はじめての恋心僕は勉強も苦手で、運動も苦手で、部活にも委員会にも入ってなくて、彼女も友達もいなくて暇な2年、塩中最後の帰宅部の影山茂夫。あだ名はモブ。
本当にこれでいいのかな。って僕は思っている。今しか出来ないことが、他にあるような気がしないでもないような……。
僕は今日、まだ2年に上がったばかり、今日からまた新しい日々が始まる。
何かが変わるような気がして、僕は校門をくぐった。
いつもの通り行われた新任式、そこで僕らは自分たちの担任の先生を知ることになる。
学年毎に横に並ぶ先生たち。そこに見たことのない、髪が亜麻色で一際目立つ人がいる。
その人が僕の新しい担任の先生だ。
前にいた犬川くんが後ろを向いて僕に話しかけてきた。
「モブ、俺たちの新しい担任若いけど、なんか笑顔が胡散臭いな」
「え? 胡散臭い? そうかな? 犬川くん、新しい先生楽しみだね」
と僕は答えた。
僕たちがクラスに戻ってしばらくすると、ガラッとドアが開き、亜麻色の髪をしたあの人が入ってきて、教壇を歩き、教卓にたどり着く。その姿は背筋が伸びていて堂々としていた。
その人がニヤッとしながら口を開く、
「おう、皆さっそくだが、自己紹介をさせてくれ。さっきも聞いてたと思うが、担任をやることになった霊幻新隆だ。担当教科は社会科。よろしくな」
この霊幻新隆という先生がどういう先生なのか探ろうとして、まじまじと見ている生徒ばかりだったのか、それに気が付いた霊幻先生は続けて言った。
「皆、俺がどんな奴だか気になって仕方ないって顔してるな。よーし、なんか俺に質問あるやついるか? 特別に嘘偽りなく答えてやろう」
霊幻先生のその発言を受けて、クラスのみんなは次々と質問をしはじめた。先生はひたすら淡々と答えていく。
「先生は何歳ですか?」
「28歳」
「先生の髪は地毛ですか?」
「あぁ〜よく言われるんだが、これは地毛だ。一応規則だからお前ら髪は染めるなよ。なんか理由があるやつは相談しろ」
「恋人はいますか?」
「おぉーっと、定番きたな、えーっとだな。恋人はいない。これ以上は聞くな。虚しくなるからな」
こうして始まった生徒による質問攻撃にしばらく答え続けていた先生に、僕たちはすっかり警戒感がなくなったように思う。
犬川くんはその受け答えを見ても相変わらず
「モブ、やっぱりなんかあいつ、笑顔胡散臭い気がする」
と言っていたが、僕はよく分からなかった。ただ新しい先生との一年の始まりに胸が踊っていた。
先生と出会ってはじまった2学年は、あっという間に一学期を終えて9月の後半に差し掛かっていた。
何かが変わるかも……なんて思っていたけれど、何も変わることなく過ぎていく日々。このままでいいのかな? という思いはあいかわらずあるけど、僕は何も変わらない日々を過ごしていた。
僕には皆に秘密にしていることがあった。それは僕がサイコキネシスの能力がある超能力者だということだ。僕はその力を使いたくなかった。でも、意図せずとも勝手に力が出てしまうことがある。家ではオムライスを食べてるときにスプーンを曲げてしまうことも多々あった。
力を使いたくないって思っているのに、僕自身ができないことを超能力で補填してしまうこともあった。僕はその度に罪悪感に襲われていた。
とある日、僕は放課後の教室にひとりでいた。何気なく窓を見た時、木の枝のところで猫が降りられなくなってるのを見つけた。窓から精一杯手を伸ばしてみたけれど、どうしようもできなかった。やっぱり僕には何もできない……と落胆した。
もう一度猫見た時、その猫がバランスを崩して落下しそうになった。僕は咄嗟に集中して猫を浮かせるイメージを頭に浮かべた。するとイメージ通りにふわっと猫が浮かんだ。その猫が自分の胸に到着する。僕はホッと一安心したと同時に、また使ってしまった……。という思いに苛まれていた。猫は抱きしめている腕の中で大層暴れ出して、そのまま廊下へ駆け出してしまった。
