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    ToriMizu22

    @ToriMizu22

    文章中心。雑多。

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    ToriMizu22

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    【#02】背伸びをしても届かない第二話「おいていかないで」


    「待たせてすまない。大丈夫だったか?」


    そう言ってこちらを見つめて来るその男性を前に、ユーニは言葉を失っていた。
    アイオニオンの記憶を取り戻していなければ、親族のふりをしてこの状況から助けようとしてくれている親切な見知らぬサラリーマンにしか見えなかっただろう。
    けれど、胸の奥に抱え込んでいるあの頃の記憶が告げている。
    この男のことはよく知っている。初対面なんかじゃない。
    だって、ずっとずっと会いたくてたまらなかった、たった一人の相方なのだから。

    黒いスーツを身に纏い、この少しだけ汚い街に不似合いな綺麗な革靴を履き、機能性の高そうなスマートウォッチを腕にはめた“タイオン”の手が、先ほどまでユーニにまとわりついていた男の腕を強く掴んでいる。
    そして、男に向かってつらつらと嘘を吐き始めた。


    「すまないな。彼女は僕の妹なんだ。ちょっかいを出さないでもらえるか?」
    「は?妹?」
    「ここで待ち合わせていたんだ。悪いが他を当たってくれるか?それとも、僕とあそこで少し話でもするか?」


    タイオンが指さしたのは、後方の駅前に建っている小さな交番。
    引き戸になっている扉の前には、制服姿の警官が仁王立ちし街の治安を見守っている。
    指さされたその光景にすべてを察した男は、タイオンから掴まれている腕を振り払い“チッ”と小さく舌打ちをすると、ズボンのポケットに手を突っ込みながら去っていく。
    その背を呆れた目で見つめていたタイオンだったが、ため息を一つ吐いてこちらに目を向けてきた。


    「君、未成年だろ?またあぁいうのに絡まれたくなければ早く帰りなさ……」


    タイオンの気遣いに満ちたその言葉は、ユーニが突然胸板に飛び込んできたことで遮られてしまう。
    出会ったばかりの女子高生が突然抱き着いてくれば、驚かない大人はいないだろう。
    タイオンもまた例外ではなかった。
    だが、ユーニにとって彼は“見知らぬ大人”などではない。


    「ちょ、ちょっと、何を……」
    「タイオン、会いたかった……っ」


    ユーニの大きくて青い目から、ぽろぽろと涙が溢れ出る。
    止めようにも止まらない。
    目の前にいるタイオンは、あの頃のように眼鏡をかけていなかった。
    けれど、どう見ても間違いなく彼はあのタイオンだ。

    ずっと会いたかったその顔を見ていると、感情が波立って仕方ない。
    だが、ラブホテルにほど近い夜の路地裏で制服姿の女子高生に抱き着かれているこの光景は、スーツを纏ったタイオンにとって非常に不都合なシチュエーションだった。
    焦りを覚えた彼は、一歩後ずさりながら強引にユーニを身体から引きはがす。


    「いきなり何なんだ というか、なんで僕の名前を……」
    「知ってるに決まってる。アイオニオンでずっと一緒だったんだから」
    「は?アイオニオン……?」
    「ウロボロスとしてずっと一緒にやって来ただろ?何度もインタリンクしたじゃん!」


    両腕を捕まえて詰め寄るユーニ。
    彼女の言葉に一切のウソや妄想は入っていないが、タイオンには何も伝わっていないようだった。
    恐らく、彼もノアやランツたちと同じようにアイオニオンでの記憶を持っていないのだろう。
    そんな彼にとって、アイオニオンだのウロボロスだのと口にする目の前の女子高生は、妄想癖のある厄介な人物にしか見えていない。
    これは面倒な子に関わってしまったな。
    そんな考えを顔に滲ませながら、タイオンは困ったように眉をひそめた。


    「……すまんが何を言っているのか分からない。とにかく帰りなさい。それじゃあ」
    「えっ、ちょっと待てよ!」


    早々に立ち去ろうとするタイオンの背に焦り、ユーニは反射的に彼の腕にしがみついた。
    渾身の力で掴まれた腕の力によって、タイオンの足は止まる。
    何年も探し回って、ようやく会えたのだ。
    こんなに呆気なく別れるなんて出来るわけない。
    ここで離れれば、きっともう二度と会えない。
    なら、どんなに無様を晒したって、この細い繋がりを手放すわけにはいかなかった。


