「おっ、良いところに来た」
ドクターのもとにやって来たシルバーアッシュは、相変わらず高そうなスーツに身を包んでいた。
見た目はいかにも偉そうなのに、声をかけたら頭上にある丸い耳が左右に揺れている。
雰囲気に反して可愛い仕草だと思うが、あとあと面倒くさいので言わないでおく。
ドクターがサージカルマスクを外したら、ゆらゆら揺れているシルバーアッシュの太い豹柄の尾が頬を撫でてきた。
「時間ある?今からドラマ見ようと思ってて、一緒にどうかな」
「良いだろう」
さっさとソファに座ったシルバーアッシュは、ドクターを見上げて優雅に微笑んだ。そして無言で隣を手で叩いている。
座れと催促され「はいはい」と軽く返事をした。
「全部見たら三時間くらいかかるんだけど、大丈夫?」
「問題ない。お前と過ごす時間は用意してある」
準備していた一人分のコーヒーを追加して、シルバーアッシュの前に置く。ついでにオペレーターからもらった、お菓子もスタンバイ完了だ。
「よし、準備完了」と言いつつ、白衣を脱いでソファ脇に置く。
録画していたデータを画面に映しながらシルバーアッシュの隣に座ると、すっと肩に腕が回る。
以前は気安く触らないでくれと注意もしたけど、慣れとは恐ろしいもので、今は気に止まる事もない。
触るも何も、既に身体中をくまなく眺められているから…というのも一つあるのだけど。
「内容は、どんなものだ」
「私もあまり詳しくは分からないんだけど、大河ドラマっていうジャンルらしいよ。古い時代の話みたいなんだけど、いま話題だからって色んな患者さんに勧められてね」
見慣れない服装の男性達が戦闘をしている場面もあるが、奥さんになった女の子と遊んでいたりして全体的に可愛らしい。
勧められた理由は何かと疑ったが、仕事から思考を切り替えるリフレッシュになった。
なんて暢気な事を考えていたら、指揮官役の男性が首を落とされ投擲(とうてき)されるという衝撃な状態に目を覆う。とんでもなく野蛮きわまりない行為が出てきて、恐ろしくなりドクターは息を飲んだ。
「あの黒いマントしてる人、めっちゃ怖い」
「駄獣に乗ったまま投げるとは、素晴らしい技だな」
シルバーアッシュの落ち着いた解説のように、確かにすごいと思うが、やっている行為も見た目も一回目で既に怖い。
一話が終わり、二話へすすむと事態は深刻な状態に陥ってゆく。幼い頃の主人公が誘拐され、連れ去られた挙げ句、殺されそうになる。
ぎりぎりで助かったものの、若い頃のマント姿の男に投げられたり迫られて危うく宇宙猫状態になるところだった。
そう思うのも束の間で、主人公の選択ミスで攻撃されて部下を死傷させてしまう。このシーンにはドクターの胸が詰まった。
いまは頻度が少ないけど、実際に作戦が行われれば指揮をしなくてはならない。
もしミスをすれば、ドラマと同じようにオペレーターを失ってしまう。泣いて詫び、その後に死を選んで部下を救おうとする気持ちは痛いほどに理解できた。
「うっうっ」と嗚咽を漏らして泣いてしまうと、肩を柔らかく引き寄せられた。
「盟友、泣かなくて良い。これはドラマだ、心配するな」
「そう、だけどっ…気持ちすごく分かるから」
長くて太い豹柄の尻尾が涙を拭おうと頬をくすぐる。
「辛いなら、ここまでにするか?」
「ううん、大丈夫」と言いつつ、首を振った。録画されてるのは、残りあと一話。
僅かにでも事態は好転してないかと願って、視聴を続けるが全くもって良くならない。
終盤にかかり、味方のいる城が燃えて落ちるシーンは耐えきれず、シルバーアッシュの首筋に縋り付いて泣いた。
いくらドラマといはいえ、指揮官を担う身としては辛すぎる。
「もう、見ていられない」
