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    孔雀が幽霊に憑かれてる話

    「……孔雀さん、しばらく近付かないでください」
    「えっ!?」

     孔雀は豆鉄砲を喰らった顔をして、手に持っていた資料をはらはらと床に落とした。
    折鶴は孔雀を軽く睨みつけて、苦虫を噛み潰したような形容しがたい顔をした後に、逃げるように鷹野へ声を掛けて、部屋を出ていってしまった。

     警察庁刑事局捜査第一課本部。
     孔雀の仕事場兼簡易宿泊所。
     オフィスの一角には孔雀の私物が散らかっており、折鶴はそれを踏まないように気を付けながら孔雀に近付いたかと思えば、唇をンッと絞めて、まるで寝起きにレモンを食わされた猫のような顔をして逃げた。
    孔雀はクンクンと腕を嗅いで、匂いを確認した。確かにここ数日は忙しくてシャワーを浴びていないが、そこまで言われる程なのか、と少し傷付いた顔をして、シャワーを浴びてない孔雀が悪いのに被害者のような素振りをした。

    「孔雀さん、あの」
    「わあ!」
    「あ……す、すみません。お疲れ様です」
    「な、……なんだい?」
    「……良かったらここ……オススメです」

     孔雀は突然現れた鷹野に驚いて上擦った声を上げた後、軽く咳払いをして誤魔化した。恥ずかしいのかバツの悪い顔をして床に散らばった私物をちみちみ拾い、一箇所に積み上げて山を作りながら、鷹野から渡されたそれに視線を落とした。

    「……除霊」
    「はい」
    「……えっ、憑いてる?」
    「はい」

     鷹野は真っ直ぐと孔雀の目を見て言った。肩にいるソレと目を合わせたくないから、真っ直ぐと、それはもういっそ清々しいくらいジッと見つめた。
    孔雀は鷹野の眼力に少し引きながら、折鶴が近付くなと言った理由に納得して、肩を軽く払ってみせた。

    「逆です」
    「ええ〜」

     孔雀は再度右肩を払って、鷹野の視線が外れないのを確認して全く意味が無いことを察し、フゥ、とため息を吐いて渡された名刺に視線をもう一度落とした。

    「何処よ」
    「東京です」
    「だから、東京の何処」
    「………浅草?」
    「ふうん……」

     お隣か、と考えて顎に手を当てた孔雀はその視線の流れのまま時計を見て「わかった」と呟くと、立ち上がってロングのフレアスカートを軽く払った。

    「行ってくるか」
    「はい、行ってらっしゃい」
    「来てくれないのかい?」
    「行きません、怖いので」

     折鶴も鷹野も揃ってビビりか、と拗ねたように唇を尖らせて、顔につまらないと書いてみせると鷹野は一度はっきり目を合わせた後にフィと顔を逸らして「通常業務に戻ります」と逃げてしまった。
     一人取り残された孔雀は、天井を見上げて、照明の一点を見つめた後、あ。と小さな声を出して、プライベート用のスマートフォンをポケットから取り出して、MATEの文章をサクッと作り上げると、デスクからシャワーセットを取り出して、支度を進めた。

    「で、なんでオレ?」
    「え……幽霊とか見えなさそうだから……」
    「確かに見えませんけど」

     桐生は心底面倒くさそうな顔をして捜査一課の扉を叩いて、ヤケに艶っぽい孔雀を見付けて近寄った。
    この人、ズボラだけど美人だったなあと桐生は頭の先からつま先まで孔雀を見て、もう一度孔雀の顔を見る。うん、美人だ。

    「この前の罰ゲームだ、着いてきてくれ」
    「ああ……はい」

     孔雀はセキリュウの一件から、桐生と異様に仲良くなった。最初は抑止力のつもりだったが、お互いに子供っぽいところが色濃く残っている事もあり、定期的に徹夜ゲームパーティーをして遊ぶようになった。それが、つい先週にも行われた。ゲームの内容は真剣衰弱。二人でやるにはつまらないから、と二人で泥酔した状態で行ったそれは、結果がどうなったかお互いに覚えては居なかったが孔雀は自分が勝った体にして「罰ゲーム」といい、桐生はそれを聞いて自分が負けたのだと勘違いを起こして素直に応じた。実際は二人とも途中で潰れて勝敗どころでは無かったが、たった今決着が着いたことになった。
     艶っぽい孔雀を見て、孔雀のスッピンにも靱やかな身体にも見慣れているはずなのに柄にもなくドキッとした桐生は、「ま、役に立つなら何でもしますけど」なんて普段は絶対に言わない事を口走りながら如何にも頼りがいのある男ですといった顔をして、孔雀の支度が終わるのを黙って待った。

