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    ToriMizu22

    @ToriMizu22

    文章中心。雑多。

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    ToriMizu22

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    タイユニ長編

    【#03】背伸びをしても届かない第3話「懐かしい顔」


    タイオンの眼鏡のレンズにひびが入ったのは、コロニーミューに滞在していた時のことだった。
    ミューで飼育されていたアルマたちの世話に駆り出された男性陣が、装備を泥だらけにしながら夕方ごろ帰って来た。
    どうやらアルマたちが大暴れして、抑え込むのに随分と苦労したらしい。
    とりわけタイオンの被害は大きく、戦術士の白い装備が真っ黒になっていたうえ、かけていた眼鏡が無残に壊れていた。

    仕方なく同行していたノポン、リクに眼鏡の修理を依頼したのだが、治るのに5日はかかるという。
    眼鏡が無ければまともに戦闘にも出られない。
    参謀であるタイオンを欠いた状態で動き回るわけにもいかず、一行は暫くミューへの滞在を余儀なくされた。
    その間、タイオンは裸眼で生活していたのだが、何をするにも苦戦していたあの時の彼の様子は、今も鮮明に思い出せる。


    「眼鏡が無いと大変そうだな」


    野外食堂にてしかめっ面で昼食をとっているタイオンの隣に腰掛けそう呟くと、彼は不満そうに眉間にしわを寄せていた。


    「他人事だと思って……」
    「他人事だし」
    「何をするにもぼやけた視界のせいで上手くいかないこのジレンマが君に分かるか」
    「分かんない」
    「はぁ……」


    わざとらしいため息を一つ零し、ミュー名物であるニニンパイをナイフとフォークで食べ進めようとするタイオン。
    しかし、よく見えないせいなのか、皿の上に鎮座しているパイにフォークを突き刺してもぽろぽろと簡単に崩れ、中身が零れてしまっている。
    先ほどから険しい顔をしていたのは、この繰り返しでイライラしていたからなのだろう。
    ただでさえ視界がぼやけているのに、比較的食べにくいニニンパイが名物であるこのミューの食事は今のタイオンにとって絶望的に相性が悪い。
    少々哀れに思ったユーニは、タイオンからナイフとフォークを奪い取ると、器用にパイを突き刺し彼の口元に差し出した。


    「はい」
    「え?」
    「食わせてやるよ。食べにくかったんだろ?」
    「い、いや、そこまで困ってない!介助みたいな真似はやめてくれ」
    「なんだよ。せっかくこのアタシが気を利かせて助けてやろうってのに。大人しく甘えとけよ。ほら、あーん」
    「んぐっ」


    有無を言わさず、タイオンの口にパイを押し付ける。
    観念した彼はようやく口を開いてパイを咀嚼し始めたが、まだどこか不満げだ。


    「うまい?」
    「……まぁ、うん」


    味に対しては随分素直な感想を口にしているくせに、顔は素直とは言い難かった。
    目を逸らし、不満げな顔をしている割に耳が赤くなっている。
    照れ屋な彼の赤面した姿は、旅を始めて以降何度も見てきた。
    この顔を見るたび、もっと揶揄ってやりたくなってしまう。
    指先でつんつんしながら冗談を言うたび、面白いほどいい反応をしてくれるタイオンを揶揄うのが好きだった。

    眼鏡をかけていなかったあの時のタイオンは、見慣れていないせいかどこか他人に見えた。
    けれど、この赤面した顔を見るたび、あぁやっぱり間違いなくタイオンなのだと思い知る。
    そして安心してしまうのだ。手を延ばせば届く距離に、彼がいてくれる事実に。


    ***

    タイオンは約束通り翌朝迎えに来てくれた。
    昨晩と違ってスーツじゃなく私服姿だったのは、今日が土曜日だからだろう。
    流石に休みの日に制服を着るのは可笑しい気がしたので、ユーニも荷物から私服を引っ張り出して着替えていた。
    退院の手続きを済ませ、駐車場に停めてあるタイオンの車へと乗り込む。
    車は昨日と同じ黒のセダンだった。

    昨日叔母の家から持ち出したトランクケースを後部座席に詰め込み、2人は運転席と助手席に乗り込む。
    シートベルトを絞めながら“好きなアーティストはいるか?”と急に聞かれ、最近SNSで流行りだしている男女混合バンドの名前を上げると、首を傾げながら“すまん知らない”と言われた。

