【02】あまのじゃくと恋煩い第2話「羨望」
ユーニとの出会いは、高校の入学式でのこと。
式が終わって誰もいなくなった体校章育館で、独り床にうずくまり何かを一心不乱に探している彼女の姿を見かけたのは偶然だった。
入学式の最中に落としてしまった校章を探していたらしい。
なんとなく探すのを手伝ったことをきっかけにお互いの存在を知り、顔見知りになった。
入学したばかりの校内にはほとんど知り合いなどいなくて、そんな僕にとって時折廊下ですれ違うユーニは数少ない知り合いだった。
見かけるたびに彼女は名前を呼んで笑いかけてくる。
今まで異性の友達なんていなかったせいで当初はどう接していいかわからなかったが、彼女の気さくな態度が壁を強引に取り払ってくれた。
ユーニは僕にとって、初めてまともに話せる女子の友達だった。
そんな彼女から告白されるなんて、当時の僕は微塵も予想していないかった。
「タイオン、今日暇か?」
2月末。
今年度最後の期末試験が目前に迫っていたある日の放課後。
帰ろうと荷物をまとめている最中、ノアが声をかけてきた。
バイトも部活もやっていないため、今日の予定は特にない。
素直にそう伝えると、彼は安心したような表情を浮かべた。
「ランツたちと一緒に勉強しようって話が出てるんだけど、タイオンも来ないか?」
「今からか?うーん……」
正直、勉強は一人きりで集中してやりたいタイプだ。
他人と時間を共有するとあまり集中できない。
テストももう目前に迫っているし、最後の追い込みをかけるために家で黙々と勉強していたい。
とはいえ、せっかくの誘いを無下にするのも気が引ける。
腕を組み迷っている僕に、ノアは笑みを浮かべながら小声でそっと囁いてきた。
「今日はミオとセナも一緒だ。ユーニも来るって」
その名前を聞いた瞬間、心臓がぎゅっと締め付けられた。
ユーニも来る。
ただそれだけの事実が、僕の心から迷いを消し去ってしまう。
けれどユーニが来るから行く気になったと思われるのが恥ずかしくて、少し間を開けて咳ばらいをした。
「……仕方ない。付き合おう」
「よし。タイオンが来てくれるならみんな喜ぶよ。じゃあ行こう!」
ノアに肩を組まれ、強引に連れ出される。
彼やランツと親しくなったのは高校に入学して数週間後のことだが、まさかユーニと幼馴染だったとは思わなかった。
ユーニへの気持ちを口にした覚えはないが、いつの間にか二人にはこの好意を見破られていた。
そんなにわかりやすかっただろうか。
ランツと合流し3人一緒に学校を出て最寄り駅へと向かう。
ロータリーにあるファーストフード店に入店すると、奥にあるコの字型のソファ席を見慣れた女子高生三人が陣取っていた。
ひとつ年上の2年生で、吹奏楽部の部長務めているミオ。
ユーニと同じクラスで同い年のセナ。
そしてユーニの3人だ。
彼女たちは客観的に見ても顔がいい。愛らしいビジュアルの女子高生が3人も固まっていればそれなりに目立ってしまう。
僕たち男性陣が合流したことで、近くの席でちらちらとユーニたちを観察していた別の学校の男子高生たちが苦い顔をしているのが横目に見えた。
「遅かったね」
「遅れてごめん。始めようか」
ミオの隣に当然のごとく腰かけたのはノア。
そしてセナの横にはランツが腰を落ち着かせる。
残ったのはユーニの隣。そこに僕が座るのは自然な流れだった。
ミオとセナは、僕と同じ中学出身で顔見知りだ。
ノアやランツ、ユーニのように幼馴染と言えるほど深い繋がりはないが、校内で見かければ立ち話する程度には親しい。
そんな二人は、それぞれノア、ランツと付き合っている。
相関図で描き表せば全員がうっすらと繋がっているこの6人がなにかと集まるようになったのは必然と言えるだろう。
こうして6人で一緒に放課後集まるのも、そこまで珍しい光景ではない。
だが、毎度毎度6人全員が集まるわけではない。
時にはそれぞれ用事があって参加できないこともある。
不参加になる頻度が一番高いのは、ずばりユーニだった。
理由は簡単。彼女にはこの輪の外に恋人がいるからだ。
「ポテトとナゲット山ほど買っといたぜ」
「おっ、気が利くじゃねーか。いっただっきまーす!」
「もうランツ、後でちゃんと割り勘だからね」
「分かってるって」
先に店に入っていた女性陣が、人数分のポテトとナゲット、そしてドリンクを注文してくれていたらしい。
さっそく皿の上のポテトに手を伸ばすランツに呆れながら、僕は鞄からノートを取り出した。
今回のテストで一番不安要素が大きいのは数学だ。
