料理と成長「今日の晩御飯は俺が作るから」
その宣言は突然のことだった。
「急に…何?」
「急でもなんでも」
きっぱりと言い切ったフォッサは「買い物してくる」とメモを手に出て行き、レプティスはただ目を丸くしてその背中を見送った。
「え……すごい」
初めてフォッサが作ったのはハンバーグだった。
休みの日で時間に余裕は見ていたようだが、それほど手間取ることもなく手ごねのハンバーグを作ってみせた。
サラダと…こちらはインスタントだがスープもある。週二で通ってもらっている家政夫さんが作ってくれている総菜もそつなく並んで栄養バランスも良さそうだ。
「熱いうちにどうぞ」
フォッサがちょっと得意げな顔でレプティスの前にカトラリーを置く。
なんせ弟の初めての料理である、兄としてはしっかり味あわなければなるまい。神妙な面持ちでレプティスはフォークとナイフを握った。
「うん、いただきます」
フォークをハンバーグに刺し、ナイフで切って断面を見る。ちゃんと中まで焼けているようだ。口に運んで噛みしめる。お肉の味、塩味、ほんのりと香ってくるスパイス感……申し分ない味だ。
「……おいしい」
「あー…俺ならこれぐらいできて当然」
生意気な言いようだが、フォッサは顔に出やすい。褒められてうれしそうなのが見て取れてその顔を向けられたレプティスまでうれしくなる。とはいえ食べながらしゃべるのは苦手なもので黙々と食事を進めていくのだが。双子なのは関係あるのだろうか?レプティスも顔に出やすい。美味しそうに食べる兄の姿に、フォッサの口元が緩んで仕方がない。
しかしフォッサもずっと食べるのを見ているわけにはいかない。味見はしたとはいえ、完成品も食べてしまわなければならないだろう。折角なので贅沢に、いつもより少し大きめに切り取って口に入れる。
「我ながら天才だな」
むぐむぐしながらの自画自賛の台詞にレプティスがクスクス笑った。
「……おかわりしていい?」
「もちろん、多めに作ったからいくらでも」
一時的な興味で終わるかと思っていたフォッサの料理は、おおよそ週末ごとに続いている。
それも毎回違うメニューで、必ず毎回美味しいのだ。
最初は食事後に調理道具をレプティスが片付けていたが、フォッサも料理に慣れてくると料理しながら片付けができるようになってきた。
基本的だが手間のかかる料理を、食べさせる相手がいる上で作ろうとするフォッサ。それに対して、元々自分の食事を自身でまかなっていたレプティスの料理は簡単で手軽なものが多い。電子レンジやフライパンひとつでできてしまうようなものだ。日本に来たばかりの頃は弟が反抗期だったこともあって、兄の料理を一切食べてくれなかったのだが、時間が経って関係が良くなると口に入れてくれるようになった。
そして今はその弟が料理を作るまでに成長した、と言えるだろう。
箱入りで育ったフォッサは料理ができなかった。いや、そもそも食事を作るという発想が無かった。電子レンジすら触ろうとしなかった。流石に食べ物がないのは困るから、『買う』ことは先に覚えたようだが。
それが、何をきっかけにだろうか? 料理や、何くれとなく家事をしているレプティスの様子をフォッサが目で追うようになった。
これまで意識にも入ってなかった『いつの間にか周りがやってくれていること』に気付いたのだ。
「今日はオムライス!?おいしそう」
「クリームシチュー…あったまるね」
「麻婆茄子?中華まで!?」
弟の料理を週に一度の楽しみだと無邪気に喜んでいたレプティスだが、徐々に胸の中にモヤのようなものが浮かんでくる感覚を覚えていた。自分でも何とも言いようのない不安のような何か。
おおよそ美味しい食事の時間に感じるようなものではない何か。
「おいしい」
「うん」フォッサは笑み返しながらも心配そうに兄を見ている。どこまで本当なのか分からないが、弟はぼんやりと人の心を感じることができるという。だったら、この訳の分からない気持ちを抱えているのもバレているのだろう。
「…ネタバレするとさ、週に一回しか料理作れないの…作るまでに色々動画見て調べたり、シュミュレーションしたりするのに時間が掛かるから、だからまだそんなにホイホイ作れないんだ」
「そうなんだ…?」
