とある家族の本丸・二本庄(ほんじょう)家
夫:英雄(ひでお)
妻:美子(よしこ)
子:長男・ワカ、次男・ナカ、長女・姫(通称)
堀(ほり)家
夫:大介(だいすけ)
妻:千鶴(ちづる)
子:イチ(通称)
―――― 保活。
平成から、令和にかけて未だ解決されない、職業婦人達の戦である。
専業主婦が主だった時代も、今は昔。
女も働け、子を産め、更に働けと、心身ともに殺す気満々の政府の意向により、戦は激しさを増している。
堀家も、その戦に参戦する家の一つである。
ある日。
「保育園が・・・決まらないんですよ・・・・・・」
あとはもやしを残すのみとなったラーメンの、冷めたスープをぐるぐるとかき回す後輩に、英雄は何度も頷いた。
「うちも、長男の時は大変だったよ。
保育園が決まらなくて、なのに奥さんの育休期限は迫っていて、そのせいで産後鬱になりかけて。
生きててごめんなさいとか言われる恐怖ってさぁ・・・」
「けど、決まったんですよね?
本庄さんとこ、三人目じゃないすか」
「そうっ!!三人目で初めての女の子!!
もう、めちゃくちゃかわいいの!うちのお姫様!!」
隙あらば写真を見せてくる先輩を邪険にもできず、彼は差し出されたスマホを覗き込む。
「うわっ!可愛い!
赤ちゃん抱いてる子、アイドルっすか?」
「ううん、この子はみだ・・・みーちゃん!
えっと・・・いとこの子供だよ。
家が近いから、よく世話をしに来てくれるんだ」
慌ててごまかした先輩を特に不審にも思わず、彼、堀大介はため息をついた。
「いいなぁ・・・。
うちも、せめて親戚が近くにいたら。
うちはどっちも実家遠いし、親が来るのも大変だし。
保育園が決まればなぁ・・・本庄さんとこは、どこでした?
ヒヨコ?ヒマワリ?」
近隣の保育園の名を挙げる後輩に、彼、本庄英雄は首を振る。
「うちは結局、保育園取れなかったから、実家の親と親戚が面倒見てくれてるんだ」
「マジで?!
本庄さんとこって、そんなに親戚いるんすか?大家族?」
「いや、俺自身は二人兄弟だけど・・・両家とも、親が兄弟多くて、いとことかいとこの子供とか、まだ学生の子達がたくさんいるから、交代で見てくれてるんだよ。
彼らが学校に行っている間は親が見てくれて、すごく助かってる」
「そっかぁ・・・。
うち、奥さんが同じ会社じゃないですか。
会社方針だかなんだか知らないけど、育休はひと家族一回だけ、延長なしなんて変な決まりがあって、俺が交代で育休取ることもできないんですよ。
社長は少子化対策の敵だって、奥さん激怒してます」
「そのせいでうちの会社、女性の離職率が高いんだよね。
仕事か子供か、だったら優先順位は当然、子供だしねぇ。
けど、いつまでもチヅさんがいなかったら、経理部大変でしょ。
こないだ領収書の提出が遅れたんだけど、『忙しいんだから仕事増やすな!』って怒鳴られた・・・」
「それは、うちの奥さんがいても同じでしょ。期限守らなかった本庄さんが悪いです」
「はい・・・」
しょんぼりと肩を落とした英雄は、食後のお茶を気まずげに飲み干した。
「・・・ってことがあってね。
堀君ちも大変みたい」
「わぁ・・・。
ワカの時の私みたいになってるよ、きっと」
眉をひそめた美子は、賑やかな本丸の食堂で、食後のお茶に満足げなため息をついた。
「今日のお茶は誰だろう!
ちょっと待って・・・まだ言わないで・・・!
うんとー・・・・・・鶯丸さん!」
いたずらっぽい目で主夫妻を見ていた鶯丸が、くすくすと笑う。
「残念、不正解だ。
今日の茶を淹れたのは、小夜だよ」
「・・・おいしかったですか?」
恥ずかしげに、横目で見つめてくる短刀に、美子は大きく頷いた。
「甘みがあって、さわやかで、温度もちょうどいい飲みやすさ!
