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    Manatee_1123

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    Manatee_1123

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    家の前で「恋人が怪我をしたから助けてください」と泣き叫んでいた人は、最愛のご主人様のアレをアレした人でした

     唯一無二、という言葉があるが、影光様に対してあの言葉はあまり使いたくない。『唯一』はともかく、『無二』と表すのは比較するものが二つ以上存在する前提の概念だろう。最初から一つしか無いものは『無二』とは表しづらい。出場選手が一人だけの大会で優勝しても称えづらいのに近い。
     他など無い。私には彼しか要らない世界で生きている。彼が欲するものだから、彼以外の人への優しさや思いやり、生きる理由のように見えているだけで、正直影光様さえ残るのなら星が滅んだって構わない。
     これを愛と呼ぶのなら、私は彼を愛している。『誰よりも』ではない。この世の『何よりも』、だ。
     今日は雲一つない、温かな晴天だった。屋敷を出る必要のある仕事を午前中で片付け、影光様と共に帰宅。彼を先に屋敷内へとお見送りし、車を停めて玄関へ回ると、冷ややかな風が吹き荒れ枯れ葉が舞い上がった。
    「――すみませんッ!」
     泣きそうな声で叫ぶ甲高い声は明らかに女性のものだった。金髪に近い薄い茶色の髪をクルクルと巻いたポニーテールをした女性が、ぐったりとした男性の腕を肩に担ぎ、引きずるような形でヨロヨロと近づいてくる。男性の衣類は真っ赤な血に染まっており、彼らが歩いてきた道に赤が点在していた。
     そういえば一週間ほど前、山で山菜を取りたいという人たちが登山許可を求めていると連絡が来た。山菜程度ならと影光様はすぐに承認されたが、きっちり契約書にサインさせていた。おそらく、そのサインした男性がぐったりとしている彼なのだろう。
    「彼氏がっ、崖から落ちて! 怪我してっ……たぶん骨とかも折れてて……血も止まらなくて……っ! 助けて……ください……」
     大粒の涙を流し膝から崩れ落ちた女性。咄嗟に駆け出し男性を支えると、とうとう女性の方は声を上げ泣き出してしまった。
    「重症ですね。救急車を呼んでも時間がかかります。とりあえず応急処置をしましょう」
    「ヒクッ……はい……っ」
     男性は全く力が入っておらず、意識もなかった。脈と呼吸は確認できたが、動かして良いものか迷う。
    「頭を打ったかどうか分かりますか?」
    「ヒック……わかんない、ですっ……ヒック……」
    「脳に損傷があった場合、下手に動かす方が危ないんです。どれくらい歩いて来たんですか?」
    「どうしよう……あたしっ、動かしちゃったぁ……ッ! ひーくん死んじゃうのかなぁ……しんじゃうのかなぁ……っ」
    「大丈夫ですから。落ち着いて。落ちた時の状況と場所、覚えていますか?」
    「ううぅぅぅぅ……っ」
     泣くばかりで話しにならない。先に救急車を呼んでしまおうかと屋敷の方へ振り返れば、中へ入ったいったはずの影光様が立っていた。怪我人を見るなり大股で近づかれ、膝を地について男性の顔に顔を寄せぺちぺちと頬を叩かれる。
    「聞こえますー? 貴方、大藪さんですよね? 大丈夫ですかー?」
    「…………」
    「ひーくん、意識ないです……うぅっ……」
