【#02】スキなんて言ってやらない第二話「君を夢中にさせるには」
“結婚は勢いとタイミングだ”
上官であるイスルギ軍務長はよくそう口にしていたが、正直あまり信じてはいなかった。
結婚において最も重要と言えるのは“めぐり合わせ”だと思う。
現実主義な僕らしからぬ考えだが、この考えに疑問を持ったことはない。
なにせ、僕に結婚の何たるかを説いていたイスルギ軍務長は、かつてアイオニオンで縁を結んでいたあのナミさんと結ばれたのだ。
アイオニオンでの記憶は、僕たち元ウロボロスと二人の女王、その他少数の有識者しか保有していない。
当然イスルギ軍務長もナミさんも、お互いかつて親しい間柄だったとは知らないはず。
にも関わらずこうしてまた巡り逢い結ばれるなんて、ただの偶然には思えない。
すべては因果によって定められたこと。
もっとロマンチックな言い方をすれば、運命の相手だったということだろう。
そんな非現実的な言葉を口にするようなガラじゃないが、イスルギ軍務長とナミさん、そして最近結婚したばかりのノアやミオを見ていると、“運命”とやらを信じたくなってしまう。
もし僕にも“運命の相手”というものがいるのなら、きっとそれは彼女に違いないのだろう。
「なら、僕と結婚してみるか?」
それは、ユーニに誘われ一緒に酒を飲みに行った時のことだった。
アイオニオンでは酒を飲むことなど無かったが、この新世界では嗜みのひとつとして成人して以降ちょくちょく一緒に吞んでいた。
今宵も二人で他愛のない会話を楽しみながら酒を煽っていたのだが、不意に話題は先日式を挙げたノアとミオの件へと移る。
2人のなれそめやら結婚後の様子やらを話していると、ユーニが不意に言ったのだ。
“結婚かァ。幸せそうで羨ましいわ”、と。
アルコールというものは思考力を低下させてしまうという厄介な効力を持つ。
酒が入ると意図していない大胆な行動をとってしまう者も多いが、僕もその類だったらしい。
アルコールの力で思考力が落ちると同時に勇気が高まった結果、いらない一言を口にしてしまった。
真剣さは感じられなかったと思う。
話の流れでなんとなく言った冗談のように偽装するため、あえて半笑いで言い放ったのだから。
酔いが回った頭でも、決して保身を忘れない自分の臆病さが気に食わない。
平静を装いつつも、本当は少しだけ期待していた。
いつもの軽いノリで、“それもいいかもな”なんて笑ってくれるんじゃないかと。
けれど、返ってきた反応は僕が期待していたものとは全然違くて、軽く流すように“何アホなこと言ってんだよ”と笑われてしまった。
確かにアホなことだったと思う。
急に結婚だなんて、普通冗談だと思うだろう。
でも、僕の中では急なことでも何でもなかった。
この新世界で再会できたその瞬間から考えていた。君との将来を。
大人になるにつれてアイオニオンでの記憶が濃度を増していくと、僕の心に淡い感情が芽生え始めていた。
いや、記憶を取り戻したから好きになったんじゃない。
本当はきっと、アイオニオンにいた頃から好きだった。
この気持ちを理解することが出来ずに、“不思議な感情”として胸にしまい込んでいたけれど、今は違う。
恋も愛も理解できる今の僕たちなら、きっと新しい関係を築くことができる。
新しい人生を君と共に。
そんな輝かしい願望を秘めた軽い告白は、ユーニによってむなしく突き返される。
その後も楽しい話は続いたが、ユーニの話を穏やかに聞いているふりをしながら心は死にかけていた。
“そうなれたらいいな”程度に考えていた夢想に近い願望は、どうやらいつの間にか本気度を増していたらしい。
ユーニと結婚できたらいいな、じゃなく、結婚したい。
フラれて初めて、自分自身の気持ちの大きさに気が付いてしまう。
そして後悔した。
確かに冗談にしか聞こえなかったかもしれない。
