【#01】スキなんて言ってやらない第一話「ロマンチックが足りないの」
差し出されたのは真っ白なセリオスアネモネを集めた花束だった。
甘い花の香りが思考をとろけさせる。
普通、こんなに素敵な花束を差し出されたら喜ぶものなんだろうけど、生憎今のアタシは喜びより驚きの方が大きかった。
だって仕方ないだろ。これを差し出してきた相手は、あのタイオンだったのだから。
かつてこの世界が“アイオニオン”と呼ばれていた事実を知っているのは、この世界でほんの一握りの人間だけだ。
“巨神界”、“アルスト”と呼ばれていた二つの世界は何度目かの邂逅を果たし、新世界として産声を上げた。
元々二つだった世界を束ねるのは、元の世界で“女王”と崇められていた2人の女性、メリアとニア。
アイオニオンの記憶を持っているのは、そんな2人の女王と、アタシたち“元ウロボロス”の6人くらいだった。
正確に言えばもう少しいるらしいけれど、記憶保有者が希少な存在であることは確かだ。
成人に近付くにつれて濃くなっていった“あの頃”の記憶は、成人の儀を迎える頃には昨日のことのように思い出せるようになっていた。
そして、世界が再び邂逅し、再建したオリジンによって新生アイオニオンが形成されたことで、アタシたちはようやく再会の約束を果たすことになる。
アイオニオンで一緒に旅をしていた頃より肉体的な年齢は幾分か大人になっていたけれど、みんな見た目も性格もさほど変わっていなかった。
再会を果たしてから1年。
24歳になっていたアタシは、ウロボロスとして一緒に戦っていたタイオンとそれなりにいい関係を築いていた。
暇な日に2人きりで遠出したり、夜に会って酒を酌み交わしたり、互いの家に行って朝まで喋っていたこともあった。
友達と呼ぶには親密すぎるけれど、恋人と呼ぶには甘さが足りない。そんな絶妙な距離感。
アタシにとってのタイオンは、他の誰かじゃ代わりの務まらない特別な相手だった。
自惚れでなければ、きっとタイオンの方もアタシを同じように思っているに違いない。
キスを交わしたり体の関係を持ったりするようなことはないけれど、心では誰よりも強く繋がっている。
この関係に名前を付けるなら、やっぱり“相方”が一番しっくりくるのだろう。
今の関係は居心地がいいし、嫌いじゃない。
けれど正直、ずっとこの関係を続けたいかと問われれば微妙だった。
居心地はいいけれど、今の距離感はハッキリ言って曖昧過ぎる。
どっちつかずの関係を延々続けていられるほど、アタシは気が長くない。
だって、今のアタシたちはアイオニオンにいた頃の無垢な戦士ではない。
この胸に渦巻くタイオンへの感情の正体は、とっくの昔に気付いてしまっている。
アタシは、タイオンが好きなんだ。
このぶっきらぼうで優しい相方のことが、一人の男として好きなんだ。
だから、本当は“相方”じゃなく“恋人”になりたい。
せっかく新しい世界で再会できたんだ。
あの頃は理解できなかった恋心を互いに抱き合って、好意を渡し合って、甘い関係を築きたい。
こんな乙女ちっくな心がアタシの中にあっただなんて知らなかった。
きっと、なにもかもタイオンという存在が教えてくれたのだろう。
アイツに出会わなければ、こんな感情知ることもなかったに違いない。
この淡い想いを胸に隠しながら、アタシはタイオンと相方関係を続けていた。
終わりの見えないこの曖昧な関係はいつまで続くのだろう。
再会して1年以上が経過したある日、意外にもタイオンの方が最初の一歩を踏み出してきた。
「なら、僕と結婚してみるか?」
どんな話の流れでそんなことを言われたのかはよく覚えていない。
ただ、2人でとある酒場で一緒に飲んでいた時、酔った勢いとその場のノリで言われたことだけは覚えている。
アイツにしては珍しく半笑いで軽々しく告げられたその言葉に、アタシは一瞬飲んでいた酒を喉に詰まらせそうになった。
何だ今の。冗談か?
