パンツの話 ではない「忘れ物」
寮の自室で一人、両手でつまみ上げて広げたのはボクサーパンツ。色は赤でウエストゴムの部分は黒。
俺は首を傾げた。
俺のパンツではない。見覚えがない。誰のパンツだ。とりあえず洗濯して乾燥させたものを入れていたカゴから出てきたので、使用後脱いだままのものではないだろうからいいものの。いやいいのか?なんで俺のじゃないパンツが紛れてるんだ。洗濯乾燥機は共同だが、前に使った奴のが残ってたんだろうか。なぜかそうではない気がする。何か違和感を感じる。
内側のタグを見るとサイズはLだ。傑のじゃない。アイツはケツがデカいからLじゃない。
じゃあ誰のだ。
なんで俺は自分のじゃないパンツを洗濯して持って帰ってきてるんだ。
わからん。
とりあえず傑に聞いてみよう。傑のじゃないけど。
俺は赤いパンツだけ持って部屋を出て、隣の傑の部屋のドアを開けた。
「なぁ傑、このパンツなんだけど」
「悟、ノックしろっていつも言ってるだろ」
「まぁいーじゃん。それよりこのパンツなんだけど」
言いながら傑の部屋に入ると、そこには傑の他にもう一人いた。そいつは驚いたように俺と赤いパンツを交互に見た。
傑もそいつも何も言わず、俺の反応を待ってるみたいだったから、とりあえず話を進めることにした。
「このパンツなんだけど、俺の洗濯物に混じってたんだよね。傑これ誰のかわかる?」
傑はパンツを見てから視線をもう一人に向け、そして俺の目を見た。
「悟は、心当たりはないのかい?」
「ないから聞いてんだろ。てか、そいつ誰?」
傑が額を押さえて俯いた。何だ、その反応。傑の向かいに座っている奴は、顔を真っ赤にして震えながら俺を見ている。
「オマエ誰なの?……んん?」
俺はそいつに近づいてすぐ側でしゃがみ、サングラスをずらして六眼でじっと見つめた。そいつは眉を顰めて唇を噛んで感情を表に出さないよう堪えているようだったが、依然頬は紅潮していて、それでも俺から視線を外さなかった。そいつがなぜ俺に対してそんな風なのかはわからないが、俺にははっきりと見えていることがある。
こいつには混じってる。
「オマエが宿儺の指食ったっつうイカれた奴か」
「悟、彼は、」
「虎杖悠仁です。五条先輩」
傑の声を遮って、そいつが名乗った。
「虎杖、悠仁」
俺はその名を復唱した。虎杖悠仁、悠仁、ね。不思議と耳と舌に馴染むその名前を、もう一度声にする。
「悠仁」
すると虎杖悠仁は目を大きく見開いた。
「五条先輩」
「何だよ」
俺が聞くと虎杖悠仁は肩を落とした。
「あ、いや。なんでもないです」
「悟、君何か変わったことはないか?」
「変わったこと?」
「ああ。調子が変だとか、何か違和感を感じるとか」
傑の問いかけに、俺は顎に手をやって思い当たることがないか考えてみた。違和感。何かあったような……あ、これだ。
「このパンツ。誰のかわかんねぇのに、勝手に紛れたんじゃない気がするんだよな」
俺はまたパンツを広げて傑に見せた。するとそれを見た虎杖悠仁が両手で顔を覆う。俺はパンツと虎杖悠仁を交互に見た。反応を見るにこれはこいつのパンツなのでは、と思い至る。
「これってオマエのパンツなの?」
虎杖悠仁は両手を半分ほど下ろして目を覗かせた。そしてこくりと首を縦に振った。
きゅんと胸が鳴る。
は?何?
「なんでオマエのパンツが俺の洗濯物の中に紛れてんだよ」
「それは、その、忘れた、から?」
「パンツを?どこに?」
「それは……」
虎杖悠仁は言いにくそうに言葉を濁した。俺は問い詰めながら、やはり違和感を覚える。なんだろう。こいつのこと、知らないのに知ってるような気がする。答えあぐねる虎杖悠仁を至近距離で見つめると、虎杖悠仁はまた顔を赤くして、傑に助けを求めるように視線を送った。
気に入らねぇ。
なんかわからんが気にくわねぇ。俺に見られてなんで傑に助けを求める。なんで俺を見ない。
「悟」
傑に呼ばれて振り向く。
「今日はこのあと任務じゃなかった?」
ああ、そうだった。
「ま、なんでもいーや。これ、オマエのなら返しとくわ」
持っていたパンツを虎杖悠仁に向かって投げる。虎杖悠仁はそれを受けて俺を見た。その目にドキンドキンと心臓が誤作動を起こして落ち着かない。
「じゃあな」
居心地が悪くなって、俺は傑の部屋を後にした。
「大丈夫かい?」
夏油先輩に言われて、五条先輩が出て行ったドアを見ていた俺は夏油先輩へ視線を移した。
「うん。五条先輩がすっかり忘れてくれてて、かえって良かったかも」
「だけど、悟が忘れてるってことは、つまり悟の気持ちは、」
「いいんだ。五条先輩の気持ちがわかっただけで。もう一回初めから、今度はもうちょっといい形で始められるように頑張ってみる」
夏油先輩の言葉を遮るように言った。
「今さらだけど、君は本当に悟のことが好きなんだね」
「改めてそう言われるとなんか恥ずいけど、でも、うん。俺、五条先輩のこと好きなんだ」
「何か私にできることがあったら遠慮なく言って」
「ありがとう。夏油先輩」
俺は五条先輩から返されたパンツを持って自分の部屋へ戻りながら考えた。
いつのまにか五条先輩のことが好きになっていた。いつからとか、なんでとか、そういうのは自分でもわからない。