    「タイオンの家どこ?泊らせて」
    「はぁ?何言ってるんだ。帰れと言ってるだろ」
    「帰るところなんてない!行くとこないんだよアタシは!」
    「家出少女か……。悪いがこれ以上関わる義理はない。本当に困っているなら交番に行ってくれ」
    「やだ!タイオンのところがいい!」
    「“やだ”って……。勘弁してくれ。なんで僕が……」
    「ホテルはどこも門前払いだった。このままじゃ公園かどっかで野宿するしかないんだよ!JKが野宿なんてしたら危ないだろ?アタシが今みたいな奴に襲われてもいいのかよ」
    「……見知らぬ女子高生をそこまで心配できるほど、僕は親切じゃない」
    「頼むよ。お礼なら何だってするから!」


    ここでタイオンに見捨てられたら、きっと本当に終わりだ。
    なんとしても拾ってもらう必要がある。
    懇願しながらタイオンの手を握ると、彼は少し驚いたような顔をした後、すぐに表情に嫌悪を滲ませた。
    そして、握られているユーニの手をそっと引きはがしにかかる。


    「最初からそれが目的か」
    「え?」
    「所謂“パパ活”というやつだろ?家出少女が金銭欲しさに男と過ごすなんてありがちな話だ」
    「はぁ?違うって!アタシはただ……」
    「金と居場所が欲しいなら他を当たってくれ。未成年に手を出すほど僕は落ちぶれちゃいない」


    客観的に見れば至極まっとうな判断だった。
    女子高生に“何でもお礼をする”という条件の元迫られれば、想像する返礼などただ一つ。
    未成年が金欲しさに年上の男性を誑かし、両者ともに甘い汁を啜っている事象は世間的にも問題になっている。
    犯罪でしかないそんな行為に足を踏み入れるほど、タイオンは愚かではなかった。

    助けを求めるユーニに背を向け歩き出すタイオン。
    そんな彼の背を見つめながら、ユーニは大いに焦っていた。
    まずい。このまま行かせたら、また会える保証なんてない。
    タイオンとの繋がりを保持するためには、手段なんて選んでいられないのかもしれない。

    去っていくタイオンは、スーツのポケットからスマホを取り出し画面を確認し始めた。
    やるしかない。意を決し、ユーニはタイオンめがけて走り出す。
    油断している彼からスマホを奪い取るなど、実に簡単なことだった。


    「ちょっ、何を……」
    「泊めてくれるって言うまで返してやらない」
    「何言ってる 返しなさい!」
    「じゃあ今夜泊めてくれる?」
    「だから無理だと言ってるだろ」
    「なら返さない」
    「いい加減にしろ。返すんだ」
    「嫌!」


    頑なにスマホを返そうとしないユーニに、タイオンはついに強引な手段に出た。
    手を伸ばし、スマホを奪おうとする彼だったが、何としても返したくないユーニはスマホを両手で胸に抱えみ背を向ける。

    奪われたそのスマホは、仕事用のスマホだった。
    同僚や取引先の個人情報が山ほど入っているそのスマホを、女子高生に奪われたままでいいわけがない。
    何としても奪い返したいタイオンは、背を向けるユーニに覆いかぶさるように手を伸ばすが、胸元に隠されたスマホには惜しくも手が届かない。


    「頼むから返してくれ!そのスマホは仕事用の……」


    そこまで言いかけたところで、タイオンは自分へと突き刺さる痛々しい視線の数々に気付いてしまった。
    ふと周囲に意識を向けると、通行人がチラチラとこちらに目を向けている。
    縮こまる女子高生に後ろから覆いかぶさり、胸元に手を伸ばしているサラリーマンの姿はどう見ても普通ではない。

    まずい。これでは未成年を襲っている卑劣な男にしか見えないじゃないか。
    少し離れたところには交番もある。こんな様子を見られては、職務質問は免れない。
    健全な社会人として、それだけは避けたい。

    だが、彼女はスマホを一切返す気がないようだし、強引に奪い返すのは悪手かもしれない。
    長期戦になるが、もはや対話でしかこの状況は打開できないだろう。
    そう考えたタイオンは、不本意ながら伸ばしていた手を引っ込め、ため息交じりに口を開いた。


