イチョウのやつ ふわりふわりと、鮮やかな黄色が宙を舞う。同じ色の絨毯に寝転がって、のんびりと空を見上げるハンターの上に、一枚、また一枚と降り注ぐ。
「ふわぁ」
風はかなり冷たくなってきてはいるものの、今日は太陽が優しく輝いているので凍えるほどではなく、更に共に横になるガルクとアイルーのふわふわの毛並みに包まれているので温かい。ついでに今日は持参したベリオロスの毛皮がある。寒冷地に好んで生息する氷牙竜の毛皮は、体の上に置いているだけで暖を生んだ。
「眠たくなっちゃうね」
のんびりと視界を飛んでいったヒトダマドリを見送って、ハンターは瞼を閉じた。このまま眠ってしまいたいような心地良い陽気ではあるが、流石にそれはまずいということは心得ている。なんと言ってもここは、狩り場のど真ん中なのである。大型モンスターの気配は近くには無く、小型のモンスターたちも今は落ち着いてはいるものの、眠ってしまうのは問題がある。
視覚からの情報を遮れば、肌に触れる光の優しさや、遠くで鳴いている鳥たちの声が一層際立った。とても大きく聞こえてきたのは、もぞりとガルクが脚を動かしたために地面との間で生まれた音。木々の間を吹き抜けてきた風が、前髪を撫ぜる。不意に、自分を包んでいた柔らかな日差しが何かに遮られたのを感じて、ヤコは目を開けた。
「キミはまた、凄いところで横になっているねぇ……」
先ほどまでは青い空が広がっていた視界に、どこか呆れた表情で自分を見下ろす男の顔があった。
「あれ、教官、どうしたんですか? こんなところで」
「どうしたもこうしたも、人が倒れてると思って慌てて寄ってきたら、何処かの呑気なハンターが昼寝をしていたもんだから、ちょっと呆れているところだよ……」
ポリポリと頭を掻いたウツシは、ゆっくりと周りを見渡す。体を起こして見てみれば、彼の傍らには、今しがたまで自分が寝転がっていた絨毯と、同じ色の毛色をしたオトモアイルーとオトモガルクがいた。
「それは……なんだか、すみません」
ウツシはヤコが膝にかけた毛皮にちらりと視線を動かして、ゆっくりと長い息を吐いた。
「今日は狩猟じゃなくて、これが目的でここに来た、と言ったところかな?」
ヤコの隣に腰を下ろし、こちらは見ずにウツシが尋ねる。デンコウとライゴウも、彼の横で丸くなった。
「そう……ですね。そう、かも」
今日はモンスターの狩猟ではなく、採取依頼を受けてここまで来た。毛皮を持っていこうと思ったのは、何処かで日向ぼっこでもしようと思ったからで……。いや、何処か、ではない。ここでしようと思って、ここまで真っ直ぐ来た。
なんとなく、気ままに来たつもりだったが、きっと初めからこの場所に来ることが目的だったのだろう。ウツシに尋ねられて、急に腑に落ちた。
「……きっと今の時期なら、綺麗だろうと思って」
真っ直ぐに前を向いたヤコの目には、はらはらと舞い落ちてくる黄色い葉が映る。それは地面にたどり着くと、絨毯をつくる仲間たちの一員に加わり、どれだか見分けがつかなくなった。
「まぁ、たまには息抜きも必要だね。キミは最近働きすぎていたよ」
「それを言ったら、教官だってそうじゃないですか」
隣に座る男は疲れた顔一つ見せないが、数日前から特別な任に就いていたことを、少女は知っている。
「……風神龍と雷神龍の痕跡は、見つかりましたか」
男は静かに首を振った。それでも、先を見据える瞳は、ぎらぎらと何かを宿して輝いている。
「見つけるよ、必ず」
「……はい」
黙り込んだ二人の間に、冷気を抱いた風が吹く。ぶるりと身震いをしたウツシはやにわに立ち上がり、そのよく鍛えられた太い腕を回した。
「じっとしていると流石に寒いな。俺はキミみたいに毛皮も持っていないし」
そう言いながらもここを離れるわけではなさそうな彼は、地面に落ちた葉を拾いながら、ヤコの周りをくるくると歩き始めた。
「今日はもう、いいんですか?」
その姿に向かい、問いを投げる。ウツシは足を止めてヤコを見ると、優しく笑った。
「俺も、息抜き」