宿儺の器である俺が暴走しないよう、特級術師である五条先輩と夏油先輩が監視を兼ねて側にいてくれるんだけど、二人とも俺が宿儺の器だなんてことは全然気にしてないような、普通の後輩に対するような態度で接してくれる。
夏油先輩は本当にいい先輩って感じで、体術教えてもらったり、相談に乗ってもらったりしてる。
五条先輩は、口悪いし、あんまり説明とかしてくれないから一緒に任務行くと戸惑うこともあるけど、でも、俺が怪我したら「弱いからだ」とか責めるようなこと言いながらも心配してくれてるのがわかるし、しゃべると話が合うから楽しくて、一緒にいる時間が長くなればなるほどもっと一緒にいたいって思うようになってた。それで、俺、五条先輩が好きなんだなって気づいた。でも五条先輩とどうにかなりたいとは思わなかった。無理だろうし。五条先輩が俺といて笑ってくれるのが嬉しくて、それでいいって思ってた。俺がきもちを伝えることで、五条先輩を困らせたくなかった。今の関係を壊したくないって、思った。いや、もしかしたら五条先輩のことだから、俺が告白したって全然気にしないでそれまでと変わりなく接してくる可能性はある。むしろそれを揶揄われたりするかもしれない。それはそれで、ツライ。五条先輩を困らせたくないなんて言ったけど、結局俺は自分が傷つきたくなかっただけだ。
だからあの日五条先輩から逃げた。
自分の部屋のベッドに仰向けに倒れて、五条先輩から返されたパンツを広げて見る。先輩の柔軟剤の匂いがする。自分のパンツを嗅ぐなんてどうかと思うけど、鼻を埋めると、五条先輩のシャツと同じ匂いがした。
あれはいつものように五条先輩の部屋で一緒に映画を観てる時だった。B級ホラーのその中で、これから襲われるとも知らず男が女にやらしいことをさせていた。その場面のせいだったのかどうなのか、俺にはわからないけど、五条先輩が俺の手を握ってきた。体を引き寄せられて、五条先輩が耳元で囁いた。
「悠仁、自分でしかしたことないだろ?人にされるの興味ない?」
俺はゴクリと喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。
俺は五条先輩が、そういう意味で好きで、けど、そういうことしてもらいたいって思ってたわけではなくて、なんて答えたらいいかわからなかった。
五条先輩の長い指が俺の下腹部を這って、ズボンの上から撫でられて、容易く反応する己に顔から火が噴きそうだった。当然先輩にも俺のがどうなってるかすぐにバレて、ハハッて笑われて、そこからは身動きできずに、何も考えられずに、ただただ恥ずかしくてでも気持ち良くて抵抗できなかった。
「あ、ヤベ」って五条先輩の声でハッとした時にはもう遅くて、先輩の手を俺の白濁の体液が汚していて、それがずらされた俺のパンツにも垂れていた。
俺が働かない頭でぼんやりそれを見ていると、五条先輩がパンツを俺の足から引き抜いた。
「アハハ!めっちゃ出たな。悪い。パンツ汚しちまった」
五条先輩は笑って「あれ?ティッシュどこだ」ってティッシュを探し出した。
俺はもうなんか色々キャパオーバーでどうしていいかわからなくなって、それで、汚れるの覚悟でズボンだけ履いてその場から逃げた。
そして五条先輩と合わないまま、翌日、夏油先輩との任務に向かったのだった。
集中できてなかったのが悪かった。夏油先輩と少し離れた隙に変な呪いに出くわして、変な呪いをかけられた。
「相思相愛の相手に忘れられる」
俺はあまり気にしなかった。だって相思相愛の相手がいないと成り立たない変な呪いだ。
だから夏油先輩と合流した時に「問題ないか」と聞かれて「ない」と答えた。
だけど寮に帰ってシャワーを浴びた後、夏油先輩に話があると言われて夏油先輩の部屋へ行った。
「やっぱり何かあったんじゃない?」
夏油先輩にそう言われて、ギクリとした。
「な、なんで?」
「なんとなく様子が変だし。寮に戻ってから誰かに会わないよう注意してるみたいだったからね」
「うそ⁉︎ほんとに?」
「ああ、いつもと様子が全然違うよ」
「そっかぁ。夏油先輩ごめんな、心配かけて。実は、」
俺はかけられた変な呪いの話をした。
「なるほど。それで悟に会いたくなかったってわけか。なんで?」
「へ?」
「悟に忘れられてたら両想いってことだろう?」
「あ、うん。そうなんだけど」
「忘れられてないのが、怖い?」
「あー……いや、うーん……どうなんだろう。自分でもわかんねぇんだけど、ちょっと別の意味でも今五条先輩と顔合わせ辛いってか」
「悟と何かあったのかい?」
「あーえぇっと、その……」
さすがに五条先輩に手でイカされた後逃げたまま会ってないから、なんて夏油先輩にも言えない。
そう思ってたら、ノックもなしに五条先輩が入ってきたのだ。
結果、五条先輩が俺のことを忘れた。
まるで初めて会うみたいに俺のことを見てた。五条先輩が俺のこと忘れてたってことは、俺は先輩と相思相愛だったってことだ。だけど、先輩は俺のこと忘れてて、きっと、俺を好きだと思ってくれてた気持ちも消えてしまってる。そう思うと急激に悲しくなった。
「悠仁」って呼ばれて喜んで、俺はチョロい。ああ、俺やっぱり五条先輩のこと本当に好きだったんだなって、俺のこと忘れてしまった五条先輩を見て思った。