    「ここ」
    「はい。……はい?」
    「ここいくから」

     孔雀が鷹野から貰った名刺を桐生に渡すと、桐生はそれを見て首を傾げる。お祓いだからてっきり寺にでも行くのかと思ったが、どうやら違うらしい。
    猫探しから除霊まで何でもおまかせ!と書かれたティッシュと一緒に入っているチラシの方がイメージに近いそれは、ハッキリと探偵事務所と書かれている。百歩譲って万事屋ならまだしも、探偵事務所。
    鷹野が渡したものなら確かなものだろうが、桐生はあまりの胡散臭さに頬をピクッとさせて、「うわあ、鴨」と呟いた。孔雀なのに鴨。鳥さんトリオ揃って鴨かよ、と完全に巻き込まれた折鶴まで軽蔑した。

    「何が憑いてると思う?」
    「なんでしょう、最近どこ行きました?」
    「キミたちと沼の調査に行ったくらいだよ」
    「ああ〜」

     桐生はポン、と漫画のように手を叩いて閃いた。
    孔雀は素っ頓狂な桐生の様子を見てうわ、と思ったがよく考えるとそれはいつもの事なので、スンと真顔に戻って軽く首を傾げ、次の言葉を促した。

    「それ、多分イヌだ」
    「イヌ?」
    「本多ちゃんも憑かれてた。沼の主がパッチワークヒューマンになってたアレで……それの材料にされたイヌに……」
    「あぁ。……ああ? イヌ? あれ、中身人間じゃなかったか?」
    「人間は死んでから繋げられたものなので……イヌは生きたまま繋げられたので怨念エグいッスよ〜〜可哀想に、ご愁傷さまです」
    「待ってくれないか、まだ死ぬつもりは無い」

     桐生はケラケラ揶揄うように笑うが、確かに本多は数日前まで高熱を出して休んでいたと聞いている。
    身体的な影響はそこまで大きく出ていないから、本多よりはマシだろうが孔雀もかなりだるさを感じていた。否、指摘されたことによるプラシーボかもしれないし、単純に寝不足なだけかもしれないが。

    「とりあえず行きますかあ。昼休み終わったらオレ帰るんで」
    「酷くないかい?」
    「あと通報あったら帰ります」
    「酷くないかい??」

     ぎゃあぎゃあ言いながら捜査一課を後にした二人を見て、昼休みだと言うのに捜査を続けている刑事たちは職場でイチャイチャすんなよ、と苛立ちを覚えた。
    勿論、二人は付き合っていないし、付き合う未来も(今のところ)無いが。


    ◾︎◾︎◾︎

    「こんにちは、今日は……除霊でしょうか」

     浅草の繁華街から少し外れた、エレベーターも無いような簡素で薄汚い雑居ビルの五階で、へとへとになりながらインターフォンで店主を呼び出すとそこにはこの世のものとは思えないほどの美少女が居た。孔雀は鷹野より歳下か?と思って、桐生は茅野ちゃんより歳下かも?と思った。店主を呼んだはずなのに、推定高校生の女の子が迎えてくれたことにフリーズしていると、「どうぞ」とそれはもう鈴の転がるような可愛い声で案内をされた。

    「刑事さんが二人、うふふ、素敵ですねえ」
    「えっ?」
    「あ、お姉さんの方は……偉い人ですね。刑事さんって呼ぶのは失礼なのかしら、ごめんなさい、私疎くて」
    「あ、いや……」
    「お兄さんの方は、……うん?不思議な感じ……。刑事さんだと思ったけど、もしかして違うのかしら。……それとも、公安みたいな……人に言えないお仕事してる方?」
    「えっ?」
    「ああ!ごめんなさい、こんなこと聞いても、秘密組織の人なら答えられませんよね。刑事さんですね、ふふっ。よろしくお願いします」