完璧だよ!」
奥方に褒められた小夜は、耳まで赤くして歌仙へと駆け寄り、彼の袴に顔をうずめる。
「はい、よくできたね。
お褒め頂いて光栄だよ」
小夜の誉れは指導した自分の誉れ、とばかりに一礼した歌仙へ、美子は嬉しげに頷いた。
「うちはラッキーだったなぁ。
保育園は全部外れたけど、こんのすけが契約に来てくれたおかげでこんなに・・・」
ふと、思い至って美子は、こんのすけを呼ぶ。
「ねぇ!
こないだ、お友達紹介キャンペーンがなんとか、って言ってたよね?!」
美子の問いに、こんのすけは咥えていた油揚げを飲み込んでから頷いた。
「はい。
時の政府は、この時代の少子化を大変憂いています。
早急になんとかしたいと考えており・・・」
「英雄君!」
「至急!堀君ちに派遣だ!!」
「なにこのぬいぐるみ?!
どこにあった?!」
突然、テーブル上に現れた四足歩行の毛玉に、大介は目を丸くした。
やや離れた場所では、千鶴が爆音で泣く赤子を必死にあやしている。
「ミルクはあげたし、おむつも替えたのに、なんで泣くの?!
どこか痛いの?!」
自身も泣きながらあやす千鶴の手から赤子を抱き上げると、彼女はその場にへたり込んだ。
「もう・・・わかんない・・・。
病院に連れて行っても何ともないって言われるし、なのにずっと泣き止まないし、私がダメな母親だから、ずっと泣いてるんだ・・・」
「そんなことないって!
俺が抱っこしても泣いてるんだから、チヅちゃんが悪いんじゃなくて俺も悪い・・・じゃなくて!
えっと・・・えっと・・・」
かける言葉も見つからず、困惑する彼の肩に、ふわふわとしたものが乗った。
「うわっ!なに!!」
テーブル上に突如現れたぬいぐるみに乗られて、驚く彼の肩で、それはゆっくりと尻尾を振る。
その毛先が赤子をくすぐるうちに、泣き喚いていた子はすっかり静かになってしまった。
「た・・・助かった・・・!」
「今のうちに、寝かせてください」
「うわっ!しゃべった!!」
動いただけでも驚きなのに、話しかけられた大介は思わず大声を上げる。
「お静かに。
また泣いてしまわれます」
「あ・・・うん」
ひとまず赤子を安全な場所へ、と彼はベビーベッドへ運んだ。
と、しゃべる毛玉はベビーベッドの中へ飛び込み、尻尾を揺らして赤子をくすぐる。
すっかりご機嫌になり、笑い声さえあげる子に、千鶴もほっと肩の力を抜いた。
「さて、私はこんのすけと申します」
ベビーベッドの前に座り込んだ夫妻へ、こんのすけは話しかける。
「本庄家のこんのすけより、当家の困窮状況を伺いまして、やって参りました。
いわゆる、お友達紹介キャンペーンです」
「へ・・・?
本庄さんとこの・・・?」
「おともだち・・・・・・」
呆然とする二人へ、こんのすけは大きく頷く。
「まずは、時の政府よりのご挨拶をお聞きください」
と、こんのすけの首輪が照射する光が、薄暗い部屋の壁に当たって動画を再生した。
2205年の政府代表者が話す、歴史修正主義者との戦のこと、審神者としての役目、刀剣男士という存在。
それは、にわかには信じられないものだったが、
「既に、本庄家では七年前より取り組んでおられまして、現在三人のお子様がすくすくと成長しておられます」
の一言に、心が揺らぐ。
「長男のワカ様は闊達にして次期頭領としての才覚があられ、次男のナカ様は大変お元気であられますし、今年お生まれ遊ばした姫様に至っては、天姿国色(てんしこくしょく)かと男士一同、蝶よ花よとお世話申し上げております」
「三人も・・・!すくすく・・・・・・!」
よろりと、膝立ちになった千鶴へ、こんのすけは小首を傾げた。
「保育園いらずですよ?」
「ぜひ!!」
掴みかからんばかりに迫る千鶴の隣で、しばらく考え込んでいた大介がストップをかける。
「待って。
先に、本庄さんに電話させて。
話はそれから」
「えぇ、どうぞ。
早い者勝ちではありませんので、十分にご相談ください」
こんのすけが尻尾を揺らす先ではいつの間にか、赤子がすやすやと寝息を立てていた。
「最初の刀、かぁ・・・誰にする?」
英雄と連絡を取ったのち、すっかり乗り気になった大介の問いも終わらないうちに、千鶴は五振りのうちの一振りへと手を伸ばした。
「沖田君一択!!