    「あぁもう……仕方ないな」
    「え、泊めてくれんの?」
    「それは駄目だ。だが話くらいは聞いてやる」


    そう言ってタイオンが指さしたのは、すぐ近くにあるカフェだった。
    いくら家出少女とはいえ未成年を家に泊めるわけにはいかない。
    近所の目もあるし、なにより未成年淫行を疑われて通報されたくはない。

    落ち着いて話しを聞いてやることで、彼女が家に帰る決断を後押し出来れば万事解決するはず。
    そんな思惑のもと提案したタイオンだったが、そんな彼の言葉はユーニにとっても都合が良かった。
    彼を少しでも足止めできれば、繋がりを保持し続けられるかもしれない。
    納得したユーニは、タイオンのスマホを握りしめたまま頷いた。


    ***

    「アイオニオン……?ウロボロス……?」
    「そう。アタシたちは相方同士だったんだよ」


    夜のカフェはそれなりに混雑していたが、何とか二人分の席を確保することができた。
    ユーニの前にはアイスティーが、タイオンの前にはアメリカンコーヒーが置かれている。
    奢ってくれるというタイオンの言葉に甘え、ユーニは飲み物以外にもサイドメニューのサンドイッチを注文することにした。
    思えば夕食もまだ食べていなかった。
    空腹だった舌には、生ハムとマスカルポーネのサンドイッチは絶品に感じた。

    もぐもぐとサンドイッチを味わいながら、ユーニはタイオンの質問に素直に答え続けている。
    “何故僕の名前を知っていたんだ?”と問いかけられたので、何も隠すことなくアイオニオンでの出来事を話した。
    当然と言うべきか、タイオンは並べ立てられる聞きなれない単語やファンタジックな話に終始ぽかんと口を開けていた。
    そして、ゼットとの戦いの末にお互いの世界へと還った結末までを話し終えると、彼は頭を抱え始める。


    「それは……、なにかの漫画や映画の話か?」
    「違う違う。現実の話」
    「馬鹿なことを言わないでくれ。オニオンだかなんだか知らないが、そんな奇怪な話が現実にあるわけがない」
    「まぁ今のアタシたちが生きてる“この世界”の話じゃねぇからな。あと“オニオン”じゃなくて“アイオニオン”な」


    タイオンは昔から現実的な性格だった。
    自分の目で見ていないことを容易に信じられないのは当然のことかもしれない。
    だが、どんなに疑われたところでこれは現実の話だ。
    嘘でも妄想でも何でもない。


    「ちょっと待て。君の話では、その“アイオニオン”とやらは最後ふたつに裂け、“元の世界”とやらに戻っていったのだろう?なら、今僕たちが一緒にいること自体がおかしいじゃないか。矛盾が生じている」
    「そんな細かい事知らねぇよ。アタシは世界の神様でも何でもねぇんだから」
    「随分と適当な設定だな」
    「“設定”じゃねぇし。アレだろ?並行世界ってやつだろ、きっと」
    「余計信じられるかそんないい加減な話」


    足を組みなおしたタイオンは、椅子の背もたれに寄りかかりコーヒーのカップに口を着ける。
    その一連の動作は、あの頃のタイオンと重なって見えた。
    スーツを纏い、それなりに高そうな腕時計をしている今のタイオンは、どう見ても自分と同じ学生には思えない。

    “未成年を泊めるわけにはいかない”と口にしていたということは、彼は成人済みなのだろう。
    ノアやランツは同い年としてこの世界に存在していたし、きっとタイオンも近い年齢だろうと予想していたのだがどうやら外れていたらしい。
    大人であることは間違いないが、一体いくつなんだろうか。
    新入社員というには初々しさが足りない気がするが……。
    そんなことを考えていると、コーヒーのカップをテーブルに戻したタイオンが再び口を開く。


    「で、いつになったらスマホを返してくれるんだ?」
    「泊めてくれるなら返すってば」
    「だから何度も言ってるだろ。泊めるわけにはいかない。大人しく家に帰ったらどうだ?」
    「やだ。帰るところなんてないし」
    「家出状態を続けていてもいいことはないぞ?親御さんも心配しているはずだ」
    「親なんていない。どっちも殺された」
    「は?」
    「10年前に強盗に入られて死んだ。だから心配してくれる親なんていない」