     桃の紅茶の匂いを纏わせた、文字通りふわふわした女は膝丈のバルーンスカートを揺らしながら孔雀と桐生を囲って観察を始めると、何も話していないのに警察だと当てた。
    孔雀はそれを怖がって女を睨み、桐生は膝丈の揺れるスカートを目で追っていた。

    「座ってください。……お姉さんの方は、早く除霊しましょうか。すぐに準備します」
    「は、え、はい。……え?」

     桃の女に促され、孔雀は戸惑いながら椅子に座った。女はちまこい動作で棚を開けたり引き出しをは開けたりして準備をしており、ぴょこぴょこ高い戸棚に手を伸ばす度に、桐生はただじっと揺れるスカートを目で追った。

    「……可愛くね?」
    「はは……そうかい……」

     孔雀は相変わらずの男だと思いながら、薄ら感じる女への気味の悪さに引きつった笑い方をした。

    「お酒は苦手ですか?」
    「え、い、いや」
    「ああ、よかった。清酒を使うので、お酒の匂いが強いんです」
    「へえ……」

     媚薬のように甘い美貌を振り撒きながら、ちまこい身体で重そうな道具を持って歩いてきて、それをドカッと孔雀の目の前に置いて拡げた。

    「最近何処に行きました? すっごく恨まれてる感じ。……墓荒らしでもしました?」
    「仕事で……少し、廃村まで」
    「ああ〜、だからこんなに沢山……」
    「…………沢山?」

     孔雀はイヌだと検討をつけていたので、精々一匹二匹だと思っていた、が。どうやら実際には違うようだ。
    女が言うには、男女複数人、大体七人〜八人程度だが、頭が正面を向いていなかったり首が変な曲がり方をしていたり、バカほど身長が大きかったり、腕の関節が軽く三箇所ほど増えて伸びていたり。
    一番酷いのは、頭が膨れ上がって身体の三倍ほどの大きさになり、対して身体は腕も脚も関節が無くなって、まるで頭から直接生えているような錯覚を起こすほどちまこい胴からずるりとはらわたが覗いていて、人の形をギリギリ保ったまま、凡そ人とは思えない程醜いそれがびったりと孔雀の頭部を抱きしめるようにして、短い腕で顔面を覆うようにしているのだ。

    「もう一度聞きます。墓でも荒らしましたか?」
    「していない。……そこに発生した自然現象……の対処を行った」
    「自然現象」
    「……公務上詳細は明かせない。とにかく墓荒らしとか……そういう、倫理的に咎められるものではないよ」

     異形生命体をどうこうするのが倫理的にどうかと聞かれたら返事には困るが、何かをイタズラ半分で行ったことは絶対に無いので否定した。勿論、仕事上屍体と対峙することは分かっていたし、そこで新たな死体が上がったから仕方なく捜査に向かったのだけなのだが。ただ仕事をしただけで憑かれてはたまったもんじゃない。ふざけている。
    孔雀はハァ、とクソデカ溜息をついて、これだからNHIは……と、完全に八つ当たりを脳内でぶつけた。桐生は隣で唐突に溜息をついた孔雀を見て、便秘なのかなと思いながらビスチェから零れそうな女のおっぱいを無心で見つめた。ちまこい小動物のような女は、意外と出るところは出ていてむちむちぽよんのいい女だった。

    「公務で憑かれるなんて、警察も大変ね」
    「アハハ」
    「オーケィ、どのプランにしようかしら、決まってる?」
    「プラン?」

     女は立ち上がって、白くて清潔で古臭い部屋に似合わないロココ調のアンティークなデスクの引き出しを開けて、喫茶店のような分厚いメニュー表を取りだした。それはまさしくメニュー表で、しっかりとビニールカバーが掛けられたものだった。ファミレスのメニュー表を想像してもらうのが早いだろう。それを女は孔雀の前に持ってきて、パラパラと捲ってみせた。

    「これがコンプリートプラン、六万八千円。こっちがベーシックプランで四万五千円。最後にライトプラン、これは二万円ポッキリね」
    「携帯ショップか……?」

     携帯料金プラン表のようなポップなメニューを見せられ、孔雀は目を疑う。次のページには携帯ショップのようにプランごとに出来ることが表になって丸と罰で示されている。実にわかりやすい。