    どうやらこちらの好きなアーティストの曲を車内でかけようとしてくれたようだが、ユーニが挙げたバンドの楽曲はタイオンのプレイリストに入っていなかったらしい。
    “なんでもいいよ”と言うと、彼は適当に曲を選んで流し始めた。

    やがて車が発進し、病院の駐車場を出る。
    車のスピーカーから流れてきたのは、10年くらい前に流行ったシンガーソングライターの曲。
    随分古い曲をかけるんだな。
    素直にそう口にすると、タイオンは苦笑いを浮かべながら“僕にとっては最近だ”と言った。


    「タイオンってさ、何歳なの?あっ、待って当てるわ。うーんとね、23歳?」
    「残念」
    「えー、違う?じゃあ24?」
    「28だ」
    「えっ」
    「正確に言うと今年で29歳だ」


    流石に予想外の回答だった。
    ノアやランツをはじめとする他のウロボロスの面々は、みんな同世代としてこの世界に存在している。
    だからきっとタイオンも、スーツを着ているとはいえ20代前半あたりだろうと思っていた。
    だが、まさか10歳も年上だったとは。
    曲のチョイスが10年前のセンスだったのも頷ける。


    「もっと下だと思ってた」
    「それはどうも。アラサーにとってはこれ以上ない誉め言葉だ」


    タイオン自らの口から出た“アラサー”という言葉に、急に距離を感じてしまった。
    出会った直後、あんなに“未成年がどうの”と理由をつけて距離を取りたがっていたのは、彼が10歳も年上だったからなのかもしれない。

    思えば、今この世界に存在しているタイオンのことは名前と年齢以外何も知らない。
    どんな仕事をしているのか、どんな生活をしているのか、どんなものが好きなのか、家族はいるのか、友達は多いのか、そして、彼女はいるのか。

    ふと隣の運転席を見てみると、そこには眼鏡をかけていないタイオンの顔がある。
    アイオニオンでは視力が弱いがゆえに眼鏡がないとまともに生活できなかったはずだが、この世界のタイオンは目が悪くないのだろうか。

    ハンドルを握る彼の手には、昨日と同じスマートウォッチがつけられている。
    便利でスタイリッシュだと評判なその時計は、それなりに値段も張るはずだ。
    車も飛びぬけて高いわけではないだろうが、安物には思えない。
    そもそも出会ったばかりの女子高生を家に居候させようという判断が出来るということは、それなりに経済力はあるのだろう。

    運転は非常に丁寧で、まるでタクシー運転手に運転してもらっているかのよう。
    車内には装飾品や無駄なものが一切なく、汚れや埃も見当たらない。
    車独特の妙な匂いもしない。煙草の匂いもしない。きっと非喫煙者なのだろう。
    見本品のように整った車の中の様子から察するに、彼の几帳面かつ真面目な性格は変わっていないらしい。

    知りたいことは山ほどある。聞きたいことだってたくさんある。
    どこまで踏み込んでいいのか分からなかったが、とりあえず一番知りたいことだけをストレートに聞いてみることにした。


    「ねぇ、彼女いる?」
    「いたら女子高生を居候させようなんて思わないだろ」
    「じゃあいないんだ?」
    「あぁ」
    「そっか。よかった」


    自然と出た感想だった。
    素直すぎるその一言を言い放った瞬間、タイオンは一瞬だけこちらに視線を向けすぐに前へ向き直る。
    その薄い反応に、少しだけ寂しくなってしまった。
    昔の、アイオニオン似た頃のタイオンなら、少し赤くなりながら動揺していたに違いない。
    けれど今のタイオンは、あの頃のタイオンとは別人。

    同じ顔、同じ名前、同じ声であっても、別の世界に生きる別人なのだ。
    何もかも同じなわけがない。それは分かっているはずなのに、いちいちあの頃のタイオンと重ねてしまっている自分が嫌だった。


    ***

    到着したのは、駅前に建っているファミリー向けの大きなマンションだった。
    マンション住人専有の駐車場に車を停め、タイオンに案内されるがままに中へと入る。
    トランクケースはタイオンが持ってくれていた。
    さりげない気遣いに礼を言うと、“あぁ”と随分簡素な返事だけが返って来る。
    タイオンの部屋は9階にあった。中に入ると、玄関から芳香剤のいい香りがふわっと漂ってきた。