うちの芹沢鴨を斬ってほしい!!」
「え・・・。誰それ?」
「社長!!」
「社長、田中じゃん・・・」
「鴨は鴨鍋じゃ!!」
血走った目で掴むや、刀剣は人の姿へ変わった。
「え、なに、こっわ。
なんでそんなに怒ってんのー?」
苦笑した彼は、自身の腕を掴む手をそっと離して、姿勢を正す。
「俺、加州清光。
よろしくね」
途端、ベビーベッドから大きな泣き声が上がった。
「うっわ、びっくりしたー。
なになに、赤子?
かっわいー!抱いてい?」
答えを待たずに赤子を抱き上げた加州は、にこりと笑う。
「うん、元気。
声が大きい子は息が長く続くから、武術に向いてるよ。
俺がこの子を強くしてあげる」
赤子の号泣もどこ吹く風と笑った加州は、改めて主夫婦を見遣った。
「うん。
まずは二人とも、可愛くしよ?
主には鍛刀とか戦準備とかやってもらわなきゃだけど、奥方は食べるか寝るか美容院に行くか。
二、三日かけて、ゆっくりしておいでよ」
「人間に戻った気がする」
三日後、美容院で髪を整えた千鶴は、本丸の縁側で鏡を見ながら呟いた。
「キヨちゃんが来てくれるまで私、母熊だった」
「触るな危険」
うん、と頷いた大介は、傍で赤子にミルクを与える乱藤四郎に目を細める。
「うちにもアイドルが来たなぁ」
「アイドルってボクのこと?!」
嬉しげに目を輝かせる彼・・・顕現して初めて男士だと知った乱に、大介は頷いた。
「女の子だと思ってたんだよ。
乱ちゃんみたいな可愛い子がお世話してくれて、イチの理想が高くなりそう」
「大丈夫だ。
乱は戦闘になると性格が変わるからな。
こいつに比べりゃ、世間の女子はだいぶ優しい」
笑いながら寄ってきた薬研が、甘くとろりとした液体を匙で掬う。
「そーら、疳の虫に効く薬だぜ。
イチ坊の好きな味にしてやったからな。
ま、肺が強くなるから、泣くのはいいんだけどよ、泣きすぎるのもあれだからな」
ミルクを平らげた赤子は、薬研が与える薬までも、嬉しそうに舐めとった。
「信じられない。
ずっと泣きっぱなしだったのに」
平野が淹れてくれた温かいお茶を飲んで、千鶴がほっと吐息すると、薬研はまだ欲しがる赤子から匙を引く。
「環境が落ち着いたからだろ。
刀は家の守りだ。
周りに自分を守ってくれる連中が大勢いるから、イチ坊も安心したのさ」
「こんなにいないと安心できないなんて、意外と小心者かもね」
くすくすと笑う乱に、大介が苦笑した。
「俺に似たのかなぁ」
「私かもよ・・・」
はふ、と吐息する千鶴には、その場の全員が首を振る。
「それはないよ。
奥方さん、母熊みたいにあらぶってたもん」
またくすくすと笑う乱に、千鶴は頬を染めた。
「だって・・・あの時はまだ、精神的に不安定で、体力も限界だったし・・・」
「でももう、大丈夫でしょー」
とてとてと、縁側を歩いてくる足音を見遣れば、清光と安定が並んでいる。
「うん、可愛くなった。
やっぱり、可愛くないと気分もアガらないしねー」
にこりと笑う加州に、千鶴は顔を赤くした。
「ちょっと、清光ー。
人妻にそういうこと言っちゃダメだって。
でも、今度の髪型、似合ってるよ。可愛い」
安定にまで言われて、顔を上げられない千鶴に大介が笑い出す。
「俺の奥さん、誘惑しないでくれよー」
「そりゃ一大事だ」
「間男は重ねて四つだよ?」
物騒な笑みを浮かべる薬研と乱に、二振りは大仰に震え上がった。
―――― 数年後。
「何よ!