冗談だよな。あの堅物真面目なタイオンが、こんなプロポーズみたいなセリフを半笑いで吐くわけがない。
「何アホなこと言ってんだよ」
冗談半分で言われたであろうその言葉を、アタシは笑顔でかわした。
正直、嬉しくなかったと言えばウソになる。
けれど、冗談で告げられたプロポーズを本気にするほどアタシは馬鹿じゃない。
どうせ求婚されるなら、もっと真剣に、もっと情熱的に言って来てほしかった。
だから軽く流したのだけど、その日のタイオンはこの瞬間以降、何故だか口数が少なくなったように思えた。
それから1か月後。
アタシはタイオンに誘われて巨神脚のあたりにピクニックに出かけた。
相変わらずアイツの淹れるハーブティーは美味くて、何杯でも飲めてしまう。
巨神脚の雄大な草原を丘の上から眺めつつ、アイツが用意してくれた茶菓子と一緒にハーブティーを楽しむこの時間は、実に充実していた。
草原の向こうの方で雑草をもぐもぐ食べているアルマとアルドンの親子を眺めながら、2人でいろんな話をした。
最近結婚したばかりのノアとミオの話や、交際を開始したばかりのランツやセナの話。
そのほかにも、周囲では続々と結婚を決めている男女が多くいた。
2つの世界が邂逅してもうすぐ2年。
ノアやミオたち以外にも、別世界出身の相手と結婚する男女も増えつつあった。
だが、巨神界とアルストでは結婚に対する文化価値観に大小かかわらず相違する点がいくつか存在する。
どうやらアルストでは、結婚して家族を設けることが一種のステータスとなるようで、適齢を迎えた男女はこぞって結婚相手を探し始めるのだとか。
独身は信用されず、コロニー内で出世するのはやはり既婚者ばかり。
“結婚”という通過儀礼に大きな価値を見出していたアルストの価値観は、新世界になって以降も消え去ることはなく、今も根強く残っているらしい。
アルストの結婚に関する価値観を語りつつ、タイオンは遠くの空に目を向けていた。
「だから、僕も今のコロニーでそれなりの地位を築くためにはいずれ結婚することになると思う」
「ふぅん。結婚しなきゃ出世できないって大変だな」
「あぁ。古い価値観だとは思うが、家庭を持ち命を紡ぐことの尊さに重きを置いた価値観なのだと思うと頭ごなしに否定はできない」
「確かにな。家庭を持って子供を作るってのも、そんなに簡単なことじゃねぇだろうし、その実績が信用に繋がるって考えは理解できるよな。まぁちょっと偏ってるとは思うけど」
「ただ、僕たちはほら、いろいろと特殊だろ。他の人にはない記憶を持っていたり」
「アイオニオンの事とかウロボロスの事とか、普通の奴は覚えてねぇからな」
「何も事情を知らない人間と1から関係性を築くのは大変だと思う。まして結婚相手ともなると、僕の抱えている過去や事情を全て知っている人間がいい。その方が手っ取り早くて助かるだろ」
「確かに結婚するならそういう奴の方が楽かもな。でもそんな奴どこにもいなくね?」
「いるだろ、君が」
そんなタイオンの話に相槌を打ちつつクッキーを頬張っていたアタシは、一瞬何を言われているのか理解できなかった。
えっ、アタシ?
クッキーを口に咥えながらタイオンを凝視し、フリーズしていると、彼は視線を泳がせながら再び口を開いた。
「いや、だから、ほら、何も事情を知らない相手と結婚したら、お互い微妙なズレが生じてトラブルの元になるかもしれない。だが君と結婚すれば色々と楽だろ。互いのことは既に知り尽くしているわけだから」
「まぁ、そうかもだけど……。えっ、なに?結婚しようって言ってる?」
「あっ、や、えっと、うん。そ、そうじゃなくて、だからその、そういう選択肢もあるというだけの話だ」
「はぁ。選択肢、ねぇ……」
「互いの利益を重視して、今後の人生のために手を組むというのもアリだろ。いわば、利害を重視した選択的結婚だ」
「……」
「……どう、かな」
「え、どうって言われても……。普通にナシじゃね?」
正直な感想を述べてみた結果、タイオンは大袈裟なほど目を見開き驚いてみせた。
そんなに驚くようなことじゃないだろ。
普通に考えて、結婚ってそんな風に利害重視でするものじゃない。
相手と一生を共に添い遂げたいという気持ちがあるからこそするものだ。
“した方が得だからする”のではなく、“この人としたいからする”が正解であり理想。