この男が、百竜夜行の根源を討つため、二匹の龍の痕跡を探して走り回っていることは、里の者なら誰でも知っていることである。そして一度百竜夜行が里に迫れば、最前線でモンスターと戦い、砦で戦う里守たちの被害が最小限に抑えられるように尽力していることもまた、周知の事実であった。加えて里にいるときは里周辺の哨戒から、後進ハンターの育成、現役ハンターの力試しの場の管理までを一手に引き受けているのである。いつ休んでいるのかと聞いてもいつだって笑ってはぐらかすばかりだったのに、そんな男から出た言葉に、ヤコは目を丸くした。
常に何かしらの任に就き、動き回っている男に付き合っているオトモの二匹は、一息ついても良さそうな空気を感じ取り、どうやらすでに眠りの中に落ちていったようだった。座ったままのヤコの周りには、大小様々な四つの毛の塊が出来上がっている。
「昔ここに連れてきてもらったこと、覚えていますか?」
木の葉を拾いながら歩き続けるウツシに問いかけると、ウツシは足を止め「もちろん」と答えた。
「キミはまだ小さくて、ハンターになるかどうかすらも決めてないような歳だったね」
それは、ヤコの両親が亡くなり、この男に引き取られてすぐの秋だった。両親を亡くした悲しみから、長い間塞ぎ込んでいた彼女を元気づけようと、ウツシが野駆けに誘ったのだ。秋が深まり、山々が纏った衣の色を変えた頃、里から碌に出たことの無かった少女は、そのちょっとした冒険に心を躍らせたのが半分、両親の命を奪ったモンスターに遭遇してしまうのではないかと、恐ろしく思ったのが半分。
「教官が、どうにかして私を慰めようと一生懸命だったこと、とてもよく覚えています」
ウツシは、ハンターだった両親の後輩として、よくヤコの家に遊びに来ている青年だった。家に遊びに来る者は里の内外問わず多くいたが、ヤコはとりわけウツシに懐いていた。両親が亡くなった後、まだ幼かったヤコが、本当だったらゴコクの家に引き取られるはずだったのを泣きに泣いて駄々をこね、ウツシの家に転がり込んだのは、もう十年以上前のことである。
「キミの父君と母君には、返しても返しきれないほどの恩があるからね。俺も当時は必死だったよ」
ハンターとしてギルドから与えられる仕事をこなしながら、里のためにも働き、更にはまだ幼い子どもを育てるなど、生半可な覚悟では務まらないだろう。それでもこの男はやってのけ、少女を立派なハンターに育て上げた。
ウツシは拾い上げた葉を綺麗に纏めて整えると、ポーチから何か糸のようなものを取り出して縛り上げ、ヤコの目の前に差し出した。
「可愛らしいお姫様、お花をどうぞ」
それは、あのときと一言一句変わらない台詞だった。以前に此処に連れてきてもらったときも、同じように葉を束ね、花にして贈ってくれたのだ。ヤコは差し出されたものを受け取ると、嬉しそうに目を細めた。
「イチョウの薔薇……」
鮮やかな黄色の葉を幾重にも合わせ、まるで花びらのようにまとめ上げたそれは、美しい花の形をしている。
「ありがとうございます」
再び隣に腰を下ろしたウツシに礼を言う。今度は彼の体が冷えぬよう、膝の上に置いていた毛皮を肩にかけてやった。そっと腕が伸びてきて、毛皮の中に招き入れられる。突然のことにヤコはびくりと体をこわばらせたが、そんなのはお構いなしにウツシは細い体を抱き寄せた。肩に回ったウツシの腕は少しひんやりしている。しかし、しばらく身を寄せていると、次第に温まっていった。
二人、何も言わずにその場に佇んだ。ヤコは黄色い薔薇を眺めたり、足元の絨毯に視線を動かしたり、舞い落ちてきた葉を目で追ったりと、少し落ち着かない様子だったが、ウツシはそんな彼女を腕に抱いて、じっと温もりを感じていた。
「教官これ、タマミツネの上毛じゃないですか」
イチョウの葉をまとめていた紐のようなものの正体に気づいたヤコが、口を開いた。勿体ないとでも言いたそうな口ぶりであったが、師が自分のために使ってくれたのだとわかっているので、流石にそれは口に出さない。
「今日拾ったんだ。丁度よかったよね」
なんてことなくさらりと言ってのける。その言葉があまりにも自然で、ヤコは小さく吹き出した。
「ナカゴさんが聞いたらたまげそう……」
