「礼ならベッドの上で聞いてやる」ぐぎゅう、と可愛らしさより成長期の子どもらしさが勝る音を立てた腹を抱え、スレイヴは部屋を出た。時刻は深夜。先ほどまで彼を抱き潰していた男は、真夏の夜には少々不快に思わせる温もりをシーツに残して消えている。
意識が落ちる寸前「動いたら腹が空いたな」と呟くのを聞いた。ほとんど思考の働かなくなった頭の中でそれに同意したのを覚えている。
一応深夜であることを気遣い足音を消して階段を降りると、目的地である台所から僅かに明かりが漏れているのに気づいた。この廃墟の中にいるのは自分か仲間の誰かで、そのうち台所に立つ物好きは限られている。手元しか見えないほどの微かな明かりの中で何をしているのか知らないが、大方自分の目的と相違ないだろう。
「何してるんだ、シーフ」
ろくに顔も確認せず名前を呼ぶと、案の定そこに居た男は飄々とした顔で振り返った。落としていた照度を上げると彼の手元がよく見え、自分の思い違いでないことを確信する。
「お前こそ何してんだ、寝ないと背伸びねーぞ」
「余計なお世話だ……! 腹が空いて眠れなかったんだ」
「遅れてきた成長期か。そりゃよかったな」
へえ、と小馬鹿にした笑いを前にむっとするが、それよりも手元に釘付けになる。白い斑の脂と肉色の塊。一切れが随分と分厚く切られたロース肉は焼く前から視界に暴力的で、空っぽの胃を刺激した。
無言のままじいっと見入ると、小馬鹿にした笑いが揶揄い混じりのものに変わる。
「おねだりならもっと可愛くしろよ」
「ッ、……別に、お前にしてもらわなくても自分で焼く」
「肉に釣られた顔だけは可愛げがあるのによ」
肉の塊に刃を押し当てる。す、と力を込めず引くと厚く切られた一切れがまな板の上に載った。
「そんなに食う気か」
「ばーか、どう考えてもお前の分だろうが」
「……頼んでないだろ」
「肉が炭になるかボヤ騒ぎ起こされるくらいならやったほうがマシだ。ついでだしな」
言いながら更に一枚の肉を食べやすい大きさに切り分け、フライパンで火にかける。平たい鉄の中央でジュウジュウと派手な音を立てながら跳ねる油をうとうとと眺めていると、ワイングラスを煽ったシーフが「冷蔵庫からパンと卵、あと好きなもん持って来い」と粗略な口調で命令してきた。
「食うんだろ? それくらい役立てよ」
「おい、余所見して焦がすなよ」
「はいはい、ついでに酒の追加もな。適当なのでいいから」
適当なの、と言うのだから並べられている酒瓶の一番手前にあるものを手に取る。パンと卵を抱え、目に止まったチーズも引っ掴んだ。両手に抱えて持って行くと、どうしてかニヤニヤとした笑みがやたら目につく。
「何だ」
「いや? ハムスターみたいだと思ってな」
「はあ?」
「食いもん詰め込んで巣に潜るところだろ」
チーズの塊を顔面に投げつけると難なく受け止められ、それが面白くない。安い挑発なら無視すればいいものの、こいつは揶揄う意図はなく本気で言ってるからたちが悪い。
自分でも荒っぽいと感じる手つきで酒瓶とパンを食卓に落とし、三つ持ってきた卵を転がす。
「卵二個は俺のだからな」
「食い過ぎだろ。朝飯入らなくなっても知らねーぞ」
「……いい。どうせ昼まで寝る。あいつらも何も言わないだろ」
いつからこんな自堕落なことを言うようになったか、それを受け入れる自分に嫌気が差す。シーフは気に留める様子もなく肉の油をキッチンペーパーで拭いていた。
「そんな気にしなくていいだろ」
「俺は嫌なんだよ。元々これは酒のつまみだ」
「年……」
「食い終わったらカロリー消費手伝ってやっからなー」
「ふぐぐぐ」
頬を痛いくらいの力で掴まれまともに喋れなくなる。シーフは器用に片手で焼かれた肉を皿に移し、代わりに卵を割り落とした。
「つーかあんま騒ぐな。勇者にバレたら面倒だろ」
「お前が余計なことするから……!」
「だから騒ぐなっての、ほら味見してろ」
肉の切れ端を口内に突っ込まれ、大人しく咀嚼するしかなくなる。別に言うことを聞いた訳ではない。口に物が入っている間に喋るほど行儀が悪いわけでも子供でもないからだ。それをこの男がどう思ったのか、「腹が減って苛立ってたか?」と抜かすから無言のまま胸の辺りに頭を押し付ける。
「お前な……ほら、もう出来たぞ」
「……!」
挟まれたパンの間でこんがりと焦げ目のついた肉が大きくはみ出し、その隙間を淡い色の卵が埋めている。溢れんばかりの具材に押され、隙間から垂れたチーズが皿の縁に落ちた。ほかほかと湯気を立てる視界の暴力を前に、先ほどから絶えず空腹を訴えている腹が威勢よく返事をする。ゴクン、と生唾を飲み下す音が二人きりの空間ではよく響いた。
礼を言うべきか考え湯気を立てる皿を前に無言でいると、それを見透かしたように歳上の男は笑った。
「いいからさっさと食えよ。他の奴らが起きる前に部屋行くぞ」
シーフはそう言いながら自分の皿に盛った肉を摘み酒瓶を傾ける。空のグラスを満たしたアルコールは先程飲んでいたワインより度数が強いらしく、注ぐだけで酒気を感じさせた。
「飲み過ぎだろ」
「心配してんのか?」
「誰が」
耐えかねて目を覚ますほどの空腹だったせいか、喋りながら一口齧り付くとすっかり意識はそちらに向いてしまった。そのせいだ。そのあとシーフが何と言ったのか、俺はこのとき聞き逃した。
ちゃんと聞いていれば、このあと大人しく部屋に戻ることもなかっただろう。
「心配すんなよ、酒入っててもちゃんと勃つからよ」