    「オススメは?」
    「人数も多いし、コンプリートプランがオススメ。でもお金を掛けたくないなら、ベーシックプランでオプションをつけるのが一番お手軽かしら」
    「携帯ショップだ……」

     さらに次のページに行くと、“人数追加オプション”だとか“霊除け呪い弾きコーティング追加”だとか書いてあり、孔雀はそれを見て「わあ、携帯ショップだあ」と再度思った。女は孔雀の引いたような顔を見て、お金が無いのかなと思ったので「分割プランもありますよ」と伝えたが、孔雀はそんなことどうでもいいので、「はあ」とだけ言って流した。

    「じゃあ、コンプリートプランで……カードは使える?」
    「承りました。カードお預かりします、お支払い方法は?」
    「一括で構わないよ」
    「はい」

     女はカードを預かってそそくさとバックヤードに消えて、暫くしてから戻ってきた。
    カードと領収書を孔雀に渡して、更にふわふわのバスタオルを一枚、孔雀に押し付けた。

    「……これは?」
    「シャワーを浴びてきて欲しいんです。特殊なシャワーで」
    「はあ……」

     孔雀は生返事をしてチラと桐生を見ると、とうに飽きていたのか、ソファーで寛ぎながらマッチングアプリを右へ左へスワイプして暇を潰していた。

    「そこのカーテンを開けた先にシャワールームがあります。清酒と塩が混ぜられているので、少しピリピリするかもしれません。髪も少し傷んでしまいますが……この量なので、頭からガッと行っちゃってください!」
    「頭から……」
    「全身くまなくシャワーで清めてくださいね!」
    「全身……」

     孔雀は物理的に傷口に塩を塗りこんだ経験を思い出し、あれを全身にやるのか? と少し身構えるが、もうここまで来たら後戻りはしない。孔雀はフゥ、と細く息を吐くと、覚悟を決めてカーテンを潜った。
     カーテンを潜ると、人一人分に満たないくらいの短い廊下があり、その廊下の先に、真っ白な扉があった。扉には銀色のノブがついており、それを捻ると、清潔なシャワールームと脱衣場が顔を出した。ネットカフェのようなシャワー設備である。脱衣場には鏡とドライヤーと洗面器が備え付けられていて、こぢんまりとしてはいるものの、充分、否、それ以上に機能するものだった。
     不自由することなく服を脱ぎ終え、シャワーブースへ入るとツンとした酒の匂いと、海のような塩の匂いがする。ノブを捻れば、除霊シャワーが始まるのだろう。孔雀は何だか怖くなって、キョロキョロとその場で視線を彷徨わせ、他に視界に入るものを探した、が。これといったものは無く、仕方なく恐る恐るノブを捻ると、キュ…と金属音を立てて、普通のシャワーより、若干重たい水が降り注いだ。

    「ウワ、ホントにお酒の匂いする……」

     つんと香る酒の匂いに、いくら酒好きの孔雀も顔を歪めた。シャワールームで嗅ぐ酒の匂いは何だか不釣り合いで、どことなく気持ち悪さを覚えた。
     昔、まだ折鶴が入ってきたばかりの頃、通報で駆け付けた風呂場で、猫砂で排水溝が詰まってどどめ色の水が溜まった状態で身体が半分ふやけた撲殺体に出会したのを思い出す。あの時も酒の匂いが拡がっていた。どどめ色の水にはアルコールが含まれていたから。全身が水と同じ色に染まった、激しい殺意の果ての御遺体は、救急隊が持ち上げた時にどろりと裂けては行けない方向に身体が裂けた光景を、今でもたまに夢に見ていた。
     閑話休題。
    孔雀は顔色を悪くしながら、シャワーで全身をくまなく清めた。言われた通り髪の毛の一本一本を湿らせ、肌のシワ一本一本をなぞるように身体を滑らせると、やはり思っていた通り、肌がピリピリと赤らんで痛んだ。全身が細くて小さな針で刺されているような、耐えられないほどじゃないチクチクとした痛みが孔雀を襲った。

