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    Manatee_1123

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    Manatee_1123

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    大学生の侑臣と、高校生の影光

    生命維持装置 断ろうと思っていた、大学三年次のゼミ合宿。参加は任意だと聞いていたのに、不参加の場合は卒論あり、参加すれば卒論は書かずとも単位を出すと言われてしまえば、一週間だけでも影光様から離れてでも参加するべきたと判断した。より長く、より多く彼の側にいたいから。
     事件は、四日目の夕方に起きた。
     その日の予定が終了し、あとは夕飯の時間と深夜まで続く飲み会を待つだけの自由時間。俺の携帯がひとりでに点灯し、着信を知らせた。
     着信相手は真からだった。メッセージではなく電話を掛けてくるということは余程の急用だろうとすぐに察しがつき、嫌な予感に気が滅入った。
    「――もしもし」
    『侑臣!! 大変だ!!』
    「何かあったか?」
    『影光様が!!』
     高校生に上がってすぐ、真は高校に通いながら使用人の見習いとして教養を仕込まれていた。俺に対して敬語を使うようになり、近頃では違和感も薄れ、年上らしく手本になるような振る舞いをしなくてはと良い刺激を与え合える関係だと思っていた。
     その真が、言葉遣い荒く叫んで告げる。影光様が――と聞いた瞬間、心臓が痛いほど跳ね上がった。
    『倒れた!! 今さっき救急車が来て……!』
    「すぐ行く。どこの病院だ?」
    『だ、大丈夫? ごめん、俺テンパってて、侑臣に伝えなきゃって……来れないよな、そっからじゃ新幹線の距離だし……』
    「いや行く。今から行く」
     あまり考えて動いていなかった。どうしよう、先生に何と言い訳しよう、などと考えるよりも先に荷物を片付け、部屋を出ていた。合宿に必要な金は先んじて集金されている。影光様が最優先だ。
     動揺している真に教えてもらった病院までは、新幹線とタクシーで約二時間。こんなにも生きた心地がしなかった二時間は、後にも先にもこの時だけだ。
     真も状況がよくわからないと言っていた。俺が出発した時には特に病気も風邪もなく、いつも通りに「いってらっしゃい」と見送ってくださった影光様に、一体何があったのか。
     使用人たちには情報の共有が行き届いていなかったらしく、真が聞いて回ってくれたようだが、誰一人原因がわからない――まさか、心臓発作や脳出血のような突発的な病ではなかろうかと、最悪の事態がいくつも浮かんでくる。新幹線はあまりに遅く、目的地までが果てしなく遠かった。
     新幹線の中で掛かってきたゼミの先生からの電話に、何と答えたのか覚えていないが、「落ち着いたら掛け直せ」とだけ言ってくれたのは覚えている。良い先生だ。
     新幹線を降り、走ってタクシーに乗り換えたのはいいが、ちょっとした渋滞で時間を食われ苛立ちが増した。
     病院へ駆け込めたのは、予定到着時刻より十五分も遅れた頃。総合受付のようなカウンターへ駆け寄り、ぎょっとする受付の女性に向けなるべく冷静に詰問した。
    「鈴鳴影光の身内です! 彼は今どこにいますか?!」
    「……失礼ですが、どういったご関係で……?」
    「義理の兄ですッ!! 侑臣が来たと言えば伝わります!」
    「わ、わかりました! お調べしますので少々お待ちください……!」
     こちらの切迫が伝わったのか、焦った様子で何処かに電話を掛けていた。大して走った訳でもないのに息が上がり、動機が止まらない。今すぐ電話を奪い取ってやりたかったが、なんとか理性で抑えつけ返答を待った。
    「お待たせしました。鈴鳴様はただ今検査中とのことです。放射線科にいらっしゃいますので、そちらの階段から二階に上がって、左手にお進みください」
    「わかった」
     大きなキャリーケースを持って病院内を移動し、眉を顰める老人に二度見される横を素通りして二階へ駆け上がり、『放射線科』の看板がある場所を目指した。
     言われた通り左に進んだ廊下の突き当り、長いソファの端に姿勢良く座る女性がいる。見知った顔のその人を見つけ、ほんの少しだけ安堵した。