    「侑臣、脈取った?」
    「はい。脈と呼吸は正常です」
    「救急車呼んだ?」
    「いえ、まだ。これから呼ぼうとしていたところです。電話して参ります」
     立ち上がりかけた私の腕を、男性の方を向いたまま掴まれた。
    「待って。……貴方たち、山菜取りに来たんですよね? 契約書読みました?」
    「…………ヒクッ……」
    「もしかして知っててここに来ました?」
    「…………」
    「侑臣、僕は救急車呼ぶの反対だ」
    「え……」
    「呼びたきゃお前の責任でお前一人で何とかしろ。僕は協力しない」
    「……影光様が呼ばないと仰るのなら、私は……」
     主の意思に従う私が、身勝手に自己責任で動くのは激しく抵抗感がある。目の前で苦しむ人を見捨てられない正義感だけで動いている。しかし、影光様が何の意味もなく拒絶されるのも何か理由があるはず――。
    「え? 待って……影光くん……?」
     顔を上げた女性は、化粧の崩れた目元を気にも留めず影光様を見つめた。そこで漸く女性の方を見た影光様も、彼女の顔を見て息を呑んでいた。
    「……四十谷あいたにさん?」
    「そう! 影光くん、お願い、助けて……あたしたち婚約してるの……お願い……!」
    「…………」
     険しかった彼の表情の変化は驚愕というより嫌悪に近く、二人の間柄が『親しかった』とは言い表し難いものであったことを物語っている。
     影光様との付き合いは長い故、彼の交友関係も一通り把握している。特に親しい者や関わりの深い者は影光様が話してくださるので、顔は知らずとも名前は知っている。
     しかし、アイタニという名前は一度も聞いたことがない。口ぶりからして特別親しくなかったクラスメイトといったところだろうか。
     彼女の悲痛な叫びを聞いた瞬間、影光様の表情が消えていった。
    「……幸せなんだね」
    「うんっ……すごく幸せなの……だからお願い……助けて……お願い……」
    「見て」
     影光様が指した先には、滲んだ血液で見づらくなっているものの、泥のようなもので汚れた小さな『手形』がくっきりと付いていた。女性の手よりもずっと小さい、赤子から少し成長したくらいの小さな手。
     大きさ以外でおかしなところを挙げるとするなら、手形の指が、大多数の人間よりも一本多い事だろうか。
    「突き落とされたんじゃないの?」
    「……わ、わかんない……あたし、よく見てなくて……っ」
    「子供が蟻を踏み潰すとき、そこに深い意思や憎悪がある?」
    「……なに……?」
    「蟻を潰す理由は、明確な殺意によるものだと思う? ……違うよね。何となく、面白そうだから、だよね。『コレ』もたぶんそんな感じだと思うよ。……君と同じようにね・・・・・・・・
    「何……? わかんない、ねえ、助けてよぉ……っ! ひーくん死んじゃうからぁッ! ねえ!!」
    「行くよ、侑臣」
     立ち上がる影光様の足元へ、女性は必死にしがみついてくる。
    「ねえッ!! 助けてよぉ! 影光くん!!」
    「僕は助けないって言ったんだよ。縋るなら侑臣に言って」
    「助けて!! 助けてください!! お願いしますからぁ……っ」
     女性の叫びを無視し、踵を返して屋敷へと戻っていく影光様。あまりに冷酷な姿の理由が何なのか、予想すらつかない自分に腹が立つ。
     何かしらの怪奇に遭遇したのだろうか。誰かさんのように誰かが張った結界か何かに踏み込んでしまったのか?
