窓の外にちらちらと降る雪を眺めながら、ロドス製薬会社のドクターは静かに話し出した。
「君は他人にも自分にも、厳しすぎるんじゃないかな」
「私が、か?」
フードを目深に被ったドクターは、組んでいた手を握り直して、私を見上げて頷く。
すっと交わった視線は、静かにチェスの盤上へと落ちる。
ドクターの勝利で終えた盤越しにいる彼のフード奥に潜んでいる目を私は離せないでいた。伏せられた睫毛は存外と長い。そう分かるほどの近さで顔をあわせた事がなかったからと言い訳しながら溢れる好奇心を抑えつける。
「そう。自分に甘く、他人に厳しいひとを良く見るけど、君はすべてに厳しい。少しくらい甘くしても良いと思うのだけど」
「…寛容さを持てと、そう言いたいのか」
落ち着いた指摘に抗ってやりたくなる。隙をみせたら、どうなっていたのか。分からない訳ではないだろうと、本音が漏れてしまいそうになった。
「そんな厳しい顔しないで。なにも隙を見せたり、ところ構わずに甘えてみせたらと言ってる訳じゃないんだ」
ドクターは手を解き、手袋に包まれた右人差し指をたてた。
「じゃあ、こう言おうか。これからは、私を恨んでくれたら良いよ」
「お前を?」
突拍子もない発言をしてからドクターは、にこりと目元を和らげた。
「そう。イェラグで起きたことも今日のチェスも、ぜんぶ私がやった事だから恨んでくれて良いよ」
「そんな事をして、私に何の得があるんだ」
「得かとどうかと聞かれたら難しいね。まぁ、これは私からのお願いと言うべきかな。すべてを私のせいにして、自分を許してあげてほしいというのは」
フードを揺らし、こちらを伺うようにドクターは首を傾げる。
「私は私を責めていると、そう思うのか」
「うん、思うよ。しかも無意識に」
言い切ってからドクターはしっかりと頷く。
「長い間、君は頑張ってきた。だからもう優しくしてあげてよ」
何が分かるんだと突っぱねても良いだろうに出来なかった。
普段の私なら迷わずにそうしたであろうが、どうしてか拒絶すること出来ない。
「おや、気に触ったかな?でも、それで良いんだ。何も分かってないだろう、お前なんかにって全部私のせいにすれば良いんだよ」
「私に恨まれて、それで良いのか。本気にしてドクターの命を脅かすような日が来るかもしれないぞ」
椅子から僅かに身を乗り出した私を眺めて、また柔らかく目元が細められる。
「良いよ、別に。それで君が、自分に優しく出来るのなら」
迷いのない声と目が私を貫く。
と、ドクターは子供に諭すように、両手を差し出して優しい声音で続けた。
「だからもう、自分を傷つけることも止めてほしいな。ずっと頑張ってきた身体も大切にしてあげないと…ひとつしかないんだから、ね?」
返答に困る。どうしてそんな話をという疑問だけが浮かんでゆく。
「いまは理解に苦しんでも、そのうち分かってくれたら良いな。私はね、君なら出来そうだって思ってるよ」
そう言い終えるとドクターは、私の答えを待たずにさっと席を立った。
「君は新しい道を歩くんだろう?だったら、何よりも自分を大事にしなくちゃ」
「ドクター」
立ち上がろうとした私をドクターは手で制す。
「此処で失礼するよ、エンシオディス。その傷しっかり治すんだよ」
ひらひらと手を振り、部屋を出て行くドクターを私はただ見送った。
音もなく雪が降る。
窓の外を眺めながら、胸の傷をさすった。
触れてみたら、じくじくと痛む。
身体に傷をつけたら痛むというのを知らぬ訳ではない。だがそんな事は、成すべきに比べてどうでも良かったのだ。
見て見ぬふりをしていた物事を突きつけられたのに、不快感も嫌悪もない。
ただもっと『ドクター』という人間を深く知りたいとそう思った。
***
「私、そんな格好つけたこと言ってたの」
ウサギ耳のついたピンクのパジャマ姿の盟友は、トランプを持ち怪訝そうな顔をした。
私をベットのうえに招いてから、持っていたトランプを箱から取り出してマットレスの上に並べてゆく。