そんなに甘くないと分かっていても、期待してしまった自分が悪かった。知らないうちに精神にかなりのダメージを負ってしまったようで非常に疲れている。
「盟友」と呼ばれて、顔をあげるとペロリと涙を舐め取られた。
「落ち着いたか」
「うん、もう平気。あぁ…身体の水分が無くなってそう」
目元を擦りながら、鼻水を啜る。しかし目を擦っていた手を、優しく握り込まれた。
「明日、目が腫れるぞ。もう既に赤くなっている」
偏差値の高い顔に覗き込まれて、反射的にドクターは目を瞑り身を引いた。
いくら慣れたとはいえ、未だにシルバーアッシュの顔面は破壊力がある。
「そうか」と落ち着いた声がしてから、頬を両手で固定される。おかしいなと薄目を開けたら、至近距離に整った顔の主がいた。
「ミ゜」
発したことのない声が漏れたのに、構わずキスされた。舌先で唇をなぞるように舐められて、条件反射でシルバーアッシュを咥内に招き入れてしまう。
そのまま舌先を絡められて、水音をたてて吸われる。期待と興奮に、ガクガクとドクターの腰が震えた。
キスをしたまま、丁寧な手つきでソファに押し倒され、大きな身に覆い被されたら逃げられない。
「ひゃ、あぁ…」
苦しくなって、シルバーアッシュの胸に手をついて押したら、やっと唇を解放してもらえた。「お前から誘われるとは、思っていなかった」
「さっ、ささ誘ってないですがっ!?」
否定の文句を無視され、耳たぶを甘噛みしながら、ねっとりと囁かれる。
「そう言うな、照れなくて良い」
先ほど見ていたドラマよろしく「このケダモノ」と叫びたくなる。もしかして患者に勧められた理由はコレだったりと、良くない思考が働いた。
「君って、猫じゃなくて狼だったの?」
「私は猫でもないし、狼でもない」
抑揚のない声とは反対に手袋に包まれた指先が、ドクターの検査着の中に遠慮無く侵入してきた。
「だが、お前が兎になりたいのなら、狼のように攻めても良い」
「…もうソレ、完全に飢えた狼じゃないの」
急にケダモノと化した大型猫に迫られて、兎よろしくドクターは泣き声を出すしかなかった。縋るものがなく、脱いだ白衣をつい引き寄せてしまう。
「せめて、ソファは止めて!汚れたら掃除するの大変だから!」
「承知した」と言いつつ、顔面偏差値の高い猫もとい狼は愉快そうに微笑んだ。
***
温かな日差しを白衣の背に浴びつ落ち葉を集め、ほうきとちりとりで掬う。ドクターの前でシルバーアッシュがおおきくゴミ袋を広げているところに、濃いブラウン色の葉を中に入れる。
「は~、こんなものかなぁ!」
ゴミ袋ふたつ分を眺めつつ、背を伸ばす。
幼い患者達に少しでも季節の楽しみを感じてもらいたくて、落ち葉で焼き芋をすることになった。
「これだけあれば、充分かな」
焼き芋のために落ち葉拾いをドクターは担当していたのだが、例に漏れず予告なくやってきたシルバーアッシュが手伝ってくれた。
どうみても落ち葉を集めるスタイルじゃなく、会議に行きそうな姿のシルバーアッシュがゴミ袋を持ってるのは面白い。
「手伝ってくれて、ありがとう。これで終わりにしよう」
「そうか」と一言いい、シルバーアッシュは丁寧にゴミ袋のくちを縛った。
「落ち葉拾いするような格好じゃないのに、手伝わせちゃってごめんね。でもすごく助かったよ」
落ち葉を集めたゴミ袋を持ち、シルバーアッシュは自信満々な笑みを落とした。顔が良いのでゴミ袋を持ってるだけなのに、妙に様になっている。
ぬけるような青空にあっていて、ドラマみたいに思えてドクターはつい笑ってしまった。
「どうした?」
「いや、顔が良いとゴミ袋を持ってても、様になるなぁと思ってさ。ちょっとドラマっぽく見える」
銀髪のうえにある丸い耳が左右に動いた。
「お前は、どちらかと言えば愛らしい顔をしている」
「そう?君だけだよ、そう言うの」