    「刑事さーん!水の方のノブを捻ると、普通のお水が出るようになってるので最後はそれで流してくださーい!」

     シャワールームの外から女が叫んだ。
    孔雀はそれを聞いて光の速さで今まで開けていた赤い栓を閉じ、青い栓を開けた。
    すると言われた通り普通の水がシャワーとして流れ出る。水、とは言われたものの、それはぬるま湯のようで三十七度くらいの水が、孔雀の身体を流れて行った。次第にピリピリとした痛みが治まり、塩と酒の匂いも引いて、孔雀はその心地良さにため息をついて目を閉じた。なんだか少しだけ肩が軽い気がする。そう思いながら、キリがないのですぐに切り上げてシャワーブースから出ると、あまりの眩しさに一瞬だけ怯んだ。
     けれど変わったのは照明器具でも無ければ日の差し具合でも無くて、孔雀自身だった。孔雀は洗面器に備え付けられた鏡を見て、「私の首ってこんなに細かったか?」と首を撫でた。その首は酷く不健康な痩せ方をした時特有の首で、胸鎖乳突筋が不自然なくらい浮き上がっている。孔雀は老けて見えるな、とその鏡を睨み付けるようにすると、ふと思い立つ。
     鏡を見た時にこれに気付かないわけが無くないか?
    最近鏡を見た時、首元を見ていないだけ? こんなに目立つのに見ていない? そんな訳。
    孔雀は恐ろしくなって、髪をバサバサとタオルで軽く拭っただけですぐに服を着て、ビショビショのまま元の部屋へ戻ってきた。ここが人前だとか、そんなことを構っていられないほどに背筋が冷えて、一人でいるのが怖くなってしまった。
    顔面蒼白の孔雀の様子を見た桐生は「草」とだけ思って、マッチングアプリでマッチした女の子に耳触りのいい言葉を投げかけていた。
    女は軽く笑って、「効果をもう実感したの? センスあるね」なんて言いながら孔雀が落としたジャケットを拾ってやり、孔雀の濡れた髪を肩から退けてやった。

    「これ……えっ……視界が明るい……」
    「見たところ半分は消えたね、上出来。次やるわよ」
    「次……?」
    「こっちに来て、この部屋に入りなさい」

     孔雀は言われるがまま女に連れてこられ、ビショビショのまま訳も分からず畳の上で正座をさせられた。髪がワイシャツにピタッとくっついてワイシャツを濡らしていき、シャツが透けて肌が見えているが孔雀はもうそんな事すら気にせず、ただただ正座をさせられている状況にオロオロとして女の行動をイチイチ目で追った。普段の孔雀からは考えられない行動だが、孔雀は普段の威厳をスッカリ無くして、捨てられた子犬のようなきゅるんとした顔をしている。

    「うわぁ、凄い。信仰心が強いヒトたちらしい」
    「え……」
    「みるみる消えてくや」

     孔雀には分からないが、女は孔雀の肩の辺りから視線を何度も上へ動かしてへらへらと笑った。
    ぽたりと髪から垂れる水滴で、畳が濡れていく。女はそれを気にも止めず、「すごい、すごい」とはしゃいでいた。仄かに白檀の匂いがするその空間は、本来はすごく落ち着く空間なのだろう。だが孔雀には恐怖心で満ち溢れたおぞましい空間になっていた。自分の身に何が起こっているか分からず、ただ白黒と目を回すだけで少しづつ軽くなる身体と良くなっていく顔色に気付いてすらいない。
     そんな孔雀の様子を見てか、女はおもむろに鏡を取りだして「ほら、だいぶ良くなってきましたよ」と言った。その鏡を覗き込むと、孔雀の肩には二人の大人の手が掛かっていた。ひゃっ!と喘ぎ声のようなかわゆい声を出して飛び退けると、女はそれを見てケラケラ笑った。

    「ごめんなさい、見えてないんですっけ」
    「な、何この鏡!」
    「真実を写す鏡です、霊感無くてもハッキリ見えるんですよ~。……ほら、ちゃんと見てください。顔色、良くなってません?」

     女はきゅるんとした可愛い顔を、鏡と共に孔雀に近付けた。甘い香りを纏わせていて、女が近付くとちょっとばかりクラッとする。媚薬のような女が持った鏡を見て、孔雀はたしかに少し顔色が良いかもしれない、と思ったが、最近の自分の顔が思い出せなくて首を傾げる。さっきもそうだった。思い出そうとすると、記憶にモヤがかかる。今追ってるホシの事も、先日片付いたヤマのこともハッキリと覚えているのに。勿論折鶴や鷹野の顔だって思い出せる。今日着ていた服ですら思い出せるのに。