利害の一致による結婚が、幸せな結果を生むとはどうも思えない。
タイオンとの結婚は確かに魅力的だけど、“利害が一致するから”という理由でその申し出をされているのなら全く嬉しくない。
むしろ悲しいくらいだった。
何度か瞬きして視線を逸らしたタイオンは、その動揺した表情を隠すように眼鏡を押し上げ、“理由は……?”と恐る恐る聞いてくる。
そんな彼に、アタシは率直な意見を容赦なくぶつけた。
「そんな理由で結婚しても絶対幸せになれなくね?てかその理屈じゃ、アタシじゃなくてもいいじゃん」
「い、いや、さっきも言った通り、僕の過去をよく知っている女性といえば君くらいしかいないし……」
「ミオやセナだって知ってるじゃん」
「ミオはノアと結婚してるだろ。セナだってランツという恋人がいる!」
「要するに消去法でアタシを選んだってことじゃん。そんなの1ミリも嬉しくねぇって」
アタシの指摘に、タイオンはとうとう反論してこなくなった。
視線を外し、少し悔しそうにしているだけ。
どうやらアタシの指摘は全て図星だったらしい。
タイオンはアタシが好きだからそういう提案をしてきたんじゃなく、アタシとの結婚にメリットを感じているから提案してきただけに過ぎない。
そんな現実的で灰色な提案を、“是非!”なんて乗り気で受け入れるわけないだろ。
それに何より受け入れ難いのは、そのあまりにも保守的過ぎる求婚の仕方だった。
「てかそもそも、そんな提案ベースでプロポーズみたいなこと言われても誰も喜ばねぇって。もっとこう、ちゃんと熱心に言ってくれなきゃ」
「熱心に……」
まだミオがノアとの結婚を決める前、かつてウロボロスとして旅をしていた女子メンバーで集まり、理想のプロポーズについて議論を交わしたことがあった。
アタシはミオやセナほど夢見がちではないけれど、だからと言ってシチュエーションやセリフに何の拘りもないわけではない。
求婚するならそれなりに覚悟を持って言って欲しいし、きちんと好意を言葉にして伝えてほしい。
必死に、懸命に、真剣に、君が欲しいと主張してほしかった。
肩を落とすタイオンは、その日それ以上結婚について触れてくることはなかった。
けれど、その話題が出る前と後では明らかに態度というかテンションが違う。
アタシが結婚の話を否定した後は、それまでと比較して圧倒的に気分が落ち込んでいるようだった。
その様子を横目で盗み見つつ、ある一つの仮説が浮かび上がる。
もしかしてコイツ、アタシのこと好きだったりする?
冗談やただのタラレバで結婚の話題を出しているのかと思っていたけれど、本当はアタシのことが好きだから結婚の提案をしてきたんじゃ?
いやいや、だとしたらこんな遠回しな言い方じゃなく、“好きだから結婚しよう”と言うのが普通だろう。
そう言ってくれれば、迷うことなく首を縦に振っていた。
メリットだの利害だの、そんな小難しい理屈をこねくり回すからその提案に乗る気が失せるのだ。
巨神脚へピクニックに出かけてからさらに1か月後。
ある日突然、タイオンは転移装置を使ってアタシが住んでいるコロニー9へとやって来た。
時刻は夜21時過ぎ。
自宅の扉をノックする音に呼び出されて外の様子を伺うと、そこにはやけに顔を強張らせていたタイオンが立っていた。
“10分経ったら丘の上の公園に来てくれ”
それだけ言い残し、タイオンは去っていく。
何が何だか分からないまま、指示通り10分後にコロニー9を見渡すことが出来る丘の上の公園へと向かうと、コロニーを照らしている無数のエーテル灯の夜景を背に、タイオンが立っていた。
両手に真っ白な花束を抱えているその姿を見た瞬間、これから言われる言葉をすぐに予想できてしまう。
案の定、タイオンは前置きも何もなく、緊張した面持ちでアタシに花束を差し出しながら何度目かのプロポーズを口にした。
「ユーニ、僕と結婚してほしい」
何ともストレートな求婚だった。
思わず“はい”と勢いで承諾してしまいそうになるほど、直球で素敵な言葉である。
恐らくは“提案ベースじゃ嫌だ”と前に言ったから、こうして真っすぐ直球勝負で挑んできたのだろうが、正直一番大事なのはプロポーズの言葉なんかじゃなく、その理由だった。
アタシたちは別に付き合っているわけでもなければ、互いの好意を言葉で確認し合ったわけでもない。