あんな真剣さのかけらもない伝え方では、冗談だと思われても仕方ない。
もっとちゃんと伝えなくては。
ユーニはノアやミオの話をしながら“幸せそうで羨ましい”と言っていた。
僕にだって君を幸せにする力はある。
君と僕は旅の間寝食を共にし、命さえも共有したパートナーなのだ。
共に生きていく人生のパートナーとして、僕以上に相応しい相手なんていないはず。
きっとうまくいく。幸せになれる。
僕と結婚することで得られるメリットを伝えられれば、ユーニも僕との結婚に魅力を感じてくれるかもしれない。
2度目のチャンスは1か月後にやってきた。
今度は僕から誘ってユーニを連れ出した。
美味いと評判の茶菓子と、彼女が昔から気に入っていたハーブティーを携えてピクニックへと繰り出す。
作戦通り彼女は上機嫌で、にこやかな笑みを絶やさず茶菓子とハーブティーを楽しんでいる。
見たことか。君の好みや喜ぶポイントはすべて知り尽くしている。
君のことをここまで知り尽くしている男は、この世界に僕一人しかいないのだ。
「普通にナシじゃね?」
アルストには、巨神界にはない価値観が多々ある。
“家庭を持ってこそ信頼に足る大人である”という考え方がまさにいい例だろう。
アルストでは、家庭を持っているかどうかで人の評価が変わる。
これは、ブレイドと人間が紡いできた命を貴ぶ文化風習が根幹となっているらしい。
人は命を紡いでこそ人足りえる。
つまり、配偶者を持って子を成すことこそが人としての使命であり、それを果たしている者は評価されるべきということだ。
この価値観に基づき、アルスト由来のコロニーでは結婚しているかどうかが出世に影響を及ぼすことが多い。
僕が所属しているコロニーラムダも例外ではない。
いつかは僕も誰かと結婚し、そして出世していくのだろう。
どうせ誰かと一緒になるなら、やはり相手はユーニがいい。
彼女と一緒になれれば、僕も難なく出世できる。
そうなれば社会的地位も経済力も向上して、君を一層幸せにすることができる。
互いにとって有益だ。断る理由がない。
けれど、ユーニは苦笑いを浮かべながら容赦なく断ってきた。
メリットは示せた。彼女は理解力がある方だから伝わっていないわけはない。
ならば何故?
こんなに益のある話を蹴るなんて。
「そんな提案ベースでプロポーズみたいなこと言われても誰も喜ばねぇって。もっとこう、ちゃんと熱心に言ってくれなきゃ」
「熱心に……」
だがユーニはヒントをくれた。
そうか。確かに結婚という一世一代の門出を、こんなあっさりと提案してあっさりと受け入れるのは少し寂しい。
女性はロマンチックを求める傾向にあるというが、ユーニの性格上そこに大きなこだわりはないと思っていた。
だが、ユーニも流石に求婚の時くらいはロマンチックな空気に浸りたいのだろう。
そんな彼女の気持ちを察してやれなかった僕が悪い。仕方ない。
彼女の言う通り、もっと熱心に、そして素敵に頼み込めばきっと心動かされるはず。
そう信じて、僕は3度目の正直を狙いに行った。
手にはセリオスアネモネの花。
いつもはハーブティーにしているこの花の香りを、ユーニは痛く気に入っていた。
きっと喜んでくれるはずだ。
彼女を驚かせるために、事前の約束はせず会いに行った。
案の定ユーニは突然の訪問に驚いていたようだが、拒絶はしなかった。
そして、丘の上の公園に呼び出し隠していた花束を差し出す。
少々迷ったが、直球勝負で挑むことにした。
ひねった言葉よりもストレートな言葉の方が女性は喜ぶと何かで読んだことがあったから。
けれど、結婚してほしいことをまっすぐ伝えた僕に、ユーニは相変わらず困った顔をしていた。
その顔は明らかに喜んではいない。
嫌がってもいないようだが、複雑な心境をにじませているその表情は僕を焦らせる。
「利益を重視して結婚したいなら、他の女に頼みな。アタシには無理だから……」