    「奥様!!」
    「……侑臣? 何故ここにいるの?」
    「影光様が倒れられたと真から聞きました」
    「まあ、わざわざ帰ってきたの? 大丈夫なの?」
    「平気です。私のことより、影光様は……」
    「あぁ……たぶん栄養失調でしょうって。念の為に全身検査してもらってるけど、今の所特に異常はないみたい。胃が空っぽだったのよ、あの子。本当馬鹿ね。効率が悪い勉強のやり方ばかりするんだから……」
    「栄養……失調? ですって……?」
     ――馬鹿なのはどっちだ。
     影光様は本宅にお住いだ。旦那様や奥様と一緒に。使用人だって何人もいる。家庭教師だって付いている。ひとり暮らしの受験生じゃない。複数人と暮らし、シェフだっている屋敷に住むご子息だぞ。
     あり得ないだろう。そんなに大勢の中で暮らしながら、栄養失調なんて。
    「ハンガーストライキとかですか?」
    「さあ。ユーマが見てたみたいだけど、彼は食べてないこと知らなかったって」
    「…………」
     またあの家庭教師か。責任ある立場にありながら何をやっていたんだ。
     治まりかけた鼓動がまた激しくなるのを感じていると、自動ドアが開いた。出てきた白衣の男性が影光様を個室へ運ぶ旨の説明をして、奥様はすぐに承諾する。
     ただその後すぐに、信じられない言葉を聞いた。
    「申し訳ありませんが、私はこの後に予定がありますので、お暇させていただきます。後は彼が引き継ぎますので、よろしくお願いいたします」
    「は……」
    「彼は? お兄様ですか?」
    「彼は影光の秘書です。侑臣、後は頼むわね。車を待たせているの。良かったわ、貴方が来てくれて」
     ぽんと二の腕を叩かれ、ヒールを鳴らしながら奥様は足早に廊下を戻っていく。その姿を追うようにしてストレッチャーが現れたが、奥様が後ろを振り返る事は一度もなかった。
     ストレッチャーには、入院患者が着るような青緑色のガウンを纏った影光様が、血色のない顔色で横たわっていた。左腕から伸びたチューブに点滴が繋がっている。
     やっと会えたのに、声が出なかった。暗い空をくり抜いた窓に反射した自分の顔も、彼と同じように血の気が引いていたはずだ。
    「――……ゆしん?」
     呟く声に反応し、俺に会釈をする看護師は足を止めストレッチャーも止まった。
    「なんでいるの?」
    「それはこちらの台詞です」
    「だって……たべろって誰も言わないから」
    「…………」
     言われなくても食べないと駄目ですよ、と正論で窘める医者の声は聴いていなかった。続けて振り返った医者に何か言われた気がするが、上の空で「はい」と答えるのが精一杯。
     ――誰も言わなかったから、食べなかった。
     自分の中にあった影光様の不思議な特性のピースが全て繋がり、雷に打たれたような衝撃で泣きそうになった。
     従者になって、と命じた影光様の意に沿うようにして職務に就くよう認められ、最初に下された命令は、『毎日のスケジュールの作成』。自分でも作れるが、人に作ってもらった客観的なスケジュールの方が良いとおっしゃられていた。
     最初の仕事だから、簡単なものから命じられたのだと思ったが、三年目になる今でも俺は影光様のスケジュールを毎日作っている。旦那様や奥様からの要望も極力加味し、起床時間から勉強時間、就寝時間までの時間を定めた毎日の行動予定。
     その内容は年々細かくなっている。というのも、スケジュールに書かないと、影光様は水すら口にしないのだ。
     トイレに行く回数が極端に少ないと気づいた時に、水分を取っていないと知った。喉渇きませんか、といつ尋ねても首を横に振る。それならばとスケジュールに『水分補給』の時間を追加してみたら、何の反応もなく当然の流れとしてティータイムが開かれるようになった。
     影光様は勤勉で秀才な方だから、時間通りに起き、時間通りに眠り、時間通りに勉強や食事をするのだと信じて疑わなかった。水分補給の事以外、何の疑問も抱かず約二年半を従者として過ごしてきた。
     スケジュール作成の指示は、大学生の俺に、勉強時間はどれくらい必要なのかを聞きたくて下された命令じゃない。自己管理を他人に任せる甘えでもない。
     あの人――誰かに言われないと、飲食も睡眠もしないのではないか。……そんな理屈あり得るか?