「だから、兄さんみたいに臨機応変にあるもので作ったりとか…できなくてさ」
「……そんないうほどのことでも、ない」
「だから、もうちょっと基本的な料理を覚えたら、普段の食事の準備もやるから」
「………私、の仕事…だし」
「兄さんにばっかりなんでもやらせてるのは……その、良くないと思って…」
他にもいろいろ家事はある、けど、なぜ料理からだったんだろう。
「もしかして、私……全然料理上手じゃなかった…?」
ぽつんと呟いた声がとても悲しそうで、その言葉を否定しようとフォッサの声が出る前にどんどん続きがあふれてきた。
普段はちっともうまく喋れないのに。
「確かに私、パスタを茹でたらあとは市販のソース混ぜるだけだし、オムライスは冷凍のチキンライス買ってきてたまごだけしか焼かないし、おにぎりも混ぜるご飯の素を適当に混ぜるだけだし…ちっとも料理じゃなかった」
言葉と共にぽろぽろと涙がこぼれる。あんな程度で料理ができるです!なんて言っていた自分が恥ずかしい。
目の前にはフォッサがいちから材料を切って下ごしらえして作った、とても美味しい料理がある。
勝ち負けじゃないのも手間ひまだけが全部じゃないのも分かっているけど、自分の存在意義がひとつ、失われた気がした。
「私、もう料理したくない……フォッサが全部して」
「そ…れは困る!」
これまで見たこともないぐらいに泣きじゃくり始めた兄に焦ったフォッサが、兄の両手を取ってすぐ横に膝をつき、下からすがるように見上げた。
「兄さんの料理が食べられないのは…困る」
「ずっと自分が作るのは面倒とか…そういう意味…?」
「違う違う」と弟が首を振る。
こうやってぎゅっと両の手を握る時は『絶対に聞いて欲しいことがある時』『絶対に嘘を付かない』と前に話し合って決めたことだった。
「風邪ひいたときにあったかいミルクセーキ作ってくれてるだろ? あれすごく美味い」
「あんなの…適当に混ぜてあっためるだけだし…飲み物だし……」
「兄さんってなんでもレンジであっためるから、あれもそうしてるのかと思ったら…ずっと鍋についてて混ぜていたからびっくりした」
「……あれは…その、早く良くなりますように…って、一応……」
「おまじない...? 一応?」
「一応じゃないです…気持ち的には…」
「そういうのがうれしいから、また作って欲しい」
うれしい、と言ってくれるのがうれしい。ぽとぽと涙が落ちるのを拭えないのが困る。両手はまだしっかりと握られたままだ。
「兄さんの作るホットケーキもパウンドケーキも好き」
「割と分量が簡単なやつばっかり…」
「焼き加減とかあるだろう? パウンドケーキに混ざってる具が毎回違うから楽しみだし」
「ただの行き当たりばったりなんだけどな……でも、楽しんでくれてるなら良かった…」
「パスタも美味しいと思う」
「あれは本当にレトルトのソースをかけてるだけ…」
「お…美味しい商品の見極めができてるってことで!」
「それもなんだかひどいなあ」もうここまで言われてしまったら機嫌を直すしかない。クスクスと笑って見せると、フォッサはやっと握った手を放して伸ばし、そのまま素手でレプティスの頬を拭った。
「ちょっ...ティッシュとか…」
レプティスは手を汚してしまうのが申し訳なくて言ったのだが、通じたかどうか。フォッサはポケットからハンカチを取り出す。目の前に膝をついたまま差しだす姿が紳士すぎて眩暈がした。
「準備がいい…イケメンだし…これじゃどっちが兄か分からないじゃないか……」
「なんかさらっと褒められたな?」
返ってきた笑顔が余裕たっぷりのようでどうにも悔しくなる。レプティスは子供のように口を尖らせた。
「私が兄なんだからな?」
「前から言おうと思ってたけど、1日しか違わないんだから…」
「私が兄なんだぞ」
意地になって繰り返すレプティスに、フォッサは小さく息を吐いて諦めた、今のところは。
何もかも兄に任せっぱなしで世間知らずだった自分に気付いてから、対等な関係になりたいとこれでも頑張ってきたし、兄を名前で呼んでみたいと思っていたのだけど。
一進一退。もうしばらくは兄の顔を立ててあげる必要があるようだった。
「分かってるよ、兄さん」
Raishi 20240203,