「あーー! 猫! 猫がいる!!」
廊下の遠くの方で声が聞こえた次の瞬間
「あ……モブ? お前……今のって……」
突然近くで聞こえた声にびっくりすると、霊幻先生がドアのところで立ち尽くしていた。どうやら先生に超能力を使っているところを見られていたようだ。
見られたくなかった……と思ったけれど、もうそれは後の祭りだったから、僕は腹を括って言った。
「霊幻先生…………僕、超能力が使えるんです。猫降りれなくなっちゃってて……」
先生がどういう反応をするのか分からなくて、僕は先生の顔を見れずに下を向いた。使いたくなかった力を使ってしまったことの罪悪感がフツフツと湧き上がってくるのを感じて、言わなくてもいいことをつい言ってしまった。
「本当はこの力使わなくても助けられるようになりたいんですけど、またダメだったんです」
僕は昔、弟の律と僕たち兄弟に突っかかってきた人を超能力で傷つけてしまう事件を起こしてしまったことがあった。律を守らなきゃと思った後、記憶がなくて、超能力が暴走したんだと思う。気付いた時には皆、血を流して倒れていた。それ以降、自分の超能力がこわくなってしまい、極力使わないように生活をしてきた。こんな力なければいいのに。と何度も思ったけれど、僕はときどきこの力に頼ってしまうことがあった。この力を使わないと決めたのに、結局使ってしまう。その度に罪悪感に襲われる。
「この力を使いたくないんです。自分の力をうまくコントロールすることができない時があって、こわくて……僕はこんな力いらないんです。なのにさっきみたいに都合が良い時に使うんですよ僕。意味がわからないですよね」
僕は声が震えていた。先生は僕が泣きそうなのに気付いているかもしれない。僕は今まで誰にも言ったことなかった自分の想いを、何故か霊幻先生に言ってしまった。
「モブ、まぁ聞け。俺はお前の力をさっき間近で見て、その力であの猫を救う事ができて、素直にすごいと思った。それはまず伝えておく。しかしだ、俺がすごいとその思った力は、お前にとってはこわいもので、いらないものということを俺は理解したつもりだ」
僕は下を向いたまま、霊幻先生の言葉を聞いた。
「モブのその力、超能力はお前の個性なんだよ。お前がいくらこわくても、いらなくても、お前の特徴のひとつなんだ。つまりお前の大切な一部なんだってこと。さっきの猫がお前の超能力に救われたことは紛れもない事実だ。それは認めてやれ」
そんなこと言われたのは初めてだった。
この力は僕の一部。この力は誰かを傷つけてしまうだけじゃなくて、誰かを救うことができるのかもしれない? 大嫌いだったこの力を好きになれるかもしれないと思った。本当は僕は恐ろしかったこの力のこと嫌いになりきれなかったのかもしれない。
この力をコントロールできるようになる、それが僕にとって大事なことなのかもしれない。僕はこの力を愛したいと思った。
「超能力をなるべく使わないっていうのもお前が決めたなら続けてもいいんじゃないかと俺は思ってる。だけどな、超能力に頼らなくてもいいように自分なりに何か努力する必要はあるかもな」
超能力に甘えたくはない僕の気持ちは本当だった。
だから超能力に甘えず、出来ることはやる。そして自分の一部である超能力も愛していく。
すぐには解決することではないし、これからも悩むと思うけど、僕はずっと誰にも言えず、悩んでいたことに一筋の光を見ることができた。
僕はこのとき犬川くんが霊幻先生について、この前言っていたことを思い出していた。
「霊幻先生、やっぱり笑顔胡散臭いし、全然媚びないけど、言ってること正しいし、自分たちのダメなことはダメって言ってくれるし、俺たちのこと肯定してくれる先生だよな。若いし、顔悪くないからか女生徒からモッテモテなのが気に食わないけど。まぁ俺もそこまで嫌いじゃないかも」
あのときは、そうなんだって聞いてたけど、今、犬川くんが言ってたことが腑に落ちた気がした。