    「…………」
     心臓が騒がしいまま、冷や汗が滲んだ。
     俺が追ってこないので、看護師が心配して戻ってきてくれた。大丈夫ですか、と声をかけられ、作り笑いで頷いてみせる。
     検査結果が出るまで、カーテンで仕切られただけの病床に移された影光様の元まで案内され、虚ろな目で天井を見つめている影光様の側へ寄った。
     最後にあった時よりも頬が痩けている気がする。相変わらず顔色は悪そうだった。
    「…………ぼくね、おなかすかないの。……すいたことない」
    「…………」
    「食べなきゃとか、寝なきゃとか、好きとか嫌いとかはあるけど……それだけなの。誰かに『食べなさい』って言われないと……食べるの忘れちゃう」
    「……それで私にスケジュールを作れとおっしゃったんですか?」
    「うん。お前の作るスケジュールが一番……しっくりきた。勉強時間は多いけど」
     弱々しい声が痛々しく、膨らみの減った頬に恐る恐る触れてみると、やはり弾力が減った気がする。すり、と手のひらに頬が寄せられた。
    「がっしゅく……いいの?」
    「貴方より大切な合宿などありません。……無理に喋らないでください。スケジュールも作ります。今は医者の指示に従って療養してください」
    「ん……わかった」
     手のひらの方へ首を傾け、彼はゆっくりと目を伏せた。
     もっと早く気づけばよかった。気づくべきだったのだ。こんなに近くにいたのに。家庭教師を憎んでいる場合ではない。しっかりすべきは俺だった。こんな状態の息子を放っておく旦那様も奥様も、気に掛けるべき使用人たちも、正直頼りになりそうもない。
     この人、放っておいたらたぶんあっさりと死ぬ。
     赤子の方がまだ泣き叫んで教えてくれる。誰にも何も言わず、もしかすると自分でも気づかないうちに衰弱していく。おかしいだろう。腹が減らないなんて、本能が『生存』を求めていないということだ。生物として狂ってる。
     幼児とは異なり、自分で自分の体調管理を求められるようになってきた。それで俺を頼ったのならば、本能はどうか知らないが、彼の理性は『生きたい』と言っている。
    「――合宿中、おいしいレストランをたくさん教えてもらったんです。次は貴方と行きたい。おいしいもの食べに行きましょう」
    「…………」
    「貴方に食欲がないのなら、私が貴方の食欲になります。睡眠欲がないのなら、私が誘眠します。……生きていてください……」
    「…………」
     薄く目を開けた影光様が、私を見上げて、ほんの僅かに笑ってみせた。
     検査の結果、彼の異常は栄養失調のみだった。点滴をされると自宅に返され、俺も一緒に消化の良いものから順に食事を戻していき、今まで以上に彼の生活に気を配るようになった。
     ゼミ合宿は評価が付けられず、結局卒論を書く羽目にはなったが、影光様が無事なら何でも良かった。
     誇らしくもあったが、恐怖でもあった。だが事実に気づいた時には吐きそうなほど嬉しくて堪らなかった。ゼミだの卒論だのどうでもよくなるくらい、自分の生きる大きな理由が一つ追加された。
     俺が――私が、影光様の生命維持装置だ。
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