プレゼントには口付けを鳴り響いたチャイムに肩を跳ねさせ、遙は玄関の扉へと視線を向けた。
六月二十九日の午後九時を少し回った今。
こんな時間にチャイムが鳴るなんて随分と珍しいと、遙はそっと足音を立てずに扉へと近付く。
明日は真琴達が何やらお祝いをすると張り切っていたが、こんな時間に来るとは聞いていない。
ドアスコープからそっと来客の顔を確かめる。
レンズの向こうには、どこか落ち着かなさげな恋人の姿。
ドアノブを握り、少しだけ間を置いて開かれた扉。
扉の先でどこか安心した様子の楓は、開口一番遙にこう告げた。
「少し付き合ってくれ」
移りゆく窓の景色に視線を向けたまま、遙は楓の運転する車の助手席に腰を下ろしている。
顔を合わせるのは久しぶり、楓とは小さな喧嘩をしていた。
喧嘩の原因は今から一ヶ月ほど前、その頃は練習や大学で互いに忙しい毎日を送っていた。
そんな中、やっと重なった二人の休日。
珍しく自分も楓との逢瀬を前日から楽しみにしていた。
服なんかも少し悩んだりして当日待ち合わせ場所にも少し早く着いたが、待てども待てども楓は来ない。
何か事故にでもあったのかと心配になり連絡を何度か入れ、楓からの返信が来たのは待ち合わせから二時間後。
寝過ごしてしまったと慌てているのが分かる誤字だらけのメッセージを見た瞬間、かかってきた着信を切り遙は踵を返して家へと引き返したのだ。
それからは楓が家に訪ねてきても無視を決め込んでいた。
いつも約束を守る楓が、寝過ごすほどに疲れていたのだろう。
分かっていても、何だか自分だけが楽しみにしていたようで悲しかったのだ。
それから連絡も無視を決め込んですっかり頭も冷えてきたところでの楓の来訪に、遙も流石に扉を開いた。
そして遙は行先も告げられぬまま今、楓の運転する車に揺られているという訳だ。
「どこに行く気なんだ」
一時間半ほど車を走らせたところで、音楽だけが流れていた車内に遙の問いが響く。
楓は少し口篭り、もう少しだからと答えをはぐらかした。
二人の間にそれ以上会話は生まれず、日付が変わってしまう三十分前にやっと車は動きを止める。
辿り着いたのは大きな公園。
何故ここに来たのか分からないまま楓に連れられ少し歩けば遠くに光が見える。
更に歩を進めると広がった鮮やかな世界に遙は目を見開いた。
「これ…」
そこにはイルミネーションで飾られた公園が広がっていた。
看板を見ると、どうやら夏季限定で公園内をライトアップしているらしい。
楓と共に舗装された細い道を進んでいけば美しい光が周りを照らし、幻想的な世界を作り出している。
イルミネーションは冬のイメージが強いが、生い茂る青々とした木々に飾られたイルミネーションもまた違った良さがある。
遅い時間で他の客はいないお陰か余計な喧騒も無く、二人がゆっくりと歩を進めていれば楓はちらりと腕時計に視線を落とした。
「…そろそろだな、ほらこのまま真っ直ぐだ」
楓が指差す先には開けたスペースがある。
そこまで歩を進めてみると大きな噴水があり、遙達が足を止めた瞬間穏やかに揺れていた噴水の水が高く上がった。
「すごい…」
高くリズミカルに水が動き、イルミネーションの光に照らされる。
まるで魔法のように空に舞う水に遙が目を離せずにいれば、隣に並んでいた楓が口を開いた。
「ここ、一時間ごとに噴水が出るんだってよ。今はイルミネーションもあるから、すげえ綺麗だって聞いたけど…」
やっぱすげえな、楓の言葉に頷いて遙はじっとその輝く水の姿を見つめていた。
楓は遙が喜びそうだと、調べて連れてきてくれたらしい。
あの時間に尋ねたのは優しい遙は流石に夜に来た楓を追い出すことはしないだろうという少しずる賢い考えだと聞いたときは少し呆れたが、もう楓に怒りの感情は湧かない。
遙の表情に楓はどこか肩の力を抜きながら、静かに口を開く。
「この間の詫びと誕生日プレゼントってことで…許してくれるか?」
楓の言葉に遙は少し考えた素振りを見せて、ふっと笑みを貰う。
あとは、鯖と岩鳶ちゃんで勘弁してやる。
そんな本気では無い我儘を呟けば、楓は口角を上げた。
「おう、前欲しがってた岩鳶ちゃんのぬいぐるみは今日おまえんちに届くし、市場でいい鯖が手に入ったらしいからあとで取りに行くぞ」
「え…!」
楓の言葉に遙は顔を楓へと戻す。
最近欲しがっていたといえば二メートル超えの大きな岩鳶ちゃんのぬいぐるみだ。
数量限定で自分は手に入らなかったレア物なのに、楓は何とか遙の為に手に入れてくれたらしい。
それに市場の新鮮な鯖も、東京で買えばそれなりにいい値段なはず。
楓の用意周到さにそんなに仲直りしたかったのか、なんて言葉を呟けば当たり前だと楓が眉を寄せた。
「悪かったと思ってるし、これでお前と別れるなんてぜってー嫌だからな」
「…」
少し意地を張ってしまっただけで別れる気などサラサラ無かったのだが、どうやら楓の中では随分と深刻な自体だと思っていたらしい。
まあ今回は許してやろう、だけど楓は重要なことを分かっていない。
「…岩鳶ちゃんも鯖も嬉しい。でも、恋人なら他にもあるだろ。仲直りする一番いい方法が」
「え?」
首を傾げる楓をじっと見つめる。
二人の間に会話は消え、静かに引かれあい重なり合った唇は、何だかいつもよりもドキドキして。
閉じていた瞼を持ち上げれば、目の前には愛おしげに遙を見つめる楓がいる。
「誕生日おめでとう」
「…ありがとう」
遙は目を細め、楓の体に腕を回す。
まだ足りない。
もう一度キスをねだるようにじっと楓の顔を見つめれば、楓は口元を緩めもう一度遙の唇に自身の唇を重ねた。