『イェラグ外でもエンシオディス・シルバーアッシュの研究は盛んになっています』
資料の発見も著しく…と、いかにも覚えたであろう説明をリーベリの博物館員女性が来場者に向け話している。
○は流ちょうに台詞を語る小柄な女性を囲む人たちの横を通り、近代化への歩みというパネルを抜けていく。慣れた足取りで武器展示スペースに入り、エンシオディスが使用していた剣を飾るブースにやって来た。
普段のイェラグでは見かけないような、薄着のいかにも観光客な連中がパネルの前にひしめき合っている。
新しく紙幣になる男を一目見てやるかという、お上りさんたちがエンシオディスの展示物前でめいめい話をしていた。
絵画で見るより良い男だの、聡明そうな見た目だの…どれもつまらない話ばかり。
本当にエンシオディスという男に興味があり、その正体を探そうとしてるのではない。
イェラグを近代化へ導いた、経済の父ことエンシオディス・シルバーアッシュ。
雪しかないド田舎を発展させ、経済国へと押し上げた功績は計り知れない…それは○にも分かっていた。
分かっているからこそ、そのエンシオディスに文句を言ってやりたくなったのだ。
(…どうしてウチの庭に手紙なんか置いたのよっ!)
○の庭にあった倉庫を改築し、自室を作って良いと父から許しが出たのは一ヶ月ほど前。もともと建築関係に興味もあったし、代々大工をしている家系なので自分で部屋を作ることに憧れもあった。
倉庫は父の父、大工の祖父がひとりで建てたと聞いている。この祖父は近所でも有名な長寿だった。
健康を維持するためだといい、極寒なのに寒風摩擦という名をした謎な行為をしていた。裸になり上半身裸をタオルで擦るという、どう考えても不健康そうな行いなのだが、祖父は長く風邪ひとつひかず大工を続けていたから恐ろしい。
資材不足のなか作っただろうに、倉庫は案外しっかりしているから長年修理していない。しかしもう○も年齢も上がったのだし、すべてを一人でやって良い。そう父から許可が出た、その日に庭の倉庫を取り壊しにかかった。
ちょうど雪も小降りになってきた昼間。
見た目よりも頑丈な倉庫の屋根裏の柱を外しにかかったとき、ソレを発見した。
丁寧なサテンの布地で巻かれていたのは綺麗な菓子の缶。チョコチップクッキーと書かれた箱のうえに紙が巻かれ、蝋で封をしてある。
屋根裏から降りて「ねぇ、お父さん。これ何かなぁ―」と謎の箱を見せると、シャベルを持ったまま父は飛び上がった。
「どっ、どこから持って来たんだ!お前!」
「どこって、屋根裏だよ。布に包まれてたんだけど…」
「何ていう事だ!あぁ、我らが巫女様…私の娘にお役目を与えて頂き、感謝を申し上げます」
父は祝福の文言を唱えると、素早く家に戻り真新しいタオルを持ってきた。唖然としている○を前にタオルを敷き、箱を置き神に感謝を捧げるようにと指示をする。
「どうしたの、そんな重要な箱なの?」
「大馬鹿者っ!」と父の馬鹿でかい声が近所中に響いた。小降りな雪を声で飛ばせそうな威力に○が文句を言おうとした刹那。
「箱にある紋章を見て何も思わないのか!?」
「紋章?」
怒ってトマトのように真っ赤な顔の父からクッキーの箱へと視線を落とす。封をするために蝋で固めたうえに見慣れた紋章が浮かぶように輝いてみえた。
間違いない、シルバーアッシュ家の家紋だ。
(…嘘、なんでウチの倉庫から?)
