玉響~後日談ダウンジャケットの擦れる音と握った缶コーヒーから立ち上る湯気が真冬の空へと消えてゆく。
一郎の快気祝いには思いの外、人が集まりほろ酔いの二人は皆と別れて夜の街を並んで歩いた。
「一駅くらい歩けるだろ」
「誰に物言ってやがんだ。てめぇの方が病み上がりだろうが」
二人はほんの少し前のことを話し、笑いながら白い息を吐いた。
酒が飲める歳になった一郎は店でジョッキ片手にロストした世界の話を皆に語り聞かせその場を大いに湧かせてた。
ロストした世界に左馬刻が迎えに来るまで、一郎はそこにいた人間全員に声をかけ、噴水の前で待っていたのだ。
本来ならロストした世界では見えないはずの他人が一郎には見えていた。それはもう宿命のようだ。
「最初に声掛けたタクシーの運ちゃんがいい人でさぁ、帰れるかもしれねぇって言ったら乗っけてくれたんだよ!いつか礼が言えたらなぁ」
「つか、サウナで水風呂に沈めてやろうと思ったらまさかあの人数で待ってやがるとはな」
ロックグラスを片手に左馬刻が悪態をつくと、寂雷が不思議そうに口を開いた。
「一郎君だけがあの世界の人間と口が効けたということですか。実に興味深い。ロストした人々が手を繋ぎ所有者があのマイクの電源を切ることであれだけの人の意識が戻ったのも説明がつきませんし」
「全国の昏睡状態だった人達が一気に目を覚ましたってニュースになってたもんね」
ピンク色のカクテルを飲んでいた乱数がスマホでネットニュースの画面をみんなに見せた。
感嘆の声が上がる中、簓が指差したのは下に表示されていた関連ニュースだ。
「未だに目を覚ましてへんのはあと一人ってほんまかいな!」
一郎はその渦中の人物に今日会いに行ったばかりだった。
ベッドに横たわった男性は一郎と同じ施設育ちで同じ歳だ。事前に調べていた彼の交友関係に一人気になる人物がいる。
サラリーマンの彼が出会うはずが無い人物。
写真だけだとどっからどう見てもヤクザだ。
一郎はもしかしたら、これが本当に恋の病かもしれないと思った。
過去に二人にしかわからない、二人だけの時間があったたとしたら…。
危ないことにはもう手を出すなと皆が止める中、一郎は明日ヤクザ風の男に接触しようと考えていた。
左馬刻はどーせ止めても聞かねぇんだからほっとけ、とロックグラスを持っていた手の人差し指で氷をぐるりと掻き回し、一気に飲み干した。
「またそうやって一郎のこと甘やかすんだから」
乱数の声に同調して皆も再び昔話に火がついた頃、この会は名残惜しいがお開きの時間を迎えていた。
去り際、耳元を見て囁いた簓の一言に一郎はドキッとした。
「これ貰いもんやろ?一郎は知らんやろな~ルビーは危険や災難から守ってくれる石なんやで!せやからこのピアスは御守り付けてんのと一緒や!知らんけど!」
退院祝いだと昨日左馬刻に渡されたピアスにたいした意味はないと思っていた。
ふと、左馬刻を見ると少し離れた場所で談笑している。
自分はもう愛されていないと少しでも疑ったあの日に戻って今すぐぶん殴ってやりたい。
左馬刻はずっと左馬刻のままだ。
歩きながらさっきまでのことを喋っていたら、ふと簓の台詞を思い出して一郎は耳たぶを指で挟んだ。
御守りはまだここにある。
ガードレール越しに過ぎ去る車のエンジン音が二人を追い越しては消えていく。
「俺は左馬刻が他の人を好きになっても生きてて欲しいと思ったのは本当なんだ」
かき消されないよう一郎は声を張って言った。
「相変わらず偽善者野郎なのは治んねぇんだな。俺はてめぇが誰かとどうにかなるんならおまえを殺して死んでやるわ」
「なんか演歌みてぇ」
真っ黒な空の下、都会のビルの明かりがギラギラと光っている。綺麗じゃなくてもあったかい。
ほろ酔いの一郎は思い浮かんだ年末の歌番組で聞いたフレーズを口遊む。
「あなたと~ぉお越えたいぃ~」
「「あまぎぃ~ごぉえぇ~」」
堪えきれず笑みが漏れた二人は肩を組んで歩き出した。
「一郎もうタクろうぜ」
何かを含んだその瞳は一郎の今の気持ちを映している。このまま抱きしめて今すぐにでもベッドに飛び込みたい。
道路に手を上げると吸い寄せられるようにタクシーが止まった。
乗り込んだ二人を一瞥した運転手は一郎の顔を見るなりメーターを止めた。
「いつかあの日のお礼をしたいと思ってたんですよ。今日は私が家までお送りします。一郎さん」