そう言って彼女は背を向けた。
今まで2度ほど結婚を提案してきたが、こんなにもはっきりと断られてしまったのは初めてだ。
“他の女”なんて言われても、僕には君しかいない。
君以外の誰かと一緒になろうなんて、そんなの1ミリも考えていない。
利益を示しているのに断ってくる理由はいったいなんだ。
考えた結果、非常に単純で悲しい答えにたどり着いてしまう。
ユーニは僕のことなんて好きじゃないのか。
冷静に考えれば至極当然な解だった。
ノアとミオも、イスルギ軍務長とナミさんも、利益を考えて一緒になったわけじゃない。
互いに想い合っているからこそ一緒になったんだ。
僕はユーニが好きだ。結婚したいと思うほどにこの気持ちは大きくて重みがある。
だが、この気持ちはきっと一方的なものなのだろう。
そういえば、アイオニオンでの別れ際、ユーニは僕を“4番目の相方”と称していた。
あんなに一緒の時を過ごしたのに、心通わせていたはずなのに、そんな僕が4番目なんて気に食わない。
考えないようにしていたが、そもそも1番にすらなれない僕が、ユーニと結婚なんて望みが高すぎたのかもしれない。
「……タイオンのことは好きだけど、交際0日で結婚を決意するほどの熱量じゃない」
一方的な関係だと思っていたが、彼女は僕を好きだと言ってくれた。
その言葉に嘘偽りはないのだろう。
現に、新世界で再会して以来、彼女からほのかに好意を感じることは何度かあった。
あれが勘違いだというのなら、ユーニはとんだ小悪魔だ。
だが、彼女が発した言葉通り、好きは好きでも“大好き”ではないのだろう。
僕はユーニが好き。ユーニも僕が好き。
同じ“好き”でも、きっと熱量が違う。重さが違う。濃度が違う。大きさが違う。
ユーニの“好き”より僕の“好き”の方が圧倒的に熱量が高くて、重くて、濃くて、大きいのだろう。
“好き”の量を同時に天秤にかけてみたら、きっと僕の方が重すぎて拮抗しない。
傾いた天秤はやがて倒れ、すべての“好き”が零れ落ちてしまう。
そんな状態で結婚なんて、確かにまだ早すぎたのかもしれない。
だが、残念ながら僕は諦めが悪かった。
だからといって“はいそうですか”と大人しく引き下がれる性格じゃない。
ユーニと結婚するためにはどうすればいいか。答えは簡単だ。傾いた想いの天秤を拮抗させればいい。
彼女にも同じだけ僕を好きになってもらえばいい。
結婚したいと思えるほど、ユーニの熱量を上げればいいだけのこと。
要するに、惚れさせればいいのだ。
僕のことが好きで好きでたまらない、今すぐ結婚してくれと懇願してくるくらい骨抜きにすればいい。
解決策は実に単純だが、実現は容易とは言えない。
だが、希望はあるはずだ。ユーニは僕にほんの少し好意を向けてくれている。
しかも、妥協案として交際を提案してくれたのは向こうの方だ。
付き合いたいと思える程度に、今の僕は好かれているということ。
初期の好感度が高い分、実現不可能なミッションではない。
「僕がいないと生きていけなくなるくらい君を惚れさせてやる。そして近い将来、君の方から結婚してほしいと懇願させてやる」
意気込む僕に、“恋人”となったユーニは不敵な笑みを向けてきた。
そんな自信満々でいられるのも今のうちだ。
この交際期間中、君を夢中にさせる策を何重にも張り巡らせてやる。
これは心理戦だ。根競べと言ってもいい。
女性は追われ過ぎると冷めてしまう傾向にあると聞いたことがある。
この説を信じ、君が僕に心から惚れこむまで必要以上に好意を表に出さないようにしよう。
駆け引きはがっついたら負けだ。
こっちから求めたり、追いかけたりするのはNGだ。当然、気持ちを口にするのも厳禁。
あの小生意気なユーニのことだ。好きだの何だの簡単に伝えてしまったら、あっという間にマウントを取られて一生こっちが優位に立てなくなる。