テスト出題範囲の中に、僕が最も苦手とする公式が含まれている。
普段から予習復習は欠かさずしているため、それなりの点数は取れるだろうが、いつもより低くなってしまう可能性は大いにあった。
ポテトに夢中なランツ以外の面々が、各々ノートやテキストを広げ勉強の姿勢を取り始める。
さて僕も始めよう。ペンケースからシャーペンを取り出し問題集を解こうとしたその時だった。
すぐ隣に座っているユーニが、“んー……”と鈍いうめき声を上げ始めた。
放っておこうかと思ったけれど、小さなうめき声と彼女の困り顔がどうにも気になってしまって仕方ない。
横目でユーニを気にし続けながら問題集に向き合うことに限界を感じた僕は、小さくため息をついてペンを置いた。
「ユーニ、さっきからどうした?」
「なにが?」
「唸っていただろ。牛みたいだったぞ」
「はぁ?超失礼なんだけど」
「勉強が嫌すぎて拒否反応でも出たのか?」
「ちげーよ馬鹿。問題解けなくてイライラしてただけ」
「どれ……」
ユーニがペンの先で指したのは二次関数の問題だった。
相当苦戦していたようで、問題が描かれているページの余白に数式のメモ書きがたくさん書いてある。
あの唸り声はこの関数と戦っていたからなのかと悟り、思わず笑みがこぼれた。
「これはこっちの公式にあてはめるんだ。Y軸が-2だから、この数字を割って……」
「えっと、X=4?」
「正解だ」
「おっ、アタシすごくね?これで数学100点間違いなしだな」
「調子に乗りすぎだ」
「お礼にタイオンが苦手なとこ教えてやるよ」
「君がか?二次関数ごときに苦戦していた君がか?」
「うわ腹立つ。その雑魚を見る目腹立つ」
「僕に勉強を教えようだなんて100年早いぞユーニ。せめて数学の点数で僕を越えてから言うんだな」
「感じ悪~!このメガネ感じ悪~!」
「おーいそこ。イチャついてないで勉強しろ―」
不意に、正面に腰かけているランツからヤジが飛んできた。
ポテトをつまみながら英語のテキストを開いている彼は、隣に座っているセナと一緒ににやにやと笑みを浮かべながらこちらを見つめている。
明らかに揶揄われている空気感に、羞恥心が煽られた。
「イチャついてなんか……」
「タイオンが喧嘩売ってきただけだっつーの。つかランツ、お前も勉強してねーじゃん」
「今考えてんだよバーカ」
「はいはいそこまで。赤点取りたくなかった勉強しようねー君たち」
「はーいミオちゃん」
年長者であるミオの一声で、その場は終息した。
全員の視線が各々の手元に広げられたノートやテキストへと落とされる中、僕は自分のノートに向き合うふりをしながら隣のユーニを盗み見てしまう。
イチャイチャなんてしていない。けれど、傍から見れば僕たちはそういう風に見えるのだろうか。
ノアやミオ、ランツやセナのように、付き合っている男女のように見えるのだろうか。
馬鹿馬鹿しい。ユーニには彼氏がいるんだぞ。そんなこと気にしたって仕方ないじゃないか。
虚しい妄想をしている自分が途端に哀れになって、誤魔化すかのようにテーブルの上のオレンジジュースに手を伸ばす。
ストローを咥えて飲み始めたその時だった。
隣に座っていたユーニが、視線をテキストに落としたままテーブル中央のポテトへと手を伸ばす。
塩味がきいた数本のポテトをつまみ上げパクリと咥えると、数秒後“んっ”と妙な声を上げて自分の胸を叩き始めた。
どうやら口に入れたポテトが気管に入って入ってしまったらしい。
苦しそうにしているユーニの様子に一番最初に気が付いたのは、彼女を密かに盗み見ていた僕だった。
「大丈夫か?ほら……」
「~~~っ!」
手に持っていたオレンジジュースを差し出すと、顔を真っ赤にしたユーニが頷きながら受け取った。
ストローに口をつけ、オレンジジュースで気管に詰まったポテトを流してゆく。
ストローから口を放した彼女はようやく楽になったようで、深く息を吐きながらオレンジジュースを僕に返してきた。
「サンキュ。死ぬかと思った」
「そそっかしいな君は」
「うっせ」
一連のやり取りを見ていたノアやミオが、ユーニに大丈夫かと声をかけている。
その会話を横で聞きながら、僕は彼女から返却されたオレンジジュースのストローに再び口をつけた。
その瞬間、余計なことに気が付いてしまう。
これ、間接キスだ。
ストローを咥えこんだまま、身体が石のように固くなった。
違う。これはわざと仕向けたわけじゃなくたまたまだ。
偶然そうなっただけで故意じゃない。
というか、高校生にもなって間接キス程度で動揺してどうする。
そんなの些細なことじゃないか。別にいちいち気にすることじゃない。