姫の馬になれないっていうの?!」
「誰がお前の馬になどなるか!この!俺を!下に置くなど許さんっ!」
小学一年生の教室で、大声を上げる子供達を、担任教師が叱りつけた。
「特に本庄さん!
お友達を馬にしようなんて、いけません。
謝りなさい」
「嫌よっ!!」
ふんっと、そっぽを向いてしまったワガママ姫に、担任教師はため息をつく。
「お兄ちゃん達はこんなにわがままじゃなかったのに、どうしてそんなことを言うの」
「だって亀甲は馬になってくれるもん!」
「あいつか!!」
思わず舌打ちした担任教師は、首を振って子供達と目線を合わせた。
「この件については、ご家族にお知らせします。
堀君も、本庄さんが謝ったら許してあげますね?」
「誰がっ!」
「謝らないもん!」
強情な二人にため息をついた担任教師は、連絡帳に事情を記載したのち、少し説教をして帰らせた。
「―――― ってことがあったの!
なによ、イチのやつ!
兄上達だって姫の言う通りなのに!
姫に逆らうなんて許さない!」
ふっくらとした頬を紅潮させて、畳を叩く彼女の前で、亀甲貞宗は居住まいを正した。
「姫、それは本当なの?」
「本当よ!
イチのやつ、生意気!お仕置きして!!」
ずいっと迫った彼は、悲しげな顔をして小首を傾げる。
「姫・・・。
姫の馬は僕だけなのに、他の子も馬にしようとしたの?
僕のことはもう、飽きちゃったの?」
「え・・・」
意外な問いに、姫は呆気にとられた。
「姫が、初めて僕を馬にしてくれた時・・・僕以外の誰も馬にしないって約束してくれたのに。
姫は、ほかの子に乗り換えるんだね。
僕はもう、いらないの・・・?」
涙を浮かべる亀甲に、姫は慌てて縋りつく。
「そんなことないよ!
亀甲だけだよ!!」
「でも・・・その子の方がよかったんでしょ?」
「ううん!
生意気だから、馬にしてやろうと思っただけ!!
亀甲の方が好きよ!」
その言葉に、ようやく笑顔になった亀甲が姫を抱きしめた。
「うれしいよ!僕の小さなご主人様!」
だから、と、膝に乗せた姫に微笑みかける。
「その、イチ君とやらには謝った方がいいのじゃないかな」
「なんでっ!
生意気だから、別の仕返しする!」
「姫、その子にいじめられたの?」
「ふん!
イチがそんなことできるわけないじゃない!」
気の強い姫に、亀甲は穏やかな笑みを向けた。
「じゃあ、これは姫がいけなかったよ。
姫だって、イチ君に馬になれなんて言われたら、怒るでしょう?」
「兄上達だって姫を下に置かないのに!
姫を下に置くなんて許さない!
・・・あ」
「どうしたの?」
突然、動きを止めた姫に、亀甲は小首を傾げる。
「今の・・・イチも言ってた」
気まずげに頬を膨らませた姫に、亀甲は微笑んだ。
「そうか。
大包平君みたいなことを言うよね」
「あいつも・・・本丸の子」
「じゃあ、あっちの本丸の大包平君が導いているんだよ。
嫌なことは嫌って、ちゃんと言えるの、偉いね」
ふてくされた姫をまた抱きしめて、よしよしと頭を撫でる。
「姫は、イチ君に嫌なことをしちゃったんだ。
悪いことをしたら謝るのが礼儀だよ。
じゃないと、いつまでも戦をすることになるもの。
姫なら、ちゃんとごめんなさいできるよね?」
「・・・・・・うん」
「ふふふv
姫みたいないい子の馬になれて、僕は嬉しいよ!