この出来事があってから、僕の今までの日常にふたつの大きな変化があった。ひとつ目は霊幻先生のことをとても信頼するようになったこと。学校で毎日信頼する先生に会えることが嬉しかったし、ホームルーム時はもちろん、担当教科の授業もなんだか、これまでよりずっと楽しく感じた。
ふたつ目は、少しでも超能力に頼らなくてもいいように、筋肉をつけるため、肉体改造部という筋トレをする部活に入ったこと。僕は運動も壊滅的に苦手だった。他の部員には全く追いつけなかったけど、ありがたいことにそんな僕を笑う人なんていなくて、優しくサポートしてくれた。僕はコツコツと自分のペースで筋トレをやっていくことができた。
大きな変化は、僕の学生生活をより活き活きとさせた。ついこの間まで、 僕は本当にこれでいいのかな。って思っていたのが嘘のようだった。新学年の初登校日に校門をくぐったとき、何かが変わるような気がしたのは気のせいじゃなかったんだ。僕はただただ楽しかった。
このあと更なる変化が訪れることを僕はまだ分かっていなかった。それは僕の全ての世界を塗り替えるような大きな変化になる。このとき既に僕の心にはそれがじわじわと根を張りつつあったのかもしれない。
そのきっかけの日は突然に来た。その日僕は部活に行く前に、霊幻先生のいる社会科準備室に寄ることにした。授業で先生がボールペンを忘れていたため、僕はそれを届けに行こうと思っていた。
準備室に到着すると、ドアが半分は開いていた。声をかけようとした僕は次の瞬間、目を見開いた。
泣いている……?
僕は霊幻先生が涙を流している姿を見てしまった。
「霊幻先生……」
「モ……モブいたのか! あっ! こ、これはだな、め、目にゴミが入ってだな……」
大人も泣くんだな……と僕は思った。先生が必死に泣いてることを隠そうとしているのが、鈍感な僕にも伝わってきた。
僕は慌てふためきながら必死に目を擦っている先生にゆっくり近付き、手に持っていた物を差し出した。
「……先生、さっきペン忘れてましたよ」
「………………ありがとな」
先生は僕と目を合わせないまま、そのペンを受け取った。
僕はそれから先生の泣き顔が頭から全然離れなかった。先生はあの時なんで泣いていたんだろう――。いくら考えても答えは出なかった。
ずっと霊幻先生のことを考え続けていた。先生を泣かせたくない、僕なら泣かせないという強い感情と同時に、先生の泣き顔かわいい、もっと僕だけに泣き顔を見せて欲しい、という感情が僕に生まれていた。
それは僕の人生ではじめての感情だった。それが恋心だと気付いたのはいつだったかは分からないけど、自然と身体に染み込むように、僕はそれを理解していった。
それからというもの僕は学校のホームルームや授業で先生に会うだけじゃ物足りなくなってしまい、先生担当の社会科は積極的に休み時間を使って質問をしに行くようになった。先生にたくさん会いたいのと先生の教科を頑張りたかった。思いっきり下心があったことは認める。僕は勉強も苦手だったが、下心ありの地道な努力の成果が出て、他の教科より社会科だけは随分マシになっていた。この恋心は毎日毎日膨らむばかりで、萎むことはなかった。
霊幻先生は犬川くんが言ってた通り、生徒にモッテモテで大体誰かしらが傍にいた。でも超能力を見られた頃から僕を気にかけてくれていて、誰がいようとも僕を見つけると
「お〜っモブ!」
と必ず声掛けてくれる。僕はそれがとても嬉しかったし、それが僕だけだったのも知っていたので、他の生徒たちに優越感も感じていた。
僕は霊幻先生への毎日膨らんでいく恋心を大事に大事に育ててきた。育った恋心はもう収まりがつかなくなってきていた。あんなに突然暴れ出す超能力に悩んでいたのに、今度はこの恋心が暴れてしまいそうだった。それが暴れ出してしまうその前に、僕はこの想いを霊幻先生に伝えたい。
おわり