そもそも大抵はサージカルマスクで隠しているので、素顔を知る人が少ないのもあるが、ドクターの顔を褒めるのはシルバーアッシュだけだった。
「ふたりでデビューして、ひと儲けしちゃう?まぁ、君は既に儲けてるけど」
「お前を全世界に公開するのか?それは考えさせてくれ」
いたく固い返答に苦笑してしまった。
勿論、そんな気は無い。
「冗談だよ~。顔が良いひとの隣に映るのヤダもん」
カサカサと乾いた音を落ち葉からさせて、ゴミ袋を持って病院に引き返す。
「謙遜するな」と妙に楽しげに背後から声をかけられ、ドクターはゴミ袋を持ったまま振り向いた。
「可愛い顔なら、私は白兎になれるかな?そしたら天下統一するんだ~」
大河ドラマでみた気弱な主人公よろしく、今から強くなっていきたい。
シルバーアッシュはドクターを見下ろして、僅かに首を傾げた。そして距離を詰めて、口角をあげる。
「可愛いな、まるで白兎のようだ」
突然なにを言い出すのかと構えたが、先日一緒にみたドラマのワンシーンだと気がついた。
「私は、私は兎じゃない!虎だ、虎なんだっ!」
「そうだ、その目だ」と口にして、肩を掴まれる。
「愛らしいな、食べてしまいたくなる…」
気合いが入ったセクシーボイスで囁かれて、ぐっと身を固める。とても遊びで出していい声音じゃない。
うら若きお嬢さん方なら失神してもおかしくない声に耐えたものの、耳先まで赤くなっているのが分かった。
「ぐっ、遊びなのに無駄にいい声を出すんじゃない!」
「気に入ってもらえて何よりだ。お前は、あのドラマがいたく気に入ってるようだな」
「そうだねぇ、見てて辛いけど」
赤くなった耳を隠すように、マスクを指先で弄くる。
「今度の日曜の晩、一緒にどうだろうか?」とさりげのない誘いにドクターは悔しいが頷いてしまった。
また銀髪のうえにある耳が左右に揺れていた。
どうやら嬉しいらしく、直球で口説いてくる割に少年のような愛らしさに笑ってしまう。
「また泣くかもしれないから、バスタオル用意しなきゃ」
「そうか。その後にまた別で泣くことになる、水分をよく取っておいた方が良いな」
前言撤回、ただの押しが強い男なだけだった。
「ヘンな事したら、もう一緒にドラマみないよっ!」
苦し紛れに叫んだら、ゴミ袋を持ったシルバーアッシュは愉快そうに笑っていた。
「変な事とは、例えばどのような場合をさすのか…是非詳しく聞きたい」
実に腹正しげな言い草に、ドクターはゴミ袋を持って早足で歩き出した。
***
数日後、社員食堂で調理を担当してるジェイに聞いたのだが、シルバーアッシュは患者さんたちの間で噂になっているらしい。
「なんでもスーパー攻め様って呼ばれてるらしいんですよ」と、淡々とした口調のジェイの話にドクターは味噌汁を吹き出してしまった。
「うわ、熱かったですか、大将」
ドクターは首を振りながら口元を抑える。ダスターでテーブルを拭きながら、ジェイは続けた。
「それで大将は兎ちゃんって呼ばれてましたけど、なんか関係あります?」
情報量が多くて、何処からツッコんでいいものか。ただ、はっきりしてるのは落ち葉拾いしていた時の遊びを、誰かに見られていたという事だ。
「私が兎って…」
「あ、もしかして人参好きなんですか?なら、今度から多めに入れときますね」
優しいジェイにまさかスーパー攻め様の相手だから、兎ちゃんなのだとは、どうしても言えなかった。
「うん。人参はね、好きだよ」
「ちょっと待っててください」
そう言い残してジェイは厨房に戻り、ドクターへお手製のきんぴら人参多めを持ってきてくれた。
ますます申し訳なくなってしまい、正直に白状できない。
さて今度の日曜日、一緒にドラマを見ようと約束したスーパー攻め様に、どう話せば良いだろうか?