驚いて、へなへなと腰を抜かす。父親は○の腕を掴みながら、これまた大声で母を呼んでいた。
イェラグを統治する貴族のひとつ、シルバーアッシュ家。
エンシオディスが当主であるときに、家もイェラグも大きく発展させた名門である。現在もその子である双子が家と国を治めていた。
それからはまるで暴風雪のような出来事だった。
シルバーアッシュ家の使用人とイェラグ歴史研究家たちが家にやって来てから、庭は全面封鎖されてしまい発掘作業が行われている。
勿論、現在もだ。
庭だけでは飽き足らず、とうとう家にまで作業は拡大している。自分の部屋を一人で作る…なんて話は夢で終わりそうな気が○にはしていた。
『まもなく、当施設は閉園のお時間となります。お客様は―』
どれ程の時間をそこで過ごしたのか。○は閉園のアナウンスに押されて、もと来たパネルの前を通る。
今日仮住まいの家に研究者が説明に来た。見つかったクッキーの箱の中にあったのは手紙だったらしい。
研究者が言葉を選んで口にした手紙の内容はラブレターだった。どうやら現在の当主である双子の母親らしき人物とエンシオディスとのやりとりを残していたらしい。
子達も母の出自を知らず、エンシオディスの妹達も知らないので長年の疑問となっている。
研究者が言うに「ただのラブレター」とも見れるが、もしかしたら貴族間で諍(いさか)いがあった際の暗号の可能性も高いそうだ。
研究をすすめてゆくので、時間が欲しい…という研究者に両親は一つ返事で発掘延長の許可をした。
「イェラグを発展させたシルバーアッシュ家に貢献できるなら、こんな有り難いことはない」
「それに、もしかしたらエンシオディス様のラブレターかもしれないなんて、有り難いを通り越して尊いお役目を授かったわ」
両親の何とも暢気な感想に○は呆れてしまった。自分達の親が建てた家を一度壊して発掘作業をされるのに。
そんな訳で人迷惑なエンシオディス様に文句を言おうと、博物館までやって来たのだけど、よく考えたらラブレターを後生で発見されるのは嫌だろう。
入り口の前に飾られていたエンシオディスの写真を眺め、ちょっぴり同情する。研究者が照れながら数枚見せてくれた手紙のコピーは熱烈な愛が綴られていたから余計に…だ。
『お前に会えて良かった。もっと会話を持ちたいが、とうてい時間が足りない。許されるならずっと話をしたい、私はお前の全てが知りたいのだ』
『今日の調子はどうだろうか、些細な変化でも構わず教えてほしい。私はお前以外、大切なものなどない。辛く、苦しい時を私では変わってやれないのだ。どんな事でも良い、教えてほしい』
『目が離せない、それは良く分かっている。だが周りにまかせても良いのではないか。少々、私にはお前と過ごす時間が不足しているように思う。子供が増えてしまったと、笑っても良い。どうか考えてもらいたい』
『もう少しだけ、もう少しで良い。お前と一緒に居たい』
それを対となる手紙がある、そう研究者が口にしたとき。父が素早く断った。
「その内容を知る権利は、私たちにないです。ご存じになるのはエンシオディス様とお相手だけだ」
一同、おおきく頷き納得した。
もしこの発掘された手紙が暗号でも、ただのラブレターでも真相はエンシオディスとその相手しか知らないのだろう。
そうして残る謎は、どうしてただの大工の家に、手紙が隠されていたのだろうかだ。
研究者の関心はその部分にあり、ラブレターと平行して調査が進められる予定だという。
ふと「すみません、もう閉館でして―」とパネルの説明をしていたリーベリの女性に促され、○は我に返った。
「いえ、こちらこそ。お邪魔しました」
博物館員の女性とエンシオディスの写真に向かって頭を下げる。
不思議そうな女性の後ろで、写真におさまる「イェラグの経済の父」に微笑まれている気がしていた。
建築関係の知識を学ぶため、○はシルバーアッシュ家がすすめる人材育成プランに応募をする。
審査通知が来る頃、発掘は佳境を迎えていたが、家からは箱が出てきたきり何も出土していない。
もしかして本当にラブレターだったらな、と考えつつ建築学校への一次審査合格通知を祖父の写真の前に備えておいた。
◆
『随分と熱烈な回答に笑ってしまったよ。でも嬉しいな、ありがとう。君が忙しいのはよく理解している。でも私に出来ることは手伝いたいな。実は私もね、君の事を知りたいと思ってたりするんだよ』