今日は存分に乗りこなしておくれ!」
早速四つん這いになった亀甲の背に乗り、機嫌よくはしゃぐ姫の姿に、兄達は襖の陰からそっと吐息した。
「なるほどぉ・・・。
僕たちが甘やかしてしまったせいで、姫がとんでもないわがままになってしまったと」
「自覚があるだけに、責任を感じてしまうな、兄者・・・」
若君達からの相談を受けて、髭切と膝丸は深々と吐息した。
「初めての姫だって、はしゃいじゃったからなぁ。
若君達も、散々甘やかしたもんねぇ」
髭切が苦笑すると、ワカは悄然と肩を落とす。
「男ばっかりの本丸で、初めての女の子だったから・・・何でも言うこと聞いたし、ほしいものはなんでもあげちゃったから・・・」
「このままじゃ、姫はクラスで一人ぼっちになっちゃう」
そう言って、ナカもため息をついた。
最近では、学校にも本丸育ちの子女が多いとはいえ、姫ほどわがままに育った子はそうそういない。
「今回は亀甲がなだめてくれたけど、これからのためにも姫には、もうちょっとコミュ力あげてほしい」
「そうだねぇ・・・。
その点に関して、僕ら平安刀は全く自信がないんだよねぇ」
「姫は男子よりも大切な存在だ。
多少わがままでも、健やかに育ってくれるだけで万々歳というものだ」
困り顔を見合わせて、二振りは主君の息子達へ目を戻した。
「一期なら、たくさんの弟達を取りまとめているわけだし、なんとかならないかなぁ」
「俺もそう思うが、彼も姫に関しては甘やかすばかりだ。
ここはもう少し、我慢を教えてやれる刀・・・誰だろう?」
そう思うと、浮かぶどの顔も、姫を甘やかしてきた実績しか持っていない。
「なんで姫に甘いんだ、ここの男どもは」
「兄上、姫に一番甘いのは兄上です」
呆れるワカに、ナカがため息をついた。
「ここは、母上にびしっと言っていただきましょう」
「それは・・・そうだけど・・・・・・」
ちらりと、ワカは気まずげな髭切と膝丸を見遣る。
「母上が姫を叱ってると、みんながとりなしに来るだろ。
姫はそれがわかってるから、すぐに誰かに泣きついて、ちゃんと叱られないまま許されちゃうんだ」
「だって!
姫が泣いてるの、かわいそうだもの!」
「男子たるもの、女子供を泣かせることは最低な行為だ!」
「これだよ・・・」
何とかしなくちゃ、と、この本丸の嫡男は、決意と共に立ち上がった。
「・・・というわけで、姫のわがままをなんとかしたいんだ」
相談を受けた太郎太刀は、長い爪の先を顎に当て、ゆっくりと吐息した。
「こういうことは、私よりも石切丸殿の方がふさわしいのでは?
なにしろ私は・・・」
と、彼はあらぬ方を見遣る。
「現世のことになど、興味はありませんので」
「だからだよ!