    「お邪魔します」


    小さく呟いて中に入る。
    間取りは3LDK。ファミリーで住むには普通だが、独身の男が1人で住むにはかなり広めだ。
    リビングには大きなソファがひとつとローテーブル。
    奥には食卓があるが、テレビが見当たらなかった。

    キッチンは違和感を覚えるほど綺麗で、使用の痕跡が全くない。
    あまり自炊をするタイプじゃないのかもしれない。
    そう言えば、アイオニオンにいた頃のタイオンは料理が苦手だった。
    この世界での彼もそうなのだろうか。


    「結構片付いてるのな。他に一緒に住んでる人は?」
    「いない。僕一人だ」
    「ふぅん」


    洗面所を覗いてみると、コップに立てかけられた歯ブラシが一本だけ蛇口の傍に置かれていた。
    見えている棚には男物のワックスやジェル、シェーバーやメンズ用化粧水が置かれている。
    女ものの美容品は一つも見当たらない。彼女がいないというのは本当だったらしい。


    「アタシはどこで寝ればいいの?」
    「予備の布団がある。リビングに敷くからそこで寝てくれ」
    「ベッドは?」
    「僕が使う」
    「えー」
    「“えー”じゃない。居候なんだから我慢してくれ」
    「アタシベッドじゃないと寝れないタイプなんだよなぁ」
    「知らん」
    「一緒に寝ればよくね?」


    半分冗談、半分本気な提案だった。
    少しだけ揶揄ってみれば、前みたいに少し動揺して赤くなってくれるんじゃないかと思って。
    けれどタイオンは、照れもしなければ動揺するそぶりも見せず、代わりに呆れたように一つため息を吐くと食卓を指さし“座りなさい”と指示してきた。

    まるで親が子に命じるかのような口調だ。
    子供扱いされているようで少し苛立ったが、居候を許してもらった身の上で生意気なことは言えない。
    素直に従って食卓に着くと、タイオンもまた正面の席に腰掛けた。


    「いいか。君を引き取ったのは事実だが無償で面倒を見る気はない。寝床と食事を提供する代わりに対価は払ってもらう」
    「あー、もしかして身体で払え的な?」
    「その通りだ」


    余りにもあっけなく認めてきたタイオンに、ユーニは思わず目を見開いた。
    相手はあのタイオンだ。正直嫌ではないが、彼がそれを望んでいるとは到底思えない。
    すると案の定、彼は“勘違いしないでくれ”とため息交じりに呟き腕を組んだ。


    「“肉体労働で払え”という意味だ。この家にいる間は、炊事洗濯掃除に買い出し、すべての家事を担ってもらう」
    「ハウスキーパー的なことをしろってこと?」
    「そうだ。だがそれでは行く当てのない君にとって抜本的な解決にならない。だからこちらも家事に対する相応の対価を払う。給料としてな」
    「えっ、マジで?」


    思わず身を乗り出して聞き返すユーニ。
    興奮気味な彼女に対し、タイオンは淡々とした態度を貫いていた。
    ポケットから私物のスマホを取り出し、電卓アプリを開いた状態でテーブルに乗せる。
    そして、給料の内訳を話しながらスマホの電卓をたたき始めた。


    「家事は常時発生するものだから時給換算が難しい。なので成果報酬ということで月18万の固定給にしよう」
    「18万 えっ、そんなに貰っていいの?」
    「話しは最後まで聞いてくれ。ここから家賃として4万天引きさせてもらう」
    「えっ」
    「さらに食費として1万。光熱費として5千円。さらに君を引き取った僕への定額謝礼として4万5千引かせてもらう。すべて差し引くと合計が……」


    タイオンの手によってたたき出された金額が、スマホに表示される。
    金額はちょうど10万。随分と色々な名目で天引きされたが、家事をするだけで月に10万も手に入ると思えば非常に恵まれた環境である。
    驚き言葉を失っていると、タイオンから更なる説明があった。


    「これに加えていくつか条件がある。まず君の身を預かる以上非行は許さない。門限は夜9時だ。そしてバイトも禁止。金銭欲しさに妙なバイトに手を出されたら困るからな。そして学業も疎かにしないこと。テストがあるたび全てチェックさせてもらう。全教科平均点以上は必須だ。この条件、飲めるか?」
    「全然平気!全然余裕!守れる!約束する!」


