「…せめて今からでも、間に合えば。守ることができれば。それだけなんです」「お嬢様、[美女と野獣]の収容室はそちらではありません」
ある時は困った顔で。
「流石ですお嬢様!」
ある時は笑顔で。
職員ルイスは表情が豊かだ。見たことのないアブノーマリティによく驚き、ちょっとしたことに一喜一憂し、そして。
「……お嬢様」
「大丈夫よ、ルイス。先ほど安全チーフの方でロンドン様に手当していただいたもの、この程度の傷ならすぐに治るわ」
ある時は、苦し気に。ルイスは自分の同僚であり、主君でもあるアリサの怪我を憂えずにはいられなかった。まるで自分がケガしたかのように顔を歪めるルイスを見てアリサはそっと微笑んだ。
「そんな顔はしないで頂戴、私なら大丈夫よ。……本当に大丈夫なの。ここの設備があれば傷もすぐに治るんでしょう?」
「ですが、僕が傍にいながらこのようなことに……」
「もう、大丈夫だって言っているでしょう!この服のおかげであんまり痛くないの。ルイスもわかるでしょう?」
心配させまいと気丈にふるまっているのは分かっていた。ルイスとは対照的に、彼の仕える「お嬢様」は笑顔でいることがほとんどだ。それも、いかにも余所行きらしい、お手本のような、お淑やかな。もちろん、痛みに顔を歪めることだって、新しいものに目を輝かせることもある。しかし彼女は自分がそう呼ぶ以上に「お嬢様」であり、それがルイスの顔を曇らせていたことも事実だった。
「それに、なにもこの程度のけがは初めてじゃないもの。だから、ね?」
メアリー様たちのところに戻りましょう?そう言いながら笑ってメインルームに戻るアリサの背を、静かに追いかけた。
「……はい、お嬢様」
傍に立つには足りていなかった。頭も、力も、そして……度胸も。ルイスはそれを痛感した。今も昔も、「お嬢様」を護るためには足りないものが多すぎるのだ。
──────なぜあなたはその傷を治療しないのですか?
「……え?」
思わずルイスは顔をあげる。いま、声をかけたのは?
周囲を見回しても室内にはルイスと、アブノーマリティ...[ペスト医師]しかいない。つまり、このアブノーマリティが話しかけてきたというわけだ。これまでも[銀河の子]のようにこちらとコミュニケーションをとろうとするアブノーマリティがいなかったわけではないが、明らかに性質が違う。
手元の資料を確認する。「このアブノーマリティは極めて「優しい」。私たちにとって有益だと仮定できる」。……間違いない。彼(?)はこちらに明らかに友好的に接している。
「この傷は……先ほどの鎮圧作業の際の傷ですね。ここに来るまでに治療をする時間がなかったので、そのまま来てしまいました」
奇妙なほどの安堵を覚えながら、ルイスは正直に答える。脱走してしまった[笑う死体の山]を鎮圧する際に何度か齧られてしまい、その傷がふさがらないまま作業に入ったのだ。まるで祝福するかのように自分を迎え入れたソレは、どこを見てるのかもわからない虚ろな目でこちらを見下ろしている。
「……これは、私の力不足です。私が至らなかったばかりに鎮圧に時間をかけてしまい、お嬢様も危険に晒してしまった」
苦々しい顔でルイスは呟いた。いつもそうだ。主人であるアリサに気を使わせてしまうのも、危険から主人を護ることができないのも、ひとえに自分が「足りていない」のだ。せめて、せめてあと一握りの力があれば。彼女を護る為に、あと少しだけでも、変わることができたら。そう願わずにはいられなかったのだ。
作業を終えると、辺りは祝福されたかのような雰囲気に包まれる。両翼を広げるペスト医師のもとに、導かれるようにルイスは前に出る。
──────あなたのあらゆる病を治し、あなたを治療しましょう。
作業室から出たルイスは、まばゆい光を背負って自分の元居たチームに戻る。その顔は以前に比べて幾分か晴れやかだった。祝福を受け心の雲が晴れたのか、或いは、洗礼の力が彼の心を支え強くしたのか。真意は分からないが、今ならきっと、胸を張って主の横に立てるだろう。「一緒に死ぬ」などとは言わない。せめて死ぬなら主人を守り抜いて。ルイスはその手の武器[ブラック・スワン]を握りしめた。
職員ルイスは表情豊かだ。しかし、その表情は輝く洗礼でもはや見えなくなっていた。