そう自分に言い聞かせていても、高鳴り始めた心臓はおとなしくなる気配がなかった。
「あっ」
不意に、テーブルに置かれたユーニのスマホが震え始めた。
どうやら電話がかかってきたらしい。
ディスプレイに表示されている名前はこちらからは見えないが、視線を落としているユーニは明らかに苦い顔をしている。
小さくため息をつくと、彼女は着信音を鳴らし続けるスマホを手に取り耳に押し当てた。
「もしもし。うん、え?今?友達といるけど?うん。いや違うって。女だけだよ」
低い声色で話すユーニは明らかに嘘をついている。
話の内容から、電話の向こうにいる人物がいったい誰なのか察しがついてしまった。
おそらく“彼氏”だ。
視線を上げると、ペンを握りしめたまま固まっている友人たちは一人残らず困惑したような表情を浮かべている。
「あぁもうわかったよ」
少し苛立った様子を見せたユーニは、スマホをスピーカーモードに切り替え、ミオやセナに向けて画面を向けた。
“ミオ、セナ、なんか喋って”と促すユーニに、二人の女性陣は顔を見合わせる。
こうして6人で一緒にいるときにユーニのスマホに彼氏から連絡が来ることはたびたびあった。
そのたびユーニはスマホをスピーカーにして、必ずミオとセナの2人に何かしら喋らせている。
それはつまり、電話の向こうにいる彼氏とやらがユーニの行動を疑っているという証拠だった。
スマホを向けられたミオとセナは、少し戸惑いながらも“こんにちはー”と当たり障りのない挨拶を口にする。
その間、僕たち男性陣は絶対に口を開かないのが暗黙のルールだった。
「ほら、聞こえた?ミオとセナと一緒にいるから」
再びスマホを耳に押し当てたユーニは、苛立ちを隠すことなく再び電話の相手と喋り始めた。
電話の向こうにいる彼氏が何を言っているのかはわからないが、ユーニにとってあまり気分のいいことではないのだろう。
ため息交じりのユーニの語尾が、次第に荒くなっていく。
「は?今から?無理だって。もうすぐテストだって言ったじゃん。いや、今日はみんなと勉強してるだけで……、え?なに言って……」
“あぁもう”と吐き捨てるように口にすると、ユーニはソファ席から立ち上がった。
片手を掲げて“ごめん”のポーズを取りながらいそいそと席から離れると、彼女は足早に店の外へと出て行ってしまう。
おそらく話が長引くであろうことを予想し、外で話そうと判断したのだろう。
店の扉を抜けて外に出ていくユーニの背を見つめ、密かに肩を落とす。
「……また彼氏かよ。いっつも電話来るよな」
「ユーニのことが心配なんだろ。仕方ないさ」
「でも、いいのかな?いつも女の子と一緒にいるって嘘ついてるみたいだけど……」
「前に俺やノアと一緒にいるって正直に答えたらぶちギレられたらしいぜ?」
「私やセナの彼氏なのに?」
「誰かの彼氏であろうと男と一緒にいるのは浮気だって言われたらしい」
「き、厳しいねそれは……」
「俺らなんもないのにな。そんな理不尽にキレられたらそりゃあ秘密にしたくなるのも分かるわな」
ユーニの彼氏には一度だけ会ったことがある。
まともに話したことがないため中身はよく知らないが、相手は大学生でそれなりに顔がいい男だった。
けれど、こうして一緒にいるたびに電話をかけて疑ってくるような男に正直言っていい印象はない。
僕だったらそんなことしない。学校の男友達にまで嫉妬するなんて器が小さすぎるじゃないか。
そんな狭量な男のどこがいいんだ。
電話が来るたびにユーニも嫌そうな顔をしているし。
嫉妬深くて面倒くさい彼氏なんて、そんなのさっさと――。
「さっさと別れればいいのになァ」
「こらこら、そういうこと言わない」
ぽつりの呟かれたランツの言葉を、年長者のミオが窘める。
“へいへい”と返事をする彼だったが、正直なところ同感だった。
けれど、ユーニはそんな狭量な男であっても好きだからこそ付き合ったのだ。
別れてしまえ、なんて、僕が口にしていい台詞じゃない。
これはただの嫉妬だ。好き勝手わがままを言ってもユーニから愛されている“彼氏”への嫉妬。
ただの“友達”でしかない僕が抱いても無意味な感情なのだ。
店の窓から、外で電話をしているユーニの背中が見える。
きっと言い合いをしているのだろう。
そんな険悪な言い合いでさえ、恋人同士の特権だと思うと悔しくなった。
僕が君の彼氏だったら、君をそんな風に怒らせたりしないのに。
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