    事実だけを口にすると、タイオンは気まずそうに目を伏せた。
    “すまない”と謝りながら俯くタイオンに何も答えることなく、ユーニは食べていたサンドイッチを完食する。
    親がいないことを秘密にしているつもりはない。
    現に友人たちはみんな知っているし、あの理不尽な叔母と一緒に暮らしていることも知っている。
    自分の現状を知っている人しか周りにいなかったから、今更こうして分かりやすく同情されるのは久しぶりだった。


    「……なら、他に頼れる親族はいないのか?」
    「母方の叔母がいるけど、今日突然追い出された」
    「追い出された」
    「元々18歳になったら出ていくって約束だったんだよ。まさか誕生日当日に追い出されるとは思ってなかったけど」
    「今日誕生日なのか。それは災難だったな」
    「そうでもねぇよ。ずっと会いたかった奴に会えたから」


    そう言って微笑むと、怪訝な表情をしたタイオンと目が合った。
    どう答えればいいか分からない。そんな顔だ。


    「要するに、今タイオンから見捨てられたら、アタシはその辺の見知らぬ男を頼るしかないってわけ」
    「だから僕に泊めろと?僕だってその“見知らぬ男”の一人だろ」
    「タイオンはタイオンだろ。よく知ってる相手だよ」
    「悪いがその妄言を信じる気はない。僕にとって君は“見知らぬ女子高生”だ。他人同然の未成年を家に泊めるなんてリスクしかない」


    ぴしゃりと言い放たれた拒絶の言葉に、ガラにもなく傷ついてしまった。
    タイオンは優しい男だった。けれどそれは打ち解けてからの話で、仲間になったばかりの頃は必要以上に尖っていたことを思い出してしまう。
    警戒心が残る相手には、とことん自分の領域を冒されたくないタイプなのだろう。
    今はそんな“彼らしさ”が切なかった。
    受け入れてほしい相手に他人扱いされるなんて、傷付くに決まってる。


    「ひでーなぁもう……」
    「ご両親や親族がいないにしても、本当に身を寄せられる場所は一つもないのか?例えば、生前ご両親と一緒に暮らしていた家とか」
    「まぁ、家はまだ残ってるけど……」
    「誰も住んでいないのか?」
    「一応な」


    両親と一緒に暮らしていたあの家は、一括で購入した持ち家だった。
    取り壊すにも高額な金がかかるため、今も事件があった当時のままそこに建っている。
    片付ける人なんて誰もいなかったため、家具もそのままに残されているはずだ。
    だが、叔母に引き取られて以来、あの家には帰っていない。
    事件があった当時のまま時が止まったように変わらぬあの家に帰ってしまえば、あの夜のことを思い出してしまうような気がして。


    「家の場所は?住所は覚えてるか?」
    「覚えてるけど……。結構遠いし」
    「そうか。なら車で行こう。すぐそこの駐車場に停めてあるから」


    コーヒーを飲み干したタイオンは、家の存在を知るや否やすぐに立ち上がる。
    まさかあの家に行く流れになるとは思わず、ユーニは驚いて顔を上げた。


    「えっ、今から行くのかよ」
    「当然だ。もう21時だぞ?もたもたしているとあっという間に深夜になってしまう」
    「いやでも……」


    正直、気は進まなかった。
    あの家には誰も住んでいないし、ローンも残っていないため金銭的負担を負うことなく住むことが出来る。
    けれど、あの家に帰ることは精神衛生上よくないような気がした。

    俯き、迷っているユーニだったが、そんな彼女の油断を突きタイオンの手が伸びて来る。
    無防備にテーブルに置かれた黒いタイオンのスマホが、持ち主によって奪い返されてしまう。
    焦って手を伸ばしてももう遅い。
    彼を繋ぎ留めるための保険として奪い取っていたスマホを失ったことで、ユーニは劣勢に立たされてしまった。


    「君の事情は分かった。首を突っ込んでしまった以上責任は持つつもりだ。だが、うちに泊めてやることがその“責任”だとは思わない。一晩僕のもとに身を寄せたとして、それからどうするつもりだ?ずっとそのままでいるわけにはいかないだろ」
    「それはそうだけど……」
    「君に必要なのは一時の居場所じゃない。定住できる環境だ。出会ったばかりの男を頼ろうなんて思うな。月並みな言葉だが、もっと自分を大切にしてくれ」