どうしてアタシなのか、その理由をちゃんと口にしてくれないと“はい”とは言わない。言えない。
「なんで?なんでそんなにアタシと結婚したいの?」
「それはだから、前にも話しただろ?君と結婚するのが一番現実的だと。あぁでも、消去法で選んだわけじゃない。君とはホラ、インタリンクするうえでの唯一の相方だったわけだし」
違う。そういう言葉が欲しかったんじゃない。
アタシが言ってほしかったのは、“好き”の二文字だけ。
長ったらしい理屈も、遠回しな言い訳も何もいらない。
“ユーニが好きだから結婚したい”とさえ言ってくれれば、迷うことなくその腕の中に飛び込めるのに。
あまりにも現実主義で嫌になる。けど、この腹が立つほど堅苦しいタイオンだからこそアタシは好きになったんだ。
誰よりも真面目で優しくて、それでいて不器用なこいつが好きでたまらない。
多分、タイオンがタイオンらしくある限り、アタシの望む言葉は一生聞けないんだろうな。
そんなあきらめにも似た気持ちを抱きながら、アタシは差し出されたセリオスアネモネの花束を両手で押し返した。
「相方だったのはウロボロスだった頃の話だろ?今のアタシたちは違う」
「ユーニ……」
「利益を重視して結婚したいなら、他の女に頼みな。アタシには無理だから……」
ハッキリと断るアタシに、タイオンはまたあからさまに気落ちした表情を浮かべていた。
タイオンは、この新しい世界で軍師と呼ばれる立場に立っている。
それにしては考えていることが顔に出やすいタイプだ。
そんなに分かりやすくて軍師が務まるのだろうか。
余計なお世話でしかない疑問を抱きつつも、口に出すことはなかった。
そして、花束を抱えたまま立ち尽くしているタイオンを置いてアタシは歩き出す。
以前までは提案ベースの曖昧な求婚だったから誤魔化せてきたけれど、こうしてしっかりプロポーズされてしまった以上、前みたいに居心地のいい距離感に戻ることは出来ないのかもしれない。
なんだか惜しい。曖昧で不安定だったけれど、お互い特別感を感じられるいい距離感だったのに。
「ユーニっ」
背中から切羽詰まった声で名前を呼ばれる。
反射的に立ち止まってしまうのは、アタシがタイオンのことをまだ好きなせいなのかもしれない。
「どうしても考えられないか?そんなに僕が嫌いか?」
「……別に嫌いなわけじゃねぇよ。むしろちゃんと好きだよ」
「だったらなんで断る 僕じゃ頼りないか?」
頼りないなんて思ったことない。
いつだってアタシはタイオンを頼ってるし、必要としてる。
この世で一番好きな相手なんだから同然だ。
そんなアタシの気持ちを知ってもなお、タイオンは“好き”のひとことを言ってくれない。
ただ切羽詰まった様子でアタシの前に回り込み、半ば懇願するかのような態度で再び問いかけて来る。
「教えてくれユーニ。どうしたら君は……!」
不器用な奴。
“どうしたら”なんて、普通は聞かずともわかるだろ。
“好きだ”って言ってくれればそれでいいんだよ。
単純な話なのに、どうしてこの理屈っぽい男はこんな純粋な乙女心が分からないのか。
瞳を揺らしながら引き留めて来るタイオンを前に、アタシは深くため息を吐く。
そういえば、タイオンは戦場では誰より冴えているのに人の心の機微には誰より鈍感で不器用な奴だった。
アタシの気持ちを即座に察してほしいなんて、そんなの無理な話だったのかもしれない。
今すぐに愛を囁いてくれないのなら、時間をかけて待つべきなのだろう。
タイオンが甘い好意を口にしてくれるまで。“好きだから結婚してくれ”と再び求めてくるまで。
「あのさ、そもそも、イキナリ結婚することないんじゃねぇの?」
「へ?」
「普通結婚って、“交際”って順序を経てから行きつくものだろ?中間地点すっ飛ばしてイキナリ結婚してくれって言われても流石に無理があるって。何の装備もなく急にゴンザレスに挑めって言われてるようなもんだぜ?」
「そ、それはまぁ、確かに……。一人で突っ走っていた自覚はある。でも、だからと言って結婚が嫌ならどうせ交際もOKしてはくれないんだろ?」
「別にいいけど?」
「え?」
「付き合うって話しなら全然OKだけど?」
しなびた花束を片手に、タイオンは目を丸くしていた。
まさかアタシに“Yes”の回答を貰えるとは思っていなかったらしい。