くすくすと笑うヤコの体を抱く腕に、ぎゅっと力が入る。どうしたのかとウツシの顔を見やれば、イチョウの黄色よりももっと濃い、金色の瞳がこちらを見つめていた。
「教官……」
美しく輝くそれから、目が離せなくなる。真っ直ぐに自分を見つめる顔が、少しずつ近づいてきて……。
「わっ! 私、本物の薔薇って見たことないんですよねっ!」
お互いの唇が重なろうかといったそのとき、顔を真っ赤にしたヤコが、ウツシとの間にイチョウの薔薇を掲げあげた。実はこの二人、想いが通じ合い、晴れて恋仲になったのはいいのだが、手を繋ぐのですらヤコが恥ずかしがってままならないような、周囲から見ればもどかしいお付き合いをしているのだ。
また拒まれてしまった、と口には出さないものの少し残念そうに笑ったウツシは、待つことには慣れていた。何せ、彼女の両親がまだ生きている頃、幼い彼女が言った「ウツシにぃにのお嫁さんになる」という約束を心に、彼女が一人前のハンターとなり、“大人のお付き合い”ができる歳になるまでずっと待っていたような男なのである。十数年待ち続けた彼にとって、すでに手中に収めた彼女の心が決まるのを待つことなど、すでに誤差の範囲内のようなものだ。
「そうか、キミは本物を見たことが無いのか……。まぁ、俺も一回見たことがあったかな、くらいだけど……」
「そ、そうなんです。絵本に描かれた絵とか、教官につくってもらったイチョウの薔薇とか、ヒノエさんが折ってくれた折り紙とか、そういうのなら見た事あるんですけど。本物はね、なくて……」
少し気まずそうに顔を伏せたヤコは、まだ耳まで真っ赤だ。
「ロックローズやサンドローズはたくさん納品してるんですけどね。でも、本物の薔薇を見たことが無いから、どれがより綺麗な薔薇の形になってるのかとかは、よくわからなくって」
「そうだねぇ。カムラから出なければ、なかなか外の花を見ることもないし、そもそもゆっくりと花を愛でるような時間もなかなか取れないしねぇ」
ハンターになると決めてからは、毎日のように修行と勉強に明け暮れてきた。里の同世代の子どもたちが遊んでいる横で武器を振り、翔蟲の糸で傷をつくっては、走り回って転んだらしい子どもの横に並び、ゼンチに処置をしてもらった。親に連れられて里外に遊びに行ったという友達の話を、羨ましく思ったことも何度かあった。
晴れてハンターになり、一人前の大人と認められた頃には、里には百竜夜行の危機が迫り、ただならぬ雰囲気に殺気立ったモンスターたちの狩猟に追われる日々が待ち受けていた。その上、一度百竜夜行が起これば、里守の皆とともに武器を取る。そんな生活を半年以上続けても、まだ収束の目処はつかない。
「……薔薇か、薔薇ね……」
何かを考え着いた様子のウツシは口布を戻すと、おもむろに立ち上がった。ベリオロスの毛皮をヤコの肩にかけ、眠りの中にいるデンコウとライゴウを揺り起こす。
「さて、俺はそろそろ里に帰るよ。キミはどうする?」
「私はまだ依頼を終えてないので……」
「そうか。でも、採取なら夕暮れまでには帰ってくるよね。どうだい? 久しぶりに一緒に食事でも」
「は、はいっ! ご一緒したいです」
「じゃぁ、夕餉をつくって待ってるから、里に戻ったら俺の家へおいで」
「はいっ!」
ヤコは少し裏返り気味の声でウツシに返事をすると、毛皮を掴んで立ち上がり、去って行く彼とオトモたちの背を見送った。
「教官のお家……」
幼い頃からずっと憧れていたウツシと、やっと想いを通じ合わせることができたのだ。恋人同士だからこそできるいろいろなことに興味がないと言えば嘘になるが、何よりも恥ずかしさが勝ってしまい、なかなか一歩を踏み出すことができなかった。ウツシはいつでも嫌な顔一つせず微笑んでくれるので、つい彼の優しさに甘えてしまうのだが、こんなことを続けていれば、いつか愛想を尽かされてしまうのではないかという不安もあった。
「頑張らなきゃ」
自らの頬をパンパンと叩いたヤコの瞳は、何かを決意したかのように見開かれる。オトモの二匹を起こすと、依頼の品を探すために、ヤコは走り出した。