長時間の作戦になったとき、こうして盟友とゲームをする。毎回ではないが、ここ頻度が増えているのは気のせいではないはずだ。
勿論それ以外の目的でベットに侵入する事も多い。
自然に寝室へ招かれ、夜を共にする権利が私にはある。非常に喜ばしいことだ。
「言っていた、忘れるはずがない」
「君の記憶力は疑ってないって~」
暢気に呟きながら、マットレスに腰掛けた私を盟友が見上げる。
「ねぇ、もっとリラックスして良いよ。私しかいないし」
シャツにスラックスしか纏っていない。これ以上ないくらい、くつろいでいる。
「しているが」
「そう見えないんだよねぇ~。育ちが良いとそうなのかな?あ、そうだ…今度パジャマ買って置いておこう。そうしたら違うかも」
問題を自己解決した盟友は、私の前に並べたトランプを差し出した。
「それも自分で買ったのか?」
うさぎ耳付きのフードを摘まんでやると、盟友はけらけらと笑い出す。
当然だが作戦中の声とは違い、やや高めの明るい笑い声だった。
「コレを?まさかぁ!アーミヤがオペレーターからもらったらしいんだけど、サイズが大きいからって私が譲り受けたのさ」
それにしてはサイズが丁度良い気もするが。
ここは言わないほうが良いのかと、黙っておいた。
「さ~て、トランプは久しぶりだ。君に勝てるかな」
「どうだろうか」
シーツのうえに置かれたトランプに手を伸ばしたところで、パジャマの袖が指先に触れる。ピンク色をした長いパジャマの袖口ごと盟友に手を握られ、私はその行動の意味を理解した。
「…そういう事か」
「う、あの…嫌ではなければ」
盟友は色事(いろごと)には奥手のようで、私を誘う方法は大概この方法だった。
「わざわざトランプを用意しなくても、良かったのではないか?」
「だって、なんかいきなりって…その、ムードとかないかなぁって」
遠慮がちにそう口にしながら、盟友は私の手を離した。
「結局ムードを作れなかったけどねぇ。駄目だなぁ、私って」と言いながら、私の前で不満そうに唇を尖らせる。懸命に別けていたトランプを盟友は片付け始めた。
必死にムードを作ろうと、あれこれ考えながらトランプを別けていたのか。なんて愛らしいのだろうか、お前というやつは。
「盟友」
「ん?」と私を見上げた盟友の頬に優しく触れた。
「駄目ではない、お前は魅力的だ。私に新しい感情を教えてくれる」
頬に触れたまま、親指で盟友の唇をなぞる。
不思議そうに私を見上げていた顔が、ふんわりと微笑んだ。
「そういうの出来ないんだよねぇ~!まぁでも、慰めてくれてありがと」
「慰めた訳ではない、事実を述べている」
盟友はまた高めの笑い声をあげた。
「そんなに私を甘やかさなくても良いよ。たまには自分に優しくしてあげなって」
イェラグで私を見上げていた優しい眼差しと再び出会う。
「お前は覚えていたんだな」
私の手首を華奢な盟友の指先が滑る。
「勿論。でも格好つけちゃったから恥ずかしくて…あの時と言いたいことは同じだけど」
「私はお前がいないと、私を大切に扱えない」
微笑んでいた顔が不思議そうに傾げられた。
「これはまた、新しい口説き文句だね」
口説き文句ではなく、事実だと伝えようとしたが止めておいた。盟友へ送ること全てが口説いてると言っても差し支えないからだ。
「お前は私に自分を大切にしろと言った。ならば私がちゃんと大切にしているのかを見守る責務がある」
私の手の中にいる盟友は、今度は困ったように眉間に皺が寄る。
「今度はすっごい重いんですけど?」
「知ってるだろ」と言いつつ、私は盟友を抱きしめた。
遠慮がちに盟友は私のシャツを握る。
「うん、知ってる。ちゃんと責務を果たさないと、ね」
ほんのりと耳先まで赤く染めた盟友。
私の反応でころころと変わる表情がもっと知りたい。
今もまだ『ドクター』という人間を深く知りたい、そう思っている。
おしまい
風雪イベのあたりに書いていた話が発掘されてきたので、供養させて頂きました~!