それに、好意の天秤が僕の方だけ重くなっているこの現状も正直癪に障る。
結婚するその時まで、絶対に"好きだ"なんて言ってやるものか。
固い決意を固めた僕だったが、この時は全く知らなかった。
この決意が、むしろユーニとの結婚を遠ざけてしまっている事実に。
***
成人を迎えたこの年齢にもなれば、男女交際の経験くらいはそれなりに積んでいる。
僕もそれは例外ではなく、まだアイオニオンでの記憶が完璧に蘇ってはいない十代の頃に、同年代の女性と1年ほど交際した。
どうやら僕は色恋事に得意な部類ではないらしく、相手を怒らせることも多かった。
結果、合わないところばかり目につくようになって最終的には喧嘩をして別れることとなったのだ。
あの頃はそれなりに落ち込みはしたが、ユーニと交際を開始した今となっては破局して正解だったのかもしれない。
「悪い。待った?」
「いや、今来たところだ」
コロニー9正面入り口。
ユーニが居を構えているこのコロニーは、巨神界の英雄、シュルクが長を務めているコロニーであり、ノアとミオ夫妻や、交際を開始したばかりのランツとセナもここに住んでいる。
僕の住まいは遠く離れたコロニーラムダだが、転移装置が互いのコロニーを繋いでいるおかげで物理的距離は関係なくすぐ会うことができる。
この転移装置が広まっている事実に感謝しなければならないだろう。
僕とユーニの交際が始まって数日。
“相方”から“彼氏彼女”の関係に昇華した僕たちだったが、距離感はあまり変わらない。
2人きりで会うことも、隣を並んで歩くことにも、既に慣れている。
何の変わり映えのない距離感に、僕は少々焦れ始めていた。
僕の最終目的はユーニとの結婚にある。
その目的を叶えるためには、彼女が僕との結婚を自主的に望むよう仕向けるため、心から惚れさせなければならない。
彼女の心を掴み取るため、僕は積極的にユーニを誘い出すことにした。
待ち合わせ場所は彼女が住んでいるコロニー9。
転移装置でやってきた僕はひとり居住区の噴水に腰掛け本を読んでいたのだが、間もなくしてユーニが駆け寄って来る。
“待った?”
“今来たところ”
こんなデート開幕時のテンプレのような会話に少し笑ってしまいそうになる。
ユーニと2人で会うことには慣れているけれど、恋人らしいやり取りをすることには慣れていない。
“相方”である男女が2人で会えばただの“おでかけ”でしかないが、交際している男女が2人で会えばそれは“デート”と呼称されるようになる。
そう、今日は僕とユーニの“初デート”の日なのだ。
「で、何食べたい?」
「そうだな……。君は何が食べたい?」
「カレー」
「ならカレーだな」
待ち合わせたのは昼過ぎだった。
互いに昼食をまだ食べていなかったため、自然とランチの店を決めるところからデートは開幕した。
ユーニは“優柔不断”とは対極の位置にいる性格をしている。
何もかも白黒はっきりさせる素直でサバサバした性格は時折棘を感じることもあるが、今のような場面ではずいぶん助かっている。
何を食べようか、どこに行こうか、なにをしようか。
ユーニはいつもハッキリ自己主張をする人だから、彼女と一緒にいて物事がすぐに決まらなかったことは一度もなかった。
ユーニに案内されて入ったのは、商業区にある野外のカレー屋だった。
店主の名はコパム。
このカレー屋は昔からコロニー9の名物として有名であり、オドリンゴを隠し味に入れているのだとか。
おすすめされるがままに注文すると、目当てのカレーはすぐに運ばれてきた。
一口食べた瞬間、心地よい辛さとフルーティーな甘みが口の中一杯に広がっていく。
辛い。でも旨い。
いつだったかアイオニオンにいた頃、シティーで食べたモニカのカレーによく似た味だった。
「うんまーっ」
「確かに旨いな。ピリ辛で癖になる味だ」