太郎は、姫が泣いてわがままを言っても、道理が通らなきゃ受け入れないだろ!」
「それはそうです」
ワカの言葉に、太郎太刀は頷いた。
「私がここにいるのは、戦で必要とされたからです。
そのほかは瑣末事。
姫が泣こうと喚こうと、私には興味がありません」
「あ、そこはもうちょっと優しく・・・」
「若君」
ひたと見つめられ、ワカは居住まいを正す。
「一度決めたことを、易々と翻してはいけません。
あなたはこの本丸の、嫡子なのですよ」
「はい」
「嫡子って大変だなぁ」
思わずぼやいたナカが、ぺこりと一礼して立ち上がった。
「俺、ネマワシしてくる。
じゃないとみんな、こっそり姫を甘やかすから」
と、太郎太刀の部屋を出たワカは、母の携帯へ電話をした。
「・・・ということで、姫のしつけをしますから、母上からみんなに、姫の甘やかし禁止を告知してください。
みんなが甘やかすのを禁止されてる、って聞けば、そっけなくされても姫が泣くことはないし。
はい、それでは」
通話を切ると、傍に兄がいる。
「お前だって甘やかしてる」
「みんなが動きやすいようにネマワシするのはナンバー2の仕事だって、兼さんに言われました。
歳さんカッケーって言ってたら教えてくれました」
「うん、ありがと」
わしわしと頭を撫でてやると、邪険に振り払われた。
「なんだよ」
「子供じゃないんで」
誰の影響なのか、馴れ合わないと言わんばかりの態度に呆れてしまう。
「・・・小学生なのに?」
「小学生でもです」
礼儀正しくふるまうように、と叱られてしまい、ワカは唖然としたまま頷いた。
母からもしっかりと叱られた姫は、ふてくされた顔のまま、太郎太刀の前に座った。
「やれやれ。
花のかんばせが台無しですね」
苦笑した太郎太刀は、先に立って、ついてくるように促す。
「姫はどこ行くの?」
「私をどこへ連れて行くのですか、とお尋ねなさい。
そのような問いかけは、とても幼いものですよ。
もう、小学生になられたのでしょう?」
「うん」
「はい、とおっしゃい」
「はい」
甘やかしてくれない太郎太刀の足に小走りでついて行くと、畑へと出た。
そこでは桑名を中心に、江の刀達が農作業に励んでいる。
「お連れしましたよ」
太郎太刀が声をかけると、振り返った桑名がにこりと笑った。
「ワガママ姫のご登場だ。
じゃあ、まずは雑草取りをしてもらおうかな」
「えー!
姫、雑草取りきらい!」
ぷいっと、そっぽを向いた先に太郎太刀の目があり、頬を膨らませてうつむく。
「そうだねー。
地道な作業だけど、実った時が楽しいよ。
特別に、姫だけの場所を用意したからついておいで」
後を兄弟に任せて、桑名が姫を手招いた。
太郎太刀にも促されて、渋々ついていくと、花壇が並ぶ一画の、まだ何も植えられていない場所を示される。
「姫は、どんな花が好き?
野菜でも果物でもいいよ。
僕が手伝ってあげるから、好きなものを育ててごらん」
「姫の場所?!
あ・・・えっと、わたしの・・・うんと・・・・・・」
「そうそう、姫が自由に使っていい畑だよ」
太郎太刀の顔色を窺いながら、言葉を言い換えようとする姫に、桑名がにこりと笑った。
「まずは雑草を取りながら、何を植えるか考えてごらん」
「うん!
じゃない、はい・・・」
度々太郎太刀の顔色を窺う姫に、桑名が笑いだす。
「姫の成長も楽しみだね」
添え木、と呼ばれた太郎太刀は、複雑な表情で小首を傾げた。
「では、馬になることはきっぱりと断ったのだな!立派だったぞ、一郎君(ぎみ)!!」
堀家の本丸で、イチは大包平の大声に大きく頷いた。
「もちろんだ!
この!俺を!下に置くなど、女とて許さん!!」
「うるさいなぁ・・・耳が痛くなるよ」
そっくりに胡坐をかいて向かい合い、大声をあげる大包平とイチの傍らで、鶯丸が苦笑する。
「しかし、本庄家とは何年もの付き合いだが、あちらの姫はそんなに横暴だったろうか」
小首を傾げた鶯丸に、イチは気まずげな顔をした。
さりげなく表情を窺っていた鶯丸は、ちゃぶ台の上の茶器を、ゆっくりと持ち上げる。
「一郎君、俺がこの茶を飲み終わる前に、正直に話してごらん」
ふぅ、と、茶器に息を吹きかける彼から目を逸らし、イチは頬を膨らませて俯いた。
「・・・花なんて変な名前、鼻の穴みたいって言った」
「なんだと!!