     無情に閉ざされた玄関の扉。向こうから泣き叫ぶ女性の声が聞こえてくるが、主は相変わらず無表情のままだった。
    「嫌なこと思い出しちゃったな。最悪だ」
    「あの方々、お知り合いですか?」
    「知り合いというか……まあ、男の方は知らない人。カバンから麻の葉が見えてたから、ロクな人間じゃないのは確かだね」
    「あぁ……」
     この山中では、取っても取っても毒草が生えてくる。除草剤を撒いてもダメらしい。違法薬物を作れてしまう麻の葉も例外ではなく、探せば自生していても不思議ではない。
     では、女性の方は? その片棒を担いでいて幻滅されたのか? それ程の関係の人を、私が知らないはずがない。
    「女性の方は……お知り合いでいらっしゃいましたよね?」
    「……まあね」
    「どういった方……なのですか?」
    「……聞きたい? お前なら言ってもいいけど――救急車、呼びたくなくなるよ?」
    「…………貴方の知らない部分を知る方が、後悔します」
    「……そう」
     体の横で脱力していた右手を取られ、広げられた手のひらが、彼の下腹部に当てられた。ベルトよりも下の、とても際どい場所に。
    「あの子だよ。僕の――『初めて』を、奪った人」
    「――…………」
    「ね? 呼びたくなくなったでしょ」
     ――人間、三十年以上も生きていれば嫌な思い出というのはいくつもあるものだ。その中でもそれは、できることならもう二度と触れたくなかったパンドラの箱。
     なるほど、最悪だな。
     彼が心から愛し、生涯番と決めた人と、愛しい我が子を抱く為に行うものであったのなら、私もまだ理解しようと努めていたはずだ。現実はそんな優しい世界ではなく、彼が十二の時、夕飯のメニューでも告げる調子でさらりと告白された。
     ドウテイを捨てた――と。
     あれが。あの女が。影光様を。彼の大切な初めてを。これは影光様の意思など関係ない。彼女と影光様が以前どのような関係であったのかなどどうでもいい。ただ純粋に、私はあの女の存在が嫌いだ。
     幸せなんだね、と影光様は尋ねられた。すごく幸せ、と彼女は答えた。
     許せるか? ――私はそんなに出来た人間ではない。正義感とは見方を変えればエゴだ。悪意だって、見方を変えれば正義だろう。
    「……申し訳ありません」
    「別にいいよ。お前になら言っても構わない。でも深くは聞かないでね。あまり思い出したくないから」
    「いえ……その事ではありません」
    「ん? じゃあ何の謝罪?」
     蟻を踏み潰す子供に悪意がなくとも、私なら、蟻が見知った人間であったとしても同じように踏み潰すだろう。影光様が汚れてしまわぬよう。影光様の邪魔にならぬよう。
    「一分間だけ、私を自由にしていただけませんか?」
    「…………わかった。いいよ」
     許可をくださった主に一礼し、今し方通ってきたばかりの玄関の扉を抜け、啜り泣いている女の元へ向かう。彼女の目に私はどのように映ったのだろうか。私を見上げた彼女は涙が止まり、身を縮こませ黙り込んだ。
     細い女の両手を背中側に回し、偶然ポケットに入っていたクリップを真っ直ぐに伸ばし、親指同士をぐるぐると巻き取れないようキツく捻って留める。煩い口には丸めたハンカチを詰めて、静かに涙を流し出した女を見下ろした。
    「悪意があるのは何も怪奇だけじゃないんだ」
     私の体に叩き込まれた戦闘術は、零距離戦闘術の基本形態である捨て身、入り見、相打ちの中から技術をカスタムした戦闘術だ。肩甲骨を起点に動きの波を発生させ、相手に波のエネルギーを伝える技。サイエンス・フィクションのようにも聞こえるが、長いロープの端を持って大きく上下に揺らすと、片側で発生させた波が向こうの端まで伝わっていく、あの原理を肉体で発生させているだけだ。
     こいつを応用すると、戦闘から受け身まで様々な使い方ができる。硬いものも割れる。柔らかいものも受け流せる。
     ではその波を、『脳』に伝えたらどうなるだろうか。瓦で言うと二十枚ほど割れるエネルギーを、頭蓋骨の隙間から直接脳に流したとしたら。
     震えながら涙を流し、首を小刻みに横へ振る女の乱れた髪を掴み、肩甲骨を揺らしながら、背骨の頂点と頭蓋骨の境目を指で探る。
    「死ね」
     殴るよりももっと静かに、女は目を見開いたまま白目を剥き、力の抜けた体は男に重なるよう捨てておいた。
     達成感も開放感もない、虚しさだけが残る作業だった。それ故振り返ってしまえばもう二人の事はどうでもよくなり、地面に膝をついた影光様のスーツを洗わなくてはならない方が重要になる。
     再び玄関の扉を開くと、一分前と何も変わらぬ影光様が、ほんの少し穏やかな顔で出迎えてくださった。
    「ちょうど一分経ったよ。おかえり」
    「――ただいま戻りました。着替えを用意いたします」
     後ろ手に閉めた錠の音が、今日はやけに大きく響いた気がした。
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