「だろ?アタシここのカレーすんげぇ好きでさぁ、子供の頃からノアやランツたちとよく食べに来てたんだ」
「思い出の店というわけか」
「そんな感じ。防衛隊の訓練の後に食うカレーが最高でさ、ランツがいつも大盛頼む癖に全然食いきれなくて仕方なくアタシとノアで残飯処理したりしてさぁ」
カレーを食べ進めながら笑顔で思い出話に花を咲かせるユーニ。
そんな彼女の話を、僕は穏やかに聞いていた。
ユーニの口数の多さは相変わらずだ。
アイオニオンにいた頃も、彼女と2人きりの時は延々にユーニが特に実のないハナシをしていたような気がする。
最初の頃はべらべら話し続けるユーニを鬱陶しく思ったこともあったが、今となってはこのやかましさが心地いい。
ユーニが楽しそうに話しているとこっちまで楽しくなってくる。
ユーニが幸せそうに料理を食べているとこっちまで幸せになって来る。
彼女の感情とリンクするかのように、僕の心もユーニの笑顔と共に跳ね上がるのだ。
「あれっ、なぁコパム、この漬物って有料だったよな?」
不意に、カウンター席で並んで座っていたユーニが、テーブルの上に置かれた小さな小瓶を発見した。
中に入っっていたのはキラボシダイコンの漬物。
酸味が良く効いたこの漬物は、カレーのトッピングとしてかなりメジャーな代物だ。
不思議そうにその小瓶を指さしながら問いかけるユーニに、カウンター越しで鍋をかき混ぜていた店主のコパムが豪快な笑顔を見せながら肯定する。
「前までは有料だったけど、無料でサービスすることにしたんだよ。好きなだけトッピングしな」
「うわマジかよ!太っ腹じゃん!」
どうやら彼女はこのキラボシダイコンの漬物が相当好きらしい。
嬉しそうに笑顔を見せると、小瓶に入った白いダイコンの切れ端を次々カレーへと乗せていく。
そしてまた一口食べると、“ん~っ”と顔をしわくちゃにしながら悶えている。
「やばっ、うまっ。タイオンも食ってみ?めちゃくちゃ美味いぞコレ」
「そのようだな」
そんなに嬉しそうにはしゃいでいれば、口にせずともうまさが伝わって来る。
ユーニはいつも楽しそうで、笑っているその姿を見ると心が温かくなる。
そして、心の奥からじわりと熱い感情が押し寄せて来るのだ。
たまらなく可愛い。
君のどの場面を切り取ってみても、きっとすべて可愛いに違いない。
視線が無意識に吸い込まれて、瞼の裏に焼き付けるようにじっと見つめてしまう。
パクパクとカレーを食べ進めていたユーニだったが、不意にその手が止まる。
もう満腹になってしまったのだろうか。
観察していると、彼女は不服そうにこちらへ視線を向けてきた。
「さっきから何?」
「は?」
「ガン見やめろよ。そんなに見られてたら食いにくいじゃん」
「なっ……、別に見てない。たまたま視線を向けていただけだ」
「ふぅん」
口では納得していながらも、その表情は明らかに面白がっていた。
僕の最終目的は結婚であって、この交際はその目的を叶えるための通過点でしかない。
ただ仲良くお付き合いするだけの関係は僕の理想とは違う。
彼女と結婚までこじつけるため、惚れさせなければ。
そのためには、僕の熱量が彼女の熱量を上回るなんてこと、あっちゃいけない。
互いに拮抗し合うか、もしくはユーニの感情の方が若干重いくらいがちょうどいい。
だから、気が付けば目で追ってしまう事実も、隣に居るだけで心が躍る事実も、見つめられると顔が赤くなりそうになる事実も、まっすぐ彼女の目を見れない事実も、全て内緒だ。
だって女性は追われるより追うほうが相手にのめり込みやすいと言うだろ。
だから僕も、必要以上に君を追ったりしない。
僕が君に夢中になってしまったら本末転倒だからだ。
好きな気持ちを懸命に収縮させながら、僕はユーニからの好意に空気を入れ続ける。
いつか僕に向けられて肥大化したその好意が爆発することを願って。