では!先に侮辱したのは一郎君ではないか!!!!」
ならば!と、大包平がこぶしを握って立ち上がる。
小学校に入ったばかりのイチから見れば、山のようにそびえる巨体は、はるか上から彼を見下ろした。
「こうしてはおれん!
急ぎ本庄家の本丸へ赴き、謝罪しなければならんぞ!!」
「え・・・」
困って見遣った鶯丸は、茶器を卓に戻して頷く。
「いいか、一郎君。
名というものは大切なものだ。
俺たち刀剣は名をもって顕現し、もののふは名こそ惜しむ。
それを侮辱した一郎君が、今回の発端だ。
おのこならばおのこらしく、潔く謝罪してくるんだ」
「えー!」
不満げな嫡子を、大包平が肩に担いだ。
「四の五の言っている場合ではない!行くぞ!!」
そのまま走り出した大包平の背を、鶯丸は微笑んで見送る。
「気の強い者同士、よい相性だと思うが・・・そうだな、今世では、婚約はまだ早いな」
くすくすと笑いながら、鶯丸はまた、茶器を温かい茶で満たした。
「たのもーう!!!!!!!!」
本丸中が揺れるかと思う大音声に、本庄家の刀剣達が何事かと出てきた。
「なにごとだ!!!!」
負けじと声を張り上げる本庄家の大包平に、堀家の大包平が向かい合う。
「我が本丸の嫡子殿、一郎君が、こちらの姫へ無礼を働いたとのこと!!詫びに参った!!!!」
「それは殊勝だ!!
俺が案内しよう!!!!!!!!」
「やめろ、本丸が壊れる」
間に入った本庄家の鶯丸が、ため息をついた。
「一振りでも十分にうるさいのに、二振りもいられては鼓膜が破れてしまう。
俺が案内するからお前は引っ込んでいろ」
大包平を押しのけて進み出ると、イチを抱えた大包平が一礼した。
「お頼み申す!!!!!!」
「わかったから静かにしてくれ。
うちの姫を怯えさせると、本丸中の刀剣を敵に回すことになるぞ」
こっちだ、と、鶯丸は先に立って、畑へと案内する。
そこでは太郎太刀、桑名と共に、この本丸の姫が雑草取りにいそしんでいた。
「おや・・・。
別の本丸の方ですか」
太郎太刀が声をかけると、イチを下ろした大包平が口を開く。
「俺は・・・!!!!」
「静かにしろと言っただろう」
鶯丸に容赦ない力で襟を引かれ、咽る大包平を見上げたイチは、不満げに頬を膨らませて姫を睨んだ。
「なによっ!」
気の強い姫が睨み返すと、間に入った桑名がイチを手招きする。
「せっかく来たんだ、手伝っていきなよ、雑草取り」
「はぁ?!」
ますます不満顔のイチに、しかし、桑名はにこりと笑った。
「どうやら君は、大包平の薫陶を受けているようだ。
だったら、こういう地道な仕事もまじめに取り組むんじゃないかな。
うちの姫は・・・」
と、気の強い少女を見下ろす。
「みんなが甘やかしたせいで、すごくわがままになっちゃって。
今、太郎太刀に躾しなおされてるところなんだよね」
ね?と、覗き込んだ顔は、不満げに膨らんでいた。
「正面から言うよりも、並んでいた方が話しやすいってこともあるでしょ」
どう?と、声を掛けられた大包平が、彼の体格に比べて小さな一画にしゃがみ込む。
「さぁ!一郎君!!俺達もやるぞ!!!」
「うー・・・」
ごねるイチの背を、鶯丸が軽くたたいた。
「覚悟を決めてきたのだろうに、ためらうものじゃない。
いさおしを上げておいで」
しょうがなく土の上にしゃがみこんだイチは、姫と並んで雑草を取り始める。
「・・・名前、馬鹿にしてごめん。
それはダメだって、うちの鶯丸に、叱られた」
ぼそぼそと言うイチに、姫の尖っていた目尻も下がった。
「・・・姫も、他の子を馬にするのはダメって、亀甲に言われた。
母上にもすごく怒られたから・・・イチのことも、許してあげる」
「うむ!!偉いぞ、二人とも!!!!」
突然の大音声に、子供たちが飛び上がる。
「・・・堀家の大包平。
言ったはずだ、うちの姫を怯えさせるなと」
鶯丸だけでなく、太郎太刀にまで睨まれて、大包平は一礼した。
「すまん!