    つらつら挙げられた条件は、教育ママが指定してきそうな厳しいものばかりだった。
    だが、今のユーニには楽に守れそうな条件ばかり。

    月に10万ももらえるならバイトの必要もないし、そもそも家事を担当するのだから遅くまで遊び歩いている時間は最初からないだろう。
    勉強に関しても元々成績は悪くないため、全教科平均点以上獲得することはそこまで難しくはない。

    あってないような条件を聞き流しながら、ユーニは目を輝かせ食卓から立ち上がる。
    そして、タイオンの隣にそそくさと移動すると、彼の手を両手で握り込み褐色の瞳を真っすぐ見つめた。


    「ホントにありがとう!タイオンは命の恩人だわ」


    何の淀みもない素直な気持ちをぶつけたつもりだった。
    けれど、両手を握り至近距離で見つめて来るユーニの行動に一切の照れも動揺も見せず、タイオンは彼女の手を掴み返してそっと放させる。
    まるで“それ以上近づくな”とでも言いたげな対応だった。


    「それと、一番重要なことだが、ここで面倒を見るのは君が高校を卒業するまでだ」
    「えっ」
    「高校を卒業してからは自立してもらう。今は5月だから、今から月10万の給料を貯金すれば卒業までにそれなりの金額になるはずだ。その資金は引っ越し費用に充ててくれ」


    高校生に与えるにしては多すぎる給料の理由がようやくわかってしまった。
    なるほど、これは自立を支援するための金額か。
    住むところを提供されたとして、一定の金額を溜めなければ一生タイオンのもとで世話になる羽目になってしまう。
    それでは抜本的な解決にはつながらない。
    現実的なタイオンらしい考えである。
    正直、卒業と同時にタイオンの元から去らなければならない事実は寂しいが、1年近く一緒に居られるだけましなのかもしれない。

    最後に提示された条件にも頷いたことで、2人の契約は完了する。
    こうして、18歳になったばかりの女子高生、ユーニは、28歳になっていたかつての相方、タイオンの元に身を寄せることとなった。

    彼はアイオニオンにいた頃とは少し違う。
    あの頃のように容易に赤面することもなければ、動揺することもない。眼鏡すらかけていない。
    “タイオン”であって“タイオン”でない彼と、これからどんな距離感で接していくべきなのだろう。
    記憶の中にいる彼よりも少し大人びているタイオンの横顔を盗み見つつ、ユーニは大きな期待と小さな不安を抱くのだった。


    ***

    タイオンの家に引き取られた初日はあっという間に時間が過ぎて行った。
    叔母の家から持って来た荷物を解き、家具や家電の使い方を一通りレクチャーされているうちにあっという間に夜がやって来る。
    家事を担うのは明日からでいいそうなので、今日は何も作業をしていない。

    夕食は出前を取った。
    好きなものを食べていいと言うのでピザを選ぶと、少し苦い顔をされたが何も言わず注文してくれた。
    ピザが届くまでの間、タイオンは“少し出掛けて来る”と言い残し家を出て行ってしまった。
    “少し”と宣言した通り、10分もしないうちに帰って来たが、恐らくは近くのコンビニに行っていたのだろう。
    タイオンが帰宅してすぐ、ピザも到着した。

    注文したのはマルゲリータと照り焼きチキンピザ。
    常に金欠だった叔母の元で育てられたユーニにとって、Mサイズのピザ2枚はご馳走以外の何物でもなかった。
    目を輝かせながらピザにがっつくつゆーにを見つめながら、タイオンはあっけに取られてしまう。
    そんなにお腹がすいていたのか、と。

    2人でピザ2枚とサイドメニューのポテトは流石に多かったかと後悔していたタイオンが、どうやらそんなこともなかったらしい。
    エンジン全開でがっつくユーニのおかげで、ピザもポテトもあっという間になくなってしまった。
    女子とはいえ10代の若い胃袋は偉大である。
    たっぷりのチーズで若干胃もたれ思想になっている自分との差を感じ、タイオンは少しだけ悲しくなった。


    「ふひー、食った食ったァ、マジお腹いっぱい」
    「それはなにより」


    こんなご馳走をたらふく食べたのは久しぶりだった。
    いつも食事は家計を気にして質素なもの作っていなかった。
    食卓に良く並んでいた食材と言えば、もやしと豆苗、それに豆腐ばかり。
    今夜の食事は、ユーニにとって家族を失って以来久しぶりの贅沢だった。