『あんまり調子は良くない…買ってきてくれた栄養ゼリーも吐いてしまったし。ごめんね、エンシオディス。あぁ、私は君に変わってくれなんて、無茶を言うつもりはないよ。気にしないでほしいな。きっと元気な子が産まれるんだよ、君によく似た双子の』
『もしかして、気にし過ぎなのかな?私が居なくても、あの子達は平気なのに、過保護なだけなのかもね。確かに君の言う通りかも。うん、また一緒にチェスもしたいね。ん?ちょっと待って。二人は充分おおきいのに、更におおきな子が出来たら私は誰に甘えたら良いのかな!?』
『大丈夫、君とずっと一緒に居るよ。でも、もしもの時は全部捨ててね。それがエンシオディスと子供達のためになるはずだから』
私から愛しい嫁へ四通、その返信が四通。計八通の手紙を捨てずに保存されていた。
出会った頃に私と一緒に食べたというクッキーの缶に、出した手紙がきちんと収納されていた。これ以外の品を綺麗に箱へ収め、焼却をして欲しいというメモが貼り付けてあったらしいではないか。
大きな箱に衣服や書類などを、私の嫁は綺麗に保管していたのに、全てを燃やしてくれと言うのだと。二人の息子に報告されたとき、私は何とも言えぬ思いを抱いていた。
痕跡を残さないでほしいと願う、最愛のひとの気持ちと私の思いが乖離(かいり)している。
子供達の描いた絵や手紙などは片付けて私に託されていたが、まさかやりとりをしていた手紙を残していたのかと驚いてしまった。
明日に行われる葬儀を前に私は久しぶりに、私の嫁となり母になったドクターからの手紙を眺めていた。
丸い癖のある文字が紙面に踊っている。
亡骸はもう棺に収められ花で飾られていると息子達が教えてくれた。まるで初めて会ったときのようだな。
それを知る人間は、私とヤーカ、ヴァイス以外いない。今度は目ざめる事のないドクターを送る前に、私には成すべきことがある。
手紙を、私とドクターとの思い出を葬らなくてはいけないのだ…と。
「少し出て来る」と息子達に伝える。
おおきく頷きながら次男が「分かりました。お気をつけて」と口にした。
「雪が強くなってきたから、長時間は危険かもしれないです」
付け加えるような長男の一言に私は頷いた。
吹雪を眺めつつ「お母様を頼む」という私の声に二人の息子達はそろって返事をした。
容姿が若いころの私に似ている。背丈もあっという間に私と同じ頃になったとき、嫁からすっかり母の表情をしていたドクターが口にしていた。
「背、もう抜かされちゃったよ。私」と。
◆
常々、私は「もう少し人を頼るように」と指摘されていた。全てを一人では熟せないのだからと。
ドクターが常々研究していたのは、じゃがいもの品種改良だった。
寒冷地でも育てられて加工しやすく、あらゆる食材に応用でき貯蔵も可能だと。今では次男がその役を引き継いで、畑管理や品種改良の研究が続いている。そして民間へ技術を提供し会社まで出来てしまった。
(…その報告を聞いたとき、お前の嬉しそうな表情は忘れられない)
はじめて実ったじゃがいもの倉庫を作った大工に、私はシルバーアッシュ家の敷地を譲渡していた。
他でもない、ドクターの進言があったからだ。無償で手伝いを買って出て、おまけに私の妻の名も顔も公言しない信用のある男だ、と。
既に私との思い出を葬る役に適任な人物を探していたような気がしてしまう。
私が彼の家を訪れたとき、とても驚いた様子だった。出来たばかりの倉庫のなかで、昨晩ドクターが息を引き取ったと教えたら、吹雪に負けない声で泣き出した。
「あぁ…エンシオディス様、とうとう私に役目をお与え下さるんですね」
何もかも見透かしたような口調で話をしてから、大工はセーターの袖でこぼれた涙を拭った。
「奥様から常々、伺っておりました。もしエンシオディス様がお越しになったら、よろしくと」
私は遠く、霞む山を眺め息を吐いた。白い靄が倉庫へと広がってゆく。
「…私の行動は、既に読まれていたんだな」
「奥様はいつも楽しそうにエンシオディス様の話をされていましたから。読んでいた、というよりはずっとご覧になっていたのではないでしょうか」
ずっと私を見ていた。だから行動の予測が出来たのか?