    その言葉は本心からくるものなのだろう。
    だからこそ、これ以上突っぱねることは出来なかった。
    こうしていつまでも纏わりついているのは迷惑なのだろう。
    足掻いたところで、タイオンの心は変わらない。
    それを察してしまったユーニは、青い瞳を伏せ頷くしかなかった。


    ***

    かつて両親と一緒に暮らしていた家は、タイオンと出会った繁華街から車で20分ほどの距離にある。
    駐車場に停めてあったタイオンの車に乗り込み、2人は一路その家へと向かった。

    車の種類などよく知らないユーニだが、セダンタイプのその車はどこか高級感がある。
    きっとそれなりの車なのだろう。
    当然ながら、タイオンの運転する車の助手席に座るのは初めてである。
    彼は数カ月間毎日寝食を共にした相方だ。彼の見たことない姿などないと思っていたが、流石に車を運転する姿を見たのは初めてだった。

    例の家に到着したのは21時半。
    住宅街の真ん中にあるその場所は、夜が訪れれば不気味なほど静かになる。
    人通りも少なく、街灯の数も少ない。
    子供の頃は何とも思わなかったけれど、今思えばこの異様なまでの静けさが強盗を呼び込んでしまったのかもしれない。

    実家は事件があったあの日と何も変わっていなかった。
    庭の雑草が無造作に生い茂っているところ以外はあの頃のまま。
    まるでタイムスリップしたかのような感覚に陥り、ユーニは少しだけ足をすくませた。


    「鍵は持っているのか?」
    「えっ、あ、あぁ、一応……」


    この家の鍵は、叔母の家の鍵と一緒に肌見放さず持ち歩いている。
    2本しかない鍵束を手渡すと、タイオンは躊躇いなく車から降りた。
    重くなる心を実感しながら、タイオンを追うように車から降りるユーニ。
    庭先の門をくぐり、少しだけ古くなった扉にタイオンは鍵を突き刺した。
    扉が開けられる。埃っぽさと一緒に眼前に広がったのは、10年前毎日目にしていた懐かしい玄関の間取り。
    呆然とその光景を目にしていたユーニを置いて、タイオンはさっさと靴を脱ぎ中へと上がり込む。


    「家具はそのままなんだな。好都合じゃないか。少し掃除すれば今すぐにでも住めるんじゃないか?」


    廊下を進みリビングへと入ったタイオンは照明のスイッチを押してみたが、部屋が明るくなることはなかった。
    どうやら電気は止められているらしい。10年間誰も住んでいなかったのだから無理もないだろう。
    とはいえ、近くのコンビニでロウソクでも買えば一晩は過ごせるだろう。
    電気の再開通はまた後日すればいい。

    そんな現実的なことを考えながらリビングを見渡すタイオン。
    だが、さっきから彼女が黙り続けていることに気が付いた。
    ちゃんと話しを聞いているのだろうか。
    怪訝に思い振り向くと、そこには真っ青な顔で廊下に立ち尽くす彼女の姿があった。

    焦点の合わない目でリビングを呆然と見つめながら、切羽詰まった表情で小刻みに震えている。
    その異様な様子に驚き、“どうした…?”と問いかけてみるが返事はない。
    だが代わりに、彼女の息遣いがどんどん荒くなっていった。
    首筋に汗をかき、胸元を押さえながらどんどん呼吸を乱していく。
    やがて立っていられなくなったのか、彼女は真っ白な顔をしながらその場に座り込んでしまった。


    「お、おい、大丈夫か?どうしたんだ」
    「っ、っ、」


    どうやら声が出せないらしい。
    どんどん息は荒くなり、目を見開きながら苦しそうに胸元を押さえうずくまっている。
    その症状を目の当たりにし、タイオンはハッとした。
    まさか、過呼吸というというやつだろうか。

    創作物等で触れたことはあったが、流石に目の前で発症の瞬間を目にするのは初めてだ。
    どうしていいか分からず、“落ち着け”と声をかけながらうずくまる小さな背中を擦るしかなかった。
    1分もしないうちに症状はどんどん悪化。
    やがてユーニはまともに呼吸することが出来なくなり、酸素不足に陥った頭は次第に白んでいった。