    せっかくのご馳走を残すわけにはいかない。
    次から次へと口へ運んでいった結果、これ以上ないほど満腹になってしまった。
    満足げに顔を綻ばせているユーニの正面に腰掛けていたタイオンは、空になったピザの箱を食卓から持ち出すと、そのままキッチンへ引っ込む。
    恐らく後片付けをしようとしているのだろう。
    手伝うため立ち上がろうとした瞬間、冷蔵庫を開けたタイオンが声をかけて来る。


    「そんなに満腹ならいらないか」
    「え?何が?」
    「デザート」


    冷蔵庫からタイオンが取り出したのは、大き目のプリンアラモードだった。
    恐らく先ほど出かけたコンビニで買ってきてくれたのだろう。
    “新発売”と書かれたシールが貼られているそのプリンは、やたらと美味しそうに見えた。


    「えっなにそれ。そんなの買ってきてくれたの?」
    「あぁ。昨日誕生日だったんだろ?」


    どうやら誕生日ケーキの代わりに買ってきてくれたらしい。
    1日遅れだが、その気遣いが心から嬉しかった。
    “満腹ならやめておくか?”とプリンを冷蔵庫に戻そうとするタイオンの手を止め、“食べるっ!”とプリンに飛びついた。
    デザートは別腹だとよく言うが、まさにその通りである。
    あんなに満腹だったのに美味しく食べられるのは、きっとタイオンがわざわざ買ってきてくれたものだからだろう。


    「ん~うまっ。世界で一番美味い」
    「たかが390円のプリンだぞ?大袈裟だな」
    「美味さは値段で決まらねぇんだよ。タイオンがくれたからこんなに美味いんだって!」


    素直にお礼の気持ちを口にした瞬間、正面に腰掛け缶コーヒーを飲んでいたタイオンは目を伏せた。
    そして小さくため息を吐くと、手に持っていた缶コーヒーをテーブルの上に乗せ見つめ返してくる。


    「分かっているとは思うが、親族でも何でもない僕が君のような女子高生と一つ屋根の下一緒に暮らしているこの光景は、第三者目線では異様に映るだろう。妙な勘違いをされないためにも、他人には従兄妹として偽るように」
    「別にいいけど、なんで従兄妹?兄妹でもよくね?」
    「僕に妹がいない事実を知っている人間もいる。そういう相手のことを考えると、従兄妹の方が信憑性がある」
    「なるほどな」


    手元のプリンはあっという間に完食していた。
    空になったプリンの容器とスプーンをテーブルに置くと、ユーニは両手で頬杖を突きながらタイオンに微笑みかける。


    「じゃ、仲良し従兄妹を演じるとしますか。なっ、タイオン?」


    悪戯な笑みだった。
    こちらの出方を伺うようなその態度に、タイオンは再び目を伏せる。
    最近の女子高生はどうにもませている。
    年上の男は皆魅力的に見える年頃なのだろう。
    だが、彼女は分かっていない。
    その無邪気で無遠慮な態度が、こちらの社会的地位を貶める可能性があることに。
    子供の無自覚と純粋さは時に残酷だ。
    悪いが、若い彼女の一時の“遊び”に付き合うつもりはない。
    10歳も年下の“お子様”は、そもそも対象外なのだから。


    「本当に分かっているのか……?」


    独り言のように呟かれたタイオンのその言葉に、ユーニは返事をする代わりにまたニッコリと微笑むのだった。


    ***

    “風呂、先にいいぞ”
    そんなタイオンの言葉に甘え、ユーニは彼より先に風呂に入ることにした。
    叔母の家の風呂に比べて随分と綺麗な浴室は、掃除が行き届いている。
    彼の車に乗った時にも感じたが、恐らくタイオンは相当な綺麗好きなのだろう。
    アイオニオンで一緒に旅をしていた頃も、服が汚れるとすぐに洗濯したがっていた。
    そういう細かいところで共通点を見つけるたび、喜びを感じてしまう。