しかし、一郎君と本庄家の姫の寛容さに心打たれたのだ!!」
「まぁ・・・種を狙っていた鳥を追い払ってくれたことにはお礼を言うよ」
くすくすと笑って、桑名が姫の隣にしゃがみ込んだ。
「さて、姫は何を植えるか、考えたかな?」
問うと、イチをちらりと見て頷く。
「いちご。
みんなで食べるの」
言うや、ぷんっと、そっぽを向いた。
「姫のこと、もう馬鹿にしないなら、イチにもあげていいよ」
「イチゴかぁ・・・」
困り顔で頭をかきながら、桑名が苦笑する。
「イチゴはもう、植える時期を過ぎてしまったからね。
今回は花にしよう。
ヒマワリなんかどうかな?
種が食用のものを植えてあげるから、夏には燭台切にお菓子を作ってもらおうね」
一緒に食べよう、と、頭を撫でてもらったイチが頷いた。
「和解だな。
お前たち、作業が終わったら縁側へおいで。
菓子と茶を出してあげるから」
農作業を手伝う気などさらさらない鶯丸が、ひらりと手を振って行ってしまうと、太郎太刀が軽く手を叩く。
「では、早々に終わらせましょう。
姫には後ほど、言葉遣いの指導をしますので、そのつもりで」
「えぇー・・・」
見遣った桑名は、『奥方に禁じられてるから』と笑って助けてくれず、姫は渋々頷いた。
「見事な人選だったね」
「さすがは我が本丸の嫡男だ」
髭切と膝丸に褒められて、ワカは嬉しげに頬を染めた。
「中君(なかのきみ)の根回しも見事だったし、我が本丸は将来も安泰だね」
おいで、と、髭切が手を伸ばすと、ナカは嬉しげに駆け寄って、彼の膝に乗る。
「お前、子供じゃないって言ってたじゃん・・・」
「髭切は別です」
うんと年上だから、と、筋が通っているのかいないのか、よくわからない理由をあげる弟に、ワカはぷす、と鼻を鳴らした。
一方、堀家の本丸では。
「一郎君!!!!今日は立派だったぞ!!!!!!!!」
大包平の大音声に小動もせず、イチは大きく頷いた。
「俺も!!
本庄家の兄君達のように!!!
弟を守れる男になるんだ!!!!」
「・・・とっても立派な心掛けですけど、ちょっと静かにしてくれません?
鼓膜が破れちゃいます」
回廊を通りかかった堀川国広が、耳に当てていた手をそろそろと外す。
「あぁ、散らばっちゃった・・・。
もう!
お二人の声にびっくりして落としちゃったんですから、拾うの手伝ってください!」
「すまんっ!!!!」
「ごめんなさい」
すぐさましゃがみ込み、回廊中に散らばった紙を集めながらイチは、難しい漢字の並んだ書面を眺めた。
「これ、母上の?」
「そうですよ。
会社の芹沢鴨を、社会的に抹殺するための証拠集めです。
僕、闇討ちは得意なんですよv」
にこにこと、人当たりのいい笑みを浮かべながら、言うことはえげつない国広に、イチは集めた書類を渡す。
「次の若子(わこ)さまが生まれる前に、鴨鍋の準備をしておけと命じられましたから!」
「なるほど!
勇ましい奥方だ!!」
なにが『なるほど』なのか、意味がわからないながらも、イチは大包平を真似てこぶしを掲げた。
「母上に、がんばれって言って!
国広も頑張って!」
「はい!任せてください!」
大きく頷いた国広は、拾ってもらった書類を受け取るや、くるりと踵を返した。
「では一郎君!!
立派な男になるべく!!
修行だ!!!!」
「はいっ!!!!」
二人の大声にまた、国広は回廊に書類をぶちまけた。
了