そうなのかと、問い詰めたらお前は困ったように笑い誤魔化すのだろう。
もう確認したいが出来ない。心残りが雪のように重なってゆく。
虚無、幼い頃に何度も感じた思い。なにもない、広がる穴のような感覚は昨夜から広がってゆく。
「エンシオディス様。お預かり致します」
大工は自ら身に付けているセーターで手を丁寧に拭き、それから私へ向かって差し出す。
もう言及する必要はなかった。私は抱えていたクッキー缶を差し出すと、慎重に大工は受け取った。
「私が必ず引き継ぎます。子供にも」
「いいや、その必要はない」
困ったような様子で大工はクッキー缶を眺めていた。
「処分をしてくれと、頼まれていたものだ」
黙って大工は唇をグッと引き絞った。
「…分かりました。奥様は、おくゆかしく優しい方でした。我々にも親切に接してくださいました。最後まで奥様らしいです」
「私の我が侭で、責任を負わせてしまうな」
何も言わず大工は首を振った。
「とんでもない!奥様と約束をしましたから…またお会いしたときに、自信を持ってお役目を果たしたとお伝えできます」
吹雪のなか、私は「また会う―」と呟いていた。
「えぇ。イェラグには厳格な教えがありますが、余所にもいろんな教えがあると奥様が仰ってました。死を迎えたら川岸の向こうで、また大切な人に会えると」
川岸の向こう、そこで待っているのか。私を、お前は。
抽象的な話は好きではない。具体性がないと実行できないからだ。
しかしながらこの「また会える」という考えは私に大きな安らぎを与えてくれた。
大工は再び溢れてきた涙を飲んで、私に向かい頭を下げる。
「必ずお役目を全うします。エンシオディス様が、もしまた必要になったらお越しください。それまで守り続けます」
「いいや、私も川岸の向こうで会うときに言い訳をしたくない」
「そう、ですか」
「しかしながら、焼却しないのだから叱られはするだろうが」
泣きながら大工は、私に向かって微笑んだ。
「そのときは、私も奥様に謝りますので。エンシオディス様のお気持ちは充分理解できております…失礼を承知で言いますが、私にも息子がおりますので」
吹雪く空に視線を変え、大工は缶を抱きながら息を吐いた。
「息子の母であるけれど、私の大切な伴侶であり…まぁ恥ずかしながら恋人でもあった訳ですから。一緒にしたら失礼だと、思っております。どうか無礼をお許しください」
「いいや。同じ気持ちだ、私も」
大工に向かって手を差し出す。おろおろとしながら、彼は私の手を確かに握りしめた。
「ありがとう、よろしく頼む」
「こちらこそ。勿体ないお言葉です…お役目を授かれて光栄です」
缶を抱きながら大工は「奥様にまたお会いできますよ」の一言に私は頷いていた。
遠いのか、近いのか。私にはその時が分からない。
けれどもまたお前に会えるとして、私を叱るのだろうか。「ちゃんと燃やしてって言ったのに!」と頬を膨らませ、こちらを見上げるのだろう。
その日を楽しみにしている。幾日過ぎれば、またお前に会えるだろうかと。
おまけ
「奥様はエンシオディス様のことを、よくご存知なのですね」
じゃがいも倉庫を作る大工が嬉しそうに声を弾ませた。雪が降るなかで半袖シャツを肩までまくりあげ、丸太のような腕で金槌をふっている。
「ちょっと、照れるじゃない。止してよ」
「ですが、本心です。随分と先までエンシオディス様の行動を予測しているなぁって」
じゃがいもを分別する手を止め、ドクターは唸った。
「もし、もしもエンシオディスが君のところに行ったら力を貸してほしいんだ。私の頼みだと思って」
「なんです、急に!」と金槌を持ったままで大工が、こちらを振り返った。
「当主様を下げたくないんだけど、あぁ見えて湿っぽいところがあるからさ。きっと君に助けを求めるかもなぁって」
じゃがいもを手にして大工に微笑む。
「…よく分かりませんが、俺で良ければお役にたたせて頂きたいです」
「本当?ありがとう。良かった、今夜は熟睡できそう」
大工は怪訝そうな顔で、金槌を再びふりだした。
倉庫作りに戻った大工を見届けてから、ドクターはまたじゃがいもの仕分けに戻る。エンシオディスのことを知っている訳ではない。
誰よりも観察しているから。そのデータをもとに行動を予測しているだけなのだ。
純粋に好きなので、ただずっと見ているだけの話。
そしてエンシオディスは以外と湿っぽい事も知っている。きっといざという時、自分との証を残そうとする。
でも産まれてきた子供の為にも、エンシオディス本人の為にも痕跡はない方が良い。
記憶喪失の人間が母だなんて、今後のシルバーアッシュ家の存続に汚点となる。エンシオディスや子供たちのように、自分は健康体ではない。
その意識が日々強くなってきたが、当然だなとドクターは受け入れていた。大陸の何処かには死を迎えれば、川を渡るという教えがあると聞く。
川岸の向こうでエンシオディスが来る日を待っている。だから思い出の品なんていらない。
また会える日まで、ずっと待っているから。
大工が明るい声で「あっ、エンシオディス様」と声を張った。雪を踏みしめて歩いてくる夫を見つけドクターは立ち上がる。
ふと目があうと長身な夫は、尻尾を左右に揺らした。あれは喜んでいる仕草だと分かる。
「やぁ、エンシオディス!」
きっと川岸の向こうで会うときも同じ挨拶をする。大きく手を振って、名前を呼ぶんだろうなと。
おしまい