その時初めて知ったんだ。髪紐の中には、もう一枚、細い紐が縫い込まれていて、そこに師姉の願いがいっぱいに刺繍されてた。健康に育ちますように、怪我をしませんように、病気になりませんように、幸運に恵まれますように――」
    「江殿が――」
    「うん。俺は、結丹するまでは体が強くなかったからな」
     江氏に迎えられるまでの数年、幼い魏無羨が一人で市井を彷徨っていたことは、周囲の仙師のほとんどが知っている。
    「そんな大切なものを、君は」
     小さく呟いた藍忘機の顔を見て、魏無羨は呆れたように笑った。
    「だって、髪紐より俺たちが無事に生きてる方が大事だろう? 師姉はすごくすごーく優しいんだからな。理由を話せば、怒ったりしないし、逆に褒めてくれるさ」
     魏無羨は懐から呪符用の紙を取り出し、細く裂いてくるくると器用にこよりを作ると、頬に落ちていた髪を頭上に纏め上げた。その上から髪冠を巻き付ける。
    「落ち着いたら、山を越そう。もう山神の心配は要らないだろうが、念のため急いだ方がいい」
     小さく頷き、藍忘機はゆっくりと立ち上がる。
    「もういいのか?」
     藍忘機は静かに目を伏せた。
    「あとは、歩きながらでもなんとかなる」
    「そうか、じゃあ行こう」
     跳ねるように歩き出す魏無羨の細い背中を見つめ、藍忘機は静かに足を踏み出す。
    「しかし、藍湛。いつもの白い服じゃないにしろ、もう少し濃い色の服はないのか? どうしたって夜目に目立つぞ。俺のように黒にしろとは言わないが、せめてもう少しくらいはさ――」
     ヒラヒラと蝶が舞うように気ままに跳ねる魏無羨の背中に、いつもの赤い髪紐はない。
    『健康に育ちますように、怪我をしませんように、病気になりませんように、幸運に恵まれますように――』
     厳しい女主人に代わり、江氏の姫が引き取られた魏無羨の世話を甲斐甲斐しく行なっているという話は胡蘇にまで伝わってきていた。座学の時の様子も、魏無羨の方が実の弟なのではないのかと思えるほどに甘やかし、魏無羨も実の姉のように屈託なく甘えていた。事情を知らなければ、江氏の三人は仲の良い実の三姉弟だと信じて疑わなかっただろう。
    『だって、髪紐より俺たちが無事に生きてる方が大事だろう?』
    『やるよ。蛇が本体なら水気の強い藍湛には合うだろう?』
     災いを避けるために大切な髪紐を差し出し、手に入れた神気まで自分より合うからという理由だけで惜しむことなく藍忘機に差し出してきた。
     溶け合いはじめた神気のじわりとした熱さが藍忘機の胸を灼いた。陰鉄によって少しずつ損なわれていた陽の気質が、一切の瑕疵なく回復しているのを感じる。
     ――魏嬰、もしかして君は分かっていたのか。
     藍忘機は、歌うように悪態を吐きながら楽しげに跳ね歩いている魏無羨の細い背中を見つめた。
     陽気の強い藍忘機にとって、陰鉄は正反対の性質を持つ。乾坤袋によって守られているとはいえ、懐に入れていれば少しずつ陰の気によって損なわれていくものがあった。だが今は、まるで陰鉄を精巧な玻璃の箱に納めでもしたかのように、一切の負担がない。神気によって回復したのだ。
    「藍湛。山を降りたら、一日も歩けば目的の街だろう? 宿は高くなくてもいいから、飯が美味い所にしてくれよ。それくらいの我儘は許してくれるだろう?」
     くるりと振り返り、満面の笑みを浮かべる姿を見て、藍忘機は僅かに頬を緩めた。
     