    熱いシャワーを浴びながら考えることは、やはりタイオンのことばかり。
    彼はあの頃よりも身長が少し高い。
    アイオニオンの頃は隣に立てば簡単に視線が交わったのに、今では随分と見上げないと視線が合わないくなっている。
    タイオンの身長が高くなっているのもあるが、きっと自分の身長もあの頃より少し小さくなっているのだろう。
    年齢だけじゃなく、身長すらも大きな差が生まれている事実に切なくなる。

    今のタイオンは、ユーニがよく知るあの頃のタイオンと違って“大人”だ。
    照れることも動揺することもない。
    どこか距離を感じるこの関係性は、再会する前に理想としていた距離感とは程遠い。
    タイオンが自分と同じようにアイオニオンの記憶を取り戻してくれたなら、状況も少し変わるのかもしれないが。
    ノアやランツたちが記憶を取り戻す気配がないように、きっとタイオンの記憶も戻ることはないのだろう。
    思い出してくれさえすれば、きっとあの頃のように戻れるのに。

    そこまで考えてハッとした。
    タイオンとより近付きたいと思っている自分の存在に気付いてしまう。
    そうか。やっぱり自分は、タイオンのことが未だに好きなんだ。
    改めて実感するこの気持ちは、容赦なくユーニの心を締め付けてしまう。
    この気持ちを馬鹿正直に伝えたところで、きっと彼は受け入れてくれないのだろう。
    悲しい結果を容易に想像できるのが、たまらなく切なかった。

    入浴を終え、タオルとドライヤーで髪を乾かし着替えを始める。
    叔母に勝手に詰められた荷物には、部屋着が入っていなかった。
    それを話すと、タイオンは自分の部屋着を快く貸してくれたわけだが、当然サイズはかなり大きかった。
    袖も裾もあまりまくっているグレーのスウェットは、柔軟剤のいい匂いがする。
    このぶかぶか加減が、まるで“彼シャツ感”があって胸がときめく。
    こんなに簡単なことで胸を躍らせている自分に少し呆れつつ脱衣所を出ると、リビングのソファに腰掛けているタイオンの姿が視界に飛び込んできた。


    「あっ……」


    足を組みながらソファに腰掛け、目を伏せながら文庫本を読んでいるその姿には既視感があった。
    あぁやって一人で読書にふけっている様子は、夜の休息地や旅の途中で立ち寄ったコロニーの天幕。そしてシティーの寄宿舎で良く見た姿だ。
    こんなに懐かしい気持ちになるのは、先ほどまで裸眼だった彼が黒縁の眼鏡をかけているせいだろう。

    あの頃のタイオンとは別人だと思っていたけれど、こうして眼鏡をかけている姿を見ていると、やはり彼は“タイオン”そのものなのだと思い知る。
    頭からバスタオルを被りながらその場で立ち尽くし、じっと見つめて来るユーニの存在に気付いたらしく、タイオンは視線を寄越しながら首をかしげていた。


    「なんだ?幽霊でも見たような顔をして」
    「あ、いや……。なんか、懐かしいなって」
    「懐かしい?」


    不思議そうな顔をするタイオンに近付き、すぐ隣に腰を下ろす。
    本に視線を落としたまま目を伏せているタイオンの横顔をじっと見つめると、やはり大人びたその顔にあの頃の面影がちらついている。
    やっぱりタイオンだ。あの頃のタイオンが、目の前にいる。
    懐かしさで泣きそうになったユーニだったが、涙が流れないように懸命にこらえることにした。
    眼鏡姿を見て急に泣き出すなんて不気味だろうし、身に覚えのない記憶を引き合いにさめざめしく泣くような女は、今のタイオンの好みじゃないような気がして。


    「眼鏡かけてたんだ」
    「家でだけな。外ではコンタクトだ」
    「なんで?」
    「“なんで”と言われても。その方が楽だから」
    「アタシ、眼鏡かけてる方が好き」


    ページをめくろうとしたタイオンの手が一瞬だけぴたりと止まる。
    けれど、すぐにその指先はいつも通り動き出し、文庫本の薄いページをめくった。
    “それはどうも”と取り留めのない返事をするタイオンの心が分からない。
    あの頃はインタリンクという手段があったおかげか、タイオンの気持ちなんて手に取るようにわかった。
    だが今は、どんなに見つめても靄がかかったようにその心が掴めない。
    もっと近付きたいのに、薄い壁に阻まれているかのようだ。
    隣に居ながらも、タイオンという存在は手の届かない遥か遠くにあるような気がした。


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