***
食事を終えた僕たちは、そのまま商業区をぶらつくことにした。
ユーニの買い物に付き合ったり、甘いものを買って公園のベンチに腰掛け一緒に食べたり。
途中、ばったりランツに遭遇して散々揶揄われたが、彼も“セナと約束があるから”と言ってすぐに去っていった。
ランツだけじゃなく、このコロニー9には当然の如くユーニの知り合いが多い。
子供から年寄り、同年代の女性は勿論、見知らぬ男からもすれ違うたび頻繁に声を掛けられていた。
知らない男がユーニに気安く声をかけるたび、僕の心はささくれる。
今の僕たちは、たった10年しか生きられなかったアイオニオンの戦士とは違う。
僕たちと再会するまでに、ユーニはこの新しい世界で新しい人間関係を築いている。
彼女が親しくしている人の中には、僕の知らない人間もいるのは至極当然のことだ。
分かっている。分かっているはずなのに、どうも僕は自分が思っている以上に器が小さかったらしい。
彼女が僕の知らない相手、とりわけ若い男に声をかけられていると、あれは誰だ。君とはどんな関係なんだと問い詰めたくなってしまう。
嫉妬深い男は嫌われる。
これはこの世の常識であり、摂理だ。
ただ挨拶してくるだけの男にいいちいち嫉妬する彼氏なんて面倒この上ないだろう。
だから言わない。独占欲の強い歪んだ男だと思われたくないんだ。
「ここからの景色、結構綺麗だろ?」
陽が沈み始めた頃、僕たちは商業区と居住区、そして軍事区を繋ぐ橋で遠くの山々に沈みゆく夕日を眺めていた。
このコロニーは大きな湖の上に3本の太くて大きな柱を立てて成り立っており、この橋は3つの区域を繋ぐコロニーの中心地でもある。
真下には夕日で茜色に染まった湖の水面が見える。
空は夕焼けと宵闇がまじりあった儚げな色が広がっており、この時間にしか見られない幻想的な景色に目を奪われそうになった。
確かに綺麗だ。
けれど、きっとユーニと一緒じゃなければ、この景色もただの日常風景としか見れなかったのだろう。
君が“綺麗”と言うから、僕にも綺麗に見えるのだ。
「アタシさ、アイオニオンのコロニー9も好きだったけど、今のコロニー9も負けないくらい好きなんだ。ノアやランツ、ヨラン、ゼオンにカイツ。他の昔馴染みもいっぱいるし、何より“故郷”だから」
「故郷、か……」
かつてアイオニオンに生きていた僕たちは、ゆりかごから人工的に再生され、メビウスたちの采配によって各コロニーに配置されていた。
そんな僕たちに“故郷”などという概念は当然存在せず、所属しているコロニーは所詮一時的な居場所に過ぎなかった。
そんな過去を知っているからこそ、ユーニが発した“故郷”という言葉に重みを感じてしまう。
気持ちはよく分かる。
僕も生まれ育ったコロニーであるラムダには思い入れも大きい。
そこで形成された新しい人間関係もたくさんある。
だが、僕と再会する前のユーニが僕の知らない時間をこのコロニー9で過ごしたのだと考えると、少しだけ悔しくなった。
僕たちはもう、インタリンクできるウロボロスではない。
互いの過去を垣間見ることが出来ないからこそ、彼女に僕の入り込めない過去があると思うと悔しくなってしまうのかもしれない。
「今日一日君とこのコロニーで過ごして分かったが、君は随分ここの人間に好かれているんだな」
「え?そう?」
「大通りを歩くたびに違う顔に声をかけられていただろ。老人から子供、若い女性に、それに……、同年代の男たちからも」
橋の欄干に肘を突き、遠くを見つめる僕とユーニ。
2人の視線は水平線の彼方へと向けられているため交わることはない。
が、隣でユーニがちらっと僕へ目を向ける気配がした。
「そうだった?」
「無自覚か。まぁ、人気者なのはいいことだ。見習いたいものだな」
その瞬間、ずっと続いていた会話が急に途切れてしまった。