    「しっかりしろ!」


    必死で声掛けを続けるタイオンの声にこたえることも出来ず、視界が暗くなっていく。
    ユーニがその日最後に見た光景は、自分を見下ろしながら必死になっているタイオンの姿だった。


    ***

    「PTSDによる過呼吸かもしれません」


    彼女が意識を失ってすぐ、タイオンは迅速に救急車を呼んだ。
    夜間診察を行っている病院に緊急搬送され、診察に当たってくれていた中年の医者にタイオンは呼び出された。
    彼女が過呼吸になった経緯と状況を話すと、医者は“恐らくですが”と前置きをしてから持論を語ってくれた。
    タイオンも薄っすらそうじゃないかと予想していたが、医者から言われたことで予想が現実のものとなる。

    あの家は彼女にとって実家でもあるが、家族が殺された現場でもある。
    そんな場所に安易に連れて行ってしまったのが間違いだった。
    何故もう少し配慮できなかったのか。
    自分がこれ以上未成年に関わりたくないがために、強引に事を片付けようとしたせいだ。

    両親を殺され、自分も殺されかけた経験は彼女の心に癒えない傷を作ってしまったに違いない。
    それを慮ることなく、無遠慮に実家へ押し込めようとしてしまった自分に責任がある。
    病院のベッドで眠ったまま目を覚まさまない彼女を前に、タイオンは自責の念にかられていた。

    一時的に気を失っただけだからすぐに目を覚ますだろうと医者は言っていたが、大事を取って今日は一日入院したほうがいいとのこと。
    “ご家族の方ですか?”と問いかけられたので否定すると、保護者に連絡を取って入院する旨を伝えてほしいと頼まれた。

    と言っても彼女の保護者の連絡先は勿論、彼女自身の名前もまだ聞いていない。
    何か情報はないだろうかと彼女の荷物を漁ってみた結果、学校の生徒手帳が見つかった。
    そこには彼女の顔写真と個人情報が簡素に載っている。


    「名前、“ユーニ”というのか……」


    向こうはこちらの名前を知っているようだったが、当然タイオンの方は彼女の名前など知るわけもない。
    アイオニオンがどうとかウロボロスがどうとか意味の分からないことを言っていたが、女子高生のそんな世迷言を信じられるほど、タイオンは浮世離れしていない。
    彼女は何故、名乗ってもいない自分の名前を知っていたのだろう。
    眠ったままのユーニに視線で問いかけてみるも、彼女は何も答えてはくれない。

    幸いにも生徒手帳には保護者の連絡先が記載されていた。
    恐らく、両親を失って以降身を寄せていたという叔母の番号だろう。
    ユーニの病室を出て病棟の外へ出ると、タイオンは早速記載された番号へ電話をかけてみることにした。

    時刻は22時過ぎ。知らない番号にかけるには遅い時間だが、事情が事情なだけに仕方ない。
    もしかすると、叔母が迎えに来てユーニを引き取ってくれるかもしれない。
    そんな期待もあった。


    『……もしもし?』
    「夜分遅くにすみません。ユーニさんの保護者の方の番号でしょうか?」
    『はぁ』
    「実は先ほど、ユーニさんが救急車で搬送されまして……。どうやら過呼吸を発症したようで」
    『あぁそう』


    電話に出たのはしゃがれ声の女性だった。
    姪が救急車で搬送されたと聞いても一切驚くことなく、冷淡な返事を繰り返すばかりのその反応に少し違和感を感じてしまう。
    普通少しは驚いたり心配するものじゃないのか。
    まるで興味がないと言った風な女性の対応に嫌な予感を覚えつつ、タイオンは言葉を続けた。


    「症状自体は軽いものだったようですが、大事を取って今夜は入院することになるようです。シティー中央病院なんですが、明日お迎えに来ていただけないでしょうか」
    『はぁ?なんであたしが?』
    「えっ。いや、ユーニさんのご家族なんですよね?」
    『知りませんよあんな子。第一、18歳になったらうちを出ていくって約束だったんだ。あたしはもう保護者でも何でもないよ』
    「本人が言っていましたが、血の繋がった叔母だと聞きました。帰る場所がないとも言っていましたし、せめて自立するまで気にかけてやってもらえませんか?」
    『あんた何?あの子の彼氏か何か?』
    「いえ、つい先ほど知り合ったばかりの人間ですが」
    『だったら他人がとやかく言わないどくれ。あの子が倒れようが野垂れ死のうがあたしには関係ないね』


