しんちょく霊大祭
季節は夏と秋のあわい、白露のじき。
履き潰した草履をせっかちに鳴らしながら、さくじつからこっち、町を色取っている祭り提灯の下を三人の童が駆けていく。
後ろ頭には揃いの紋の狐面をむすび、未だ発達が途上の足首に壊れて鳴らない鈴を下げてからからとした風をたたっ斬る童たちを、すれ違う者どもはにこやかだったり、あるいは少し眉を下げて見送る。
「春千夜、遅ェ!」
「おまえらが速い、ンだっ!走らなくたっ、って、……なァっ、もう少しっ!ゆっくり、いこうよ!」
「無理、駄目!イチバンに誘うって言ったろ!そのために早起きしたの!」
一番後ろを走っていた春千夜が息を切らしてへとへと速度を落とすのを、反対に一番先を走っていた万次郎がぶすくれた顔で咎める。
肩で呼吸をする春千夜は狐面の紐が緩んでずり下がるのを押さえながら、あと少し先にある山の上、ぽつんと小さく聳える社を見上げた。
「そんなに早く行ったって……まだ起きてねェんじゃねぇの……」
「祭りの時期は準備があるからうかうか寝てられないって言ってただろ。それに、どうせあの胡散臭ギツネが叩き起してるよ。」
「なーァ、まだァ?体力ねぇなァ。」
小袖の袷をぱたぱた扇ぎながら、万次郎と春千夜の元へ不機嫌に顔を顰めた圭介が歩いてくる。
汗をかくことを嫌う春千夜とは裏腹、僅かにだけ残った残暑で滲んだ汗を手の甲で拭う圭介の様を見て、春千夜は顔を顰めた。
「イザナにも真一郎にもバレねェように家出てきたのに、早くしなきゃ先越されちまう。」
「だからってこんな走ンなくたって……」
「だーめ!絶対に、今年からはオレらと回るンだから!」
頑として譲らず、気もそぞろになりかけているうちに面の紐を手ずから結び直してまでしてやった万次郎に背中を強く叩かれ、春千夜は溜息を吐いて乱れた衣服を直す。
「……分かったけど、もうちょっと加減してよ。オレだって……千咒とタケ兄にバレないように出てきたのに……」
「しゃーねぇなァ。だってさー場地。まぁあとちょっとだし、ここまで来てればアイツらが気づいてても簡単には追っかけられないだろ。」
「あー?つまんねーなァ。」
唇を尖らせ、今度は速度を落とした早歩き程度になった二人に、春千夜も万次郎の手により紐を堅く結び直された面の向きを直して足を動かした。
山とはいえ社までの道は石を取り除かれた易しい道のりなので、この速度で行けば十数分経つうちに着くことも出来るだろう。
三人は足を弛め、数日前より店構えの準備が進められている屋台の骨組みを眺めた。
遠くから外つ国との貿易で得た貨物を乗せて帰ってきた船の汽笛が聞こえる。
「こんな朝早くからご苦労なこった。茶くらいは出してやるから帰って寝直すンだな。オマエらバカ餓鬼どもに構ってる暇はねェのさ。」
「お前に用があるンじゃねーの!タケミっちは!?」
ぎゃんと吠えた万次郎に、竹箒を持った狐目の青年は嫌味たっぷりに目を細めた。紅を引いた目尻は軽く痙攣し、早朝からの来客を良く思っていないことが丸わかりだった。
境内ではあちらこちらを小狐や小鼬がちょこまか駆け巡り、幕やら榊を運んでは忙しなく仕事をこなしている。絶えず揺れる尾は毛先に行くにつれ霞に消え、視える者にはこの世のものでないことが伺えるだろう。
圭介はその様子を目を輝かせながら眺め、感嘆に声を上げる。
「ハン、これだから人間の餓鬼は嫌いだね。なんたって礼儀ってモンを知らねぇからなァ。だァれが出すか。言ったろ、オマエらに構ってる暇はねェってさ。」
「あーっそ!ならイイよ自分で呼ぶ!タケミッちーっ!来たよォ!」
横をすり抜け草履を脱ぎ捨てて切目縁に裸足で上がり込んだ万次郎たちを、青年はさっきまでの怜悧を投げ捨てたような怒声で咎めた。
「勝手に上がンじゃねェ!オイそこの太眉!式神に触るな!ああクソッタレ!イヌピー!コイツらをつまみ出せ!」
境内の隅まで響く怒声に応えるように、しゃんとひとつ神楽鈴が鳴る。青年に首根っこを掴まれじたばたと手足を暴れさせていた万次郎は、それを聞いて表情を明るくさせた。
「……タケミっち!」
「ああ、ちくしょう……。声がでかすぎた……。」
失態を嘆いて額を押さえた青年は、少しの意趣返しに空中で万次郎をパッと放り出す。しかし万次郎はそれをものともせず、受身をとって着地したので、それにまた青年は歯噛みしてぐしゃぐしゃと緩く燻る黒髪を掻き乱した。
「……朝からうるせェ。テメェら、何してる。」
本殿の襖を開け眉を寄せて出てきた金色の青年に、狐目の青年はご覧の通り、と言いたげに染めた指の先で万次郎たちを指す。
「……ココ、なんで入れた。」
「オレが入れたンじゃねェ!コイツらが勝手に上がり込んだンだ!」
「何か問題が……?って、あ!マイキーくんたちじゃないっスか。おはよう、こんな早くからもう祭りを回ってるの?」
後を次いで出てきた二人の青年より少しばかり小さな姿に万次郎も、場地の袖口を掴んで止めていた春千夜と止められていた場地も、一斉に顔を明るくさせて駆け寄った。
「タケミッち!」
「まだ屋台は出てないんじゃ……?鼻も耳も赤いね、走ってきたの?」
「タケミッちに逢いに来た!」
「俺に?」
透き通るような金髪を揺らして不思議そうに首を傾げた青年に、万次郎は何度も頷いてその手を取った。途端に両端を固めていたお付の二人が殺気立ちぶわりと周囲の砂埃を舞わせたが、片手で制されてすごすごと一歩下がる。
「タケミッちと、祭り回りたくて……オレ、今日のためにじいちゃんと真一郎の手伝いして、駄賃も沢山貯めてきたンだ。……やっぱり、忙しい?」
「だァら、主がお前らに構ってる暇は、」
「ココくん、待って。……うーん、そうだなぁ……神楽はいつ刻だっけ?」
「……暮六つだ。屋台は昼八つごろから開くだろ。」
しばらく考え込み黙りこくる青年に、万次郎は首を傾けて縋るようにぎゅっと手を握る力を強めた。それを見て、青年は緩く笑うとこっくり頷く。三人の童は目を輝かせて、お互いの顔を見合った。
「いいよ、神楽が始まるまででも良ければ一緒に回ろうか。」
「おいおい、主……」
「だって一年に一度だもの。俺だってまともに回ったことないし……それまでにできることは終わらせるから、駄目かな?」
いじらしく小首を擡げて甘えるような仕草に、狐目の青年は言葉を詰まらせる。しばし葛藤するようにあちこちへ視線を逃がしたあと、観念してため息をついたのへ、満足そうに主の青年は笑った。
「ありがとう!そうだ、どうせなら二人もおいでよ。いっときくらい留守にしたって平気でしょう。」
「そうしたら式神の負担が増えるだろ。使役するのにも労力を割く。オレとイヌピーはここにいるよ。……イヌピー、その不満気な顔をやめろ。神楽の後でも屋台は開いてる。」