ユーニが口を閉じてしまったことで、あんなに軽快だった会話のラリーが突然終わってしまったことに、僕は焦り始める。
まずい。今の言い方は少し棘があったかもしれない。嫌味っぽかっただろうか。
嫉妬や独占欲が滲んでいたのかも。
どう弁明しようかと模索する僕だったが、不意に隣のユーニから名前を呼ばれる。
「タイオン。キスしてみない?」
「……は?」
急すぎる提案だった。
あまりにも突発的だったため一瞬幻聴かとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。
目を白黒させている僕に、ユーニは追い打ちをかけるようにもう一度“キス”と呟いた。
「な、なんだ突然……」
「付き合うって決めたはいいけど、なんかあんまり距離感変わってねぇじゃん?恋人らしいことすればもう少し変わるかなって」
「いや、だからって……。そういうのは、したいと思った時に場の流れでするものであって、“しよう”と宣言してするものじゃないだろ」
「そうかな」
「そ、そうだろ……」
「……」
「……」
「……まぁ嫌ならいいや」
提案のインパクトに反して、ユーニの諦めは驚くほどに早かった。
もう少し粘ってくるかと思ったが、僕が少し後ずさるとすぐに追うのをやめてしまう。
遠慮したのは僕の方だったはずなのに、すぐさま諦めてしまうユーニに少しだけ心がざわめいた。
なんでそんなにすぐに諦めるんだ。
もう少し押してくれれば、それなりに考えたのに。
渋々を演じつつ、君の要望を自然な流れで受け入れられたのに。
君とのキスが嫌なわけない。むしろ、ずっとしたいと思ってた。渇望してた。
もっと求めてきてほしい。“しよ?”と言って、可愛く強請って欲しい。
君からの要望であれば、何だって喜んで受け入れるのに。
呆気なく身を引き、沈みゆく夕日へと視線を戻したユーニの横顔を盗み見る。
そんなこと全く望んでいなかったハズなのに、いざユーニから“キス”という甘美な提案をされてみると、したくてたまらなくなってしまう。
あぁ、どうして断ってしまったのか。
“仕方ない。君がしたいならどうぞ”
そう言ってすぐに受け入れればよかった。
折角のチャンスを逃してしまった。本当は僕だってしたいのに。
今、君の両肩を引き寄せて見つめ合い、その唇を強引に奪えば、君は僕に惚れてくれるだろうか。
結婚したいと思うほど、夢中になってくれるだろうか。
心臓が高鳴る。
やれ。やってしまえと背中を押すその鼓動に従い、すぐ横にいるユーニへと手を伸ばす。
華奢な両肩に手を添えて向き合うと、ユーニの蒼い目が僕を真っすぐ見つめて来る。
ごくりと生唾を飲むと、ユーニからの視線を真っ向から受けているせいかどんどん顔が赤くなる。
そして、何かを察した様子のユーニがゆっくりと目を閉じた。
ゆっくりと顔を近付け、目閉じて唇を重ねる。
口付けている間、僕の心臓の音だけが耳に届いていた。
こんなに高鳴っているのだ。ユーニにも聞こえてしまっているかもしれない。
そう思うと、恥ずかしくてたまらなかった。
口付けは3秒ほどで終了した。
目を開けると、そこには意外にも少しだけ赤い顔をしたユーニの姿があった。
彼女もそんな風に照れることがあるのか。
驚いていると、ユーニは目を細め紅潮した顔で微笑みを向けて来る。
「したいと思ったんだ?」
「……君がしたそうだったから」
「素直じゃねぇな。でも、結構うれしい」
微笑むユーニの表情に、また心臓がきゅうっと音を立て締め付けられる。
あぁ、たまらなく可愛い。
彼女の素直さに、また僕は心を奪われる。
ユーニの心を奪うためにキスをしたはずなのに、いざしたら僕が心を掴まれている。
なんとも無様だ。
こんな状態で、ユーニを夢中にさせることなんて出来るのだろうか。
一抹の不安を覚えながらも、心の昂ぶりを抑えられなかった。
続く