     
     差し出された綺麗な赤い絹の髪紐を見て、魏無羨はポカンと口を開けた。
    「俺に?」
     街について宿をとり、部屋に入るなり食事の前から酒に舌鼓を打ちはじめた魏無羨を一人置いて、藍忘機は姿を消した。これ幸いと酒と料理を追加し、運ばれてきた肉料理を行儀悪く手掴みで口に運ぼうとしていた矢先、扉が開くなり魏無羨の前に綺麗に畳まれた一枚の紐が差し出されたのだ。
    「江殿のもののように様々な思いが縫い込まれてはいないが、両端に護りの籠目紋が刺繍されている」
     籠目紋は市井の民が魔除けとして身の回りの装飾品や服に縫い込む、よく見かける守護の紋だ。
    「藍湛、どこに行ったかと思ったら、これを買いに行っていたのか?」
     真面目な顔をしてコクリと頷くのを見て、魏無羨は大きく口を開けて笑った。
    「藍二公子、嬉しいよ。こよりが切れて髪が解けやしないかと、実はずっとヒヤヒヤだったんだ」
     藍忘機は肉の油で汚れた魏無羨の指に気付くと、そのまま背後へとゆっくりと足を進めた。
    「藍湛?」
     白い藍忘機の指が髪冠にかかったことに気が付いて、魏無羨は慌てて振り返る。
    「自分でやるよ。藍湛」
    「手が汚れている」
     指摘されて、魏無羨はベッタリと油が付いた手を眺めて、あ――と間の抜けた声を上げた。
    「でも、髪結なんて、藍二公子にさせられないって」
    「構わない」
     丁寧に髪冠が外され、こよりで纏められた髪をそっと撫で付けるように指で梳かれる。そのくすぐったい感触に魏無羨は思わず体を硬くした。丁寧に耳元やこめかみから髪を撫で付けられ、髪を梳く指や顔の横を動く腕から薫る白檀の香りに、何故かたまらない気持ちになり魏無羨は目を閉じる。しゅるりと衣擦れの音がして、絹紐が巻かれ、しっかりとまとめ上げられた髪に髪冠を止めつけられて、魏無羨はようやく肩から力を抜いた。
    「あの。あのさ、ありがとな、藍湛」
     まとめた髪から背中へと下がる赤い絹の艶やかな光沢に沿って、惜しむように指を滑らせると、藍忘機はようやく魏無羨の髪を手放した。
     僅かに癖のある髪の間に光る赤い絹は自分が購ったものなのだと思うと、奇妙なほど藍忘機の胸は熱くなった。
    「蓮花塢に帰ったら、江殿に護紋を縫い足して貰うといい」
    「うん」
     藍忘機はゆっくりと卓の自分の席に戻り、脇に用意されていた茶器に茶を注ぐ。
     茶を注ぎながら、自分が口に出したその言葉が、裏を返せば、蓮花塢に戻ってからもずっとこの髪紐を使い続けて欲しいという意味だということに気が付いて、藍忘機は一瞬動きをとめ、思わず魏無羨の顔を見上げた。杯を持ち上げたまま、惚けたように藍忘機を眺めていた魏無羨は、慌てて杯を置く。
    「うん。師姉はすごくすごく優しいからな。きっと、ちゃんと縫ってくれるよ。うん」
     ぎこちない空気を誤魔化すように空になった杯に酒を満たすと、魏無羨は藍忘機に向かって杯を捧げ持つ。
    「山神になる、あの少女のために」
     同じく茶杯を捧げると、藍忘機はゆっくりと茶を飲み干した。
     
     
     
     数年後の雨期、天地が割れるほどの雷鳴の中で、交易路から外れた小さな村の奥にある山に山神が成り、村は山の恵みで長く富み栄えた。
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    NaO40352687

    DONE忘羨ワンドロワンライ
    お題: 『仙薬』
    所要時間:58分
    注意事項: 道侶後
    忘羨ワンドロワンライ【仙薬】「止血するには、まずは押さえるってことは学んだよな? 傷口が汚れているなら洗う。毒があれば搾り出して、毒の全身への侵食を進めないように必要以上に体を動かさないこと。刺し傷で絞り出すことが難しい場合は、切開して絞り出すか、吸い出す。――では、今日はその次、丹薬についてだ」
     魏無羨はポンと丸めた教本で自らの肩を叩く。
     今、魏無羨の前に並んでいるのは、これから夜狩に参加を許される予定の若い門弟たちだ。彼らは実戦の前に薬剤の講義を受ける。詳しい内容は薬師が教えるが、初歩の初歩、最初の授業を担うのは夜狩を指揮する高位の門弟と決まっている。今日は魏無羨にその役目が回って来た。
    「夜狩の際には、全員に丹薬袋と止血粉が支給される。もちろん、自前で中の薬を増やしてもいいが、丹薬袋に最初から入っているのは三種類だ。霊気が尽きかけた時のための補気丸、血を流しすぎた時の補血丸、そして霊気をうまく制御できなくなった時のための理気丸だ。理気丸を服用するときは、霊気の消耗が激しくなるので補気丸も一緒に服用することが望ましいが、混迷しているときは補気丸ではなく直接霊気を送る方が安全だ。霊気には相性があるので、日頃から気を付けておくこと。年齢、顔立ち、背格好、血統、似ているもの同士の方が相性はいい」
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    NaO40352687

    DONE忘羨ワンドロワンライ
    お題: 『神頼み』
    所要時間:1時間45分
    注意事項: 空白の16年中
    忘羨ワンドロワンライ【神頼み】 藍景儀は十一を過ぎてしばらくして結丹した。幼い頃から同室の藍思追が同期で一番早く結丹して以来、絶対に自分も結丹するのだと心に決めて、毎日苦手な早起きを頑張り、得意ではない整理整頓も礼法の授業も励んだ。その甲斐あってか思追に遅れること二か月で結丹し、同期の中では二人だけが、今日からの遠出の勤めに参加する。これは結丹した門弟が正式に夜狩に参加できるようになるまでの期間に行われる、夜狩の準備段階だ。
     幼い時から雲深不知処で寄宿生活をする門弟達は、あまり世間慣れしていない。特に藍思追と藍景儀は共に実家が雲深不知処の中にある内弟子で、雲深不知処からほど近い彩衣鎮にすら、年に数回、兄弟子に連れられて出かけたことがある程度だ。夜狩をするとなれば、街で休むなら宿を自分たちで取り、街がないなら夜営を自分たちで行わなければならない。もちろん、食事の準備も自分たちで行うことになるし、夜営に適した場所を選び、様々な采配を行うのも自分たちだ。夜狩では常に列をなして行動できるわけではない。最悪、その場で散開して帰還する羽目になったとしたら、一人で安全を確保しながら雲深不知処に向かわなくてはならない。そのためには地理に慣れ、人に慣れておかなくてはならないのだ。こうした夜狩に必要な知識を遠出の勤めを繰り返すことで習得し、剣技や邪祟の知識などを習得してはじめて、姑蘇藍氏の仙師として夜狩の列に連なることができるようになる。
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