    何を言おうが“関係ない”を貫くその冷酷な対応に、タイオンは眉をひそめた。
    なるほど、彼女が“帰るところがない”と言っていた理由がよく分かった。
    こんな冷たい人のところには帰りたくないだろう。追い出されたとも言っていたが、この人ならやりかねない。


    「彼女は18歳とは言えまだ学生です。大人の助けなしでは生きられない年齢なんですよ?」
    『そう思うならあんたが助けてやればいいじゃないか。18歳の女子高生を好き勝手出来るいい機会じゃないか』
    「は?本気で言ってるんですか?」
    『迷惑なら風俗でも紹介してやればいい。女なんだからいくらでも稼ぐ手段はあるだろ』


    仮にも保護者だった人間の言い草とは思えなかった。
    まだ18歳の女の子に、それも血の繋がった姪にそこまで冷酷になれるものなのか。
    このまま理で説き伏せたり、警察や児童相談所への通報をほのめかせれば強引に納得させられる可能性はある。
    だが、例えこの瞬間だけ首を縦に振らせても、きっとこの女はずっとこの冷酷な態度でユーニに接し続けることだろう。
    こんな身勝手な大人に、ユーニを任せるわけにはいかない。
    耳に押し当てられたスマホを強く握りしめながら、タイオンは怒りを滲ませた。


    「もういい。貴方のような人に彼女は任せられない。今後一切ユーニに関わるな!」


    こんなにも声を荒げたのは久しぶりだった。
    乱暴に通話を切ると、余計に怒りがこみあげて来る。
    自分はユーニの家族でも友人でもない。彼女の叔母に“関わるな”と啖呵を切れる立場ではないはずだが、それでも言わずにはいられなかった。
    むかむかと怒りを抱えながら病棟の廊下を歩き、階段を上がって病室へと戻る。
    扉を開けると、先ほどまで眠っていたはずのユーニの目が開いていた。
    どうやら目を覚ましたらしい。


    「置いて行かれたのかと思った」


    病室に戻って来たタイオンを見るなり、彼女はかすれた声で言った。
    不安に満ちた彼女の表情を見ていると、心が締め付けられる。


    「君の叔母さんに電話していた。迎えに来れないかと」
    「ふぅん。断っただろ、あいつ」
    「……あぁ」
    「だと思った」


    特に驚くこともなく、傷付いたそぶりすら見せないユーニの反応は慣れきっていた。
    きっと日常的に叔母からあんな扱いを受けていたのだろう。
    あんな人しか頼れる人がいないという事実に、同情せざるを得なかった。


    「すまなかった。君の気持ちも考えず、安易に家に連れ帰ったりして」
    「いいって。タイオンのせいじゃない。アタシも事件以来あの家には帰ってなかったから、こんな風になると思ってなかったし」
    「……」
    「けど、分かっただろ?帰るところなんてないって言った意味が」


    寂しげな笑みを浮かべるユーニに、なんと答えていいのか分からなかった。
    両親を目の前で殺され、唯一の肉親である叔母からも邪険にされ、18歳の誕生日に突然住む場所を失った目の前の少女は、誰も頼れる大人がおらず夜の街を彷徨うしか生きる術がない。
    ここで自分が見捨てれば、彼女はどうなってしまうのだろう。
    行く当てのない少女が行きつく先など、容易に想像がついてしまう。

    黙って視線を落としていると、背後にある病室の扉が静かに開いた。
    廊下からこちらを覗き込んでいるのは、この病院の看護師である女性。
    “そろそろお時間です”と促してくる彼女に返事をすると、タイオンは持っていたスマホをスーツのポケットに仕舞った。
    この病院の面会時間はとっくの昔に過ぎている。
    救急車で搬送されたユーニの付き添いだからここに居られたが、本来であればすぐに帰らなくてはならない。