むしろなんで交際は駄目で、結婚はOKしてもらえると思ったんだろうか。
何度も不思議そうに瞬きをするタイオンは、ひどく動揺した様子でたどたどしく疑問を投げかけてきた。
「い、いやちょっと待て。結婚は嫌なのに、交際はいいのか?なんで……?」
「さっき言っただろ?“タイオンのことはちゃんと好きだ”って。だから断る理由はないんだよ」
「なんだそれ……。じゃあ、好きでいてくれるなら結婚してくれてもいいじゃないか!」
「それはヤダ」
「何故」
「何故って……」
もう言ってしまおうか。
利益重視の理由ではなく、アタシを好きだと言って求婚してほしい、と。
タイオンはきっと、アタシが言えば照れながらも返してくれるだろう。
けれど、アタシから催促して引き出した“好き”の言葉に価値なんてあるのだろうか。
タイオンが自らの意思で気持ちを口にしてくれなくちゃ嬉しくない。意味がない。
だからヒントなんて与えてやらない。“好きと言って欲しい”だなんて教えてやらない。
アタシと結婚したいなら、アタシのすべてが欲しいなら、アタシが何を望んでいるのかせいぜい悩めばいい。
「……タイオンのことは好きだけど、交際0日で結婚を決意するほどの熱量じゃない」
「ね、熱量……」
「そう。熱量。アタシと結婚したいなら、こっちが“結婚したい”って思えるくらい熱量を上げてくれなくちゃ」
「そのための交際期間というわけか」
「そういうこと」
男女交際というのは、ある意味結婚までの助走みたいなものだ。
生涯を共にする伴侶として相手が相応しいかどうか、ゆっくり時間をかけて吟味する時間とも言える。
今すぐ結婚しなくても、交際期間中にタイオンから“好き”の言葉を引き出せるかもしれない。
そうすれば、すぐにでも結婚してやっていい。
アイオニオンでは出来なかった“恋”というものを、タイオンと一緒に体験していきたい。
それがアタシのささやかな願いだった。
「好きな相手とはいえ、いきなり結婚する気にはなれない。きちんと付き合って、結婚しても上手くやっていけるのか見極める時間が欲しい。そんなにアタシと結婚したいなら、まずは付き合ってその気にさせることから始めろよ」
さてどうする?
堅物で真面目でぶっきらぼうで、なおかつせっかちなタイオンは、明らかに人生において遠回りとも言える“交際”という提案を受け入れるのだろうか。
興味深く返答を待っていると、タイオンは暫く目を伏せ考え込んだ後、意を決したように顔を上げた。
そして、手に持っていた花束が地面に落ちたと同時に、彼の両腕がアタシの両肩を力強く掴んだ。
「いいだろう。その提案、乗ってやる」
「お、マジで?」
「あぁ。だが結婚を諦めたわけじゃない。アイオニオンにいた頃ほどではないにしろ人生という名の時間は有限だ。交際という回り道をするからには覚悟しておいてもらおう」
「覚悟……?」
「僕がいないと生きていけなくなるくらい君を惚れさせてやる。そして近い将来、君の方から結婚してほしいと懇願させてやる」
「へぇ、大した自信だな。せいぜい頑張りな」
タイオンは謎な方向にやる気を見せている。
アタシの結婚への熱量を上げさせるために息巻いているようだけど、残念ながらこの勝負にタイオンの勝ち目はない。
何故なら、熱量が足りないなんて嘘だから。
アタシの熱量は既にMAX状態だ。あとはお前がトリガーを引くだけ。
結婚へのトリガーは、お前が“好き”と言ってくれた瞬間引かれる。
つまり、お前がいくら頑張ってもアタシがこれ以上タイオンを好きになることはないし気が変わることもない。
アタシを惚れさせる方向に頑張ったところで無駄。
お前が頑張るべきはそこじゃない。お前が“好き”と言ってくれるまで、アタシは一生お前とは結婚してやらない。
この勝ち筋に気付かない限り、アタシとタイオンの関係はずっと平行線のままなのだろう。
結婚したいのに“好き”を言わないタイオンと、“好き”と言われるまで結婚したくないアタシ。
2人の長くて面倒くさい攻防は、ここから始まった。
赤い顔で見つめて来るこの相方は、今日から“彼氏”へと昇格を果たしたわけだが、さらに“夫”へと昇格する日が果たしてくるのだろうか。
まだ見ぬ未来を思い描きながら、アタシはタイオンをじっと見つめながら笑みを浮かべていた。