    「もうここは終わりかな。最後、仕上げをしよう。簡単だよ」

     女は元に居た席に孔雀を案内して、髪の毛を拭いてやった。すっかり冷たくなった髪の毛はゴワゴワとしていて、ほんのり傷んでいる。頻繁に入れているカラーのせいだろう。孔雀は、孔雀であるためにカラーを入れる。時間が無いからセルフで、手をカラフルにしながら染めている。たまに孔雀の爪の隙間は虹色えんぴつみたいな色をしている時がある。孔雀はそれが嫌いだが、孔雀が孔雀であるためにもう五年ほど続けていた。

    「スプレーするから、目を閉じてね」
    「はい」
    「目に入ったら、痛いよ」

     女はそう言って、透明なスプレーボトルを孔雀の両こめかみの辺りにプシュプシュッと吹き掛け、後ろに回り、項の方にプシュッと吹き掛け、両肩にプシュプシュッと吹き掛けた。
    カポッと蓋を填める音がしたと思うと、女が孔雀の肩をグッと掴んで、揉みほぐすようにして首筋から肩まで、手のひらで温めながら力を込めた。
    孔雀はマッサージ気持ちいいなあ、と思って少しだけボーっとしていると、不意に背筋を指先で撫でられた。孔雀は「ひぁっ」と情けない声を出して、顔を赤くする。ついでに、エッチな声がして思わず飛び上がった桐生と目が合ってさらに顔を赤くし、ゴホン、と強めの咳払いをした。

    「以上! どうです?軽くなりました?」
    「ありがとうございます。……分からないけど、多分、良くなった気がします」
    「あはは! まぁ、実感出来なかったらまたいつでも。2ヶ月以内なら無料メンテありますし」

     女は笑いながら孔雀にチラシを渡し、「今更だけど」と言って名刺を手渡した。孔雀はそれを受け取って、「蛇界ゆみ、さん……」と小さく呟いた。蛇界はそれにニコッ! と愛想良く笑い、「猫ちゃん探しから不倫調査、本格除霊までマルっとおまかせあれ! 蛇界探偵事務所を今後ともよろしくお願いします!」と決め台詞を吐いた。
     孔雀はスッカリ絆されて、クスッと笑い、「ありがとうございます」と頭を下げた。
    桐生はようやく終わった、という顔をして体を起こし、適当に服のシワを伸ばす(シワシワだと本多にこれでもかと言うほど叱られるので)。
    二人は揃って探偵事務所の扉を潜り、来た時と同様に長い階段をヒィヒィ言いながら下り、適当な土産屋で各々自分の部署への土産を買い込むと、平日昼間で乗車率20%を切ったスカスカの電車へ吸い込まれ、ボスンと長椅子のスプリングが反応するほど派手に座った。

    「良かったっスね、除霊できて」
    「良かったけど、こんなに痩せてたなんて知りたくなかった」
    「アハハ、ウケる」
    「こんなに老けてるなんて知りたくなかった……痩せると老けるんだよ、ある程度肉がないと……」

     孔雀はむにむにと自身のほっぺを掴んで、手に伝わる骨感に悲観的になっていた。首が細かったのも凄く嫌だったし、頬の筋肉がたるんでいるのも嫌だった。もしかしてずっと酷い顔をしていたのか? と思うと、昼間の折鶴の対応も納得が行く。スッカリ昼休みも明けて遅刻になっている二人は、「これ帰ったら怒られるんだろうなあ」と揃って思いながら、警視庁までの道程を、悪い点を取って家に帰り辛い小学生のような足取りでとぼとぼと歩いた。

    ◾︎◾︎◾︎

    「あれ、孔雀さん……」

     帰ってきて早々、一階のロビーにたまたま来ていた折鶴が孔雀と桐生が揃って歩いてるところを目撃し、思わず声を掛けて、「ヤバッ」という顔をしてエレベーターのボタンを連打した。

    「そんなに慌てなくとも、デートじゃないよ」
    「な、なんだ。良かった」
    「デートだと思われてたんスか?! 最悪」

     桐生はゲェ、と舌を突き出して吐くような素振りをして見せると、孔雀にスパンッ!と頭を叩かれた。
    孔雀は折鶴を見て、「もう君に近付いても大丈夫かい?」と聞く。すると折鶴は暫く考えた後、目をぱちくりと三回瞬きして、ニコ! と向日葵のような笑顔をして見せた。