    「もういくの?」
    「あぁ。入院費は置いていく。怖い思いをさせた詫びだ」
    「別にいいのに。でも、ありがと」


    本当は引き留めたかった。
    せめて連絡先だけでも聞きたかった。
    けれど、これ以上タイオンに頼るのはいけないような気がして、ユーニはそれ以上引き留めようとはしなかった。
    ただでさえも強引に付き纏い、迷惑がられた末に過呼吸で倒れるという無様を晒したのだ。
    これ以上付き纏って、タイオンに厄介者扱いされたくはない。

    ここでタイオンを見送れば、きっと彼には一生会えないのだろう。
    けれど、もういい。この世界に彼も存在しているのだと分かっただけで、今は満足だ。
    縁があればきっといつか会える。そう信じて生きていくしかない。

    瞳を揺らして天井を見つめるユーニの横顔を見ながら、タイオンは静かに息を吐いた。
    18歳の見知らぬ女子高生に関わるなんて、デメリットしかない。
    一歩間違えれば周囲に妙な勘違いをされて、たちまち不名誉な烙印をされるだろう。

    どうせ相手は赤の他人。例え家族がいない子だろうが、頼れる相手がいない子だろうが、放っておけばいい。
    けれど、どうにもその気になれないのは何故だろう。
    他人の人生を易々と保証できるほど、自分は親切な人間じゃなかったハズなのに。
    ここまで気にかけてしまうのは、ただの同情心のせいか、それとも——。


    「生徒手帳から察するに、君が通っているのは公立の西高だな?」
    「え?あぁ、そうだけど……」
    「今まで通学時間はどれくらいだった?」
    「徒歩15分くらい」
    「そうか。電車通学になるが、それでもいいか?」
    「へ?」


    ベッドの脇に置かれた丸椅子に座ったまま、タイオンは足を組む。
    キョトンとした表情で見つめてくるユーニは、彼は淡々と言葉を続けた。


    「僕の家は西高からそれなりに離れているんだ。そこから通うとなると電車通学になると思うがそれでもいいか?」
    「そ、それって……」
    「で、いいのか?恐らく毎朝40分ほどかけて学校に通うことになるが」
    「いい!全然いい!それくらい平気!てかいいの?あんなに嫌がってたのに……」
    「今更遠慮か?行くあてがあるなら止めないが」
    「そんなのない!タイオンのところがいい!」
    「そうか。なら決まりだな」


    タイオンのまさかの心変わりに、ユーニは驚きを隠せなかった。
    何が彼の気を変えさせたのか分からないが、タイオンは自分を受け入れてくれるらしい。
    こんなに嬉しいことはない。
    もっと一緒にいてこれからのことを話したいけれど、面会時間をとっくに過ぎている今、これ以上彼はここにいてくれない。
    帰り支度をして丸椅子から立ち上がったタイオンを、ユーニは思わず腕を掴んで引き留めてしまった。


    「明日、ちゃんと迎えに来てくれる?」


    不安げに揺れる瞳で見つめて来るユーニの視線に射抜かれながら、タイオンは一瞬言葉を詰まらせた。
    この泣き出しそうな不安定な青い目を、遠い昔にも見たことがあるような気がしたのだ。
    だが、きっと気のせいだろう。彼女とは今夜会ったばかりなのだから。
    引き留める手をそっと引きはがすと、彼は囁くように呟いた。


    「あぁ。約束する」


    微笑むタイオンの言葉に不思議と心の不安が消え去っていく。
    今夜初めて出会った男の言葉なんて普通は信じられないだろう。
    けれど、相手がタイオンだからというだけで、無条件に信じてしまう。
    彼は嘘を吐くような人間じゃない。それをよく知っているから、今は安心できた。
    そっと手を放すと、タイオンは“それじゃあまた明日”とだけ告げて去っていく。

    タイオンが出て行った後の病室はやけに静かだった。
    けれど、この心臓はどうにも高鳴って騒がしい。
    今日は最悪の誕生日だった。家を追い出されるわ、妙な男にホテルに連れ込まれそうになるわ、過呼吸で倒れるわ。
    けれど、タイオンとの出会いが最悪な誕生日を最高の誕生日に変えてくれた。
    このまま一生会えないと思っていたが、まさかこんな形で出会えるなんて。
    それに、一緒に住むことになるなんて。

    明日が楽しみでたまらない。
    こんな気持ちになるのは、生まれてはじめてだった。


    続く
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