    「いいですけど、お酒臭いです! シャワー浴びてきてください!」
    「ええ、またぁ? さっきも浴びたのに……」
    「さっき……? ま、まさか昼休み中にラブホ」
    「行く訳ないだろぶぁーか!」

     桐生はデカい声を出して折鶴の声を掻き消して、「孔雀さんは俺抱けない。タイプじゃないから」とだけ言って、失礼なくらい大きなため息をついて「お先に」と一言残して非常階段を登って行った。NHIは七階にあるので、それはそれは大変な距離だろう。孔雀と折鶴はチンッと鳴って到着したエレベーターに呼び戻す事はせず、二人でエレベーターに乗り込んだ。

    「仕方ない、もう一度シャワーを浴びるか……」
    「髪質もヤバいですね、どこ行ってたんですか。海水でも浸しました?」
    「アハハ、まあそんなとこかな」
    「もー……。あ、私のシャンプーとトリートメント貸しましょうか? サロン専売のめちゃくちゃイイヤツです」
    「お、いいの? 借りようかな。折鶴いつもいい匂いしてるのはそれだったのか」
    「えっ」
    「あ。セクハラかな、これは。ハハ、報告しないでおくれよ」

     孔雀は笑いながらヒラ、と手を振って到着したフロアで降りた。折鶴は顔を赤くして、「待ってください……!」と必死で追い掛け、シャワールームへ向かう孔雀の為に、急いで自分のロッカーからシャンプーとトリートメントを持って孔雀の元へ走って行った。
     そんな様子を傍から見ていた鷹野は、「孔雀さん、顔色良くなって良かったなあ」と思いながらジャケットのポケットに手を突っ込むと、そこには先程孔雀に渡したはずだった、除霊で有名なお寺のカードがあり、首を傾げた。一体何処で除霊してもらったんだろう、と考えるも、まぁいいかと数秒でその考えを打ち切って、スッカリ仕事モードに入っている部署内に入り、気合いを入れ込んだ。今日もまた通報が沢山だ。平和な日本とは程遠い。
     暫くして折鶴が戻ってきたと思うと、鷹野に「やっと件のシャンプー渡せた」と歯を見せて笑った。鷹野はそれを聞いてクスクス笑って「折鶴さん、タバコの匂いと孔雀さんのシャンプーの匂いが混ざってるの気持ち悪くなるって言ってましたもんね」と言った。
    折鶴はコクッと小さく頷き、孔雀のデスクを見遣った。今日もまた、書類が山積みだ。あの人はもう、と呆れながらも笑って、孔雀が帰ってくるのを待った。早く見てもらいたい書類があるのだ。あの山に置いたら、絶対に見て貰えないから早く渡したいな、と、何処か恋人を待つような気持ちで孔雀を待っていた。
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    Replies from the creator

    777_3_7

    PROGRESS数年前の千風と柿木。
    書きたいけどなんか全然上手くレールが引けなくて進まなくなったのでみてみてしちゃう😭
     その日は目が眩むような快晴だった。
    八月のアスファルトジャングルは、次第に簡単な思考も出来ないほど灼熱の海へと変貌を遂げた。燦々と輝く太陽に照らされ、滲む汗が頬と髪をぴたりとくっつけてとてもうざったい。身体が熱を放出出来ず、じわじわと脳みそが茹だっていく。あつい頭と、ぬるい腹部。アスファルトに流れ出る鮮血を、ぼやける視界で見つめた。手に持っていたはずの拳銃は気付いたら無くなっていて、どんどん冷えていく腹部に、思わず嘔吐く。身体の温度調節機能が壊れてしまったように、寒くて暑くて目が回る。鉄板のように熱帯びたアスファルトに当たる頬はヒリヒリと皮膚を刺激するのに、肋骨から下の感覚がどんどん無くなっていく。その度に胃から込み上げる液体を吐いて、中身がなくなって胃酸を吐いて、それすらも吐けなくなって喉から胃袋が出そうになって、身体中がメチャクチャになった錯覚を起こした頃、フッと急に軽くなる感覚を覚え、何か聞きなれた声で散々耳元で叫ばれて、それで……――気がついた頃には、集中治療室だった。
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